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劉禅戦記  作者: Ravenclaw
第2章 諸葛亮
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9

 諸葛亮はいった。

「まことにお見事です」

 諸葛亮は両名を見渡した。

「昨日からずっと考えていたのですが、いまのおはなしを聞いて確信しました。わたくしが思うに、劉禅さまは、天の力を授かったのだと思います」

「おお」

 二人は諸葛亮を見た。

「漢の復興を願う天が、劉禅さまに不思議な力を与えてくださったのです」

「そのようなことが……」

「いかがですが劉禅さま」

「うむ。そうかもしれぬ」

 しゃべっているのは、まだわたしだ。

「でないと、劉禅さまの、この突然のお変わりぶりは説明できないと思います」

「いや、わたしは以前から賢いお子さまだと思っていたのだが」

 本当か薫和。本当にそう思っていたのか。

「諸葛亮どののおっしゃるとおりかもしれません。これほど立派になっておられるとは」

 諸葛亮は力を籠めて言った。

「主上はたしかに、比類のない大徳をお持ちですが、北に曹操、東に孫権を抱え、われらの力はまだまだ微弱です。この地に入って四年足らず。これから地盤を固め、魏を討ち、呉を従え、三国を統一するのは、英雄の義と徳をもってしても至難の業でしょう。そのために、天は継嗣である劉禅さまに救いの手を差し出されたのではなかろうか」

「おお、そなたがそう言うのであれば、きっとそうであろうな。聞けば魏では、曹丕が世継ぎに立てられたというが、わが国に劉禅さまがおられれば、それこそ勇躍安泰であろう」

 持ち上げられすぎて気持ちが悪いぐらいだ。劉禅がこれほど持ち上げられるのはこれまでもなかったし、通常なら、今後も絶対になかったはずである。

 薫和は感激のあまり涙を流している。

「このお姿を見れば、さぞかし趙雲どのもお喜びであろうなあ」

 趙雲。おお趙雲。

「ところで関羽将軍のことですが…」

 馬謖が口を挟んだ。薫和が懐から出したハンカチで涙をぬぐいながら続けた。

「そうそう、そのことだ。関羽将軍がまもなく樊城を攻められるとか」

「いや、まもなくとは申しておりません。曹操を退け、主上が漢中王を宣したあとのことになります」

「諸葛亮どの。樊城については、なにか関羽殿と話をされているのか。あるいは、主上のお考えであろうか」

「いや。わたしも聞いておりません」

「法正どのの計略であろうかな」

「法正どのも、そこまではまだ。いまの戦が最優先でしょうから。つぎの曹操の来襲までは、見透しておられようが」

「主上と関羽どののあいだで、直接やりとりがあるのであろうか」

「それはどうでしょう。お二人だけで運ぶには、事が重大すぎます。ただ、われらが曹操の撃退に成功すれば、関羽将軍がただちに追撃して、樊城・襄陽を取ってしまうということはありましょう。赤壁の戦いのあと、孫呉の周瑜が曹操を追って、曹仁から江陵を奪ったように」

 諸葛亮はつづけた。

「きのうはそこまでしかお聞きしなかったのです。劉禅さまは、樊城ののちを語られなかった」

 二人は頷いた。

 諸葛亮はわたしのほうをむいた。

「そのあとのこともお分かりであろうか」

 こうなれば、答えなければなるまい。

 しばらく黙った。もったいぶったわけではない。ここで関羽の死を言うべきかどうか。いっていいものかどうか。

 聞かれなければあえて答える必要はない。よし、それでいこう。

 わたしは告げた。

「関羽どのが樊城で戦っている最中に、偽計により江陵を奪われます。関羽どのは前後を絶たれ、敗れます」

「孫権か」

 諸葛亮が鋭く言った。

「陸口の呂蒙と陸遜です」

「呂蒙と陸遜。陸遜とは聞かぬ名だが…」

 薫和のつぶやきは無視して続けた。

「その結果、蜀は荊州をすべて失ってしまいます」

「呉がわれらを裏切るのですか」

 馬謖が声を上げた。

「そのあとは」

 諸葛亮が促した。

「主上が孫権討伐の軍を興します」

「呉討伐? まさか」

 諸葛亮は驚いた。

「魏がいるのにですか。それはありえない」

 馬謖が言った。 

 わたしはこたえた。 

「諸葛亮どのも趙雲どのも反対されますが、強行します」

「法正どのは? 関羽どのもさすがにそれは」

 と薫和がたずねたが、わたしは答えなかった。そのころには法正も関羽もいないのだ。

「それで、その戦はどうなるのです」

 諸葛亮がたずねた。

「夷陵の地で敗れます」

 三人が顔を見合わせた。

「わたしが見透せるのはここまでです」

 わたしは予言を打ち切った。

 これ以上続けると、劉備の死まで言わなければならなくなる。それはあまりにも衝撃が大きい。

 諸葛亮がいった。

「その先はわからぬと?」

「人の生死が絡んでいます。語っていいことと悪いことがありましょう」

 諸葛亮はわたしを見つめた。

 薫和がいった。

「そうすると、われらは、荊州を失い、呉に敗れ、蜀に逼塞してしまうのか。劉璋どのの時代に戻るのか。そして、そのあと攻め滅ぼされてしまうのであろうか」

「いえ、すぐにはそうならないでしょう」

 わたしは続けた。

「なによりもわれわれには諸葛亮どのがおられます。諸葛亮どのが国の柱となって、この地を支えてくれるでしょう」

「おお」

 二人は諸葛亮をふり仰ぐような眼差しでみた。

 諸葛亮は言った。

「わたしよりも、われらには大切な人がいるではないか」

「というと」

「劉禅さまがおられる。世の先を読まれる力をお持ちなのだ。われらはまさに、天佑を授かったというべきではないか」

 しばし沈黙が下りた。薫和も馬謖もその言葉をかみしめているようだった。

 それから薫和が言った。

「まさにそのとおりだ。諸葛亮どのに劉禅さま。漢の未来は、おふたりにかかっておるわけですな。われらも力を尽くさねば」

 薫和は鼻をチンとかんだ。

「それで、劉禅さまにおうかがいしたい」

 諸葛亮が続けた。

「先を見透されるということは、慮外の出来事への対処もお考えではないかと思います。漢中を得たとしても、荊州を失うことなれば、われらの存亡にかかわります。それを防ぐためにはどうすればよいとお考えか」

 諸葛亮は右手の拳に左手を当てて、うやうやしく礼をした。

「よろしければ、それをお聞かせ願えないでしょうか」

 薫和もおなじく拱手の礼をした。

「おお、そうでございます。そこがなにより肝要でございまいましょう。ぜひお聞かせいただきたい」

 もちろん、わたしもそれを考えていた。じつは昨日の晩からずっとそれを考えていたのである。

 だがその前に、もっと情報が必要だ。顧客にソリューションを提供する前に、できるだけ情報を集めて分析しておくのは提案型セールスの鉄則である。

 なにより、せっかくここまで信頼を得た以上、うかつなことはいえない。

 営業という仕事柄、調子にのって喋ってきたものの、諸葛孔明から国の運営について意見を求められるなど、よくよく考えれば恐ろしいはなしだ。

「おこたえする前に、諸葛亮どのに、わたしからお尋ねしてよろしいか」

「おお、なんなりと」

 諸葛亮が居ずまいを正した。薫和も馬謖もそれにならった。

 諸葛亮の表情は穏やかだが、目は笑っていない。

 わたしは気を引き締め直した。

 頭が熱い。

 わたしの現状認識はこうである。

 諸葛亮が劉備に説いた天下三分の計は次のようなものだったはず。

 まず劉備が益州と荊州を支配する。

 西方と南方の異民族を手なずけ、内政を充実させる。

 外交面では呉と手を組み魏に対抗する。

 そして、いったんことが起こったら、一軍が荊州方面から苑と洛陽を攻略する。同時に、劉備が益州の兵を率いて長安に出撃して曹操を倒す。

 この戦略に沿って、まず劉璋から益州を奪い取ったわけである。

 連携すべき相手の呉から荊州の一部を奪われた上、ひそかに軋轢が続いているのは誤算だが、ともかく関羽が江陵で頑張っている。

 北部は、漢中を劉備・張飛で攻撃中で、ここは時間が経てば手に入る。

 現時点では、まずまず計画どおりにことが進んでいるといえるだろう。

 しかしこのあとの進行はどうか。

 荊州喪失と関羽の死、夷陵の敗戦と名だたる戦士たちの死、そして劉備と張飛の死、これらが蜀の国力を大きく削ぎ、その後のジリ貧状態を招いたのではなかったか。

 それ以降の蜀漢は辺境の地方政府にすぎず、ただ存続することを目的とする貧弱な国にすぎなかったのではないか。

 度重なる北伐も、主観的な意図はともかく、魏にしてみれば、規模の大きな山賊の来襲とどこがちがっていたか。

 わたしが思うに、漢中を手にして漢中王を宣言した時期が、人的にも領土的にも劉備絶頂の時であり、魏を倒す可能性が最も高まった時期ではなかったか。

 そのような絶頂期を迎える前夜、蜀がまだ可能性のあったこの時期、諸葛亮はどういう戦略を立てていたのだろうか。

 それを聞こうと諸葛亮に向き合ったとたん、外でバタバタと足音がした。

 失礼するといって、文官が入って来た。

「おお軍師どのはここか。探しましたぞ。おや、薫和どのまで」

 気ぜわしくふところから書簡を取り出しながら、わたしに気がついて驚いた顔をした。

「阿斗さまではないか。これはお珍しい」

「伊籍どの、どうなされた」

「おう、急報じゃ。漢中からだ」

 諸葛亮に書簡を渡した。

 眼を落して一読した諸葛亮は、厳しい顔をあげた。

「張飛どのが敗れた」

「なんと」

「雷同将軍と呉覧将軍が討ち死。馬超どのも所在がわからぬらしい」

 みながわたしを見た。

 薫和が言った。

「劉禅さま。これは」

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