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劉禅戦記  作者: Ravenclaw
第1章 劉禅
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4

 劉禅は建物から外に出て、長い通路の上を歩いた。

 通路は板張りで屋根はない。ところどころくの字に曲がって別の建物につながっている。

 暖かい風が吹いていた。すこし朝の冷気が感じられる。

 ひろびろとした敷地の中にいるらしく、塀はだいぶ離れたところにある。庭の木々はちらほらと黄色い花をつけていた。

 遠くには山脈が霞んで見えた。

 どこかで小鳥が鳴いている。

 おだやかな春の景色である。

 漢詩の素養があれば、「春色」とか「うぐいすく」とか詠じたくなるところだ。

 あいにくそのような知識がないので、ぼんやりと歩いている劉禅に、これからどこに行くのか尋ねてみた。

「先生のところ」

「先生とは?」

「白雲先生」

 そう答えて、劉禅は飛んできた蝶々を両手でつかまえようとした。

 その手をくぐりぬけた蝶を追いかけようと通路を降りたとたん、前の男が振り返って、

「劉禅さま!」

 と呼び止めた。

 劉禅はすぐに戻り、首をすくめて、おとなしく男のあとに従った。

 その男はまだ若く、すらりと背が高かった。

 髭はなく、黒い髪をうしろで束ねていた。

 武器は帯びていないようだったが、身のこなしにはどことなく身構えているところがあった。

「あれは誰?」

耿周こうしゅうどの」

「護衛かなにか?」

 劉禅は頷いた。

 別の建物に入り、広々とした部屋に着いた。

 そこには子供が二人いて、机にむかって並んで座っていた。部屋の奥には侍女が数人控えている。

「劉永と劉理」

 聞かれる前に劉禅が紹介してくれた。

「弟たちだ」

 劉禅に弟がいたとは知らなかった。

 見たところ、劉永は劉禅より一つ二つしか違わないようだが、劉理は小学生になるかならないかといったところ。

 劉禅は二人の隣に座った。

 耿周は部屋の外で待った。

 しばらくすると、ひどく腰のまがった白髪の老人が、杖をつきながら入ってきた。後ろに巻物を掲げた従者がひとり従っていた。

「白雲先生」

 老人は従者に巻物を広げさせると、三人をジロリと睨み、しゃがれた声で文章を朗読しはじめた。

 ひとくぎり読むとその解説をし、またひとくぎり読んで、解説を続けた。

 当時は四書五経というのが必須の学問だったらしいから、そのひとつなのだろう。

 むかしの人たちの言行や出来事の説明と、それに対する儒教の立場からの評価と解説。

 最初は興味深かったが、白雲先生は淡々と授業を続けるので、最初は興味深かったが、だんだん飽きてきた。

 劉禅も劉永も劉理もとっくに退屈を通り越して、末っ子の劉理は、机につっぷして寝てしまっている。よだれをたらしていた。

 劉禅と劉永は、さっきから机の下で無言で蹴り合いをしている。

 さすがは長男だけあって、劉禅が蹴り合いに勝ち、負けた劉永はしくしく泣き始めた。

 劉禅は、天井を見上げて知らんぷりをしている。

 意外にわんぱくな奴だな。

 白雲先生はかまわず講義を続けている。

 いかにものどかな風景で、こちらも眠りに誘われそうだ。

「劉禅どの」

「はあ」

「これが毎日あるんですか」

「ない日もあるが、だいたい毎日あるな」

「いつまで続くんでしょう」

「お昼まで」

「それからは」

「食事の時間だな」

「それから」

「みんなと遊ぶ。はやく終わらないかな」

「そのあとは」

「もちろん寝るにきまっている」

 そうか……。

 どうも緊張感のカケラもないが、ほんとうにここは三国時代なのかと思ってしまう。

 劉禅が即位後に敵として戦う曹家や司馬家の後継者たちは、いまごろ、もっと厳しく育てられているのではなかろうか。それが後々の結果に影響してくるのでは。

 劉備家の家庭教育はこれでいいのか、はなはだ心配になってきた。

 劉禅があまりに暇そうなので、いろいろ聞いてみることにした。いまなら話に乗ってきてくれるだろう。

「劉禅どの。教えてください」

「またか。なんだ」

「白雲先生がお読みになっているのはなんという書でしょう」

「漢書という」

 知らないの? という口ぶりだ。名前は聞いたことがあるが、わたしは読んだことはない。

「ほかにどんなものを学んでいるのですか」

「あと、六韜とか、礼記とか」

「ほう」

「もちろん論語も。論語は知っているな」

「いや、まあその」

「知らない? まさか」

 論語で知っているのは、十有伍にして、という言葉ぐらいだ。

「ところで劉禅どの」

「なに」

「皇太子とお呼びした方がいいのでしょうか」

「皇太子? どうして」

「劉備さまのお子さまだからです。劉備さまになにかあったときは、劉禅どのが後を継がれるのでしょう」

「縁起でもないことを。父上はまだまだ元気だ」

「それは失礼しました」

「それに、皇太子とは帝の太子のことをいうのだ」

「そうでした。いま帝はどちらに」

「帝は許に捕らわれている。おいたわしいことだ。光栄は、そんなことも知らないのか」

 劉禅にバカにされてしまった。

 それはともかく、後漢は、まだ存続しているらしい。

 最後の皇帝の名前は献帝だったと思うが、曹丕がこの献帝から禅譲を受けて帝位につき、漢王朝は滅んでしまう。

 それはまだ起こっていない。曹丕はまだ皇帝になっていない。

 まてよ。

 曹丕が皇帝になる前ということは、曹操はまだ生きているということか。

 曹操はどこだろう。

 ぜひ聞いてみたいものだが、刺激を与えすぎてもいけない。

 話題を変えてみよう。世間話でもしていれば、そのうちなにかつかめるだろう。

「そうでした。わたしも世間に疎いもので。それにしても今日はいい天気ですねえ」

「うん。外で遊びたいな」

「ここは、いつもこんな天気ですか」

「どうかな」

「昨年はどうでした」

「昨年も同じかな。だけど今年は雨が多い」

「益州は盆地ですからね。盆地は夏が暑く、冬は寒いといいますね」

「それに霧も出る」

「霧といえば、赤壁の戦いで、霧に紛れて魏軍の矢を集めたのはすばらしいアイディアでしたね」

「おお、そうだ。アイなんとかというのはわからないが、わが軍師どのの智謀は天下一である」

「そうですとも」

「水魚の交わりという言葉を知っているか」

「もちろん知っていますとも。劉備さまと諸葛亮どののことでしょう」

「ほう。意外だな。三顧の礼はどう」

「もちろん。わたしの国でも、誰でも知っているエピソードですよ」

 劉禅のくせにわたしを試そうとは生意気な。

「エピ、エピ、戎と弩? なんのことだ?」

「わたくしの国の言葉で(ほんとうは違うけど)、お話、出来事という意味です。桃園の誓いもすごく有名です。ゲームのイベントにもなっています」

「鯨夢? 懿の弁当? よくわからないな。そういえば、おまえの出身はどこなのだ」

「わたしの出身は……東の方です。ずっと東です」

「東というと呉の国か。おまえは呉の国から来たのか」

「いや違います。呉ではありません。もっと東です。海を渡ります」

「海を渡る? すると蓬莱国ほうらいこくか。海のむこうに蓬莱という国があると聞いたことがある。昔、秦の始皇帝が徐福という者を遣わして、仙人が住むという蓬莱国を探させたが見つからなかったと聞いたが。それで、不思議な言葉を使うのだな」

「いや、蓬莱国ではなく……あえていえば、邪馬台国かと」

「邪馬台国」

「卑弥呼という女王がいるところです」

「女の王か。はじめて聞く名だ。その邪馬台国の者が、なぜわたしの頭の中に来たのだ」

 う~ん。それは説明が難しい。

「そうか。仙人だな。蓬莱国というのは仙人が住む国だからな。光栄は仙人なのだな」

 仙人ね。だんだん説明が面倒になって来た。わたしは、ありのままをいうことにした。

「じつをいうと、わたしは邪馬台国の未来から来たのです」

「邪馬台国の未来?」

 劉禅はおうむ返しに聞いた。

「ずっとずっと先の世界からやってきたのです。そのころには、邪馬台国は日本という名前になっています」

「……そうか。仙人というのは不老不死だから、ずっと長生きして、先の時代から、いまの時代にもどってきたというのだな」

 むかしの考え方では、そういう理解のしかたもあるのかもしれない。

 ここで劉禅は首をかしげた。

「まてよ。そうすると、お前はこれから先に起こることを知っているのではないか」

 鋭いな劉禅。

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