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翌朝、目が覚めた。
覚めた瞬間、きのうのことを思い出した。
きのうの続きを劉禅に訊こうとしたのだが、そのまえに、わたしは起き抜けから頭がすっきりして、気分が爽快なのにびっくりした。
これはうれしい。こんなことは久ぶりだ。
人間三十代も後半になると、からだのあちこちにくたびれた部分が出てくるものだ。いっそからだのない方が、健康には良いらしい。
さっそく気になっていたことを尋ねた。
「関羽将軍はお元気か?」
劉禅はブッとなにかを吐き出し、慌てて、
「おまえ、まだいたのか」
と声に出していった。驚いたような困ったような声だった。
かれは部屋の中で食事中だった。
周囲には給仕のために数人の女性が控えていた。
卓の上に吐き出したものをひとりが急いで拭き取った。
「若君、どうされました」
離れたところから別の女性の声がした。
劉禅の視線がそちらを向き、声の主を見ることができた。
背の高い浅黒い女で、昨夜、子守唄のように語りかけていた者のようだ。劉禅の乳母だろうか。わたしの眼からはまだ若くみえた。
「いや、なんでもない」
劉禅はそう答えて食事を続けた。
「もう去ったものと思っていた」
と直接思考を投げてきた。
「いままで眠っておりました」
他人の頭の中で眠るというのも変だが、事実だからしようがない。
「ところで、さきほどの質問ですが」
「関羽どののことを聞いてどうするつもりか」
質問が性急すぎたのか、警戒心が高まったのがわかる。
「では張飛将軍はお元気ですか」
なんともへたくそな質問の仕方である。
劉禅は黙って食事を続けた。
モゴモゴしながら、
「関羽どのと張飛どのはわが父上の兄弟である」
と胸を反らせた。
もちろん、それは知ってるってば。
はぐらかそうとしているのかな。
えい、それなら刺激を与えてやれ。
「曹操はどうしているでしょうか」
刺激が強すぎた。
焼きゴテでもあてられたかのように、文字どおり椅子から飛び上がった。椀が卓上に転がった。
「その名前を出したらダメだ!」
悲鳴のように叫んだ。
立ち上がったまま、口に握り拳をあて、ワナワナ震えている。
「落ち着いてください」
これはわたしの言葉。
まわりの者も驚いている。「どうされました」「ご気分はいかがですか」口々に言って、しきりになだめている。
ようやく椅子に腰を下ろした。が、頭の中では、おびえた目つきでわたしを見ている。
「いや、ゴメンゴメン。悪気はなかったんだよ」
と謝った。
「ああ、びっくりした」
劉禅はため息をつき、ふたたび食事をはじめた。
ちなみに食事といっても、イモや野菜や雑穀がならべてあるだけのとても質素なものである。量だけは十分あるが、おいしそうには見えなかった。
さきほど気がついたが、わたしが外を見ようとするとき、劉禅の目を通してみることができるらしい。
今いる部屋はそれほど広くなく、四周は漆喰を塗っただけの、そっけない壁である。これが蜀の次期皇帝の食事の場かと思うが、いまから千八百年前のことだから、こんなものなのだろう。
劉禅の目を通してといったが、食事中は食べ物しか見ていないので、わたしはおもしろくない。しかたがないのでまた話しかけた。
「劉禅どのはいくつになられるのか?」
今度は答えがかえってきた。
「十二になる」
十二歳! やはり若いな。
「お前はいくつ?」
子供に年を隠してもしょうがない。
「三十八歳」
プラス千八百年だが。
「おお、それはそれは」
劉禅はあらたまったように呟いた。
さすが儒教の国。長幼の順の効果絶大。
また食卓を乱すと困るので、食事中は静かにしていることにした。
食事を終えると、寝台のある部屋にもどった。
着替えである。数人の侍女が着替えさせてくれるのかと思ったが、自分で着替えた。意外としっかりしている。いや、あたりまえか。十二だし。
数え年で言ったのだとすると、満十一歳。今でいったら小学校六年生だ。
外に控えていた若い男について部屋を出た。
長坂坡で趙雲に助け出されたのは、生まれてすぐか、一、二歳の時だった。趙雲が胸の鎧に入れて闘ったのだから、それ以上大きかったはずがない。
それから十年後ということになる。
その間にどれだけのことが起こったのだろう。
できるだけ順を追って、以後のできごとを思い出してみた。
荊州に侵攻した曹操軍に追われる劉備一行と、それにつき従う数万の群衆たち。長坂橋での張飛の活躍。趙雲の阿斗(劉禅の幼名)救出といった劇的な場面のあと、舞台は赤壁に移る。
周瑜と孔明の知恵比べ、
火攻めによる魏軍の大敗。
敗走する曹操。関羽と張遼の会話の場面。
魏と呉の対決のあいだを縫って、劉備軍による荊州南部四郡の占領。
臥龍鳳雛といわれ、臥龍孔明と並び称せられる鳳雛龐統とともに益州を攻撃。落鳳坡での龐統の戦死。
劉璋降伏。蜀を手に入れる。
長坂での逃亡から入蜀までどれぐらいかかったのだろう。
七年? 八年? いやもっとか。
赤壁の戦い以降は、劉備がいちばんとんとん拍子にいった時期だから、そんなにはかかっていないかもしれない。
そのあと呉から荊州返還要求があって、蜀と呉の荊州争奪戦が本格化。
そのうち魏が漢中に攻め込んでくるが、黄忠が夏侯淵を討ち取る。
続いて曹操来襲。「鶏肋」で退却。
これで漢中を掌握し、劉備は漢中王を名乗る。
今度は関羽の樊城攻撃。
于禁を降し、攻略成功かと思われたが、魏が手をまわして、呉の呂蒙と陸遜が関羽の本拠地を謀取し、関羽は麦城に追い詰められ、首を斬られる。首は孫権から曹操に送られる。
曹操はまもなく死去。
続く曹丕が漢を廃して魏帝となり、対抗して劉備も皇帝に即位し蜀漢を創設。
関羽の仇を討つために蜀は軍を起こし、劉備自身が出陣。
張飛はその前後に、関羽の死を嘆いて深酒を続けたあげく、部下への暴行が祟って殺されてしまう。
劉備軍は呉の領土に深く攻め入るが、長く伸びた陣営の欠陥をつかれて大敗。劉備は白帝城まで退却。そこで病没。
劉禅が蜀の第二代皇帝として即位。
だいたいこんな流れだったはずだ。
目まぐるしい動きだが、このどこかにいるわけである。