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劉禅戦記  作者: Ravenclaw
第1章 劉禅
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3

 翌朝、目が覚めた。

 覚めた瞬間、きのうのことを思い出した。

 きのうの続きを劉禅に訊こうとしたのだが、そのまえに、わたしは起き抜けから頭がすっきりして、気分が爽快なのにびっくりした。

 これはうれしい。こんなことは久ぶりだ。

 人間三十代も後半になると、からだのあちこちにくたびれた部分が出てくるものだ。いっそからだのない方が、健康には良いらしい。

 さっそく気になっていたことを尋ねた。

「関羽将軍はお元気か?」

 劉禅はブッとなにかを吐き出し、慌てて、

「おまえ、まだいたのか」

 と声に出していった。驚いたような困ったような声だった。

 かれは部屋の中で食事中だった。

 周囲には給仕のために数人の女性が控えていた。

 卓の上に吐き出したものをひとりが急いで拭き取った。

「若君、どうされました」

 離れたところから別の女性の声がした。

 劉禅の視線がそちらを向き、声の主を見ることができた。

 背の高い浅黒い女で、昨夜、子守唄のように語りかけていた者のようだ。劉禅の乳母だろうか。わたしの眼からはまだ若くみえた。

「いや、なんでもない」

 劉禅はそう答えて食事を続けた。

「もう去ったものと思っていた」

 と直接思考を投げてきた。

「いままで眠っておりました」

 他人の頭の中で眠るというのも変だが、事実だからしようがない。

「ところで、さきほどの質問ですが」

「関羽どののことを聞いてどうするつもりか」

 質問が性急すぎたのか、警戒心が高まったのがわかる。

「では張飛将軍はお元気ですか」

 なんともへたくそな質問の仕方である。

 劉禅は黙って食事を続けた。

 モゴモゴしながら、

「関羽どのと張飛どのはわが父上の兄弟である」

 と胸を反らせた。

 もちろん、それは知ってるってば。

 はぐらかそうとしているのかな。

 えい、それなら刺激を与えてやれ。

「曹操はどうしているでしょうか」

 刺激が強すぎた。

 焼きゴテでもあてられたかのように、文字どおり椅子から飛び上がった。椀が卓上に転がった。

「その名前を出したらダメだ!」

 悲鳴のように叫んだ。

 立ち上がったまま、口に握り拳をあて、ワナワナ震えている。

「落ち着いてください」

 これはわたしの言葉。

 まわりの者も驚いている。「どうされました」「ご気分はいかがですか」口々に言って、しきりになだめている。

 ようやく椅子に腰を下ろした。が、頭の中では、おびえた目つきでわたしを見ている。

「いや、ゴメンゴメン。悪気はなかったんだよ」

 と謝った。

「ああ、びっくりした」

 劉禅はため息をつき、ふたたび食事をはじめた。

 ちなみに食事といっても、イモや野菜や雑穀がならべてあるだけのとても質素なものである。量だけは十分あるが、おいしそうには見えなかった。

 さきほど気がついたが、わたしが外を見ようとするとき、劉禅の目を通してみることができるらしい。

 今いる部屋はそれほど広くなく、四周は漆喰を塗っただけの、そっけない壁である。これが蜀の次期皇帝の食事の場かと思うが、いまから千八百年前のことだから、こんなものなのだろう。

 劉禅の目を通してといったが、食事中は食べ物しか見ていないので、わたしはおもしろくない。しかたがないのでまた話しかけた。

「劉禅どのはいくつになられるのか?」

 今度は答えがかえってきた。

「十二になる」

 十二歳! やはり若いな。

「お前はいくつ?」

 子供に年を隠してもしょうがない。

「三十八歳」

 プラス千八百年だが。

「おお、それはそれは」

 劉禅はあらたまったように呟いた。

 さすが儒教の国。長幼の順の効果絶大。

 また食卓を乱すと困るので、食事中は静かにしていることにした。

 食事を終えると、寝台のある部屋にもどった。

 着替えである。数人の侍女が着替えさせてくれるのかと思ったが、自分で着替えた。意外としっかりしている。いや、あたりまえか。十二だし。

 数え年で言ったのだとすると、満十一歳。今でいったら小学校六年生だ。

 外に控えていた若い男について部屋を出た。

 長坂坡で趙雲に助け出されたのは、生まれてすぐか、一、二歳の時だった。趙雲が胸の鎧に入れて闘ったのだから、それ以上大きかったはずがない。

 それから十年後ということになる。

 その間にどれだけのことが起こったのだろう。

 できるだけ順を追って、以後のできごとを思い出してみた。

 荊州に侵攻した曹操軍に追われる劉備一行と、それにつき従う数万の群衆たち。長坂橋での張飛の活躍。趙雲の阿斗(劉禅の幼名)救出といった劇的な場面のあと、舞台は赤壁に移る。

 周瑜と孔明の知恵比べ、

 火攻めによる魏軍の大敗。

 敗走する曹操。関羽と張遼の会話の場面。

 魏と呉の対決のあいだを縫って、劉備軍による荊州南部四郡の占領。

 臥龍鳳雛といわれ、臥龍孔明と並び称せられる鳳雛龐統とともに益州を攻撃。落鳳坡での龐統の戦死。

 劉璋降伏。蜀を手に入れる。

 長坂での逃亡から入蜀までどれぐらいかかったのだろう。

 七年? 八年? いやもっとか。

 赤壁の戦い以降は、劉備がいちばんとんとん拍子にいった時期だから、そんなにはかかっていないかもしれない。

 そのあと呉から荊州返還要求があって、蜀と呉の荊州争奪戦が本格化。

 そのうち魏が漢中に攻め込んでくるが、黄忠が夏侯淵を討ち取る。

 続いて曹操来襲。「鶏肋」で退却。

 これで漢中を掌握し、劉備は漢中王を名乗る。

 今度は関羽の樊城攻撃。

 于禁を降し、攻略成功かと思われたが、魏が手をまわして、呉の呂蒙と陸遜が関羽の本拠地を謀取し、関羽は麦城に追い詰められ、首を斬られる。首は孫権から曹操に送られる。

 曹操はまもなく死去。

 続く曹丕が漢を廃して魏帝となり、対抗して劉備も皇帝に即位し蜀漢を創設。

 関羽の仇を討つために蜀は軍を起こし、劉備自身が出陣。

 張飛はその前後に、関羽の死を嘆いて深酒を続けたあげく、部下への暴行が祟って殺されてしまう。

 劉備軍は呉の領土に深く攻め入るが、長く伸びた陣営の欠陥をつかれて大敗。劉備は白帝城まで退却。そこで病没。

 劉禅が蜀の第二代皇帝として即位。

 だいたいこんな流れだったはずだ。

 目まぐるしい動きだが、このどこかにいるわけである。

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