第60回 17-2
昼頃には丘の頂についた。
たしかにここからなら、両軍のようすがわかる。
ところどころ木々に隠れて見えないが、大勢の人が川に沿って動いている。
まるで海水浴に集まってきた人々のようにも見えた。
海水浴とちがうのは、黒い軍装の男たちばかりであることと、ときどき刃や槍の穂先が陽を受けてキラキラ光っていること、カラフルなパラソルに代わって、さまざまな文字の旗がはためいていることだ。
川向こうの軍勢は、うしろの山奥まで続いている。
こちら側の軍勢も、劉禅たちがいまいる丘や、まわりの山腹に広がっている。
中央を流れる曲がりくねった玉帯河にそって、それぞれの側の柵が四重五重に張り巡らされている。
さらにその外側に、新たな柵が築かれている最中だ。いくつかの地点では櫓が築かれようとしている。
工事の人々以外に大きな動きはなさそうだった。
お互いに矢を射ることもしていなかった。
しばらく見ていると、あちこちから白い煙があがりはじめた。陽が中天に近いので、昼食の準備だ。
同時に川向こうでも、たくさんの細い煙がゆらめきはじめた。
ずいぶんのんきな光景である。
劉禅たちも枯れ木で火を起こした。
三人のこどもたちと耿周、簡括、董允と費禕、尹黙、それに黄権と張苞は、お茶を沸かし、持ってきた強飯と干し肉を炙って食べた。
簡括の部下十数名が同行しているが、少し離れたところで車座になって、わいわい言いながら飯を食べている。笑い声が聞こえる。
まるでピクニックのようだ。
昨日までの行軍中の休憩とはまるで違う。
暗い空や泥だらけの地面をずっと見ながら、いつ終わるのかわからない果てしなく長い徒歩行からようやく解き放たれたのである。とても気持ちがいい。
劉林と魏統は張苞の両側に座り、しきりになにか話しかけている。張包がなにか言うたびに激しくうなずき、びっくりしたような眼で仰ぎ見ている。
張苞は、きのう見た父親張飛の怪異な容貌とちがって、すこぶるスマートな青年だ。瞳の色が紫なのは、どこか異人の血が混じっているからだろうか。髭も生やしはじめたばかりでまだ薄い。
張苞は立ち上がって、劉禅に向かって一礼すると、背の矢筒から矢を一本引き出し、低く飛んできた鳥に向かってひょうと射た。
見事に命中し、周りの兵から歓声が上がった。
獲物はくるくると回転しながら落ちて来た。
張苞は、飛び上がって喜ぶこどもたちといっしょになって駆け出した。まだまだじゅうぶん子供っぽい。
董允と費禕は、ふたりでなにか話している。ふたりにとって残念なことに、ここでは娘たちの姿をまったく見かけなかった。
娘たちばかりでなく、村人たちも人っ子一人いない。 物騒な集団に恐れをなして、とっくのむかしに山奥に逃げこんでしまったのだ。
品定めの対象がいないので、会話も弾まなさそうだ。
耿周と簡括もなにか話している。身内の簡女のことだろうか。
黄権は、食べ終わった後の髭をチェックしている。そのあと尹黙とふたりで、のんびり世間話をしていた。
見上げると、これまでの天気が嘘のように空が青い。
高原の夏である。
さわやかな風が吹いている。
劉禅は両手を枕にして、あおむけに寝転んだ。
耳元の草が温かくて快い。
草中に潜む虫がかすかに鳴いている。
人々のざわめきが遠く聞こえる。
蒼穹は高く広く、見つめると青い海に墜ちていくような錯覚にとらわれる。
周囲の山々が、この丘を取り囲んで、天に向かって夏緑を謳歌する声をあげている。
しばらくすると、丘の向こうから、獲物の鳥を手に提げた三人が戻ってきた。劉林の歌声が聞こえる。
葛が伸びて谷間を覆う
青々とした葉に
鶯が飛ぶ
灌木に群がって美しく鳴く
葛が伸びて谷間を覆う
葉は生い茂り
刈って煮て 織って衣にして
みなで食べましょう 着飾りましょう
あなたが教えてくれました
嫁ぎ先はこの家
わたしは身を清め 衣を洗います
立派な嫁になり父母を安んじます
劉林の声に別の声が重なった。
そちらを見やると、尹黙が笑いながら唱和していた。




