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劉禅戦記  作者: Ravenclaw
第3章 劉備
16/21

16

 寧強は劉備軍で混雑していた。

 約一万の兵が山間の小さな平地に集結している。

 それに加えて黄権の五千である。

 劉禅たちは馬良や黄権らとともに、まっすぐ劉備本軍の本営に案内された。

 もともと川のほとりのちいさな村だったが、そこにさまざまな大きさの急ごしらえの建物が立ち並ぶ。兵士たちの宿舎である。

 建物ばかりでなく、木の枝に縄をかけて布をかぶせたテントも多い。雑然とした人ごみのあちこちから炊飯の煙が立ち上っている。

 兵士たちは泥と汚れで将軍も兵士も見分けがつかない。はっきりいってホームレスの大群に紛れ込んだようなものである。

 ホームレスと違うのは、目がギラギラして殺気がただならぬことだ。刀や槍を持った男たちが、半裸の格好であちこちをうろうとしている。ゾンビの集団といった方が近い。

 味方の軍隊といえども薄気味が悪い。夕暮れが迫っているのでなおさらだ。

 馬良と黄権を先頭に、劉禅たちの軍は隊列を組んで、この羅刹のような集団の間を進んだ。

 こどもの姿は珍しく、一目見ようと亡者のようにわらわらと集まって来た。

 劉林も魏統も怯えの色が見えた。

 黄権は気にする様子はなく、泥水をピョンピョン跳ねながら歩いていた。避けそこなって靴を濡らしてしまうと、大きな声で喚いて手にしている鞭を振り回したので、取り囲んでいた兵士たちの方がびっくりしていた。

 劉備軍の本営は、ひときわ大きな建物の中にあった。

 劉禅たちが入っていったとき、劉備は、馬良が先触れとして伝令兵に持っていかせた手紙を読み終えたところだった。

 暗くなり、部屋の中には松明がともされている。

「そうか。お前がやって来たのか」

 怒鳴るような声だった。

 劉備はほかの将軍ともども奥の椅子に座っていた。

 将軍たちはいずれも髭達磨の大男だが、松明の炎がつくる闇の中に隠れていた。影だけが壁に大きく映っている。一瞬ここは山賊の巣窟か、地獄の鬼たちの住処かと思われた。

「なにをしておる。こちらへ来い」

 劉備は差し招いた。

 眼を伏せながら劉禅は進み出た。

 建物の土間床は、つい最近までの雨のために泥土のようになっている。

 劉禅が眼を上げて劉備の顔を真正面から見た。

 大きな顔、大きな眼、大きな口、大きな耳の人物である。からだも大きい。

 劉備は六十に近いはずだが、鬢の部分にわずかに白いものが見えるほか、髪は黒いままである。

「孔明の手紙だと、馬と剣を習っているそうだな」

「はい」

「どうだ。上達したか」

「いえ。まだまだ未熟でございます」

「未熟だと」

 劉備はまた怒鳴った。

「おい。だれか剣を持ってこい」

 部下のひとりが外に出てからすぐ戻って来て、剣を差し出した。

「馬鹿者。これじゃない。殺し合いをさせるつもりか。木剣だ。なければ棒でもなんでもいいから二本もってこい」

 部下が二本の棒を持ってくると、椅子から立ち上がり、一本を劉禅にむかって投げた。

「拾え」

 劉禅は泥の中に落ちた棒を拾って、汚れた部分を袖で拭った。

「打ってこい」

 劉禅は棒を手にしてとまどった。

「おそれながら…」

「おそれながらはいらん。打ってこい」

 劉備は怒鳴った。

 しかたなく劉禅は、棒をかまえると、劉備めがけて横に振り抜いた。

 劉備が片手で簡単に降りはらうと、劉禅の手から棒が抜けて飛んでいった。

 壁際に座っている白髪の武将の頭を掠め、壁にあたって跳ね返った。

「拾え」

 また劉備が怒鳴った。

 ぶざまな結果に劉禅は顔を赤くして、棒を拾いにいった。

 白髪の武将が席を立ち、棒を拾ってやろうとした。

「子龍! 余計なことをするな」

 そういわれて趙雲は黙って席に戻った。

 劉禅がその足元に転がっている棒を拾おうしたとき、ちいさく声をかけられた。

「阿斗さま。遠慮はいりませんぞ」 

 棒を構えてさきほどの場所にもどった。

 もちろん遠慮はしない。

 さきほどはとまどって、すこし力を抜いたのだ。

 静かに息をととのえた。

 劉備は棒を持った手を脇に下げたままで、構えることすらしていない。

 気合とともに打ち込んだ。

 ガシと棒が打ち合う音がして、劉禅の棒は跳ね返された。強い圧力に劉禅は後ずさった。だが、棒は離さなかった。

「ふむ」 

 劉備は棒を持った手をぐるぐる捻ってみて、いまの手ごたえを感じているようだった。

「もういい」

 そういって棒を放り出すと、席にもどった。

「いつまでも阿斗ではないか」

 つぶやくようにいったつもりのようだが、怒鳴って聞こえた。どうやらこの劉備は地声が大きいようだ。

 劉備は手紙に目を落とし、劉禅にいった。

「孔明の話では、学問も進んでいるそうだな。なによりだ」

 劉備は質問した。

「ここにくるまで何を見た」

 劉禅は質問の意味をしばらく考えていた。それからしっかりした声で答えた。

「民の暮らしを見ました」

「民の暮らしだと。暮らしの何を見た」

「貧しさを見ました」

 劉禅の言う通り、ここまで来る途中で見た人々の暮らしは貧しかった。

 電気も電球もないこの時代、粗末な家でボロ布をまとい、がりがりに痩せ細った農民をたくさん見た。

 女とこどもだけの家が多かったのは、男たちが戦争にとられているからだろう。

 年寄りをあまり見かけなかったのは、そこまで生きていられないからではないか。

 貴族は別として、いまから千八百年前の暮らしは、そんなものなのだと思っていたが、劉禅の目からみても、厳しい生活のようだった。

 劉備は劉禅の目を覗きこんだ。

 近くで向き合うと、劉備は圧倒的な顔をしている。

 伸び放題の髭と髪との見分けがつかないが、不思議なのはその眼だ。

 眠たそうな眼だが、奥が深く、吸い込まれそうだ。

 劉備はふと視線をそらすと、趙雲を振り向いていった。

「子龍。さっきは聞こえたぞ。遠慮なくぶちのめせとはどういうことだ」

 趙雲は真面目な顔で答えた。

「そうでなければ、阿斗さまの力はわからぬでしょう」

「もう阿斗とは呼ばん方ががいいぞ。わしら年寄は、ほんとうにぶちのめされるかもしれん」

 劉備は豪快に笑った。

 趙雲はなにかが喉に詰まったような顔で目を閉じた。そして、

「ご立派になられました」

といった。 

「益徳!」

 劉備がまた怒鳴った。

「どうじゃ。さっきの一振りは」

 松明の影の中から、ひときわ大きな髭武将が現れた。

 張飛である。劉備も大きいが、さらに一回り大きい。琥珀色に光る眼と虎のような髭が異様な迫力を醸し出している。

「兄者の若いころを思い出すな」

「兄者というな。殿といえ」

「殿の若いころを思い出すな」

 張飛はにやにやしながら繰り返した。

「悪くないと思ったが、お前から見てどうだ」

「まあ、そんなところかな。いや兄者のあの頃より上かもしれん」

「殿といえよ」

「殿のあのころより、筋はいいかもしれん」

「そのときはもうお前と出会っていたかな」

「さあ、どうだったか」

「いい加減だな。まあよい」

 劉備はすぐ横に座っている男に言った。

「どうだ法正」

「と申されると」

「孔明は、どうかしてるんじゃないかと言ってただろう」

「滅相もない。『軍師将軍の言葉を疑うわけではありませんが、この眼で見るまでは』と申し上げただけです」

 法正は鋭い目をした平服の男だ。

「で、どうなんだ」

「答えるまでもございません。殿は素晴らしいお子様を得られましたな。諸葛亮どののご賢察のとおりです」

 劉備は法正の答えを鼻で笑った。

 それから劉禅に向かって言った。

「よし、劉禅。もうわかったから明日か明後日には帰れ」

 わたしは唖然とした。ここまで来るのに二か月かかっているのだ。

「おお、それから」

 もう用事は済んだ劉禅には目もくれずに、

「魏統!」

 と大声を上げた。

「はっ」

 といいながら魏統が駆けて来た。

 まさか呼ばれるとは思っていなかったようで、慌てすぎて足がもつれそうになった。

「おまえが魏延の息子か。歳はいくつだ」

「じ、十四になります」

「ほう。すると劉禅といくつちがいだ」

 劉備は法正に尋ねた。

「劉禅さまは十二。ふたつ違いですな」

「孝直も、兄者の子の年まで覚えさせられたんじゃ、たまらんな」

「益徳、何回もいわせるなよ。殿と呼べ」

「わかったよ。兄じ、いやいや、殿だな」

 渋い顔をした劉備は魏統に向きあった。

「魏統。おまえの父上は、いずれ天下第一の将軍になる器かもしれん。おまえも父と同じく、わしや劉禅のために尽くせよ」

「はっ」

 魏統は感激のあまり青ざめて見えた。泥にまみれるのを構わず平伏した。

「天下第一の将軍だって?」

 また張飛が横槍を入れた。

「それは俺や雲長のことではないのかい」

「まあそういうな。おれたちももう年だし、つぎは、魏延たちの時代だろうよ。馬超はどう思う」

 またひとり椅子からからだを起こし、影の中から出て来た。

 錦馬超は、かなり年配に見えた。

 髪がまっ白なのは趙雲と同じだが、蓬髪が肩まで伸びており、顔の皺が深い。しゃがれ声で答えた。 

「たしかに魏延殿は、蜀の後を託すに足る人物と思いますな」

「まあ魏延ならいいけどな」

 張飛が付け加えた。

「魏延は陽平関だ。残念ながら会わせられん。お前も劉禅とともに帰れ」

 魏統があたふたと下がると、

「劉林はいるか」

と叫んだ。

 劉林は、飛び跳ねるようにして前に出た。

「劉封の息子か」

「はっ」

「いくつだ」

「十三です」

 劉備は法正に聞いた。

「劉封はいまどこだ」

「こちらに移動中です。明後日には着くかと」

「では、会ってから帰れ」

 それで三人のこどもたちの謁見は終わり、そとに出された。

 魏統はまだ夢見心地だったが、劉林はしょげていた。

 魏統と較べ、謁見の時間があまりに短かかったせいだ。

 劉禅の気持ちは微妙だった。

 父と手合わせできたのはからだが震えるほどの感激だったが、すぐに帰れとは。

 わたしはわたしで、劉封がここに来るのであれば、ぜひとも伝えておかなければならないことがある。それまでは帰るわけにはいかないと思った。

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