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派遣軍の再編成と積載物の振り分けのために、剣閣には一週間滞在した。
戦況が劉備軍の有利に展開しているので、それほど急がなくてもよいらしかった。
これからの過酷な行軍に備えて、兵士たちに休養を与える意味もある。
劉禅たちもしばらく解放された。
山中で馬を駆けさせるところもないので、劉禅たちは毎日、近くの川に水遊びに行った。
成都を出発してから約一か月になる。
高地でも夏のきざしが感じられた。
三人とも顔や手足は日焼けで茶色くなっているが、それ以外は真っ白だ。素っ裸になって、水の中でふざけまわった。
上流の川なので、水は驚くほど透き通っていて、とても冷たい。すぐ唇が紫色になった。
河原の上で冷たくなった体を温める。日差しで熱くなった背中の石ころが気持ちいい。丸い大きな石を腹の上に載せて、温めてみたりした。
水浴びに飽きると、簡括の指導で川魚釣りに挑戦する。河が泡立つほど小魚が泳いでいるので、簡単そうに見えるが、なかなか釣れない。
目の前に見えているのにじっと待っていられるほど、こどもたちは我慢強くないので、飛び込んで直接捕まえた方が早いと、竿を放り出してまた水に入り、浅瀬のところまで魚の群れを追い込んだ。
しかしこどもの手に捕まるような間抜けな魚はいない。三人が頭を水面につっこみ、息が続くかぎりがんばっても、急角度で身をかわし、からかうよう逃げていってしまう。
つかまえたと思って水面から上げたとたん、するっと手からすり抜けて、慌てて追いかける六本の腕の間を水中に落ちてどこかに消えた。
ワーワー騒いでいるこどもたちを笑って見ていた簡括が、石を投げ込んで捕まえる方法を教えてくれた。
魚が集まっているあたりに大石を次々に投げ込むと、衝撃で意識を失った魚が浮かび上がって来る。これなら簡単だ。大きな魚もまじっていて、ヤマメかなにかだろう。
その場で木串に通して焼いて食べた。
塩を振って食べると非常においしい。
唯一残念なのが、醤油がここにないことだが、そう思っているのはもちろんわたしだけだ。
釣りに飽きると、狩に行く。
ここらはクマが出るところなのであまり遠出はできないが、劉林と魏統の弓でキジとウサギがとれた。
耿周が皮を剥いで調理し、夕食時の特別メニューとなった。
劉禅はひまをみつけては尹黙と散策して、高原の植物の名を教えてもらった。
董允と費禕はあまり役に立たない。泳ぎはへただし、魚釣りや狩についてきても、不器用すぎて、手ぶらで帰るばかりだ。
そもそも子供たちのあそびに真面目につきあう気がない。それはしようがないので、ついてこなくてもいいといったのだが、諸葛亮から劉禅の子守りを仰せつかっているらしく、そういうわけにはいかないらしい。
退屈をまぎらわすためなのか、最近ふたりでいつも話しをしている。
話しをしているというより議論をしているといった方がよい。
こどもたちが川遊びをしている間、木陰でたがいに手をぐるぐるまわしたり、肩をすくめたりしながら、熱の入った応酬をしている。
なにをはなしているのかと聞くと、なんでもありませんといってピタリとやめる。
そういうことが続くので、なにか儒教の根本原理に反するような、老子や荘子の哲学に反するような、きわめて深刻なテーマについて、インテリ青年らしく眉間に皺を寄せて議論しているのだろうと思って後ろからこっそり聞いてみたら、ここにくるまでで一番の美人は誰かという話だった。
行軍中に通り過ぎた街では、男たちは少なく、女やこどもが多かった。衣装も顔つきもあきらかに異なる姿をあちこちで見かけたが、そういう中には、あっというような美人がいて、わたしも気になっていた。董允は漢民族が好みで、費禕は異民族派のようだった。
つぎに聞き耳をたてたときは、歴史上の第一の美女は誰かという話をしていた。
董允の意見では、春秋時代の西施である。
呉越同舟や臥薪嘗胆などの諺で有名な呉王夫差と越王勾践の争いに出てくる美女で、貧しい出自の彼女が川で洗濯をしていると、魚たちが泳ぐの忘れてしまったことから沈魚美人と呼ばれているという。唯一の欠点は大根足であったことである。
費禕が推すのは貂蝉である。
呂布の思われ人として有名。あまりの美しさに月が恥じ入って雲に隠れてしまったことから閉月美人といわれる。
もう一人の候補は前漢の時代の王昭君で、国のために匈奴に嫁いでいく途中、望郷の思いを籠めて奏でる琵琶の音とその美貌に打たれて、雁が次々と落ちてきたところから落雁美人といわれている。
なぜかふたりとも、王昭君に対する扱いが冷たく、雁が落ちて来たのは旅の途中でおなかが減って、自分で射おとしたからだろうと身もふたもないことをいっていた。
いずれにしても、魚を沈め、月を隠し、雁を落とすとは、中国美人の破壊力はたいしたものだ。
西施対貂蝉の結果がどうなったのかは聞きそびれた。
三度目にふたりの会話を聞いたときは、荊州・益州のナンバーワン美人は張飛の娘ではないか、いやいやそうではない、どこかほかにいるはずだという熱い議論をやっていた。
張飛の娘がナンバーワンだって?
冗談だろうと思ったが、ふたりの結論は、やはり張飛の娘の張華で決まりだというものだった。その妹の張蘭も、まだ幼いが、いずれ姉をしのぐ美人になるのではないかという。
ほんとうだとすると、わたしも会ってみたいものだ。
この青年たちはなかなか見所がある。わたしとは意外に気が合いそうだ。
剣閣では寝台で寝ることができた。
路上ではなく、ちゃんとした寝台と枕で寝るだけで、これほど幸福感を味わえるとは思ってもみなかった。
剣閣についてから、ひさびさに成都のことを思った。
乳母の簡女はさぞかし寂しがっていることだろう。
ほかのこどもたちはどうしているだろうか。
馮泰や頼広や汝陽は、みんなと稽古を続けているだろうか。
あの元気な劉恵は、劉永と劉理といっしょに遊んでもらっているだろうか。
諸葛亮はどうしているのだろう。
あの謹厳な大男は、いつもとおなじ整然とした態度で、広大な漢の国の片隅に生まれた小さな政権を、国家という名にふさわしいものにするため、今夜も夜更けまで、数限りない案件に取り組んでいるのだろうか。
ある夜、夢を見た。
わたしは城壁に立っていた。
城壁には味方の兵士が並んでいて、彼方の地平線を眺めていた。
やがて無数の旗が現れる。
地を圧して大軍が押し寄せてくる。
旗の字は曹。
無数の曹の旗。
これから決戦だ。
殺気が充満している。
そのとき悲報が届いた。
誰が死んだのか、誰が敗れたのかわからないが、その知らせがわたしの胸を貫いた。
絶望が襲った。
そこで目が覚めた。
わたしの夢なのか、劉禅の夢なのかはわからない。
劉禅はすやすやねむっている。
わたしはまた眠りに落ちた。
剣閣に数百名を残し、増援軍は寧強にむけて進発した。
数日で広元についた。
広元は派手な色の頭巾をかぶった苗族の街だった。
広元から先は本格的な山岳地帯である。
兵士たちは重たい荷物を背負って、前のめりになって登っていく。
道の両側から、緑の樹木、緑の草木、そして上空から緑の山肌が迫って来た。
木々の中を、人が一列になって登っていく。
濃密な緑が人々を圧迫してくる。息苦しいほどだ。
前と後ろに兵士が並んで歩いている。
兵士たちは無言だ。
背中の荷は重く、歯を食いしばらなければならない。
地面を向いて歩くだけだ。
自分の激しいづかいだけが聞こえる。
立ち止まって見上げると、疲労のあまり空は暗く陰り、強烈な孤独感が襲ってくる。
この広大な山脈の中では、人はあまりに脆弱だ。
夜の星の高さ。
墜ちていくような満天の星空。
星の光以外には光はどこも見当たらない。
濃密な闇が支配し、猿や狼や熊や聞いたことのない獣の遠吠えの声が響き渡る。
兵士たちはおもわず毛布をかきよせ、耳をふさいで眠ろうとする。
雨が降りはじめた。
これまでの行軍中、霧雨のような雨はときどきあったが、本格的な降雨ははじめてだ。
だんだん激しくなってきた。
翌日も一日雨だった。
その翌日も降り続いた。
雨に濡れたまま食事をとり、眠り、排便し、また歩く。
山道は泥濘となった。
頭を下げて歩く。
もう誰も劉禅に話しかけない。
桟道についた。
雨はやむ気配がない。
蜀の桟道とは、絶壁に穴を穿って木の柱を通し、その上に板床を乗せてつくった断崖の道である。
手すりのない道が、岩壁にへばりついて左右に曲がりくねりながらずっと先まで続いている。あるところでは階段となって上り、また降りている。
桟道の下を流れる嘉陵江は、連日の雨で水量が増し、流れが速い。
兵士たちは、滑らないように、一人ひとりおそるおそる足を踏み入れる。
劉禅の番が来た。劉禅の足が震えた。
目をつぶるわけにはいかない。足元をよく見ていないとすべって落ちてしまう。
劉禅の前は簡括だ。劉禅のうしろを、耿周が劉禅の馬を引いて続く。
止まるわけにはいかない。
劉禅はガチガチと歯を鳴らしながら歩き始めた。
おそろしいことに、ところどころ床板が落ちて、その下の豪流が見える。
岩の壁に片手をつきながらゆっくりゆっくり歩く。
がんばれ、とわたしは劉禅に声を送った。
前を進む簡括の幅広い背中が頼もしい。
後ろから耿周の「どうどう」という馬をなだめる声が聞こえる。その声は、劉禅をはげましているように聞える。劉禅よりも耿周のほうがはるかに危険なはずだ。
雨がさらに強くなってきた。
頭巾が濡れて垂れ下がってきたので、首の後ろにおろしてしまうが、雨粒が目に入って視界の悪さはあまりかわらない。
足の震えは大丈夫だろうか。大丈夫だ。震えははいつの間にか消えている。
桟道を渡り終えた。
劉禅は深いため息をついた。
わたしもため息をついた。
輜重用の荷車を使えないため、分解した荷車と搭載されていた荷物を背負って、兵は桟道を三往復した。
川に落ちたのは三十五名、馬二頭、牛五頭。
馬と牛は大きな痛手だと簡括は呟いた。
最大の難所を渡り、ふたたび山中の行軍が続く。
山脈のなかの谷間の部分を移動しており、登ったり降ったりの起伏はあるが、それほど急ではなくなった。
いくつか桟道を渡ったが,手すりがつけ加えられており,最初のものほど幅が狭く危険なところはなかった。
雨が止まないのがつらい。
あいかわらず泥だらけの道を歩く。
ようやく晴れ間が見えるようになったころ、寧強からの使者がきた。
劉備の本軍が到着したという。
主だった武将は輜重隊を待たずに先行することになった。
早足でいけば、寧強まで一日のところまできていた。
劉禅の軍五百名もそれに同行することになった。




