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増援の兵は五千。
馬良が率いる。副官に傅彤。
劉禅の軍はそれとは別に五百。
校尉の張南が率いる。
耿周が従い、董允、費禕も加わった。
子供たちのうちから、劉林と魏統が参加できることになった。
董允、費禕が何回も行ったり来たりして、諸葛亮に認めてもらった。劉林のたっての願いを、劉禅が聞いてやったのである。かなりの長旅なので、こどもの話し相手が必要だろうと諸葛亮が考えてくれたのかもしれない。
それにふたりは戦力としても期待できそうだ。
劉林と魏統は、はしゃぎまわって喜んだが、怖い顔をした張南から、それぞれの父親である劉封と魏延には会えないだろうと申し渡されて神妙にうなずいた。
一方、劉永も同行したいとさんざん駄々をこねたが、つめたく却下された。劉禅に万一のことがあったときにそなえてである。
劉禅は、劉林と魏統を屋敷の前で出迎えた。
ふたりとも数人の従者を従え、黒づくめの軍装で馬に乗ってやってきた。
劉禅もおなじ恰好をしている。今回の漢中行きは、増援兵にまぎれてひそかに行うので、なるべく地味な格好をしているのである。
それでも、屋敷の前には、見送りの警備兵が数十人並んだ。
広い敷地の別棟に住んでいて、あまり姿をみかけることのない穆皇后や珠夫人の姿が、大勢の宮女たちとともに遠目に見えた。珠夫人は劉永と劉理の母親である。
馬を横にして劉禅ら三人と劉永が談笑していると、馮泰や頼広らが取り囲んできて、馬の腹をなでたり真新しい黒の上着の裾をひっぱったりして、さかんにうらやましがった。
とつぜんそのあいだをすりぬけて、劉禅めがけてなにやら赤いものが突進してきた。
気がついた劉禅は、受け止めようとしたが、受け止め損ねていっしょに地面に転がった。
まわりから差し出された手を振り払って飛び起きながら、「こら。なにをする」と叫んだ。
飛びついて来たのは、赤い服を着た童女だった。
砂をかぶって頭が真っ白になっている。
地面から立ち上がりながら叫んだ。
「だって劉禅兄は、父上のところに行くのでしょ!」
「おいおい。恵ではないか。ひさしぶりだな」
劉永は笑いながら、劉恵の頭の砂をはらってやろうとした。しかし相手は憤然として劉永の手をはねのけた。
「いいの!」
「劉恵ねえちゃん」と言って、劉理が抱きついた。
「鼻水がつくじゃないの!」
といって冷たく劉理を突き放した。
「こら恵。やめろよ」
「劉永兄、わたしにぜんぜん教えないのはどうして! 仲間はずれにして!」
「うるさいなあ、こっちだって行けないんだ」
「わたしも行きたい。いいでしょ」
「まあまあ劉恵さま。これはお仕事なのです」
魏統が割って入った。
「あなただれ」
「魏統と申します。牙門将軍魏延の一子です」
「そう。わたしは劉恵。あっちいって」
「劉恵、いいかげんにしろ!」
めずらしく劉禅が大声で怒鳴った。
劉恵はまた突進しようとしたので、劉禅は身構えた。
警備隊長の簡括が後ろから劉恵を抱きあげた。
「さあ劉恵さま。若君はもうすぐ出発です。邪魔をしてはいけません」
「だれ? 簡括? 離してったら!」
簡括は劉恵がジタバタするのに構わず、屋敷の中に運んで行った。
「やれやれですね」
劉林は肩をすくめた。
「まったくもう」
劉禅はまだプンプンしている。
あとで聞いたところでは、劉恵はことし八歳で、母親は孫夫人だという。
孫夫人といえば、あの孫夫人である。
孫権の異母妹で、劉備のもとに嫁いてきたが、呉から連れて来た侍女たちが武装して部屋の周りに立っているので、そこを訪れる劉備はいつも戦々恐々としていたという。
のちに呉に帰ることになったとき、大変な事件を引き起こして、劉禅はまたしても危機一髪で趙雲に救出されるのである。
「劉禅どのが攫われそうになったときですね」
劉禅はむっつり頷いた。
あまり触れられたくない話題らしい。
劉禅にはあまり触れられたくない話題がいろいろあるようだ。
これもあとで聞いた話だが、劉恵は、孫夫人が呉に帰ってしまったあと、家臣のひとりに預けられ、そこで育てられているという。
屋敷が近いので、劉禅たちと時々遊んでいたのだが、ここ最近、男の子たちは訓練に夢中になってぜんぜん相手しなくなったのでむくれているのだという。
あの気性は祖父の孫堅ゆずりということだろうか。
そういうハプニングはあったが、その日の午後、城外に集結した増援軍は成都を出発した。
劉禅らの軍は最後尾についた。
増援軍は大量の兵糧と武器を運んでいるので歩みが遅い。
出発していくらもたたないうちに夕暮れとなり、野営することになった。最後尾にいる劉禅の軍からは、まだ成都の城壁が見える距離である。
劉禅の乗る馬は、この行軍からおとなの馬である。
馬の世話はじぶんでやることにしていた。そうした方が馬のことがよくわかると聞いたからだ。
耿周に手伝ってもらって鞍を降ろし、馬具を外し、藁で汗を拭いてやり、餌をやる。
それから直属の兵士たちが用意した簡単な宿舎に入って、雑穀と干し肉と水だけの夕食を済ませた。
さっそく劉林と魏統がたずねてきた。
行軍中は歩兵に合わせてゆっくり進むので、馬上でいくらでも話すことはできるのだが、目立たないようにといわれているので、三人とも黙って過ごしたのだ。
それでも、ふたりは劉禅の後になったり、前になったりしながら、並んでいる董允と費禕の目を盗んで、ときどき目配せをおくってきた。初めての遠征に嬉しさを隠し切れないのだ。
劉禅の宿舎で、こどもたち三人はひそひそ声でくすくす笑いをしながら、長いあいだ話し込んだ。宿舎の外に立つ耿周からきつい声で何度か注意され、しぶしぶ自分たちの寝屋に帰って行った。
劉禅はかなり疲れていて、そのあとすぐ眠った。
一週間前の諸葛亮との会談のあとに三日ほど寝込んでしまったので、その影響がまだあるのかもしれない
翌朝は日が昇る前に起き出し、夜明けとともに出発した。
軍は畑の横の道をすすんだ。
成都の姿が丘の向こうに消えた。
兵士たちは長い列に伸びて、黙々と歩いている。
増援軍は、あらたに徴募した兵が半分ぐらい混じっているという。ほとんどが歩兵で、牛に荷車を引かせた輜重隊がそれに続く。
劉禅の軍は、荊州や江陵以来のもっとも信頼できる正規兵で構成され、五十が騎馬、残りが歩兵である。
劉禅のまわりを簡括の部隊が固め、董允や費禕、劉林や魏統もその近くを騎乗している。
その中には、劉禅の教育責任者である尹黙もいた。長期の旅になるというのでわざわざついてきたのである。
よぼよぼの講師たちからしばらく逃れられると劉禅もわたしもひそかに喜んでいたのだが、最高責任者みずからが出向いてくるとは予想していなかった。
この旅のどこかで授業を始めるにちがいないので、少々ブルーである。
劉林と魏統は自分たちは関係ないというふりをしているが、劉禅はとうぜん一蓮托生のつもりである。
諸葛亮に劉備に会いにいくことを提案した時、わたしは、これほどの長旅になるとは思っていなかった。
なんとなく一週間か二週間で会えるつもりで言ったのだが、とんでもなかった。二か月はかかるらしい。劉備は戦地にあって常時移動しているので、場合によっては三か月になるかもしれない。
帰りも同じ期間かかるとなると、成都に戻ってくるのは六か月後である。そのほとんどを野外で過ごすことになる。
そういう長い旅に、わずか十歳あまりの劉禅を派遣するとは、諸葛亮も思い切った決断をしたものだと思ったが、そういうことではないのかもしれない。
劉禅は生まれてすぐから荊州や江陵、それから益州と転々としてきた。軍旅の中で生まれ育ってきたといっていい。落ち着いたのは、ここ数年にすぎない。
父親である劉備自身、いまの北京の近くにある幽州涿県からこの蜀の地まで、中国全土を転々としながら、北端から南端まで斜めに縦断してきたのである。
その敵となる曹操に至っては、東は万里の長城を超えていまの遼寧州瀋陽市の近くまで袁尚を追い、西は馬超・韓遂と長安付近で戦い、南は揚子江沿岸の赤壁や、秦嶺山脈を越えて漢中盆地まで降りてきており、おそらく劉備の倍以上の距離を駆け回ったのではないかと思う。
劉禅がこの先、魏や呉を相手に天下を争おうとすれば、宮中に閉じこもって安閑としているのではなく、こうした軍旅の日々が毎日の暮らしとなっていなければならない。
諸葛亮はそこまで考えて了解したのではないか。
そこまで考えていなくても、この時代、ある場所から別の場所に移動するということは、これだけの時間がかかるということだった。
騎兵だけで動けばもっと早く着くだろうが、山岳地帯に住む異民族の襲撃も考えなればならないという。安全のためには、ある程度の兵士数が必要だった。
歩兵たちが、進軍に合わせて歌いはじめた。
勇ましい歌だ。
漢のはじまりの時代から伝わる古い軍歌だと尹黙が教えてくれた。
劉林も歌に合わせてハミングしている。
まだまだ平地だが、家や畑がまばらとなり、森が多くなってきた。
二日目がおわった。
森のはずれで野営をした。
夕方、またふたりがたずねてきた。
夜おそくまで、戦や英雄や冒険について語り合った。
董卓の暴虐、反董卓連合軍、呂布と劉備三兄弟の対決、関羽の逃避行、長坂橋での張飛の剛勇、赤壁の戦いと孔明の知略。
これらは、いちばん古いものでもせいぜい三十年前の出来事なのだが、こどもたち三人にとっては生まれる前か、赤ん坊のころの話である。
いろいろなひとから聞かされ続けたこうしたエピソードは、数百年前の劉邦や項羽の物語と同様、伝説的な物語となっていた。
なぜか三人とも呂布がお気に入りで、将来、長安や洛陽に攻め入ったときには、赤兎馬のような名馬が手に入れば劉林が、失われた方天画戟が発見されたら魏統が、貂蝉のような美女がいたら劉禅が、まず自分のものにしていいのだと固く誓いあった。
この日も耿周にひどく怒られ、劉林と魏統は出入り禁止を言い渡されそうになった。




