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劉禅戦記  作者: Ravenclaw
第3章 劉備
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 諸葛亮からは、毎日使いが来ていた。

 使いはいつもふたりで、名を董允とういん費禕ひいといった。

 董允は、このまえ会った掌軍中郎将薫和の息子である。

 ふたりともまだ若い。

 育ちの良さからくる奥ゆかしさと、秘められた矜持を感じさせる。劉備政権の若手エリート官僚といった感じである。

 馬謖もそうだが、諸葛亮のまわりにはこういった人材が集まってきているようだ。

 これから国を運営していくためには、頭が切れて事務処理能力が抜群に高い真面目な人材が必要なのだろう。諸葛亮自身、そういったタイプに近いのではないかと思われる。

 董允と費禕のふたりからは、毎日、蜀の地のあちこちの状況や、劉備政権の活動、魏や呉の動きなど、さまざまなことを教えてもらった。

 その後の漢中情報も、かれらから得ることができた。

 呉覧、雷同は、武都の戦いで魏の曹洪に大敗し、敗走中に斬られたらしい。

 張飛は無事退却していた。

 馬超も一時連絡が途切れたが、軍ともども無傷で引き返してきたという。

 その後、一進一退の攻防が続いているようだ。

 ふたりは劉禅をこども扱いせず、大人に対するのと同様の態度で接した。きっと孔明からなにかいわれているのだろう。

 劉禅がふたりと交わした会話は、ことこまかに諸葛亮に伝わっているはずだが、また寝込まれると困るので、わたしは表に出なかった。

 また、劉禅がうってかわって知識慾旺盛なので、わたしが出るまでもなかった。

 ひと月たって、劉禅が仔馬レベルを卒業できるようになったころ、ようやく増援の兵が集まり、その第一陣が近々進発するという話が聞こえてきた。

 わたしは劉禅にいった。

「諸葛亮どのに会う必要があります」

「軍師どのに。なんの用で」

「劉備さまに会いに行く了解をもらうのです」

「漢中に。なんのために」

「ひとつには、戦場を実際に見ておくため。ふたつめは、劉禅どのの成長した姿をお父上にお目にかけるため。三番目は、そうですね、乗馬の実地訓練のためです」

「ひとつめはわかるが、危険すぎないか」

「実際に戦闘に参加するわけではありません。遠くからでもいいから、戦とはどのようなものか触れておいた方がよいのです。軍の中の生活を経験することも大切でしょう」

「ふたつめだが、わたしはそんなに成長したのかな」

「この一月の進歩は目覚ましいものがあると思います」

 午前中の講義は子供たちが増えて騒がしくなったので、講師陣の先生たちにとってはいい迷惑かもしれないが、なにごとにも優秀な劉林と、運動神経はまるでないけれども勉強が得意な頼広に刺激されて、すくなくとも学問への姿勢はあきらかに変わった。

「みっつめだが、わたしの乗り方はまだ危ないぞ」

「ゆっくり進めばいいのです。急ぐ必要はありません」

「ふむ。それもそうか。それでは、軍師どのに使いを出せ」

 ほんとうのところ、理由はどれもとってつけたようなものだ。

 劉禅とこどもたちの稽古の時間は楽しい。乗馬はわたしも初めてで新鮮だし、剣を振り回したり、弓で的を狙ったりするのは、男の子ならだれでも夢中になるものだ。

 わたしも、あの動きが良かったここが悪かったなどとアドバイスをしながら面白がっていたが、一か月もたつと退屈してきた。

 外出したのは、諸葛亮に呼ばれた時の一度きりだ。そろそろ外の世界を見てみたくなった。

 そのための理由を探していたところなので、増援軍派遣はいいきっかけだ。


 その夜、諸葛亮がたずねてきた。

 従者を外に待たせ、最初に会った広間に一人で待っていた。

 あいさつもそこそこに、諸葛亮はきり出した。

「きょうは光栄どのと直接はなしをしたくておうかがいした」

 劉禅はわたしを振り返って促したので、わたしは入れ替わった。

「光栄です」

「劉禅さまのご様子はいかがか」

「お元気です。ただ、わたしがあまり長く話すと、おからだに差しさわりがあるようです」

「先日の熱もそういうことですか」

「そのようです」

「では手短にまいろう。劉備さまに会いに行きたいとのことですが、本意をお聞かせ願いたい」

「まずは、劉禅どのに戦地を見せておきたいということ。劉禅どののお年ごろには、魏の曹丕は、父曹操に従軍していたことをご存じか。これからのことを思えば、後方に安泰とされていては漢の復興は遂げられますまい。すこしでも戦地の経験を積んでおかれることは悪いことではないと考え、お勧めした次第」

「そのために武を学ばれておいでか」

「そのとおりです」

「馬も弓も剣もかなり上達されたとか」

「まだひと月ですから。けれども、さすがに劉備さまのご嫡子。片鱗をみせておられます」

「劉備さまにお会いしたい理由はそれだけであろうか」

「ほかにもいろいろありますが、本音のところで申せば、わたくし光栄も、劉備さまのお姿を一目見たいと思いまして」

「なんのために」

「これは異なことを。時代を画する英雄を見たくなるのは、自然なことではありませんか」

「ふむ」

 諸葛亮は考え込んだ。

 それから話題を変えた。

「光栄どの、先日の続きがまだでしたな」

「といいますと」

「わたしに尋ねたいことがあるとか」

「おお、そのことですか。わたしがお尋ねしたいのは、これからのことです。ここまで天下三分の計はおおむねシナリオどおりと思いますが、今後はどう進めるおつもりか」

「三分の計をご存じか」

「もちろんです」

「その椎名梨緒とやらはどなたかな。珍妙な名であるが」

「いや。お気にされずに」

「ふむ。まず大事なのは内政の充実。先年、蜀法を定め、臣と民への信賞必罰を明らかにしましたので、その徹底が第一。蜀の地はまだ安定しているとはいえませんので、秩序を確立させる必要があります。それによって初めて農が興り、民を養うことができ、そして兵を動かせるというもの」

「つぎには」

「つぎは南と西の蛮族の慰撫懐柔でしょう。蜀は北と東を魏呉に遮られておりますが、後背地を開拓することによって、国力はさらに拡充できるはず」

「すると荊州への攻めはどうされます」

「そのことです。今日はそれを聞きにまいった」

「先日は、攻撃は考えておられないとおっしゃっていたが」

「いや、可能性としてはあるが、はたしてそれで勝てるものかどうか。勝つためには十分な準備が必要であろう。また勝ったのちに、その地を維持できるかどうか。なぜならば襄陽に出ることは、魏と真っ向から向かい合うことになる。南陽の軍勢に対抗し、荊州北部を維持できるだけの国力が必要。蛮族の地の開拓が先と考えるのは、それゆえなのだ」

「しかしこの機を逃せば、魏への侵攻は難しいかと」

「そうであろうか。こののち曹操の漢中侵攻を撃退したとしても、蜀兵も無傷ではおれまいし、そのあと関羽どのが北上するというのは、いかにも賭けにみえるが」

「孔明どの。戦に万全はありますまい。どこかで賭けに出なければ、もともと質と量で勝る相手を制すことはかないません」

「それはそうかもしれぬが、それではせっかく築いた巴蜀の地を存亡の危機に陥れることになるやもしれぬ……」

 諸葛亮はそのまま黙り込んだ。

 そうか。諸葛亮は内政を優先しようと思っているのか。

 考えてみれば当然かもしれない。

 劉備軍が蜀に入って四年足らずといっていたな。

 正直言って、劉備は蜀を占領したわけだが、その直後から夏侯淵・曹操との漢中争奪戦を始めている。おちおち占領政策をやっているひまはなかっただろうし、この間に兵の徴発を行っているならばなおさら、戦後すぐやらなければならないのは、諸葛亮のいうとおり、この地の治安の確保だ。

 わたしはたずねた。

「そうすると、たとえ曹操を撃退したとしても、諸葛亮どのは、荊州攻めは難しいとお考えか」

「いまの段階ではそう思う。が、いずれにせよ、殿や法正どのと話し合わなければなるまい」

 どうやら、軍事戦略は諸葛亮が中心というわけではないらしい。わたしは率直にそれを伝えた。

「それは諸葛亮どのが決めるものと思っていましたが」

「わたしが」

 諸葛亮は苦笑した。

「軍略に関しては、法正どのは郭嘉と並ぶ。ご存じなかったかな」

「いや孔明どのこそ稀代の軍師と後の世に伝わっております」

「買い被りだな」

 髭をひねりながら諸葛亮はいった。苦笑している様子はひどく若々しく見えた。

 そろそろ時間かもしれない。劉禅のからだが心配だ。

 しかし諸葛亮が続けた。 

「ところで関羽どのが敗れたのはなぜであろうか」

「先に申し上げたとおり、呉の謀略」

「では、勝つためにはどうすればよいと」

 私は深く息をした。

「二つあります。一つは、江陵の呂蒙・陸遜の謀略を防ぐこと。そもそもこれは、関羽将軍が樊城攻撃に兵を動員して手薄になった隙をつかれたもの。ここに兵の増強が必要でしょう。そうすれば、万一樊城の戦いに敗れても、退却の地を確保することができ、関羽将軍の命を救うことができます。ふたつめは、蜀から援軍を派遣すること。関羽軍だけで曹操軍を除くことはできません。この二つを実現できれば、樊城・襄陽は蜀の手に陥ちるでしょう」

「わかった。眼に見えるようだな。だがひとつ問題がある。樊城・襄陽を落としたあと、おそらくは曹操自身が出てこよう。これをどう防ぐかな」

「曹操は来ないでしょう」

「なぜ」

「病に伏せっております」

「そうなのか。都合がよすぎるが」

「樊城の戦いの年、あるいはその翌年に亡くなるでしょう。その間に、樊城・襄陽を持ちこたえ、その地を固めることができれば、そのあと、雍州・涼州と進むことができるでしょう。それこそ三分の計のとおりではないですか。したがって樊襄の二城を得てから一、二年が勝負かと」

「曹公の年齢を考えれば、そうあってもおかしくはないが……」

 諸葛亮は、部屋の暗がりに向けて目を細めた。

「光栄どの。おっしゃることはいちいちもっともに聞える。おそらくそのとおりに事が運ぶのかもしれん。だが、このわたしとて、それを完全に信じたわけではない。が、劉禅さまが劉備さまに会われるのは良いことかもしれん。このたびのことはあまりに不思議なこと。わたしには考えの及ばない出来事である。わが殿は武勇に優れるばかりでなく、深奥な方であるから、劉禅さまを見てなにか思うところがあるかもしれぬ。なんとおっしゃるか、わたしも楽しみではある。殿へは、わたくしからしかるべく書いておこう。戦の場に断りなくお送りしたとあっては、殿もお怒りになろうから……。しかし、劉禅さまがおいでになるのを見て、あの法正がなんというか」

 諸葛亮はひそかに喉で笑った。

「孔明どのにお願いがあります」

「なんなりと」

「わたくしの言葉は孔明どのだけが心得ておかれたい」

「なぜ」

「孔明どのであればこそ、わたくしの言葉を聴き分けていただけますが、ほかの人ではそうはまいりますまい。劉禅どのは明日から熱を発して数日動けないでしょう。わたしが出るとからだの負担が重すぎます。このようにお話しするのは最後にいたしたいと思います。重要なことは、劉禅どのの口を通じて伝えることとしましょう」

「すると光栄どののことは殿には伝えぬと」

「そのほうがよろしいのでは」

「関羽どののことは」

「おなじく」

「秘さねばならぬ話ではあるが……」

 諸葛亮はしばらく考えた。

「光栄どのの名を聞いたのは、尹黙どのと警護の焦遂。ふたりには口止めしてあるので遺漏はないはず。薫和どのも馬謖も、その点は心配はないが」

 わたしの背後の耿周に会釈して、

「おお、それと耿周どのであるな」

 諸葛亮は黙然とした後、決断した。 

「たしかにその方がよいかもしれぬ。わたくしとしても、話すたびに劉禅さまがご病気になられては、殿にも劉禅さまに申し訳がたたぬ。いずれにせよ、光栄どのからの内々のご助言があれば、劉禅さまの傑俊ぶりは光り輝きましょう。そのほうが万事うまくいくかもしれません」

 諸葛亮は立ち上がった。

「のちほど手紙を届けさせましょう。しばらく待たれよ。では」

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