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月夜蛇

※6月28日更新

 静霧湖周辺の水辺には、古よりたくさんの蛇が棲んでいた。

 蛇達は草の影に隠れ、人間を見つけてはその脛をかじり命を奪うことで、恐れられてきた。

 そんな危険な場所には、月の出る時間帯になると、ひとりの男が現れる。

 それは、髪を野放しにした、品のある顔立ちの男で、彼がいる時は不思議と蛇達の気配は全くなかった。

いつしか、近くの邑の者が声をかけたことがあった。

「おい、そんなとこにいちゃあ蛇に咬まれちまうぞ」

 邑人の忠告に、男は動じさえもせず応えた。

「心配はいらぬ。蛇は今、ここにはいない」

 男の言う通り、叢には他の生き物の気配はなかった。

 蛍の放つ光が水面を照らしていた。

「そうかいねぇ。お前さん、どっから来たんだい。ここら辺じゃあ見かけねぇ顔だね」

「山の向こうからだ。ここの水は旨いからな、わざわざ飲みに来ている」

「ほう、そうかい」

「ああ。本当に旨い水だ」

 邑人たちは、きっと彼は土地神で、蛇の害から護ってくれているのだと、思った。

 両目から両頬にかけての蛇の刺青がその証拠だった。

 さらに、水辺にいることから水神ではないか、と言う者もいた。ここの水が旨く、身体に良いと有名なのは、あの男のおかげなのだ、と。

 いつしか男は、ヤトヘミサマと呼ばれるようになった。光り輝く夜空の月で、蛇達を従わせていると人々は思ったからである。彼らは水辺にヤトヘミサマの為の小さな社を建て、蛇の害をなくし、五穀豊穣を願った。

 そして男の方も、その名をもじって夜刀と名乗るようになった。邑人から貰った名が、少しは気に入ったらしい。

「まあ、これでこの土地も安泰というわけだ」

 宵の明月を眺めながら、夜刀はほっと溜め息を吐く。

 人間の地と未開の地の均衡を護る土地神として、役目を果たしたからだ。





 しかしある日のこと。

 西方を偵察してきたウバメドリが彼に向かって忠告した。

 この妖は夷だけにとどまらず、ヒノモト全土を回って孤児を探しているのだ。

<夜刀、気をつけた方が良いよ>

<ヤマトビトがもうすぐ来る。お前達の住処なんて、あっという間になくなっちまう>

<何故だ? 人間の分際で神に仇なすとでもいうのか>

 夜刀の傍にいた錦蛇が鼻で笑い飛ばした。夜刀も錦蛇の言葉に肯く。

<そうだ>

 ウバメドリは珍しく、重々しい口調で言った。

<夷の土地神の中には、既にやられちまった奴もいる。あいつらはもう、ヤマトビトの支配下にある>

<ヤマトビト共の狙いは何だ>

<秋津嶋の東を平定し、土木工事をやるのさ。つまり、お前等の巣を人間が住みやすい場所にしてくってことだよ>

<私達が追い出される、ということか>

<わからない。役人によってやり方が違うんだ。でもだいたいは、最終的にそうなってしまってたかな>

<磐余がヤマトを宮とする前、その祖先である天照大神が岩戸に引きこもる前から護ってきたこの土地を手放せと>

<ああ、スメラミコトの名において、な>

 ウバメドリの言葉に、夜刀は黙り込んでしまった。

 錦蛇は近くにいた蟋蟀を捕まえ、苦々しげに丸呑みする。

<とにかく、人間共には気をつけろ。ヤマトビトだけじゃないぞ、邑人が奴らの手に落ちることだってあるんだから>

 そう、最後に一鳴きしてからウバメドリはまた西の方へ飛び去って行った。





 それから暫くして、西からヤマトの鯉堀十拳という役人とその部下たちがやって来た。

 十拳は邑人達を連れ、水辺に現れた。そして社を見つけ、その周辺に蛇の影があるのを見た。

「ここにはあまり人の手がつけられないようだ。蛇の害によってか?」

「へぇ。ですが、ヤトヘミサマのおかげで今は、旨い水が汲めますだ」

「ヤトヘミサマ?」

 その時、十拳の右足が何かを踏んだ。見ると、それは一匹の縞蛇で、丁度首根っこを押さえられて激しくうねっている。

<ウマナ、ウマナ>

 近くの薄の茂みから、別の縞蛇が顔を覗かせた。

 人間にはわからぬ、獣同士の意思疎通で縞蛇はウマナに呼びかけた。

<待っていろ、今助けるからな>

 叢を這い、そろそろと十拳に近づいた縞蛇。

 しかし、いち早く気付かれて斬り殺されてしまった。

「蛇を一匹残らず仕留めよ」

 邑人達はそれを聞いて恐れおののいたが、部下達はすぐさま剣を抜いて蛇を探し始めた。

「そ、そりゃあいけねぇだ!」

「んだんだ、蛇はヤトヘミサマの遣いだ。んなことしたら、ヤトヘミサマの怒りを買っちまうべ」

 邑人たちがそう抗議すると、十拳は足下のウマナをも真っ二つにした。

「何を言うておる、これはスメラミコトの命だぞ」

 蛇を殺したことによって震え上がった邑人達を嘲笑い、十拳は水辺を見る。

「……お前か、ウバメドリが言っていたのは」

 社の方向から声が聞こえ、昼間にもかかわらず夜刀が姿を現した。その右目は潰れ、右手の薬指が欠けていた。

「何者だ?」

「夜刀だ」

 十勝の問いに、夜刀は短く名乗った。

「ようやく出て来たか、この化け物め。お前のおかげでここの開発が遅れているんだ。悪いが、手放して貰う」

 化け物、と罵られ、夜刀は一瞬眉間に皺を寄せた。

 だが、その声色が荒くなることはない。

「何を馬鹿げたことを。ここは私の護る土地だ、人間の分際で指図するな」

「天照大神の末裔であらせられるスメラミコトの命でも、か?」

 十拳の問いを、夜刀は鼻で笑い飛ばした。

「葦原国に住まう神々が、天の神々如きにそう易々と頭を垂れぬことをお前らは知らないのか?」

 するとその罵倒に、十拳の顔が怒りで赤くなった。

「ただの野良蛇の集合体のくせに生意気な。邑人共よ、よく見ておけ。お前らが崇拝する、ヤトヘミサマとやらの正体をな」

 そして雄叫びをあげながら夜刀に斬りかかり、夜刀もまた、右手を伸ばした。

 そこからまるで木の根のように生えてきたのは、無数の蛇だった。

 付け根から指先まで。右腕を形作っていた蛇たちが、一斉に襲いかかったのだ。

 部下のヤマトビトらは逃げまどい、邑人たちも悲鳴をあげた。しかし、十挙だけは阿鼻叫喚の中怯まなかった。蛇を残らず斬り殺した。

「やぁっ!!」

 その剣が、夜刀の身体を貫いた。そして引き抜くと同時に、身体の全てが蛇になった。

「あった、これだ!」

 十挙が蛇の群れから見つけ、拾い上げたのは干からびた蛇の死骸だった。

「これが、夜刀の本体……」

「そうだ、小僧」

 死骸に巻きついた一匹の蛇が、十挙に牙を向けた。

「コレイノヘミサマの依代だ」

「なぬ……コレイノヘミサマだと……創生五柱の……」

 その名を聞いた途端、十勝は微動だにしなくなった。

 コレイノヘミサマの名に畏れ伏したのか、それともヤトヘミサマの妖力に晒されたのか。

 そして、解き放たれた蛇はすべて死骸のもとに集まり、人の姿が現れた。

 夜刀だった。

「ヤトヘミサマ、お許し下せぇ!」

 邑人たちがひれ伏し、許しを乞うた。

 が、夜刀の姿はそのまま消えてしまった。

 そして無数の蛇の群れもまた、音もなく山方へと向かっていった。





 夜刀が立ち退いてから半月が経ち、ヤマトビトによる開発が始まった。

 湖畔は少しばかり埋め立てられ、背高く伸びた雑草は刈り取られた。

 先の事件以来、水辺に棲んでいた蛇は一匹残らずいなくなり、他の生物たちも忽然と姿を消した。それらの害はなくなったものの、邑人たちの不安は消えなかった。

 そこで邑人たちは、ヤマトビトに壊される前に社を近くの山に移動させた。

 その山にもまた蛇が棲んでいた。

 彼らは毎日重労働を強いられながらも、ヤトヘミサマへの御供えを怠らなかった。

 ある日、一人の若者が御供えしに来た時だった。

 社の手前に、痩身の男が立っていた。

 太く編んだ髪で顔の右半分を隠し、左目から頬にかけての刺青が見える。

「湖の水は、旨いか?」

 かく言う彼の右腕はあるべき場所になかった。



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