クリスの失態
「どうして替えの服を用意してないんですのよ!!」
お風呂から上がった脱衣所でクリスの怒号が轟いた。セリカは手を振って弁解する。
「だって、パジャマに着替えるにはまだ早いし、また同じ服を着れば・・・・・・」
「汚れた服をまた着たら、お風呂に入った意味がないではありませんか! ああもう! あなたが押すから! どんどん押すから!」
「誰かを呼ぶ? それとも、わたしの服を着る? まだクリスのより綺麗だし」
「ああ、もういいですわ。ひとっぱしり行って取ってきますわよ。部屋はすぐそこですし、誰かを呼ぶほどのことではありませんわ。お姫様はどうかここで待っていてください」
「うん、待ってるね」
大きなタオル一枚だけをはおった姿で、クリスは廊下へと出ていこうとする。その背をセリカは呼び止めた。
「クリス」
「なんですの?」
「あなたはわたしのことをお姫様と呼ぶけど、わたしにとってはあなたの方がずっとお姫様っぽいよ。わたしよりずっと綺麗だし、スタイルもいいし、クリスがこの国のお姫様になってくれればいいのに」
「フン! おだてても何もでませんわよ。この国にお姫様はあなた一人! それだけで十分です!」
脱衣所の扉をぴしゃりと閉めて、クリスは走り去っていった。
廊下を走りながらクリスはうかれた気分だった。
久しぶりにセリカと仲良く話をすることが出来て、子供時代にかえったようだった。なぜあんなにもむきになってセリカを敵視していたのか、今となってはそれすらも馬鹿馬鹿しい気分だった。それに・・・・・・
「お姫様か・・・・・・」
想像しようとしてすぐに振り切る。あのお猿さんと同じ立場に自分を置こうなんてどうかしている。それにクリスは今の立場でいいと思っていた。
例えあの日からずっと城にいさせてもらっているこの立場が、王の好意によるものでしかなかったとしても。それを変える必要も、変えたいと願う権利も自分にはないはずだった。
考え事に浸っていたので気づくのが遅れてしまった。廊下に落ちていた影に気がついてクリスは顔を上げた。
「あ・・・・・・」
そこに偉そうな顔をして騎士団長が立っていた。いや、事実彼は自分より偉い立場の人間だった。騎士団長は鼻息を鳴らして声をかけてきた。
「なんだそのけしからん格好は。だらしがないぞ」
「も、申し訳ありません」
例え気に入らない相手だとしても、礼儀正しくあろうとするクリスにとっては頭を下げるしかなかった。
騎士団長は偉そうにふんぞり返りながら話を続けた。
「姫様と陛下に気に入られてるからと言っていい気になるなよ。この城の身分ではお前など、この俺よりも下なのだからな」
「はい・・・・・・」
痛いところを突かれたと思った。セリカとは子供の頃から競い合った仲でお互いに負けたくない相手だったし、国王も自分のことを温かい目で見守ってくれていたから、ついその空気にも慣れてしまっていたが、本来なら身分の差というものはあるのだ。
だからこそ誰にでも分かる、みんなにも凄いと思ってもらえる手柄というものが欲しかったのだが、結果的に自分は負けて帰ってきただけだった。
「分かっていればいい。ならば騎士団長としてお前に任務失敗の罰を与えねばなるまい」
「罰・・・・・・ですか?」
それは本来なら国王が決めることのはずだ。なぜ騎士団長ごときに言われなければならないのか。クリスはわけが分からなかった。
「自分のしたことが分かってない顔だな。ならば順を追って説明してやろう」
騎士団長は鞘に入れたままの剣の先端を廊下の床につくとその説明を始めた。
「お前が騎士団の進軍を妨害した結果に何が起こったのか。お前は無謀にも一人で賊に戦いを挑み、返り討ちにあって奴らを取り逃がした。そうだな?」
「そうです」
「そして、あろうことか。その戦いで姫様の命を危険にさらした。そうだな!?」
「そ・・・・・・そうです・・・・・・」
クリスはうつむき、その肩を震わせる。騎士団長の話は続く。
「お前が王に任された任務は我ら騎士団の手伝いだった。そうだったなあ!?」
「は・・・・・・はい、そうです・・・・・・」
騎士団長の言っていることはいちいち全てが事実であり、それはクリスのプライドを打ちのめしていった。
「分かるか? 今回の任務の失敗は全てお前が勝手な行いをしたことに起因しているのだ。お前が邪魔などをせず予定通りに我らの手伝いをしていればこれらの失敗は全て! 起こらなかったかもしれないのだ。お前は真っ先に、我ら騎士団に謝罪しなければならない。それとも、これらの失態を帳消しに出来る何か功績があったというのなら聞いておこうか?」
「な・・・・・・何も・・・・・・」
「ん? 聞こえんな。もっと大きな声で言わんか!!」
「何もありません!!」
あまりの屈辱にクリスは涙を流していた。だが、現実として自分は数々の失敗をしたあげく、何の有力な手柄も上げることなく惨めに帰ってきただけだった。何も言い返しなど出来はしなかった。
騎士団長の手が力を無くしたクリスの腕を掴んで引っ張った。
「分かればいいのだ。さあ来い! お前を騎士団のみんなの前で謝罪させてやる!」
「ま、待ってください! その前に服を」
「うるさい! お前の趣味の悪いファッションになど誰も興味はないわ! おとなしく来るんだ! 騎士団の精鋭をもってしてお前を可愛がってやるからなあ!!」
「うるさいのはお前だ!」
騎士団長がなおもクリスの手を引っ張ろうとした時、どこからともなく飛来した剣の鞘が彼の顔面に命中した。
「ぐがあっ!」
騎士団長はたまらずクリスの手を離し、顔を両手で押さえて床の上をのたうち回って苦しんだ。
「だ、誰だ! この俺の顔面にこんな物をぶつけた奴は! 出てこーい!」
座ったまま体を起こして騎士団長が叫ぶと、その人物は彼のすぐ前に立ってその喉元に剣を突きつけてきた。
「クリスをどこに連れていくつもりだ? 騎士団長」
騎士団長は喉元の剣先を見てから、その視線を上げていく。そこには彼が今までに見たこともないほどの冷たい目をした王女の姿があった。
「ひっ、セリカ! いえ、姫様!」
「どこへ連れていくつもりかと聞いている」
「そ、それは!」
情けなく腰を抜かした騎士団長は、何とか弁解しようと口をもごもごと動かした。
「き、聞いてください、姫様! こいつは我々の任務の妨害を!」
「話なら聞こえていた。クリスはわたしと肩を並べて賊の親玉と戦ってくれた。功績などそれで十分だ! それともお前達の誰かがわたしと剣を交えられるとでも言うのか?」
気の強いその言葉に騎士団長の唇がわなわなと震えた。
「くっ、小娘が・・・・・・まあいいでしょう。いずれにしろ処罰は陛下が決められること」
剣先を警戒し、騎士団長は出来るだけ離れようと意識しながら立ち上がった。
「これほどの失態をしたのだ。ただで済むとは思わぬことだな」
騎士団長は最後にクリスにそう言い残して立ち去っていった。
その姿が見えなくなってから、セリカはため息をついて床から鞘を拾い上げ、剣を収めた。クリスがぽつりと呟く。
「また・・・・・・」
「ん?」
「またその汚れた服を着ましたのね」
「わたしはあんたほど綺麗好きじゃないからね」
それを聞いてクリスは笑った。彼女らしくない弱々しい笑顔だった。




