二人の時間
来た道を戻り、騎士団と合流する頃にはクリスはもう泣き止んでいた。さすがにいつもの輝くような覇気の強さはなりを潜めていたが。
セリカは騎士団長に賊が撤退したことを伝えると、そのまま騎士団を連れて城へ帰ることにした。
騎士団長は何かを大げさに言い訳するようにわめきたてていたが、セリカはクリスのことを心配していて、彼のことなど全く眼中に入っていなかった。
城へ戻り、騎士団と別れる。
国王に任務のことを報告する前に、クリスは身だしなみを整えたいと言った。
セリカだったら何よりも先に報告に上がるところだし、騎士団の誰かが言おうものなら殴って吹っ飛ばすところだったが、美しさに気を遣う彼女の性格はよく知っていたのでただうなづいた。
「じゃあ、久しぶりに一緒にお風呂に入らない?」
「それもいいかもしれませんわね」
城へ戻ってきてからもクリスはどこか元気が無かった。セリカは彼女に早く元の生意気で高慢ちきな態度を取り戻して欲しかった。
でなければ余りに張り合いが無さすぎる。彼女が高飛車に喧嘩を売ってこない生活なんてあまりにも退屈すぎる。絶望にも似た感情を振り切り、セリカはさっさとクリスの背中を押して行った。
「ちょっと、そんなに押さないでください」
「急がないと。さっさと入って父様に報告に行かないと駄目でしょ」
「もう」
でも、迷うことなんてない。クリスはまだここにいるのだから。
触れる手から感じるぬくもりを、滑らかな金の髪の輝きを、セリカは今ではとても愛おしいと思っていた。
二人一緒にお風呂に入る。それはまだ幼かった子供の頃以来のことだった。
セリカはクリスと初めて出会った頃のことを思い出していた。
あれは父の領地の視察についていった時のことだった。じゃじゃ馬だったセリカは護衛の目を振り切って一人で町の探検をしていた。
「暴れ少女が出たぞ! みんな逃げろ!」
そんな時だった。町の一方の方角から子供達のグループが逃げてきた。セリカが好奇心を抱いてそちらへ向かってみると、その先の道の真ん中に自分と同い年ぐらいの綺麗な女の子が気の強そうな笑みを浮かべて木の棒を剣のように握って立っていた。
「戦わずに逃げるなんて情けない。この国にはもうわたしの敵はいないようね」
その傲慢な態度と言葉は、自信家のセリカにとっては聞き捨てならないものだった。
「わたしと戦わずに何を勝手なことを言っている!」
セリカは有無を言わさず殴りかかっていった。突然現れた挑戦者の攻撃を、クリスは冷静にひょいとかわし、さらに足を引っ掛けて転ばした。
「ぐはっ!」
「意欲は買うけど実力は全然ね。弱~い」
「このっ、何をわたしを見下している!」
セリカは立ち上がり、何度も向かって行くが、何度も同じようにいなされていく。
「あはは、猿回しの猿みたい。ほら、うきうきお鳴き」
「このう!」
セリカは何度も転ばされ服もぼろぼろになっていく。そんな時、騒ぎを聞いた護衛の二人が駆けつけてきた。
「姫様、こんなところにおられたのですか!」
「ああ、何というお姿に。この無礼者め! 成敗してくれる!」
護衛達がセリカをかばうように前へ出る。クリスは面白そうにそれを眺めていた。
「あんたってお姫様だったんだ。で、今度はあなた達が相手ってわけ? いいわ、やってやろうじゃない」
クリスは余裕ぶっていたが、その表情が護衛達が抜いた真剣を見て固まった。
「そ、それでやるの・・・・・・いいわ、相手にとって不足なしよ」
言葉とは裏腹にクリスの足は震えていた。大人と子供、真剣と木の棒では勝負は明らかに思えた。だが、クリスは死んでも引かないだろう。セリカにはそう信じられた。
このまま護衛達にやらせていいのか。いや、負けたまま他人の手で終わらせるなど自分のプライドが許しはしない。
「待て! こいつはわたしの相手だ! お前達は手を出すな!」
セリカは護衛達を押しのけて前へ出ると、クリスをかばうように振り返った。
「お姫様・・・・・・」
彼女の背後で、クリスがぽつりと呟く。
「姫様! どいてください!」
「そこにいられると、そいつを殺せません!」
護衛達は戸惑っている。クリスも戸惑っていたが、目ざとい彼女は戦いの隙を見逃すことはしなかった。
腰を落とし、セリカの体を死角に利用して護衛の足元を狙って木の棒を振るう。
「いてえ!」
護衛は足を抑えて飛び上がった。セリカはびっくりして振り返る。
「お前・・・・・・!」
「クリスよ。わたしの名前。姫様、こいつら邪魔だからやっつけちゃいましょう」
「あ・・・・・・ああ! お前とはその後で決着をつける!」
「いい返事ね。足でまといにならないでよ」
「お前がな!」
そして、二人は護衛達を相手に大立ち回りを演じることになった。姫が一緒となっては護衛達はうかつに攻撃に出ることも出来ず手加減を強いられ、それが結果的に勝負をいいものにしていった。
「やめんか! お前達!」
周囲に野次馬が増え、まだまだ続くかと思われたその勝負は、決着がつく前にやってきた国王の一括で止められた。
護衛達はすぐさま戦いの手を止めてひざまづく。戦う相手を失ったセリカとクリスは呆気に取られて立ち尽くしていた。
国王の厳しい目がクリスを見る。
「お前、名は何という」
「クリス・・・・・・」
気圧される物を感じながらも少女は逃げずに答える。国王は安心させるように表情を和らげた。
「そうか。娘が世話をかけたな。今日のところはうちに来なさい。二人とも身なりが酷い有様だぞ。ともに装いを整えるがよい」
国王のその言葉に、二人は今更ながらにお互いの姿を見、そして笑いあった。
「そんなこともありましたわね。懐かしい話ですわ」
風呂に肩まで浸かりながら、クリスはほんのりと呟いた。
出会った頃はまだ剣の腕は圧倒的にクリスの方が上だった。だが、その夜のうちにはセリカは何度かクリスと打ち合える程度には成長していった。
「あの頃からあんたは気の食わない奴だったけど、あなたが目標になってくれたおかげで強くもなれた。今では感謝の気持ちすらしてるのよ」
「意外な言葉ですわね。わたし達は嫌い合ってると思っていましたのに」
「わたしもそう思ってた。あんたなんか大嫌いだって。でも、あなたを失いそうになってわたしにはあなたが必要な人だったんだって気づいたから」
「セリカ・・・・・・」
「クリス・・・・・・」
お互いにしばらく見つめ合う。クリスは掌を組むとそこからお湯を飛ばしてセリカの顔にかけた。
「えいっ」
「わぷっ! な、何をするのよ、いきなり」
「うふふ、あなたはわたしがあれからどうしてこの国に留まることを決めたのか知っていますか?」
「この国に留まる?」
そんな言い方は変だと思った。セリカにとってクリスはずっと身近にいるのが当たり前の存在だった。父からも気に入られ、家族のように過ごしてきた。こんな悲しい言い方をして欲しくなかった。こんな・・・・・・他人の国みたいな言い方・・・・・・
セリカの胸中も知らず、クリスはただ笑顔で言葉を続けていった。
「それはあなたの悔しがる顔がまるでお猿さんのように面白かったからですわ。この上品な言葉遣いも、丁寧な礼儀作法も、わたしはあなたを悔しがらせるために身につけたんですのよ」
「そっか」
思い起こせば、出会ったばかりの頃のクリスは今みたいな珍妙な喋り方も、馬鹿にしているとしか思えないような変な挨拶もしていなかった。
「クリスはわたしのことを思って頑張ってくれてたんだ・・・・・・」
「なっ! わ、わたしは別にあなたのことなんか・・・・・・ただわたしはあなたの変な顔が面白かったから、それだけのことで・・・・・・」
「えいっ!」
「わぷっ! も、もう何をしますのよ、いきなり!」
「あはは、クリスの顔も十分に変だよ。ありがとう、この国のことを好きになってくれて」
「む・・・・・・むう~、好きでもなければずっといたりなんてしませんわよ・・・・・・」
クリスは湯船に顔を沈めてぶくぶくとさせた。
セリカはクリスがずっとこの国にいてくれると信じていた。しかし、クリスはその胸にある決意を秘めていた。




