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真実を隠す殺人犯




バーの中には小さな音量でジャズが流れている。



本来は気持ちを落ち着かせる為のものなのだろうが、聡にとってはそれはなんの効果も成さなかった。



 あまりの衝撃から全身が震えているような気がするが、実際身体は少しも動いていない。目眩がするような気すらしてくる。


「大丈夫?」


 玲良がそっと肩に触れると、そこから固まった身体が柔らかくなるような感覚を覚えた。


「え……うん、大丈夫」


 喉から絞り出すようにして出た声は掠れていた。気付けば喉が渇ききっている。これは動揺どころの話ではない。頭が追い付かないわけでもない。結論を出すことに迷いが生じているのだ。

 どんなに迷っても、悩んでも出すべき答えは一つしかないのだ。聡は両手を顎の前で強く握った。これしかない。


「……分かった」


「え……?」


 聡の呟くような声に玲良が反応した。


「僕なりに探ってみるよ。彼らの中に、本当にユダがいるのかどうか」


 そうなのだ。結局、これしかないのだ。何故なら、自分は刑事だから。犯罪に手を染めた者を、仲間だという理由だけで見逃すことは出来ない。なら、自分でその者を探しだしたい。

 犯人は探されることを望んでいる。ずっとそう思ってきた。そうでありたいと思ってきた。


「私も、出来る限りのことは協力するわ。それに、この話を教えてくれたのは深水君だから彼も協力してくれると思う」


 一人ではない。それだけで崩れそうな足場が少しだけ持ち直す。


「ありがとう。何か分かり次第、連絡頂戴。こっちもそうするから」


 聡が言うと、玲良は分かったわ、と力強く頷いた。

 明日から、どんな顔をして彼らに会えばいいのか……。




「おはようございます」


 朝一番に現れたのは紘奈だった。いつも通り、しっかりめの化粧に、明るい笑顔。


「おはようございます」


 聡は出来るだけ平静を装って挨拶を返した。


「辻木さん、今朝は早いんですね」


 紘奈は少しだけ首を傾げながら言った。厚めの唇が尖っているように見える。


「ああ、知り合いのところから来たので」


 夕べはあのまま玲良のマンションに泊めてもらい、朝早く起きる玲良に無理矢理起こされたのだ。そして追い出されるようにしてマンションを出たのでこんなに早く警視庁に着く羽目になってしまったのだ。


「知り合いって、もしかして桐嶋さんですか? それって、未だにそういう関係ってことなんですか?」


 紘奈は瞳を輝かせて訊いてきた。この子の明るさが偽りのものだと疑いたくはない。


「違いますよ。そういう関係ではありません」


 泊まったのは事実だが、そういったことは何もなかった。あるはずがないのだ。

 その会話が終わると同時に、近くで物が落ちる音が耳に届いた。音がした方に顔を向けると、そこでは美琴が鞄を床に落としていた。


「大丈夫ですか?」


 聡が訊くと、美琴は固い笑顔で大丈夫です、と返してきた。それに頷いてから紘奈の方に視線を戻すと、紘奈はしまったというふうに顔を歪めていた。


「神沢さーん……」


 出勤したてらしい笹木が紘奈の肩を軽く小突いている。


「いやぁ……まだ来てないと思って」


「悪気がないならセーフです」


 すかさずフォローを入れたのは桜木だ。微笑ましいいつもの光景を何故こんな目で見なくてはいけないのか。聡は胃の辺りが微かに痛むのを感じた。そして、如何に自分がこの班を気に入っているか、そして好きかを思い知らされる。


「何かありました?」


 桜木の呼び掛けに聡は我に返った。


「ああ、いえ。夕べ遅くに食事したものですから、胃もたれしてるみたいで」


 生来、嘘を吐くのは得意ではない。それに気付いてか、班員は皆、一瞬訝しげな表情を作った。

 これでは駄目だ。疑うのと探るのは違う。いつも通りの中で、何かしらの違和感を掴めばいい。


「なので、誰か胃薬持ってませんかね?」


 聡は苦笑いをしながら全員の顔を見た。


「あ、持ってますよ」


 真っ先に手を挙げたのは紘奈だ。何気に筋肉のついた腕は、何かスポーツでもしていた証なのだろうか。


「すみません」


 紘奈はいいえ、と言って鞄から胃薬を取り出した。それは市販のものではなく、病院から処方されているものだ。



「まさか……」


 玲良は飛び込んできたニュースに目を見張った。都内で腹部をめった刺しにされた遺体が発見されたのだが、それは玲良の先輩キャスター、柳優のものだった。それに驚いたのは勿論、もう一つの事柄にも驚愕を隠せなかった。

 柳優、というのは彼の芸名で本名は柳川大介。そしてその名前はあの掲示板に書き込みしていたうちの一人だったのだ。彼の本名どころか、彼が芸名だということすら知らなかった。これはまた、偶然ではないのだろう。

 柳優はフリーのキャスターで、マスコミがあまり突っ込みたがらない部分まで首を突っ込むことで有名だった。玲良もそんな柳に憧れ、自分も自分の信じた道を歩むキャスターになりたいと思ったし、そんな玲良にキャスターとしてのいろはを叩き込んだのも柳だったのだ。

 そんな柳は十一年前、突然テレビから姿を消した。局との契約も残っていたというのに、連絡もつかなくなったのだ。その代理でニュースを読むことになったのが、まだ駆け出しだった玲良だった。その時は理由など全く分からなかった。だが今は分かる。柳は水鳴教について個人で調べていたのだ。



「殺されたのは柳川大介。十一年前までは柳優の名前でキャスターをしていた」


 聡はそこにある事実に目眩を覚えた。掲示板に書き込みしていた人物だ。そして、玲良が憧れていたキャスター。


「腹部をめった刺しにされて、川に捨てられていたんですね」


 桜木が確認をするように説明をした。

 犯人は誰か。周囲を当たるより、柳川が何らかのトラブルに巻き込まていたかを確認するべきだ。間接的に殺されたのなら、トラブルすら人為的なもの。聡は確信に近いものを抱いた。これは夕べ、玲良と話し合ったことから導き出したものだ。

 夕べ、これまでに起きた七つの事件を二人で並べてみたのだ。最初の事件から、この間の事件まで。そして、そのなかに全て引っ掛かるものがあった。

 最初の事件は原田が無理矢理の関係ではないといったこと。

 二つ目は泉川は虐待をするように見えなかったこと。

 三つ目は実際にはなかった引き抜きの話。

 四つ目はナイフを落とした通り魔。

 五つ目は志田は書き込んでいない犯人の悪口。

 六つ目はケーキのアイディアの行き違い。

 七つ目は星川へのストーカー行為の矛盾。

 これらが全て仕組まれたことだったとしたら。いや、それは深読みし過ぎなのか。そんなに簡単に殺人を誘発出来るものか。


「柳川さんの最近の出来事について探ってみましょう」


 聡の言葉に美琴が首を傾げた。


「最近……ですか?」


 聡の捜査方法は被害者の過去から現在までをしっかりと調べることだ。なので犯人をストーカーだと仮定しても被害者の生家の近所にまで話を聞くのだ。


「はい、最近です。柳川さんは元キャスターです。過去の人間関係まで洗っていたら、時間は幾らあっても足りませんからね」


 聡はそれらしい理由をつけ、美琴を納得させた。殺人犯にならなくてもよかった人間が殺人犯にさせられた。それなら、早く見付け出してやらないと。



 桜木が古びた扉をノックすると、のそりと若い男が顔を出した。若いと言っても自分と同じくらいだろう。うっすらと髭を生やし、目に生気がない。これが過去に一世を風靡した俳優だとは言われなければ分からないだろう。


「何?」


 彼――浜山保は眉間に皺を寄せた。元俳優だからか、顔立ちは整っている。


「お隣に住んでた柳川さんについてお伺いしたいんですが」


 口を開いたのは紘奈だ。紘奈の可愛さにか、浜山は頬を緩め、厭らしい笑みを浮かべた。


「へえ、君、可愛いね。名前は?」


 浜山は先程より身体を前に出した。


「はぁ?」


 紘奈はあからさまに怪訝な表情を作り身を引いた。女性は身の危険を感じるのが早い。


「お話、お聞きしても宜しいですか?」


 桜木は然り気無く紘奈の前に立ち、にっこりと笑いながらも浜山を睨んだ。


「そっちのお姉ちゃんになら話してもいいよ」


 だが浜山はそれに怯む様子も見せずに軽口を叩いた。


「申し訳ありませんが、刑事は二人一組でないと動けないんです。なので、私一人が話を聞くわけにはいきません」


 紘奈は桜木の肩の向こうから、きっぱりとした口調で言い切った。浜山はそれにち、と舌打ちをした。


「知らねぇよ。隣のおっさん、姿なんて見たことねぇし。それに、俺が越してきたのは一週間前だぜ?」


 浜山は簡単に態度を変えて、それだけを言った。


「誰かが訪ねてきていたとかは?」


 桜木の質問に浜山は首を横に振った。


「ないね」


 桜木と紘奈は顔を見合わせてから、浜山にご協力ありがとうございました、とだけ告げた。




 聡は美琴がコンビニに寄っている間に玲良に電話を掛けた。既に生放送は終わっている時間だ。


『柳さんについての過去はこっちで調べる。多分、私が調べたほうが早いわ』


 聡は玲良によろしく、と言い電話を切った。マスコミの情報網は警察のそれより広い。確かに自分達で調べるより、玲良が調べたほうが早いし詳しいものになるだろう。


「本部からですか?」


 水を購入してきた美琴が長い髪を揺らしながら戻ってきた。


「いえ、私用です」


 聡が答えると、美琴は少しだけ表情を固めてそうですか、と返してきた。


「さ、いきましょうか」


 聡はそう言って足を前に出した。




 不動産屋の男性は初老で、頭は真っ白になっていた。


「柳川さんねぇ。五年前から住んでるよ。特に他の住人と揉めたりとかは記憶にないけどねぇ」


 聡はその話にそうですか、と口を開いた。可能性があるとしたら、近隣の住人だと思ったのだが間違いだったか。柳川は現在仕事をしていないし、人付き合いらしいものは何もない。そこにトラブルを作るとしたら、自分なら近隣住人とにすると踏んだのだ。だがどうやらこの推理は間違っているようだ。やはり、犯罪者の心理は自分には分からないということか。

 それだと捜査は行き詰まってしまう。普段通りの捜査に戻すべきか。


「そうだねぇ。あそこは紹介ばかりで入ってくるからね」


 不動産屋は頭を掻きながら言った。不動産屋というのは儲かるのだろうか。男の手首には金のブレスレットが下がっている。


「紹介……ですか?」


「うん、そうねぇ。前の住人とか、その知り合いとかね。ほら、表に居住者募集とかしてないから」


 聡はそれをすかさずメモに書き込んだ。


「柳川さんも、紹介だったりするんですか?」


「いや、どうだったかな。なんかふらりと来たんだよね。安い部屋ないかって」


 隣では美琴も同じようにメモを取っている。


「今の住人の方が、どうやって入居したか伺ってもいいですか?」


 聡の言葉に不動産屋はいいよ、と簡単に頷いた。




「柳さんを恨んでた人? お前、そんなの調べてどうすんだよ。お前が柳さんを慕ってたのは知ってるけど、それは警察の仕事だろ」


 番組プロデューサーである江川は扇子で首もとを扇ぎながらそういった。


「でも、私なりに事件について知りたいんです。私から見た柳さんは、決して殺されるような人ではありませんでした」


 玲良は本心半分、嘘半分で頭を下げた。私なりに、というのは本当だし、嘘でもある。そして柳が殺されるような人ではないというのは本心だ。確かに色んな事件を調べてはいた。でも、根本は優しい人物だったのだ。だからそんな彼がどうやって殺されてしまったのかを知りたい。どうやって、殺すように仕向けられたのかを。


「殺されるような人じゃない……か」


 江川はそう言ってから扇子を閉じた。


「お前はあの人のことを何も知らないんだな。柳さんは相当恨みも買ってたし、あの人はお前が思う程真っ直ぐな人じゃない」


 江川の教えに玲良は耳を疑った。


「どういう意味ですか?」


 放送の終わった後のスタジオは慌ただしく、この話を誰かが聞いている可能性は低い。それでも玲良は出来るだけ小さな声を出した。キャスターとしてはスクープを他に持っていかれたくはない。


「あの人は真実を隠してばかりいたよ。自分に有益なスクープしか報道しない人だったんだ」


 玲良は信じられない思いを抱えた。報道する者として、それは決してあってはならないことなのだから。


「結局、柳さんはいつも自分に都合のいいようにか、自分の利益になることしか報道しない人だったよ。娘さんが亡くなった時だってそうだしな」


「娘さん?」


 玲良の疑問に、江川はそうか、知らないか、と言った。


「柳さんの娘さんさ、人殺してんだよ。十年……いや、十二年近く前か。幼い子供を。でも、柳さんはうちのニュースでは報道しなかった。それで、姿を消したんだよ。ま、キャスターの娘が人殺しなんて報道したくなかったんじゃないか?」


 そんな事件は知らない。幾らうちの局と専属契約を結んでいたとはいえ、柳はフリーのキャスターだった。なら、他の局に報道を規制することだって不可能ではない。


「柳さんの遣り口、結構汚かったからな」


 玲良の考えを読み取ったのか江川が溜め息混じりに言った。


「だから、柳さんを恨んでる奴なんてごまんといるいってこった」


 江川はそれだけ言うと、お疲れさん、と手を挙げて玲良の前から去っていった。




「あの男、本当に気持ち悪いっ」


 紘奈は腕を摩りながら文句を口にしている。桜木はそれを見て苦笑した。彼女はかなり可愛い顔立ちをしているのだが、本人にその自覚はないのだろう。だからああいう、浜山のような男は自分が可愛いから言われるのではなく、ただの変態のように思っているのだ。


「でも、柳川さんの存在すら知らなかったって住人が殆どでしたね」


「そうだね」


 桜木は真っ白なメモ帳に目を落とした。柳川があそこに住んで五年になるというのに、姿を見たことがあるのは二人だけだった。その他は人が住んでいるのは知っていたが、どんな人物かも知らないのだ。


「もう少し、調べてみようか」


 涼む目的で入ったカフェは冷房が効きすぎていて寒いくらいだ。桜木はアイスコーヒーを注文したことを後悔しながら口を開いた。


「そうですね」


 紘奈はそれを分かっていたのか、ホットコーヒーを飲んでいる。彼女はぼんやりしているように見えても、ちゃっかりした部分があるのだろう。桜木はそんなことを思いながら、ストローで氷を掻き回した。




「この人が、最近紹介で入居されたんですね?」


 聡の言葉に不動産屋の主人は頷いた。


「そうそう。知り合いに空きがあるって聞いたって。その知り合いが誰かは分かんないんだけどね」


 なら、その人物に直接当たってみるべきか。いや、既に桜木と紘奈が話くらいは聞いているだろう。それでも怪しい人物がいたという連絡は入ってきていない。

 聡の仮説では、柳川がそこにいることを知ったユダが誰かをアパートに送り込み、近隣トラブルになるようなことを仕向けて殺させた、というものなのだが、それらしい話もない。聡は首を捻って、その名前を見た。名前だけで何かが分かることはないだろう。隣では美琴が神妙な面持ちで聡の横顔を見ている。

 柳川と犯人の間に一体何が起きたのか。いや、引き起こされたのか。どんな手を使って、背中を押したのか。

 聡は首を元の位置に戻しながら溜め息を吐いた。難しく考えすぎているのか。今までのことはただの偶然で、今回の事件だって実は何の関係もないの殺人なのだろうか。見方に拘り過ぎて真実を見落としてしまったら、それこそ本末転倒だ。やはり、いつも通りに見ていくしかないのか。

 そう思った折、ジーンズのポケットで携帯電話が震えた。このバイブレーションのタイプは着信だ。聡は主人と美琴に断ってから電話に出た。


「はい」


『私だけど』


 表示を見ずに電話に出ると、相手は玲良だった。


『調べてみようと思ったんだけど、柳さん、相当恨み買ってたみたいなの。だから、そこから特定するのは難しいかもしれない』


 そう言う玲良の声は何処か沈んで聞こえた。憧れていたキャスターが実はかなりの恨みを買うような人物だったと知ってショックを受けているのだろう。


「そうですか」


『ごめんなさい。役に立てなくて』


 玲良の詫びに聡は慌てて、そんなことはないよ、と返した。


『あ、でも一つ分かったことがあるわ』


 玲良はそこで声のトーンを少しだけ高くした。


「何?」


『柳さんの娘さん、十三年前に幼いこどもを殺してるらしいの。それは当時、ニュースにはなってないわ』


 聡はその話を聞き、直ぐ隣に座る美琴を見た。美琴は聡の視線を感じたのか、美しい顔を少しだけ傾げてみせた。まるでテレビの中にいる女優のような美しさだ。

 幼いこどもを殺す。それは美琴の恋人であった三谷がされたことだし、したことだ。


「ということは……」


『柳さんの娘は、水鳴教の信者だった可能性が高いわ』


 玲良はそれについてはこれから調べる、と言って電話を切った。

 やはり偶然などではない。これは仕組まれた殺人事件だ。本来なら起こり得なかったこと。そう考えると、腹の底から熱い何かが沸き上がってきた。

 怒りだ。聡はこれ程までに他人に怒りを感じるのは初めてだった。そもそも、他人に怒りを覚えるような性格ではない。でもこのことだけはどうにも許せないと強く感じるのだ。

 必ず、ユダを見付け出す。聡はそう心に強く誓った。



「辻木さん」


 一旦署に戻ると桜木に声を掛けられた。


「柳川のアパートの住人から話を聞きましたが、誰一人として柳川と個人的に関わりのある者はいませんでした」


 桜木の報告に聡は息を吐いた。やはりそうか。


「分かりました。ありがとうございます。引続き、もう少し調べてみて下さい」


 聡の言葉に桜木は分かりました、と柔らかい声で答えた。だがこれ以上調べたとして、何かが出る気配はない。だとしたら何処に手を付けたらいいのか。



 捜査中の一日の終わりには飲み会を、という習慣を断るのはどうにも不自然な気がして、聡は了承をした。本来は玲良から時間が空いたら連絡が欲しいとメールが入っていたのだが、取り敢えずそれは後回しにした。重要なことなら留守電に吹き込むだろうと判断したのだ。


「ところで外と関わりがない人が殺されるって、どんなことなんでしょうね」


 最初に事件のことを口にしたのは美琴だった。


「しかも、何度も刺されてるってことは相当な恨みですよね」


 続けて言ったのは紘奈だ。


「今じゃなくて、過去に、てことなんですかね?」


「偶然見付けて、殺したってことですか? 外に出ない人間を?」


 四人はそれぞれの観点から推論を立てている。どうにも、今まで通りの目で見ることが出来ない。


「うーん、それって有り得るんですかね?」

 

 いや、確実ではないがないと言えるだろう。紘奈の言葉に聡は心の中で答えた。やはりまた胃の辺りに痛みを感じてくる。


「じゃ、探し出したとか?」


 今度は美琴が答える。


「そう考えるのが一番有り得る線ですね。元キャスターなら、恨みを買っていてもおかしくはないですし」


 桜木は言ってからビールを口に含んだ。

 何も分からない。この中にユダという人物がいるようにはとても思えなかった。


「……やはり体調が悪いんですか?」


 店に来てから一度も口を開かない聡を心配してか、美琴が顔を覗き込んできた。聡は突然のことに驚き、一瞬息を飲んだ。


「ああ、あの、まだ胃の調子がよくなくて」


 問い詰めてしまえば簡単なのかもしれない。いや、そんなことで口を割るような人間はこんなことを犯さないだろう。


「胃薬、いります?」


 紘奈も心配そうな視線を聡に向けてきた。


「大丈夫です。ありがとうございます」


 聡はそれだけ言い、笑顔を作った。ユダは今、この場で何を思っているのだろうか――……。




 玲良は今日はもう、連絡はないかと思った、と笑った。


「連絡くれって言ったのは玲良さんでしょ?」


 聡が言うので、そうね、と返す。彼とまた、心から笑いあえる日が来たりするのだろうか。聡の本心を聞いてからそう思うようになっていた。だがそれと同時に、彼とよりを戻すことはないとも思っていた。結局二人の関係を繋いでいたのは初音の存在であり、その彼女がいない今、自分達が繋がることはないのだ。そして、今調べていることが解決してしまえば尚のことだ。二人を繋ぐものは何一つとしてなくなる。


「何か分かったの?」


 聡の質問に玲良は思考を戻した。


「少しね。もしかしたら、もう調べてるかもしれないけど」


 玲良は言ってから鞄から古い週刊誌を取り出した。そして目的のページを開く。聡がそれを興味深い様子で覗いてきた。


「これ、覚えてる?」


 そこに書いてあるのは、とある未成年俳優が喫煙をしたうえ、乱交パーティを開いていたという記事だ。その俳優は前年にヒットした映画の主演でデビューし、実力も高くかなり評価された少年だ。名前は立花裕也。


「んー、こういうのには疎いから……」


 聡の答えは予想通りのものだ。聡のように芸能関係に疎くなくとも直ぐに忘れ去られてしまうようなこと。でも彼はこの記事が出た為に事務所を解雇になり、事実上引退という形になった。そして二度と芸能界には復帰していない。


「彼は実はこんなことをしていなかったのよ。そして、このネタを流したのは柳さんだった。柳さんの娘さんが彼と付き合っていたらしいの。その頃から娘さんの奇行が始まったらしく、柳さんはそれを彼のせいだと思ったみたい」


 だから、こんな嘘の情報を流したのだ。彼の人生を駄目にする為にこんなことをしたのだ。

 聡にその内容を全て伝えると珍しく表情を歪ませた。彼はいつもにこやかな表情をしているタイプで、こうして表情を歪ませることはまずない。それほどまでに怒りに近い感情を抱いているのだろう。

 誰だってこのことをいいことだとは思わないだろう。どんな理由があろうとも人の人生を狂わせるのは決して許されることではない。


「それでね、彼の本名は浜山保、というのよ」


 聡はその名前に目を見開いた。立花裕也の引退後を追うことくらい簡単だった。週刊誌の記者の知り合いに聞けば直ぐに分かることだ。彼らは引退後の元芸能人すら飯の足しにするような人種なのだから。


「知ってるわよね」


 玲良は聡が頷くのを確認した。




「……そういえば」


 紘奈が長い睫毛を伏せて口を開いた。


「はい」


 聡は紘奈がその時のことを思い出すのを待った。


「ちょっと待って下さい。引っ掛かることがあったのは確かなんです」


 紘奈は言いながらメモ帳を捲った。浜山保に話を聞いたのは桜木と紘奈だが、桜木は先日特に怪しい住人はいなかったと言っている。なら、桜木に聞くより紘奈に何か気付いたことがないか訊いたほうがいいと思ったのだ。


「ああ、これです」


 紘奈はメモ帳を捲る手を止めると同時に大きな声を出した。


「桜木さんが気にしてる様子がなかったので、特に報告はしなかったんですけど。浜山さん、会ったことないと言いながら柳川さんのことおっさん、て言ってたんです。気になって書き留めておいたんですが、後から考えたら他の人とかに聞いたのかなって」


 それはない。浜山はまだ越してきて日が浅いし、彼の仕事は深夜帯の為、他の住人と顔を合わせることはまずないだろう。だとすれば、浜山は柳川がそこにいると知って入居してきたのだろう。彼を殺して、自分の人生を滅茶苦茶にされた復讐を遂げたのだ。


「一緒に来て下さい」


 聡が言うと、紘奈ははい、と返事をした。



 扉をノックすると、浜山は眠そうな顔を覗かせた。無精髭は汚ならしく、髪もぼさぼさだ。きちんとしていればかなりの男前のはずなのにその面影は一切ない。


「お、この間のおねえちゃんじゃん」


 浜山は厭らしい笑みを浮かべて紘奈を見た。


「ここに入居されたきっかけ、お伺いしてもよろしいですかね」


 聡は紘奈の前に立ち、警察手帳を掲示した。こうしないと刑事であることを疑われるからだ。


「は? そんなこと訊いてどうすんだよ」


 浜山はあからさまに嫌な顔をした。


「出来れば、署まで一緒に来て頂けますかね?」


 聡が言うと、浜山は舌打ちをした。




 浜山はだらしなく足を投げ出して座っている。人を一人殺したというのに何と横柄な態度だ。


「たまたま知ったんだよ。あいつがあのアパートに住んでるって」


「たまたま?」


 偶然そんなことを知ることがあるはずがない。


「職場で話してたんだよ。元キャスターのあいつがあそこに住んでるって」


 その情報を彼の耳に入れることからが仕組まれたことなのだろう。


「俺、あいつのことずっと恨んでたからさ。隣に住んで脅かしてやろうと思ったんだ。でもあいつ、俺のことなんてすっかり忘れてやがった。だから、つい……さ」


 つい、人を殺すなんてあっていいはずがない。だが彼もまたユダに背中を押されたのだ。わざわざ、殺人という舞台を作られた。

 何のために?

 聡の頭にはそれが浮かんだ。水嶋崇を殺させればそれで終わりではなかったのか。何故、その人間達を殺していくのか。

 ……一体、ユダは何をしているのか。

 聡は途中から浜山の話が耳に入っていないことにも気付かなかった。

 


 事件が解決してもすっきりとした気分になれないのは今に始まったことではない。でもその想いは今まで以上に強かった。殺したいなら、自分の手を汚せばいい。いや、人殺し自体許すまじきことではあるが、それを他人に押し付けるなど更に人としてあるまじき行為だ。


「浮かない顔ですね」


 いつの間にか隣には美琴がいた。いつも通りの美しい顔。


「打ち上げ、行かれないんですか?」


 美琴の問いに聡は一瞬迷った。だが、捜査中の場以外でも彼らを見ておきたい。そういった考えから、聡は行きます、と頷いた。

 探るつもりが信じたくなっている。

 自分の大切な仲間の中にそんな卑劣なことをする人間がいるはずないと確かめる為に彼らの行動や言動に注目しているのではないか。聡自身それは分からなかった。見付けたいと願いながらも、見付かって欲しくないと思う。ユダは全く別の誰かだと思いたい。


「あ、辻木さん来た」


 署を出ると、門扉の処には紘奈と桜木、そして笹木が待っていた。


「お待たせ」


 美琴がそこに髪を靡かせて加わる。

 ……この中に今回も無事に殺人を終了したと喜んでいる者がいるのか。




 三谷は下を向いたまま、小さく笑っている。


「俺のことを今更知りたい? 勘弁してくれよ」


 その口調に過去の彼の面影はない。美琴は微かに眉をしかめた。


「俺は、俺の意思であの子を殺したまでだ。例えそれが復讐だったとしても、それも俺の意思だ。何かのせいにするなんて、勘違いも甚だしいんだよっ」


 三谷が大きな声を出すと同時に看守が素早く立ち上がる。だが大声を出したで動きを見せる気配はないからか、看守はまた椅子に座った。


「そんなことがなければ復讐なんて馬鹿な真似はしなかった。そう思いたいのか?」


 三谷は硝子越しの美琴に顔を近付けた。すぐ前に、三谷の誠実そうに見える顔がある。

 昔、何度なくこの距離で愛を囁き合った。目前にある硝子が、何とかその過去に引き戻されるのを止めてくれる。彼にはもう僅かな愛情も持ってはいない。それでも一度抱いた感情が呼び起こされるのは簡単なことなのだ。


「君に話すことなんて、何もないんだ」


 三谷はゆっくりとそう告げた。


「君が俺を分かったことなど、ただの一度もない」


 そう言った三谷の表情が悲しそうに見えたのは気のせいか。


「……また、来るわ」


 美琴は視線を逸らして呟いた。




「何を調べてるの?」


 その声に紘奈は肩を震わせた。そして、そろりと背後を振り返る。


「……何だ、桜木さん」


 後ろで微笑む桜木の姿に紘奈は安堵した。


「誰だと思った?」


 桜木はくすりと笑いながら紘奈に近付いてきた。


「いや、声が少し笹木さんに似てたので……」


 そんなふうに思ったことは今まで一度もなかったのに、何故か重なって聞こえたのだ。考え過ぎている証拠だろうか。


「そっか」


 桜木はそう答え、もう一度微笑んだ。


「じゃあ、帰ります」


 紘奈はパソコンの電源を落とし、立ち上がった。


「お疲れ様」


 桜木の声が背中に届き、紘奈は振り返ってお疲れ様です、と返した。

 人の少なくなった廊下は夏に入ったばかりというのにひんやりとした感じがする。人の心もそんなものだと思う。

 表面は温かく感じても、内部は何処かひんやりと冷たい。だから、それを温めるように誰かを求めたり、何かにすがったりする。でも、そこにあるのは必ずしも温もりとは限らない。そこから憎悪を生み出すこともある。

 結局、この世に蔓延るのは愛情が変貌した憎悪ばかりなのかもしれない。





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