化け者交流会談記ES6
『それじゃ霊能はん、7日には帰るどすえ。その間、ケロちゃんの世話頼んだどすえ』
「‥‥‥?」
敷居から腰を上げ、振り返りながらそう告げたさっちんの言葉に、霊能は首を傾げる。
『僕は明後日には帰るようにするよ。あ、予め言っておくけど、お土産を期待しても無駄だからね』
続いて同じように靴をはき終え、立ち上がる蘇我。
さらに困惑した様子を見せながら霊能は、
「ちょっ、待て待て。お前らどっか行くのか??」
『は?何言ってるの?里帰りに決まってるじゃん。お正月だよ?』
『そうどすえ』
霊能の問いに対して、何を寝ぼけたことをと言わんばかりの表情で、蘇我とさっちんは頷いて見せた。
しかし、あまりに唐突な出来事に事態が全く飲み込めない霊能は、
「いやいやいやいやいやいや!!お前ら帰るって実家ねぇだろうが!!」
『はぁ?実家ぐらいあるよ。何言ってるの?』
『当たり前どすえ』
「いやだってお前ら人間じゃね―――」
『あっ!さっちん急がないと電車が!』
『あわわ!急ぐどすえ!』
『それじゃ霊能!良いお年を!』
「オイちょ!まだ話は終わってねぇぞ!」
霊能の言葉も無視して、慌てて玄関を飛び出す蘇我とさっちん。
一人残された霊能は、大きく深呼吸したのち、
「つーか今何月だと思ってんだよ!!!!」
誰もいない家の中で、独り奇声を上げた。
ちなみに今はもう四月である。
番外編:霊能太郎と門松
元旦。
めでたくもあり、めでたくもない、一年の始まる日。その日は誰も彼も浮き足立って、街中が陽気な雰囲気に包まれる。帰省して来る人、帰省して行く人、人の流れも様々で、霊能宅でも今し方蘇我とさっちんが実家に帰って行った。
一人取り残された霊能だが言うほど落ち込んでおらず、むしろ久々の一人を満喫する気構えを持ち合わせていた。ピザを頼み、寿司を頼み、ゲームに、マンガに、無駄使い。そうして独りの気ままな元旦は過ぎていったのである。
元旦翌日。
つまり1月2日。正午。蘇我が帰ってくるまであと約24時間を残して霊能は、リビングの隅で独り、プチプチする包装紙を無限にプチプチしていた。
「3258、3259、3260、ああ、誰か早く帰って来ねぇかな‥‥‥‥、3261」
数を数えながら無限にプチプチをプチプチするその姿は、見てて切ない。なぜ彼はプチプチの世界に身を投じてしまったのだろうか。その理由は実に明白。寂しさが霊能のキャパシティを超えたのである。
だが霊能も、何も最初からプチプチに走ったわけではない。
2日の午前中、つまりほんの二・三時間前まで霊能は色々な人を訪ねてはみたのである。
まずは親友ゴンザレスの寺へ。だがしかし、
[正月は寒いんで、僧侶一同ハワイで過ごしますわ。ほなおおきに!]
「‥‥‥‥」
という貼り紙が貼ってあっただけだった。
だがこんなことで諦める霊能ではない。続いてくっちーのコンビニへと足を伸ばす。が、
[コンビニだけどお正月は休むわ。文句は死んでから言いなさい]
「‥‥‥‥」
と、またしても貼り紙。心に10のダメージを負うが、めげずに佐悟さんの池へ。だがやはり、
[古池や、河童飛び込む、水の音。ドボン。不在]
「いや意味分かんねぇし‥‥‥」
立て看板に貼り紙。
満身創痍になりながら、元旦で賑わう繁華街を独り歩いていく霊能。その足取りは重くぎこちないが、自然とある方向に向いていた。そう、最後の頼みの綱、始まりの場所へと‥‥‥。
『で、俺んとこに来たわけか?』
「あ、赤青さん‥‥‥」
感動のあまり涙目になる霊能。
彼の向かった先とは学校。妖怪トイレの赤紙青紙の巣くう男子トイレである。
手の甲で涙を拭い、満面の笑みを浮かべる霊能だ、が、
「流石俺の親友!赤青さんならいてくれると思ったぜ!!」
『だーれが親友だコラ!勝手に決めんな!‥‥‥‥それとな、感傷に浸ってるとこ悪いが俺も今から出かけるところだ』
「なん‥‥‥だと‥‥‥!?‥‥そ、それで俺の親友か!!」
『だから親友じゃねぇよ!てめぇが勝手に決めたんだろうが!ま、そういうわけで俺も忙しい、今日はもう帰れ』
とまぁ結果的に赤青さんも、そのままいなくなってしまったのである。
途方に暮れつつ家に帰った霊能を待ち受けていたのは『バウ!(地獄に帰るぜ。三日には戻る)』の三文字だった‥‥‥。
こうして霊能の孤独な2日目が始まり、寂しさを紛らわすためにプチプチの世界に身を投じたのである。
「3625、3626、3627、はぁ、マジ誰でもいいから帰って来てくれよ。ハムスターは寂しいと死んじまうんだぞ!」
とその時、霊能の願いが通じたのか、玄関のチャイムが鳴り誰かが帰って来た。
喜びで跳び上がり、大急ぎで玄関へとかけて行く霊能。
素足のまま土間へ降り、勢いよく扉を開ける。そして、
「おお!太郎!大きくなっ―――」
バタン!!
開けたときの三倍の早さで扉を閉めた。同時に鍵もかけている。
「ふぅ、危うく新年早々閻魔に挨拶しに行くとこだったぜ‥‥‥」
手の甲で額の汗を拭い、落ち着いた足取りでリビングへと戻っていく霊能。
リビングの戸を開け中に入ると、
「太郎!久しぶりじゃの!ほれ、そんなところで突っ立っとらんで、こっちに来て座りなさい。お年玉を上げよう」
「一郎や。少し見ない間に随分と背が伸びたねぇ。おせち食べるかい?」
リビングでは、二人の老夫婦が不思議なくらい自然な形でソファーに腰掛け、霊能を出迎えていた。この二人は誰なのかというと、
「いやなんで極自然な感じで出迎えてくれてんだよ!爺ちゃん婆ちゃん!」
そう、霊能の祖父母である。
「つーかどっから入った!?」
「どこからも何も玄関からじゃよ。なぁ婆さん?」
「はい。そうですよ」
「玄関って!俺すげー早く扉閉めたんだけど!!」
「開けてから閉めるまでにコンマ数秒あったろ?」
「その数秒に入ってお茶まで淹れたのか!?すげーなあんたら!!」
「こら、一郎や。目上の人に対して、あんたらとは何事ですか。そんなにも口が悪くなってしまったなんて、お婆ちゃんは悲しいよ」
「婆ちゃんはいつになったら俺の名前を覚えてくれんだよ!!俺一郎じゃねぇから!太郎だから!」
「こら、一郎や。あまり大きな声を出すんじゃありません。はしたない」
「だーかーらー!!俺は太郎だって何度言ったら!!‥‥‥ってはぁ、もういい疲れた」
深いため息をつき、とぼとぼとソファーへ歩み寄っていく霊能に、
「あ、太郎。言い忘れたが―――」
「は?」
祖父が何やら言おうとしたところで、
ガコン
「え?‥‥うぉぉおおおぉぉぉ‥‥!?」
リビングの床が突如として抜け落ち、深さが数百メートルはあるであろう落とし穴が口を開けた。当然その上に立っていた霊能は真っ逆様に穴のそこへと落ちていく。流石の霊能も空を飛ぶスキルはまだ持っていないのである。
「言い忘れたが落とし穴があるでの。気を抜くでないぞ」
穴の底から「言うの遅ぇーよ!」という声が、こだましながら登ってくる。
数分して、ようやく霊能は穴の縁より顔を見せた。あの霊能で“数分”とは、いったいどれだけ深い落とし穴なのか。そしていつの間に掘ったのかという疑問には、この際触れないでおこう。泥を払い落としリビングへと上がる。
祖父に詰め寄ることもなく、警戒心MAXで身構える霊能。
「当然これで終わりじゃねぇな、爺ちゃん?」
「当たり前じゃ。家中にもう千ほど仕掛けておいた。名物の王水落とし穴もあるぞ。それに今日は正月。落とし魂なんてのもある」
「つーか人の家を勝手に改造すんじゃねぇよ!!!」
「加えて今回は新たに、まぁ月並みじゃが自爆装置なんてのもつけといたぞ」
「もっといらねぇよ!つーかオチ見えた!!」
「安心せい、自爆装置のスイッチは比較的分かりやすくしておいた」
「ってのは‥‥?」
「テレビのリモコンがあるじゃろ?その左上の赤いスイッチが電源ボタン。右上の紅色のスイッチが自爆ボタンじゃ」
「オイィィイイイイ!!!分かりやすいけど果てしなくあぶねぇぞオイ!!?ついうっかり♪で笑えねぇよ!!」
「他にも色々あるが、あとは見てのお楽しみじゃ。頑張れよ太郎」
「は、ハハハ‥‥‥。勘弁してくれよ爺ちゃん‥‥‥」
顔は笑っていても、心は全然笑っていないということは、言うまでもないだろう。
その後霊能は、リビングに仕掛けられた約九つのトラップをなんとか回避し、祖父たちの向かいのソファーに腰を下ろした。テーブルの上に置かれたせんべいに手を伸ばしつつ霊能は、
「それで何の用事?親父ならまで帰って来てねぇぞ」
「可愛い孫娘に会いに来るのに理由がいるんですか?」
「婆ちゃん‥‥‥可愛い“孫娘”なら理由いらねぇかもしれねぇけど、残念ながら俺男だから!!ついに婆ちゃんボケた!?」
「まぁまぁ太郎、気にするな。婆さんは昔から天然なんじゃ。ま、そこに爺ちゃんは惹かれたんじゃがな」
「いやですよ。この人は」
ハッハッハッと高らかに笑う二人の老人。
右手のせんべいを一口頬張りながら霊能は、この茶番が早く終わることを待ち望んでいた。
だが、望んだ通りにいかないのが現実というものである。特に、偏見かもしれないが、老人は懐古主義になりやすいものだ。
「婆さんと初めて出会った日のことは今でも覚えとるぞ」
祖父の、どーでもいい昔話が幕を開ける。
「確か‥‥‥今日みたく天気のいい日じゃったよ」
「雨の降るジメジメした日でしたよお爺さん」
「覚えてねぇじゃねぇか!」
せんべいのカスが中を舞う。
「それで爺ちゃんが仕事に出かけようと家を出ると、ちょうど婆さんの自転車が家の前でパンクしとっての」
「仕事帰りにぐでんぐでんに酔っ払ったお爺さんが、私の家の前に寝てたんですよ」
「爺ちゃんのカックイイ姿に、婆さんは一目惚れしてしまったんじゃな。それから二人はプラトニックな付き合いを数年したのち結婚したんじゃ」
「酔ったお爺さんを介抱してるうちに私は強く惹きつけられてしまいましてね、いわゆるナイチンゲール症候群というやつですよ。そしてある時、お腹に赤ちゃんがいることが分かって、結婚する羽目になったというわけですよ」
「どの辺がプラトニック!?昭和一桁にできちゃった婚って!あんたらどんなけ時代を先取りしてんだよ!!」
ハリセンへと伸びる右手を必死で押さえつける霊能。普段ならすでに二・三発はお見舞いしているところだが、今日はなんとか耐えている。
「あれれー?おかしいのぉ。そんな出会いじゃったか?」
「私ははっきりと覚えてますよ」
「ま、そうじゃったかもしれんな、細かいことは気にするなハッハッハッ」
「細かくねぇよ!100%捏造じゃねぇか!!!」
「失敬な!婆さんと数年付き合っていた話は真実じゃ!」
「それは当たり前だろ!?デートもなしに結婚したなら、それはそれで問題だろうが!!」
「デートか‥‥‥懐かしい響きじゃ。ナガシマスパーランドに、富士急ハイランド、ソープランド。よく行ったもんじゃ」
「最後だけ明らかにおかしいんだけど!!‥‥‥つーか爺ちゃん。釘バット取りに行った婆ちゃんが戻って来る前に逃げ―――」
苦笑いしながら助言を入れる霊能だったが、時すでに遅く、
「ん?どうした?婆さグァァァァアアアアア!!!」
淡いクリーム色のソファーは、年老いた男の鮮血で真っ赤に彩られていった‥‥‥。
~一時間後~
「はっ!爺ちゃんはいったい‥‥‥」
床に転がっていた屍、もとい祖父が目を覚ます。
ソファーに腰掛け、みかんの皮を剥きながら霊能は、
「あ、爺ちゃん生きてたんだ」
「おや、お爺さんもう起きてしまったんですね。では‥‥‥」
よっこいしょと思い腰を上げ、祖母は再び右手に釘バットを構える。
ところで、霊能祖父の弱さに疑問を抱く人がいるかもしれない。
実は霊能一族の血を引いているのは、祖父ではなく祖母の方である。詰まるところ霊能祖父は婿養子なのだ。
ちょっと説明を挟んでいる間に、祖母はゆっくりと祖父に近づいて行き、
「ま、待ってくれ婆さん!誤解じゃ誤解なんじゃ!確かにソープには行った!じゃがのっぴきならない事じょうグァァァアアアアア!!!」
再び床が真っ赤に染まった‥‥‥。
再び祖父が目を覚ましたとき、辺りはすでに真っ暗で、すっかり夜になってしまっていた。
祖父が起きたのを見計らって、祖母がキッチンで鍋の支度を始める。
午後7時を少し回った頃に夕食の準備は整い、三人はキムチ鍋で冷えた身体を温めた。
◇
「この街も、ずいぶん変わったな‥‥‥」
夕食を終えた祖父母はベランダへと出て行き、真冬の星空の下、夜の左ヶ西町を望んでいた。
「婆さん。寒いじゃろ、これでも羽織りなさい」
「すみませんね」
祖父は着ていた半纏を脱いで、そっと祖母の肩にかける。
ちなみに霊能は今、キッチンで夕食の後片付けをしているのでここにはいない。
祖父は不意に夜空を見上げて、
「昔は星空ももっとよく見えたもんじゃが‥‥‥」
「そうですね。私が若かったころは50等級くらいまでは見えましたからね。今は空が明る過ぎますね」
「婆さん、それは見え過ぎじゃ」
ちなみに世界最高の天体望遠鏡でも31等級が限界である。
「今はそれほどでもないですよ。飛んでいる飛行機の窓の数さえ、数えられなくなってしまいましたから」
いったい何をどうしたら肉眼で飛行機の窓の数が分かるのだろうか。
「ハッハッハ、婆さんにはかなわんな。まぁ俺も最近、北斗七星の傍らに輝く星が見えるようになったが」
「お爺さん。それは見えてはいけない星ですよ」
「ハッハッハ、冗談じゃよ冗談」
「悪い冗談は‥‥止めて下さいね‥‥‥‥」
「‥‥‥‥すまんかったな。そろそろ‥‥‥帰るか」
夕食の片付けを大方終わらせ、
「爺ちゃん婆ちゃん、雑煮作ったから食お‥‥う‥‥‥?」
霊能が部屋の中からベランダへ顔を出すと、
「あっれ?いねぇし」
もうそこに二人の姿はなかった。
もう一度ベランダを見回し、二人が本当にいないのを確認した霊能は窓を閉め鍵をかける。
「二人ともどこ行ったんだ?‥‥‥ん?」
不審に思いつつリビングの中を見渡していると、テーブルの上に一枚のメモ用紙が置かれているのが目に留まった。
手に取り読んでみる。
[太郎へ。
爺ちゃんと婆さんは家に帰る。いきなり押しかけてしまってすまんかったな。爺ちゃんは久々に太郎に会えて嬉しかったぞ。一郎にも元気でやれと伝えといてくれ。太郎も元気でな。爺ちゃんより]
[一郎へ。
大きくなった一郎に会えて私はとても幸せでした。お婆ちゃんは帰るけど、困ったことがあったり、辛いことがあったらいつでも言いなさい。私はいつまでも一郎の味方です。身体に気をつけて。良いお年を。お婆ちゃんより]
「婆ちゃん‥‥‥俺、太郎だって‥‥‥」
家族の温かさ心打たれ、微かに微笑む霊能。だ、が、
[P.S.]
「ん!?P.S.!?」
[家のトラップは仕掛けたままじゃ。それから自爆装置は深夜0時ちょうどに爆発するで。ま、頑張るんじゃな。爺ちゃんより愛を込めて!]
「愛を込めてじゃねぇクソジジィィィイイイイ!!!0時って、あと二時間ねぇじゃねぇか!!!」
こうして霊能の祖父母は嵐の事く現れ、そして去って行ったのである。
ちなみに霊能は、この後一晩かけて残りのトラップ類を解除したそうな。
~翌日。正午~
疲れ果てた霊能がソファーで寝ていると、
『ただいまー。霊能ー。今帰ったよー』
ガチャっという玄関の戸が開く音がし、蘇我が実家から帰って来た。
ところで、ここに来て蘇我の実家がどこなのだろうという疑問にぶち当たったわけだが、この際深くは考えないことにしよう。
『霊能ー。いないのー』
蘇我の呼び声で霊能は目を覚ます。身体をよじりっているとソファーから落ちた。
「っつ‥‥‥、なんだ‥‥?うるせぇなぁ‥‥‥」
霊能が重いまぶたを開け立ち上がろうとしたちょうどその時、蘇我がリビングに入って来て、
『あ、霊の―――』
ガコン
『え?‥‥‥うわぁぁあああぁぁぁ‥‥‥!!』
落とし穴に落ちていった。
「あ、まだ残ってたか。悪い悪い、蘇我ー大丈夫かー?」
『うわぁぁあああ溶ける!!溶けるぅぅううう!!!』
しかもお馴染みの王水バージョン。それにしても蘇我は、よくトラップにかかる幽霊である。
「あー、まぁ頑張って上がって来い。俺は二度寝する」
そう言って再び眠りに入ろうとした霊能の頬を、冷たい真冬の風が駆け抜けて行った。
「う!なんだよ‥‥‥。寒ぃな」
頭をかきむしりながら起き上がり、窓際へと歩いて行きく霊能。半開きになった窓を閉め、再び鍵をかける。
『溶け‥‥‥溶け‥‥‥る‥‥‥』
長閑な1月3日はこうして過ぎていく。
完