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短編

ヒノトリ

作者: awasiki

右足首を骨折した。

入院先である釧路北病院は過疎化のため同年代の人種は存在せず、僕は暇を持て余していた。

老人ホームに囲まれた総合病院に高校生と話の合う人なんて期待するだけ無駄だ。唯一の救いと言えば釧路北病院は全室個室のため老人たちの話に無理矢理つき合わされなくて済むという点。

できる限り部屋に引きこもり、外に出るのは最低限の自販機とコンビニの移動程度。そんな怪我人とはいえ不健康な生活を送っていたためかついには看護師からお達しが出たのだ。

引きこもってニートになるなんて時間がもったいない。青春を謳歌しなさい青春を、とか無茶苦茶な考えが僕を巻き込んで、僕はある個室へと行くように命じられた。骨折した理由も趣味の山登りで足を滑らせてといったものなので、生来アウトドアな僕は快くそのお達しを受け取った。

釧路北病院にある人の往来の少ない上階部。景色の良さだけが取り柄の様な個室。人気がないというのではなく、人の往来が少なく活気がないのだろう。

見舞客も最早訪れず、入院患者も出歩かず、病院関係者も頻繁に往診しない。人の往来が絶えた一角にその個室はあった。

右手で操ってきた松葉杖を一旦左手に抱え、僕は二回のノックの後病室のドアを横へスライドする。

最初に視界へ飛び込んできたのは圧倒的な数の本だった。

絵本、文学、小説、画集、果ては医学書に六法全書。ありとあらゆる本が所狭しと並んだ本棚にすし詰めにされている。

床が抜けそうな部屋の中、ただ窓際に置かれたベットだけがここが病室だと語っている。

真っ白な病室のベッドの上には、真っ白な肌をした少女が上半身だけ身体を起こして本を読んでいた。

歳は僕よりも少し下に見える。彼女は僕の入室に気付いたのか本から目線を僕へとずらした。

「何か用ですか?」と、どこか消え入りそうな雪の様な声音で彼女は僕へ問いかけた。

僕はその返答に咄嗟に答えが出ない。看護師に言われてやってきたなんて本心は言いづらい。

しかし彼女はそれすらも見越したようだった。彼女自体は看護師の無茶ぶりには慣れているに、動揺もせず僕を部屋に招き入れた。

足を踏み入れた病室は予想通り本で埋まっていた。彼女はベットから起き出し、慣れた様子で本棚の間からパイプ椅子を取り出してベットの前に広げた。

そして、彼女はその手に持った大判の図鑑を閉じて自分の名前を告げ、僕の名前を尋ねたのだった。




結果として、看護師の思惑は大成功を収めた。

僕が彼女の病室に初めて足を踏み入れてから早2週間が経った。その間僕は足繁く毎日彼女の部屋へ赴き、その大半は彼女と一緒に過ごした。

最初の一週間は主に彼女の部屋で過ごした。

彼女は唯一本に浸食されていないベッドから身を起こし、僕は本の中のパイプ椅子に座って、他愛もない会話をした。

彼女が無類の動物好きであること。僕が最近山登りに凝り始めたこと。彼女の最近読んだ本のこと。僕には中学生の妹がいること。彼女にも一人の妹がいること。

特に彼女が妹よりも辛うじて年下であることを知った時には驚いた。

言われていれば話の所々で幼い部分が見え隠れするが、僕よりも遥かに膨大な知識を有していたのでてっきり年上だと思い込んでいた。

「本ばかり読んでるからね」というのは僕が驚嘆をあげた時の彼女の談だ。

特に彼女の読書と知識は動物に偏っていた。彼女の蔵書の内半分近くは動物について書かれたもので、後になって知ったことだが、初めて出会った時に呼んでいたのも動物図鑑だったそうだ。

其の動物図鑑は中でも特にお気に入りで、彼女は頻繁に手にしている。某動物専門衛星放送を見ている時でもその図鑑で広げ、書かれている文章よりも詳しいことを僕に説明するのだった。

次の一週間は彼女の部屋の外へ出た。

無事に足の石膏が外れ、松葉杖がなくても歩けるようになったからだ。しかし快方に向かう僕とは逆に、彼女の容体は芳しくなく僕が彼女の部屋に訪れても空室であることが多かった。そういう時はリハビリも兼ねて外出許可を貰い病院の近くを散歩した。

もちろん彼女がいる時は部屋で雑談し、時には病院の中を散策した。

一度は一緒に外出許可を取り、病院の外を歩いたりした。といっても過疎の進むこの釧路には特別面白い場所もなく、病人が寄れるようなところは精々コンビニが関の山だった。

それでも彼女はとても楽しそうだった。コンビニの陳列棚に目を輝かせ、コピー機に奇異の目を光らせ、ICカードの買い物に目を丸くした。住宅地を歩き回って彼女の好奇心は留まる事を知らなかった。

「コンビニってこんなに便利だったんだ」というのは彼女が病室に入るなりイの一番に言った言葉だ。そして僕が彼女の内の悲しみの機微を初めてはっきりと感じ取った言葉だった。

その日の夜、僕は彼女の話を聞いた。彼女の幻想の様な俄かには信じられないニセモノの様な話を聞いた。

彼女が入院している理由。彼女が読書ばかりしている理由。コンビニに目を輝かせている理由。2週間の間、彼女の親族とたった一度たりとも出会わなかった理由。彼女が生まれてからずっと闘病生活を続けている理由。

彼女はありとあらゆる点で幻の中で生きるニセモノだった。

生まれながらにして安静を唱えられた彼女はニセモノの中でしか生きることができなかった。本の中のニセモノの世界しか知らず、彼女の両親と妹もニセモノの世界の世界に入ってくることはない。

彼女はニセモノお世界しか知らず、ニセモノの世界に生きる他なかった。

「ごめんなさい。」彼女の半生が語られ終わると、彼女は僕へ謝った。ここ一週間ほど僕が彼女の病室を訪れた時居留守を使っていたらしい。

ニセモノの世界で一緒になった僕がいち早くニセモノの世界から脱却してしまったから、彼女は僕と顔を合わせたくなかった。このままニセモノの世界で生き続けて欲しいと不幸を汚く醜く願った彼女は僕に合わせる顔がなかったから。

せめて笑顔で別れられるように、せめて笑顔で手を振って上げられるように、せめて笑顔で送り出してあげられるように、彼女はニセモノの顔を演じながら僕と再会し談笑していた。

そんなニセモノだらけの生活ももう終わる。彼女の病室が空だったのは全て居留守と言う訳ではなかった。実際に彼女の病状は悪化の一途を辿り、このままだと彼女の闘病生活もそろそろ終わる。彼女は得意の作り笑顔でそう僕へ告げた。

ただ、それでも僕は今日の彼女の嬉しそうな顔をニセモノだと思えない。この2週間彼女と過ごした時間をニセモノとは思えない。

「ねぇ」と僕の声かけに彼女は顔をあげる。

「明日、連れて行きたいところがあるんだけど」




体内から吐き出される呼気が、零下近い外気に触れ一瞬で白へと配色される。

春先とはいえ地面には薄らと雪が張り付き、まだ少し肌寒く少し歩きづらい。

葉のない蝦夷松はいまだ白い衣装を着込み、南陽の光が地面や森林を余分に照らす。

「もう少しだよ」と僕は背中に負ぶさる彼女へと声をかける。

防寒具を着込んだ彼女が必要最低限の素振りで答えたことを確認すると僕はまた山道を歩きだした。

培ってきた山登りの経験は入院生活でもさほど衰えてはいなかったようだ。彼女が年齢よりも遥かに小さな事もあったが、完治していない足で人一人背負っても簡単なハイキングコースなら登れる。

僕は骨折による鈍痛より、寒さによる鋭痛を感じる足をゆっくりだが確実に進める。少しずつ勾配が急になり、蝦夷松が立ち並ぶ間隔が広がり始めた。

急になった勾配で山道の先が視界から見切れる。蝦夷松の隊列が左右に開きそこから光が舞い込む。

山道の頂上、国道53号線の行く末で蝦夷松の門をくぐると、僕と彼女の瞳に莫大な世界が飛び込んできた。

開けた視界。地平が山裾に消えていく様子まで見果たせる灰色の荒涼な大地。葉をつけない高山植物が荒々しくも雄大な世界を形作る。

灰と灰と灰とほんの少しの緑の世界は、地球上の他のどの場所も隔絶し完結していた。

その中心。灰色の大地のその真ん中に白い一羽の鳥がいる。首と羽の先だけが黒く、他は全て純白な雄大な鶴。

釧路湿原を代表する丹頂鶴は灰色の世界の中でただ一羽。他のどんな制約にも囚われず優雅に佇んでいる。

ただ何もせず佇んでいる。しかしそれだけでも、丹頂鶴ははっきりとその存在を示し、自分がただ唯一の存在なのだと主張する。

僕は何も言わず、何も言えず、ゆっくりと彼女を背から下ろす。

彼女も何も言わず、何も言えず、自分の力だけで立っていた。

何にも依らず、何にも拠らず、彼女は彼女だけで完結し完成していた。

その時の彼女の顔は、ただただ、この上なく美しかった。




僕が折れた骨でのハイキングを刊行し、両親と担当医と看護師の雷に直撃してから二カ月が経つ。

それは同時に、彼女が釧路北病院から除籍されて二か月ということも指す。

僕は黄金週間を利用し、遥々釧路から札幌へと出てきていた。

釧路生まれ釧路育ちである僕は根っからの道産子だが札幌に来ることは初めてだった。その第一印象は人人人。何人もの人が忙しそうに退屈そうに歩いている札幌なら釧路と違ってなんでも揃うのだろう。だからこそ、僕は札幌に来ていた。

駅前のホテル日航札幌内に位置する大型書店に入り目標物を捜索。すぐにそれは見つかったが、一度手に取り少し逡巡して止める。

すぐ目の前にある大型家電量販店へと入り、予算的な問題込で一万円の消費活動を行う。少し安いが学生ならこんなもんだ。

歩ける距離だが迷子防止にバスターミナルから63番のバスに乗り5分ほどで目的地に到着。受付で部屋を聞いてエレベーターで移動。

右手に持っていた紙袋を一旦左手に抱え、僕は二回のノックの後病室のドアを横へスライドする。

最初に視界へ飛び込んできたのは圧倒的な数の本ではなく、本の少ないすっきりとした病室だった。

もう彼女に本は必要としないからだろう。

ここ札幌は釧路と違ってなんでも揃うのだろう。図鑑も、デジカメも、釧路では到底見込めない治療法も。

僕が入ってくるなり向けたその笑顔は、僕が入ってくるのを見て嬉しそうな彼女は、まぎれもなくホンモノだった。

恋愛っぽい小説は普段書かないので顔真っ赤。

あぁ、こっ恥ずかしい・・・


ちなみに「コンビニってこんなに便利だったんだ」とはとある友人の談

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