溺愛保証の媚薬を入手したら
「あなたのとりえは、若さだけ」
お母様にそう言われた私が手に入れたのは、「溺愛保証の媚薬」!
これさえあればきっと、氷の公爵様も振り向いてくださる! ……のよね?
◇ ◇ ◇
その噂を聞いたのは、某伯爵家のパーティーで、私が相変わらず壁の花になっていた時のこと。
「まあ、それではマリアンヌ様が子爵令嬢でありながら侯爵家と縁組をされたのは、本当にその媚薬のおかげですの?」
「ええ、ご本人に聞いたのだもの、間違いなくてよ。
釣り合わない相手でも諦めきれずに、ガーデンパーティーでお茶にこっそり媚薬を入れて。ほんの数日で、侯爵様から求婚されたのですって!」
側のテーブル席で休んでいる方々の話が、偶然耳に入ってしまった。
「その占い師の話でしたら、私もほかの方からお聞きしましたわ。東二番街の奥にある、紫色のテントにいるのでしょう?
身分を隠して行ったのに占いで言い当てられて驚かれたと……でも、媚薬は誰でも買えるわけではないそうですわね」
「そうなの!
どんなに金貨を積んでも、売れない方には売れないと。条件があるそうなのですけれど、どういうことなのかしら」
――条件付きで売られる媚薬……つまりは、惚れ薬ということよね。
なんて胡散臭い。
その時はそう思ったわ。でも。
「あら、リゼット様もいらしたのね。ごきげんよう」
突然、話している中のお一人に声をかけられて。
「あ……、は、はい。ごきげんよう。失礼いたします」
話の輪に入れる気がしなくて、礼をすると急いで場を離れた。
後ろで、笑われているのがわかる。
――いてもいなくても変わらないのに、よくパーティーに来られるわね。
誰にもエスコートされず、お声がけもされないのに。
名門のラヴィニア伯爵令嬢とは思えないほど、あんなに地味なのですもの。
お母君の伯爵夫人は、お若い頃から大輪の薔薇のように華やかで、いつでもパーティーの主役だったと聞きますのにねえ……
わかっているわ。
お母様は娘の私から見ても、本当にお綺麗。輝くブロンドと、空のようなブルーアイをお持ちで。
私は金色というよりは赤毛に近くて、瞳はお父様に似た薄茶色。
ダンスも社交も苦手。
本が好きで、趣味は王立図書館通い。
だから、お母様にも言われるの。
「若さしかとりえがないのだから、縁談を決めるのなら早いうちになさい」
まだ十六歳だけれど、もう婚姻可能な年齢ではある。
お父様は「そう急がずともいいだろう」とおっしゃるけれど、きっとこのままでは行き遅れてしまう。
(釣り合わない相手でも諦めきれずに……)
釣り合わない相手。
図星をつかれた気がして、胸が痛む。
……こんなに冴えない私が、雲の上のお方に憧れているから。
帰宅した私が誰とも交流を持てなかったことを話すと、お母様には呆れられた。
すぐに部屋に戻って、寝る支度をしてメイドが下がってから、ベッドの中で今日の話を思い出す。
東二番街の奥にある、紫色のテント。
表通りからは外れているけれど、治安の悪い場所ではないわ。
(釣り合わない相手でも……)
――私、でも?
その薬を手に入れられたら、……あの方、と?
◇ ◇ ◇
メイドに私服を借りて、地味な服装で家を抜けだして。
来てしまったわ。
目の前には、紫のテントがある。
もしも、本当に。
いいえ、とにかく占ってもらうだけでもいいわ。条件がないと買えないという薬なのだから、私のような者が買えるなんて思わないことよね。
ゆっくりと、テントを捲る。
もう一枚、布が吊られていて、奥にぼんやりと光が見える。
「お客さんだね。こちらへどうぞ」
しわがれた声が聞こえて、びくっとなった。
――ここで怖気づいてどうするの。勇気を奮って、布の向こうへ入っていく。
灰色のフード付きマントを着た女性が、テーブルの向こうに座っていた。
丸いテーブルも濃い紫のクロスがかかっていて、その中央には銀色の台座に置かれた水晶玉。手前には、粗末な背もたれのない椅子がある。
「お座りなさい」
「ど、どうも」
椅子に座ると、フードの中のお顔が見えた。口元のシワからすると、領地にいるおばあ様と同じぐらいのお年かしら。
「ご用件は、恋愛運の占いかね」
「あ、まあ、はい。結婚……運、も」
「お相手は、お決まりで?」
「いえ……その。片想い……で、あの、無理だとは、わかって」
「ああ、いいよ。あとはこちらで見るから」
え、全然説明もしていないのに。いいのかしら?
「――なるほど。アルヴァレス・ド・クロシュタール公爵閣下か。あの方に想いを寄せるお嬢さんの多いことと言ったら、大したものだねえ」
「わ、わかるのですか!?」
思わず大声を上げてしまった。
畏れ多くも私がお慕いしている方は、アルヴァレス・ド・クロシュタール公爵様……通称、「氷の公爵」。
北部を治める公爵様は長身に彫刻のような整ったお顔立ちで、白銀の長髪とアイスグレーの瞳は近寄りがたくも目が離せない。
社交界で、あの方に憧れない貴族令嬢なんていないのだけれど、誰にも目もくれない。御年二十六歳で、降るような縁談もすべて断られている。王家主催やご友人のラッセル侯爵様に招かれたパーティーではお見かけするものの、お話なさるのは男性ばかりでダンスにも参加されない。女嫌いだと有名な方。
王立図書館で何度かお見かけして。
……一度、お話したことがある。
手の届かない場所にある本が読みたくて、近くに館員がいなかったものだから、一生懸命手を伸ばしていたら。
「こちらかな」
そうおっしゃって、公爵様が本を取ってくださったの。初めて聞いたお声は低くて静かで、でも魅惑的で。夢かと思ったわ。
ただ、やっぱりいつも通りの無表情。ありがとうございます、と頭を下げて逃げるように帰った。
話したのはそのたった一回。だけど、私にはその時のお声が、お顔が、しっかりと焼きついてしまった。
「ふぅむ。で、お嬢さんはこの方とのご縁を知りたいのかい?
それとも……これを、ご所望かな?」
占い師が、透明な液体の入った小瓶を取り出した。
こ、これは、もしかして。
「こちらは、噂の、び、」
「媚薬だよ。この薬を飲むと、飲ませた相手がそりゃあ輝いて見えるのさ。
そうして恋に落ちれば、溺愛は保証付きさね」
か、輝いて――溺愛!
「あの、どうすれば、売っていただけるのでしょう」
「ああ、お嬢さんならお売りできるよ。銀貨十枚」
「安すぎません!?」
「信用できないかね。だったら、金貨一枚いただくよ」
「もっと信用できませんけど!?」
◇ ◇ ◇
一週間後、私はパーティー会場の片隅で、手の中の小瓶を見つめていた。
あの日、買ってしまった媚薬。
これを――公爵様に……
ぎゅっと小瓶を握りしめる。
今夜はラッセル侯爵様がご婚約を発表される場なのだから、クロシュタール公爵様もいらっしゃるはず。
「効かなくて、もともとよね」
だって銀貨十枚だなんて、普通の香水よりずっと安いのだもの。
結局、金貨一枚を払ったけれど。
もう一度、お話できたら。それだけでも、どんなに幸せかしら。
飲み物が並んでいるテーブルで、そっとワイングラスを手に取る。
震える指を抑えて、媚薬を――い、入れてしまった。無色だから、まったくわからないわ。
確か、公爵様はいつも赤ワインをお召し上がりだから、このグラスを……
「いらしたわ、クロシュタール公爵様よ!」
「ああ、今宵もなんて素敵なの」
ざわつく令嬢たちの後ろから、そっとラッセル侯爵のほうを窺う。
笑顔の侯爵様と、変わらない無表情の公爵様が向かい合って話しておいでだわ。お祝いをしてらっしゃるのよね。
会話が、途切れたら――
ま、待って!
私なんかが、どうやって近づいてグラスを渡すの!?
私は一人、間抜けにグラスを握って立ち尽くした。
(上手くご利用なされ)
占い師にはそう言われたけれど、上手くってどうすればいいの!
しばらく見ていても、ホストの側においでの公爵様の周囲は人だかりができている。
強引に話に行く令嬢もいるけれど、まるで相手にされていないわ。いつものことね。
――あ。
一瞬、こちらを見た公爵様と、目が合った。
……いけない!
私、何をしているの!
私は慌てて、グラスを手に会場から出てすぐ庭園のほうへ走った。
精一杯着飾ったドレスで足がもつれそうになるけれど、必死で走って誰もいないところまで来た。
なんて愚かなの。
薬なんかで、振り向いてもらおうだなんて。
公爵様の目が、何もかもを見透かすように思えて――やっと、我に返った。
自分の愚行に気づいて、涙が出てきたわ。
……バカな夢を見てしまった。
そうよ。一度お話できただけでも、とんでもない幸運だったのよ。
私なんかが、釣り合うはずもないのに。それも、女嫌いの方のお心を、媚薬で曲げようだなんて。
こんな薬……いえ、人様のお庭にグラスを叩きつけてはいけないわ。
中身をどこかに捨ててから、グラスを返しに行きましょう。
涙を拭って、深呼吸をする。
ちょっと戻って、草むらにワインをまいて。媚薬を植物に吸わせても、問題ないでしょうし。
歩き出した時、俯いていたせいで横から来た人に気づかなかった。
ドン! と思いきりぶつかって、私は尻もちをつく。
「きゃっ!」
「うわっ!」
……え。
目の前にいたのは、――クロシュタール公爵様!
公爵様、頭からワインを……あ、あ、私の持っていたグラスが空になっている!
私もかぶってしまって、額から零れてきたワインが口元に入った。
な、なんてこと!
自分はともかく公爵様の頭に、ワインをかけるだなんて!
「――失礼、レディ。お怪我はありませんか」
ワインも滴る、氷の美貌……なんて、言っている場合ではないわ!
「も、ももも申し訳ございません! 失礼いたします!」
私は脱兎のごとく、その場を逃げ出した。
◇ ◇ ◇
馬車で帰るとボロボロの私に両親は驚いていたけれど、私は何も説明できなかった。
目が腫れ上がるほど泣いて、その晩は眠れなかった。
わざとではないとはいえ、公爵様に大変なことをしてしまったわ。お詫びをしなければ。
許していただけれるのかわからないけれど、とにかく、お手紙を書いて。
それで……せめて、家には迷惑をかけないように、しなくては。
もう、失恋は確定なのだから。
きっと、罰が当たったのだわ。
私が身の程知らずにも公爵様に恋をして、あまつさえ媚薬で成就を望んだりしたから。
部屋に籠りきりでいたら、ドアをノックされた。
「誰?」
メイドにも会いたくないのに。
「ミアでございます。お嬢様、伯爵様と奥様がお呼びでございます」
ネグリジェのままだったから、ミアに身支度をしてもらって、暗い気持ちでお父様のお部屋に向かった。
……もし、公爵様から抗議があったのならどうしよう。どうしたら、お許しいただけるの。
こわごわノックをして入った部屋では、お父様とお母様が並んで座っていたソファーから立ち上がった。
「リゼット! お前、なんという」
「リゼット、まさかあなたが」
――やっぱり、公爵様から……!
「なんと、素晴らしい相手を捕まえ……いや、見染められたのだ!」
……はい?
怒られると思っていたら、お父様は満面の笑みで両手を広げた。
「クロシュタール公爵閣下から、お前に求婚の申し込みが来た!」
お父様に渡された封筒には、丁寧なお手紙と、婚約条件の書かれた婚約契約書が入っていた。
婚約契約書には、公爵様のご署名。アルヴァレス・ド・クロシュタール。
『ぜひ、リゼット・ラヴィニア嬢を我が妻にお迎えしたい。
婚約に当たり、以下の財産をお贈りする。また、後日婚約式のためのドレスや指輪を用意したく……』
ありあまるほどの、贈り物の品々。婚約解消時や離婚時の財産分与まで書かれているけれど、「条件として明記したのみであり、生涯伴侶としてお守りする」と、誠実なお言葉が綴られていた。
ああ、なんてこと!
ワインをかけてしまった時、公爵様のお口にワインが……媚薬が、入ってしまったの!?
私はとうとう耐えきれず、大喜びの両親の前で失神した。
◇ ◇ ◇
目覚めた私は、ぼんやりしているうちに婚約証明書にサインをさせられて。媚薬のことを打ち明けられるわけもなく。
そして、その二日後には――公爵様が、おいでになった。ドレスを持参されて。
「お嬢様、本当にお綺麗ですわ」
ミアに着せられた、薄いブルーのドレス。広がる裾には絹の上に細やかなレースが重ねになっていて、胸元と両肩をふんわりと透ける布でくるまれている。豪奢だけれど上品で、素晴らしい職人の手によるものだとわかるわ。
セットになっているイヤリングとペンダントは、煌めくダイヤモンド。
見た時には、絶対に私には似合わないと思っていたのに。
鏡の中の私は――私では、ないみたい。ドレスとアクセサリー、それに合わせたお化粧だけで、こんなに違って見えるの?
「お嬢様は、磨けば光る方なのです! わたくし、いつも申し上げていたではありませんか。
地味なドレスばかり選ばれるのが、もったいないと」
ミアは胸を張って言った。
「さあ、公爵様がお待ちですよ」
「で、でも、私」
「自信をお持ちになって、行ってらしてください!」
落ち着かないままに部屋を出て階段を降りて……その先に、公爵様が立っていた。
お、驚いてらっしゃるわ。やっぱり変よね!?
あああ、階段を上ってらっしゃる!
「……思った通り、お似合いだ。リゼット――失礼。名前で呼んでも、いいだろうか?」
「あ、は、はい、公爵様」
「私のことも、名前で呼んでほしい。アルヴァレスだ」
「ア、アルヴァレス様」
きゃあ!?
にっこりと微笑まれたわ!?
――な、なんて、お優しい顔をなさるの。
手を、差し出された。い、いいの?
私が手を乗せると、優しく握られる。大きな手……
「では、行こうか」
「あの、どちらへ」
「約束しただろう? 婚約指輪を用意しよう」
話が早すぎますー!
連れてこられたのは、王族御用達のジュエリー店。
お客がほかに誰もいないと思ったら、貸し切りになさったとのこと。待ってください、展開に頭がまったくついていかないのですけれど!
「やはり、ダイヤモンドがいいと思うのだが……あなたの華奢な指には、あまり大きいのも似合わないか」
「わたくしには、分不相応かと」
「ダイヤモンドのほうが、不釣り合いなのだ。あなたにはもっと美しく、品のある輝きがなければ」
公爵様は何をおっしゃっているの?
「申し訳ございません、閣下。では、こちらなどいかがでしょうか」
恐縮して店主が差し出してきたのは――ブルーダイヤモンド!?
ひとつひとつの石は小さいけれど、ダイヤが十以上並んだデザインで……こ、これは、おいくらになるのかしら。
「ほう、淡い青か。リゼット、どうかな」
左手を取られて、薬指に嵌められた。き、綺麗です、ですけれどもね?
「……うむ、悪くないな」
「お気に召していただけましたか?」
公爵様と店主が頷き合っている。
「サイズは、少し緩いようだ。直してくれ」
「はい、もちろんでございます」
「それから、ほかにもいくつか、ネックレスなども見せてほしい」
はい!?
「婚約式や、それ以前にパーティーでつける物、普段使いの物も足らないのだ」
「畏まりました! 今すぐ、一級品をお見せいたします!」
私がアワアワしている間に、公爵様は恐ろしい勢いで買い物を済ませていった。
次に連れられてきたのは、これも王家が贔屓にしているデザイナーの仕立て屋。
「本来ならば屋敷に呼ぶのだが、今日はあなたと外で過ごしたくてな」
「は……い?」
「デートもせずに、婚約式を迎えるのは寂しいだろう?」
あああああ、またそんなにお優しいお顔……!
「氷の公爵」と呼ばれる方が、こんな。
飲まれたのは、ほんの少しのワインだと思うのだけれど、それでこんなに効いてしまうの!? 金貨一枚の効果ではないわ!
「今日のドレスは、急ぎ用意したために既成品なのだ。デザインは悪くないが、あなたのために仕立てさせねば、あなたの本当の美しさを引き出せぬだろう?」
既製品と言われましても、こんな立派なドレスを着たのは初めてです!
「わ、私の美しさだなんて、そんな、ありもしませんのに」
「あなたは自覚されていないのか? 眩いほど美しいのに」
溺愛って、目も悪くなってしまうの!?
公爵はデザイナーとあれこれ話し合い、ドレスを十着以上注文された。
◇ ◇ ◇
婚約式の日取りが決まるまで、公爵様……アルヴァレス様は、何度も私をデートへ誘いに来られた。
その都度、素敵なカフェを貸し切られたり、ドレスや宝石だけでなく、靴も帽子も花も、お断りする間もなく贈られて。
家の一室がアルヴァレス様からのプレゼントで埋まってしまうほどになり、私は怖くなった。
社交界では当然、私へのアルヴァレス様の熱愛ぶりが噂になっている。
どうして、あんな地味な伯爵令嬢に、あの公爵様が……と。
媚薬のせいです。
「氷の公爵」が、まるで「春の妖精王」のように柔らかな笑顔を私に向けてくださるのは、私が卑怯にも薬を使ったから!
罪悪感でどうにかなりそう。
そう思っているうちに、婚約式まで済ませてしまった。その時のアルヴァレス様のお顔を見て、どうやら公爵は本気らしいと、貴族の方々は驚きつつも祝福を送ってくれている。
あの媚薬のことは、意外と知られていないってことなのだわ。
でも……やっぱり、このままではいけない。
婚約までしてしまったけれど、私は勇気を奮って占い師に相談することにした。
――のに。
私が出向いた時には、紫のテントは跡形もなく消えていた。
そんなあああああ。
薬をどうにかできないか、それ以外にも聞きたかったことがあったのに。
薬の効果はいつまでなの? ずっと続く?
それとも、突然正気に戻られたら捨てられるの?
こんなにも大切にされている今になって、アルヴァレス様に捨てられたら――私はどうなってしまうかわからない!
そうして、婚約式から一ヶ月後。
遂に結婚式を迎えてしまった。
婚約式前からオーダーされていた純白のドレスは、銀糸の刺繍が全面に施されている。ひと月かけて作られた、見るからに超一流の……王族が結婚式に着るような美しさ。
香油でマッサージを数日続けられた私自身、肌艶も別人で、ミアいわく「わたくしの最高傑作です!」と言われるほどメイクをされて――
確かに、地味なんかじゃない、花嫁らしくはなった。
涙ぐむお父様に連れられて、祭壇に待つアルヴァレス様のもとへ行く。
……なんて美しい花婿かしら。花嫁より、アルヴァレス様のほうがずっと輝いておいででは?
「美しい……こんなにも美しい人を、妻にできるとは」
呟くアルヴァレス様は、本当に幸せそうな顔をしてらっしゃる。
まだ、媚薬が効いているのね。アルヴァレス様の目には、私はとんでもない美女に見えているのかもしれない。
「では、誓いの口づけを」
……これが薬のせいなんかではなかったら。
本当に愛されていたなら。
人生で一番幸せな瞬間だったのでしょうね。
私はそう思いながら、優しいアルヴァレス様のキスを受けた。
盛大な結婚式と披露宴の間、夢を見ているようだった。
幸福な夢見心地ではなく、いつか覚めてしまう幻の中にいるような。
いいえ、最初は銀貨十枚なんて言われた薬だもの。絶対に、いつかは効果が切れてしまうはず。
それがいつになるのか、私はこれから怯えて暮らすのかしら。
宴が終わり、湯あみをしてから……寝所へ。
寝室には、まだアルヴァレス様はいなかった。そこでほっとするなんて、酷い花嫁だわ。
ベッドに腰かけてしばらく待っていたら、ドアをノックされて、体がこわばる。
「ど、どうぞ」
ゆっくりとドアを開けたアルヴァレス様は、……ガウン姿。そ、そうよね。当たり前よね。
私だって、下着の上に薄いガウンを着ているだけだし。
俯いていると、アルヴァレス様が私の隣に座られた。
「リゼット」
「は、はいっ」
いけない、緊張のあまり声が裏返ってしまった。
「……無理はしなくていい」
――え?
「結婚したとはいえ、あなたは私より十歳もお若い。まだ、怖くても当然だ」
怖い……
怖いのは、アルヴァレス様に嫌われることです!
「今夜はこのまま、ただ眠るとしよう」
え、え、えええええっ!?
「アルヴァレス様……私は」
「震えておいでだ。怖いのだろう? 私は、あなたに無理強いなどしたくない」
ち、ちが……
アルヴァレス様にそっと抱きしめられ、ベッドに寝かされた。
少し離れて、アルヴァレス様も横になる。
「おやすみ、リゼット」
――そんな。
も、もしかして。
媚薬が、切れかかっているの……?
私は天国から突き落とされたような気分で、涙を堪えて目をつぶった。
ひょっとしたら、もうその時が近いのかもしれない。私たちは「白い結婚」のまま、離婚することになるのかも。
――それならそれで仕方がないことなのよ。
すべて、私が悪いのだから……
◇ ◇ ◇
「何も、してない!?」
ラッセル侯爵は、友人の話を聞いてすっとんきょうな声を上げた。
ここはクロシュタール公爵の友人、ラッセル侯爵の邸宅である。夜に尋ねてきた友人アルヴァレスの告白に、ラッセル侯爵は呆れかえった。
「アルヴァレス、お前……」
「し、仕方がないだろう! 震えていたんだぞ!?
……そもそも、あんなに無垢な人に、薬を盛ってしまって……結婚までしてしまった。だがもう、媚薬の効果が切れているのかもしれない」
侯爵は情けない顔をしている友人を前に、盛大にため息をついた。
女嫌いと呼ばれている友人のアルヴァレスは、実際女を苦手としていた。
本人の身分と容姿のせいで少年時代から色目を使われてきて、うんざりしていたのだろう。
だが幼馴染でもある侯爵に、ある日友人のほうから恋愛相談をしてきたのだ。
自分に近づくこともなく、王立図書館で楽しげに本を読んでいる大人しやかな令嬢が気になると。勇気を出して本を取ってあげて声をかけたが、逃げられてしまって、どうしたらいいかわからない。
――いやいや、お前はもう二十六歳だろう!
恋愛経験が乏しいからといって、「どうしたらいいかわからない」はどうなんだ!?
侯爵は「デートに誘え」「いや、まず手紙を送れ」「できれば花束も一緒に」などと、少年相手のような指導をした。
しかし友人は「逃げた人に、いきなりデートなど」「手紙に何を書けばいいのかわからない」「花など、女性に贈ったこともない」……
話にならない。「もういっそ、媚薬でも使ったらどうだ」と、小耳に挟んだ噂の占い師について話した。
まさか、友人が実行するとは思わずに。
しかも、結局「薬に頼るなど、なんと悪い男なのか」と思い直したのに、想い人がパーティー会場から出ていくのを見て、媚薬入りのワイングラスを持ったまま追いかけて――思いがけずぶつかってしまい。二人揃ってワインをかぶった。
そうしてまた逃げられた友人は、一足飛びに求婚した。彼女をほかの男に渡すのは、耐えられないと。
媚薬を入れたワインが彼女の口に入ったせいなのか、求婚は受けてもらえた。
天にも昇る心地でデートを重ね、婚約をし、結婚式まで漕ぎつけたが……土壇場で、怖気づいたわけだ。
これが「氷の公爵」と呼ばれる男の本性だと、知っているのは自分だけだろう。
「お前の罪悪感は無理もない。だからと言って、初夜の翌日に帰宅もせず、人の家で飲んでいる場合か!
とっとと帰れ! 奥方に打ち明けて、謝れ!」
「……わかった」
説教されてよろよろと立ち上がるアルヴァレスの様子は、哀れを通り越し情けないほどだった。
友人が帰ったあと、侯爵は独り言ちた。
「まったく、あいつは色恋沙汰に疎すぎる。媚薬なんぞいらないだろうに……奥方が、呆れずにいてくれるといいがなあ」
◇ ◇ ◇
アルヴァレスが帰宅すると、すでにリゼットは寝室にいると告げられた。夕食もともにせず、彼女は沈んだ様子だったと聞いて胸が痛む。
沈んでいたのは、薬が切れて結婚を後悔しているからなのか。
アルヴァレスは身支度を済ませ、水を飲んで頭を冷やしてから、寝室の前に立った。
入るのが躊躇われる……彼女はもう、眠っているだろうか?
起きて待っていてくれるのなら、全部話すべきだ。
勇気を奮って部屋に入ると、リゼットが昨日と同じようにベッドに腰かけていた。
「アルヴァレス様……」
頼りなげな顔に、さらに罪悪感が重なる。
いや、このままではいけない。
言うぞ。
◇ ◇ ◇
今夜はお戻りにならないかもしれないと思ったアルヴァレス様が、寝室に入ってこられて、私は息を呑む。
駄目よ、リゼット。決めたでしょう、すべて白状すると。
「あの……お話が」
「あなたに、話がある」
私が言いかけた時、アルヴァレス様のお声と重なった。
◇ ◇ ◇
言うのよ、リゼット。
言うんだ、アルヴァレス。
――あなたを愛している。媚薬などを使ってしまったけれど、この想いは……
本物なのだ、と。
◇ ◇ ◇
年老いた占い師は、ゆったりとした足取りで街道を歩いていた。
「さすがに、都でも数は売れなかったねえ。まあ媚薬と言っても、少しの間相手が一段と魅力的に見えるだけ。
それも、好意を持つ相手じゃなけりゃ効きはしない。だから、お売りする相手は選ばせてもらってるのさ」
楽しげに、独り言を言う。
「さて、最後にお売りしたあの不器用なお二人は、いつ気がつくのかねえ。ほっほっほ」
笑い声を上げながら、占い師の姿は闇の中に消えていった。
――その後、「氷の公爵」と呼ばれたクロシュタール公爵と、年若い妻リゼットは五人の子供をもうけ、末永く、幸せに暮らしたという。
(完)
お読みいただきありがとうございました。
短編にしてはちょっと長くなってしまいましたが、お楽しみいただけたら幸いです!




