第1章 扉
1
父の運転する車が、駅前の路上にとまる。駅といいつつ、最後に列車が来たのは十三年も前だ。
「忘れ物ないか?」「大丈夫。いってきます」いつも通り、短い会話を交わし、鯵川克樹はバス停へ向かう。朝七時の空気は、夏を忘れたかのように澄みきっていた。日が短くなり、朝が苦手な克樹は今日もぎりぎりで家を出た。高校までは、バスで五十分。始発駅に近いため、必ず座れるのが唯一の利点だ。好きなバンドの曲を数曲聴き、寝落ちするのがルーティンだ。
「よっ」聞きなれた声がして起きる。
「おお熊井。珍しいな。お前一本前じゃなかったの?」
「寝坊したわ」寝癖を気にするように頭をなで、覇気のない声で答えた。
「てか地理探の課題終わった?無理じゃね。」
「終わるわけないだろあれ。やっぱツバルやばいわ。」ツバルとは、地理教師についたあだ名である。本名は津田だが、南太平洋の島国ツバルを溺愛しており、時折誰も知らない現地語を連発する。課題を一回未提出するごとに、ツバルの国土が一パーセント減るらしいが、それが本当なら島は今頃沖ノ鳥島レベルだろう。そんな他愛もない話に花を咲かすうちに、学校へ到着する。宮城県賀久留ヶ原高校は、県内屈指の港町、気仙沼の街を見下ろす高台にあった。席へ着くと、正平が駆け寄ってきた。
「お前、新しいコラボガチャ引いたか?」相変わらずの中毒者だ。
「まだ。激熱すぎて引くの怖いわ。放課後開封しよ。てかおまえ、ちゃんと電源切っとけよ。この前授業中鳴ってたのお前のスマホだろ。」
「あれはビビったわ。ま、尾田ちゃんだから何とかなったけど。」こんなやり取りが、今は一番楽しい。あと一年もすれば受験直前期だ。考えるだけで胃が痛みそうだ。
「そういえば聞いたか?牛籠で白骨遺体が出たって話。」
「急だな。朝テレビで見たけど、なんか気味悪いよな。家まあまあ近いし、身元もわかんないんだろ?」
「祠でも壊したんじゃないの?しらんけど。あ、健吾っち来た。」担任の大井川健吾がドアを開け、ショートホームルームを始めた。出席を確認した後、いつも通り業務連絡が続く。二時間目の物理は物理室に変更、教室開けるときは消灯を忘れずに、進路希望調査今日中に。湧いてくる欠伸を噛み殺す。
「最後に、ニュースにもなってる人骨発見の件で、捜査のため、事件現場には近づかないようにと警察から連絡がありました。皆なら言わなくてもわかってると思うけど、捜査の邪魔になるから行かないように。」
ショートホームルームが終わり、一時間目の準備をする。朝イチから数bは少々重たい。
「克樹、ちょっと来てくれ」先生から呼ばれ、教壇へ向かう。先生もまた寝不足のようだ。
「急で悪いんだけど、警察が少し話を聞きたいそうなんだ。あくまで任意らしいんだけど、行ってきてくれないか?」警察、という単語に少々驚いた。これでも、道を外れることはせず生きてきたつもりだ。
「警察?何かあったんですか?」
「詳しいことは俺も知らない。けど、犯罪がらみではないから安心して、だそうだ。ま、不安になるのもわかるけど、お前なんもやましい事ないだろ?」先生に言われると、謎の説得力がある。
「ないですけど、授業はどうするんですか?放課後部活だし。」
「授業は公欠ってことでいい。すぐ終わるみたいだから部活は間に合うと思う。」少々重ためな授業が公欠になり、内心ありがたい。
「とりあえず、十時に警察署に来てくれとのことだから、もう出ていいよ。」
「わかりました。必ず生きて帰ります。」冗談交じりに答える。
「ああ、死ぬなよ。」ノリのいい先生でよかったと、心底思う。
「どうした?もう数b始まるのに荷物しまって。まさか、退学すんの?」席に戻ると、隣席の菊川一輝がやけに深刻そうに聞いてきた。退学は飛躍しすぎだ。
「なんでだよ。しないわ。なんか、警察?に呼ばれた。」
「いつかやると思ってましたー。やっぱ退学じゃーん。」
「違うって。なんか、まじで話聞くだけらしい。」説明が難しい。第一、自分でも訳が分からない。
「なんかわからんけど、羨ましいわ。もう授業だるい。」
「ま、頑張ってくれや。」手刀で切り込みを入れるようなジェスチャーをし、数人と言葉を交わしながら、教室を出た。
学校から警察署までは、歩いて20分といったところだ。校門を出て、ドーナツ状の溝が並ぶ急坂をくだる。行きは良い良い帰りは恐い、といった感じで、登りは地獄だ。飲食店の点在する市街地を横切り、川沿いをひた歩く。意味もなくイヤホンを耳に突っ込み、映画のワンシーンのように軽快に進む。授業時間中に外を歩くという背徳感も、悪くない。しかし、反対に目的地が目的地だからか、後ろの景色がかすんでいくような感覚を覚えた。
2
九月十八日朝、気仙沼警察署牛籠駐在所の阿部和信は、外へ出て、日課のラジオ体操をしていた。岩手県との境にある、昔話の里山のような、静かな東北の田舎だ。ここにきて二十年、主な業務といえば地域の高齢者の「はなしかだり」の相手ぐらいだ。今や自分も、立派な地域の一員だ。
「和信さん、朝がら元気だごだや。」腰の曲がった老人が話してきた。
「おお、セツさん。早いごだ。どごさがいぐのすか?」もはや訛りが体に染みついていた。セツさんこと高橋節ヱさんは、今年で八十になる。それでいて、農作業に精を出し、大型機械も巧みに操る現役ぶりだ。
「畑見さいぐんだ。動物出で来て荒らしてぐもんでさあ。」
「んでまず熊にだげは気い付けで。」セツさんを見送り、駐在所内に戻る。溜まった雑務をこなしていると、無線が鳴った。
「県警本部から気仙沼管内。農作業中に白骨遺体発見との入電。通報者は80代女性。現状は気仙沼市音吉町牛籠3の2。近くの局対応願う。」いきなりの聞きなれた地名に動揺したが、すぐにピンときた。セツさんだ。無線を取ろうとしたとき、再び無線が入った。
「気仙沼署から牛籠駐在」待ってました、と言わんばかりにこたえる。
「こちら牛籠駐在。至急現場向かいます。」
車のエンジンをかけ、緩やかにアクセルを踏んだ。サイレンを鳴らしたのは何年ぶりだろうか。
「牛籠駐在から気仙沼。現状到着しました。」
「気仙沼了解。状況報告頼む。」
通報のあった場所は、案の定セツさんの畑のそばだった。林道の入り口に、セツさんは立っていた。
「ああ、和信さん。どうもね。こっち来てけろ。」
「セツさん、よかった。大丈夫?」セツさんの無事を確認し、胸をなでおろす。
「おらの事あいい。それよりさ、刈った草投げっぺってこご掘ってたんだげんとも、したらほれ、人の頭出できたもんだから、まんずたまげでしまって。」セツさんが指す先には、深さ数十センチの穴と、人のものと思われる頭蓋骨があった。和信は思わず身じろぎした。柔らかい東北訛りで語られたのは、身の毛もよだつ謎の身元不明遺体の発見であった。
初動捜査が終わり、和信が宮城県警気仙沼警察署に到着したころには、もう日が暮れていた。幹線道路脇にある、震災後にできたコンクリの箱のような無機質な建物だ。
「いやー、参ったな。まさかうちの管内で死体とはね。」和信が薄い頭を掻きながら言った。
「ここまで劣化が進んでいると、個人の特定は難しいな。もはや、考古学の領域なんじゃないのすか?」変色しきった遺体を前に、眉間に皺を寄せながら、刑事課長の佐野が呟く。気だるげな口調だが、人一倍燃えているはずだ。刑事ドラマの脱サラ刑事のように、緑のコートを羽織っている。
あっ、と佐野が声を漏らす。「ちょっと見てください。これ。」遺体の歯を指さす。「銀歯だ。」
一瞬、沈黙が走る。
「この街で銀歯なんて、ここ五十年の話だろう?」和信が小さいころは、銀歯なんて一人もいなかった。
「しかし妙ですよね。歯科治療を受けた人間の遺体がここまでひどいなんて。しかも遺留品が一つもない。裸のまま埋められたとしか考えられません。第一発見者のおばあさんも驚かれたでしょう。」辻舞香が神妙な面持ちで話す。気仙沼署では数少ない若手刑事だ。
「驚いでたっけよ、セツさん。八十年生きてきてこんなの初めてだって。」自分の畑から骨が出てきたらと思うと、鳥肌が立つ。
「ま、我々が調べられるのはここまでですかね。この状態じゃDNA抽出も難しい。本部鑑識の到着を待ちましょう。」資料に目を通していた柳川が口を開いた。元は千葉県警捜査一課で捜査にあたっていたが、復興支援の人材派遣で、うちへの配属となった。相当頭の切れる男だ。久々の事件で、血が騒いでいるのだろう。
「とりあえず、現場の保存だ。気仙沼署刑事課総出で、警備にあたる。」
「はい」佐野の指示に対し、皆威勢のいい返事を返す。所轄のできることの少なさに苛立ちを覚えながら、駐在所へ戻った。
3
翌日、どこから嗅ぎ付けたのか、現場には何台ものテレビカメラが揺れていた。
「昨日、こちらの林道の先で、白骨化した遺体が発見されたということです。詳しいことは何も分かっておらず、現在警察が事件と事故の両面から捜査を進めています。」リポーターがマイクを片手に話していた。こんなに忙しい朝はいつぶりだろうか。規制線ぎりぎりまでくるカメラの対応と説明に追われながら、時間が過ぎていった。
暫くして、パトカーと一台のハイエースが現れた。鑑識だ。
「お疲れ様です。県警鑑識課の滝本です。駐在の阿部さんですね。よろしくお願いします。」背の高い男が警察手帳を見せながら挨拶した。
「お疲れ様です。」背筋を伸ばして敬礼し、現場へ案内した。
夕方、一回目の捜査会議が開かれた。おもに鑑識の捜査結果が議題だった。
「鑑識による捜査の結果、遺体は、特徴から十六から十八歳の男性。わずかに残った組織からDNAを抽出できましたが、行方不明者リストとの照合の結果、一致した人物はいませんでした。」滝本が淡々と述べた。
「ちょっと待ってください。遺体の身元は不明のままということですか?」柳川が口を挟む。
「残念ながら、我々が調べられるのはここまでです。科捜研の結果待ちですが、身元特定は難しいと思われます。」悔しげに眉を曲げ、滝本がこたえた。もはや「為す術なし」といった感じで、室内には諦めムードが漂う。そんな中、柳川が再び口を開いた。
「身元特定の件、私に任せて頂けませんか」その場にいた全員が、柳川のほうを向いた。ある者は驚き、ある者は期待の目を向けていた。「何か、策でもあるんですか?」辻が興味津々といった様子で訊く。
「ありません。が、ひとつだけ、あてがあります。」
朝の広瀬通りは、通勤通学の車で混雑していた。杜の都の名の通り、銀杏並木が天に伸びる。落ち葉が歩道を真っ黄色に染め、強烈なにおいを放っていた。広瀬川を渡ると、河川敷に鍋を並べる人影が見える。芋煮の季節だ。千葉での仕事のため一度離れた地元。懐かしい光景だ。
彼の研究室は、三階にあった。見たこともない計器や、英語の張り紙、三葉状の放射線マークまである。「柳川君、元気そうでよかった。どうぞ、こちらへ。」小太りの男が机にコーヒーを運んできた。
「ご無沙汰しています、湯原先生。こうして会うのは、十年ぶりですかね。」湯原浩一郎教授とは、柳川が大学時代にお世話になった教授だ。専門は生体構造学。生体を分子レベルで研究している。今回の遺体についても彼なら何かわかる。そう確信し、連絡を取った。
「昔話に花を咲かせたいところだが、さっそく本題に入ろうか。」研究者らしく、結論を急ぐ性格は昔から変わらない。
「電話で話した通り、警察では身元の判別が不可能でした。先日送った例のサンプルですが、何か、分かることはありましたか?」
「まず、この骨は、400年前のものだ。」教授が語る遺体の真相は、にわかには信じがたいものであった。
4
「鯵川克樹くんだね。急にお呼びして申し訳ない。どうぞ、こちらへ」鯵川克樹は、署内の応接室に通された。てっきり取調室かと思っていたので、少々驚いた。「刑事課の辻舞香と申します。少しだけ、事務的なことで確認があるのですが、大丈夫ですか?」
「問題ありません。それより、僕に話を聞く理由を教えて頂けませんか?」
一瞬、言葉が詰まる。「戸籍の確認、です。鯵川さんの戸籍にミスがある可能性があり、調べているところなんです。」戸籍か。それなら仕方がない。なるほど、とだけつぶやく。
「では、早速ですが本題に入らせていただきます。まず、生年月日と氏名の漢字、お住まいの住所を、こちらの書類に記入お願いします。」一瞬驚いた。それだけでいいのか?
「わかりました。」2006年10月27日 鯵川 克樹 慣れた動作だ、間違うわけがない。書き終えて顔を上げると、刑事が紙をまじまじと見ている。ただの戸籍確認がどうしたというのだ。
「こちらで、お間違えないですか?」書き終わった紙を見ながら、辻が問いかける。
「はい。間違いありません。」間違えるはずがなかった。
「では次に、いくつか質問させていただきます。まず、歯科治療を受けられたことはありますか?」
あります、と答える。どうしてそんなことを聞くのだろう。不思議に思った。向こうにも伝わったらしく、「すみません。制度ですので。よろしければ、実際の治療された場所を撮らせていただけませんか?もちろん外部には漏らさないので。」いちいち気にしていても仕方がない。向こうも仕事なんだろう。
「わかりました。お願いします。」「ご協力、感謝します。」人に口の中を見られるのは、変な感覚だった。そのほかにも、骨折したことはあるか、食生活はどうか、など、若干関係ないのでは、という質問が続いたが、容疑をかけられているようでもないので、そのまま応じた。
「では、これまでの内容を確認しますね。」辻が、淡々と確認事項を読み上げた。今戻れば、昼休みには戻れる。終わりみたいだし、戻るか。確認が終わる。
「じゃ、僕はこれで。」立ち上がり、荷物をまとめようとする。ドアを開けようとしたとき、辻の声がした。
「すみません、もう一つだけ、いいですか?」




