5 真実
一年もすれば、アイリスは元の役職への昇進の話が出ていた。
最初の方はレックスと鉢合わせたり、新しく形式が変わっている部分に戸惑ったりと忙しくしていた。
けれど次第に落ち着いて、レックスはアイリスが知らないうちに退職したらしい。
そんなわけで、めでたいことはめでたいけれど、同時にアイリスは結婚をあきらめているというふうにみられることが多くなった。
しかし、リオンはまったくもってそうではない。
専属への引き抜きがかかって彼もまだ二十代後半だ。
将来有望な結婚相手として多くの令嬢が狙っているという話を聞く。
それなのにどうしてか彼は、アイリスを気にかけて何かとアイリスとともにいることが多かった。
お祝いのお茶会に誘われて向かうと、彼はプレゼントを用意してアイリスのことをもてなした。
にこやかに仕事の話や情勢の話などをしているが、こうして一緒にいても、だからと言って結婚を迫ってくるということもない。
それがどうしても不思議でアイリスはついつい彼に問いかけた。
「ところで、リオン」
「うん」
名前を呼ぶと彼は小首をかしげて、金髪がさらりと揺れる。
「……私はこうして昇進したし……あなたもほかの人も知っている通り、結婚にはもう未練も何もないんですよ」
「そうだろうね」
「……だからね、私あなたの貴重な時間を無駄にしてしまっていないかしら?」
当たり前のように肯定する彼にアイリスは、まっすぐに聞いた。
そろそろ、アイリスのことなど忘れて結婚を意識して動き出した方がいいだろう。
そう考えての配慮だった。
「私も下手にあなたと仲良くしていたのには問題があったと思うけれど、もう別の結婚相手を探すべき時に来ているんじゃないかしら」
さらに続けると彼は、キョトンとしてそれから、少し考えてアイリスに言った。
「……その……うん。あの、俺なんて言ったらいいかな」
「?」
「……たしかに、結婚って意味だとそうだね。そうだと思う、アイリスは結婚するつもりがないし、俺はこうしていても意味がないって思われるのもわかるよ」
「ええ」
「でも、そうじゃなくて、俺もあのとき言葉を間違えたと思うけど、そのね……」
なんだか煮え切らない様子で彼は、言葉を探して、ううんと少し唸ってから、とても嬉しそうに言った。
「俺は、君が好きってだけなんだ」
「……どういう意味かわからないわ」
「だから……俺が君とそばにいて、なんだか日常的なことを話したり、時にはプレゼントとかをしてもいいっていう状況がほしいぐらい君が好きで」
彼のその言葉はまるで、十代の恋愛の熱に浮かされている少年のようだったが、自然と恥ずかしいとは思わない。
「別に、結婚がしたいから、好きって言っているわけじゃないんだよ。君と一緒に居られる権利があればそれで、問題ないなって思ってるから。結婚は俺もしないよ」
「……」
「結婚は手段だから。目的じゃないし、うまく伝わってるかわからないけど、俺はこれで今、嬉しいし、君が嫌じゃなければこれからも、こうして話したり、出かけたりしたいな」
その彼の言葉に、アイリスは目からうろこが落ちるようだった。
彼の言葉はアイリスの人生をどうこうしたいとか、アイリスになにかをさせるために紡がれていたわけではない。
アイリスが楽しいことを一緒にやったり、そばにいて話をしたり、そんな些細な日常を共有するためだけにそばにいる。
そのために好意を伝えたに過ぎなかったのだ。
だから懸念していたようなことは彼にとってまったく必要ないことで起こりえない。
こんなふうに思ってアイリスの気持ちを尊重して、自分も外聞など気にせずに結婚しない道を選ぶ彼が、たかが稼ぐ力を一人だけもったところで、横暴になるわけもない。
「ちょっと、照れくさいね。とにかく、無駄になんてなってない。ずっと今も今までも、これからも、好きだし。一緒に居られて嬉しいよ」
その言葉がダメ押しになってアイリスの胸は小さく鼓動を高鳴らせる。
アイリスだって、彼のことを好ましく思っている。そうでなければ長年関係を続けたりなんてしない。
けれども、結婚という一世一代の決断をして破綻したという事実は、他人を見る目を曇らせるのに十分で、ずっと暗雲の中にいた。
今やっとそれが晴れた気がする。
彼は、リオンは、アイリスのことを好きになってくれていて、アイリスも同じ気持ちがある。
それなら、前に進みたい。
随分と時間がかかってしまったけれどそれでも、気がつかせてくれたリオンとのことならば怖くなかった。
「……ありがとう。なんだかすごく嬉しくて……あなたの気持ちがとてもよく理解できて、今更……やっとあなたのことまっすぐ見ることができたと思う」
「そ、そっか。言った甲斐があったね」
「ええ。……あの時の気が変わったらいつでもと言っていた言葉。まだ有効かしら」
彼にそう言うと言葉の意味が分かったらしく、頬を染めて「もちろん」と短く返す。
そうしてアイリスはあの日の彼の求婚を一年越しに受けることになったのだった。




