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【連載版】夫が『誰のおかげで』と言い出したので。  作者: ぽんぽこ狸


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4 諦め




 アイリスはウルフスタン伯爵邸を出てから、実家のリドゲート公爵邸に戻った。


 ついてきた使用人たちにはとりあえずの休暇を出して、受け取る人間からはきちんと辞表を受け取った。


 それから、使っていなかった自分の屋敷を整えてもらいそちらに移り、生活を始めた。


 その屋敷は、婚前に親戚から格安で譲ってもらった屋敷だが、あってよかったと今更思った。


 レックスは、後日離婚について少し渋ったが、ならば自分が間違っていたと認めて、謝罪をするべきだと返せば、自分は間違っていないの一点張りで無事に離婚することができた。


 そして、離婚が成立するころには仕事も婚前と同じく王城勤めの事務官に決まった。


 以前の事務長の地位ではなく一般の事務官だけれど、それでもアイリスは嬉しかった。


 その準備のため……とそれから今の彼の状況を聞くために、アイリスは元同僚であり親戚筋のマーウィン伯爵家の次男のリオンをもてなしていた。


 ドロシアが丁寧にお茶を淹れて、アイリスはゆったりと口に含んで何から話をしようかと考えた。


 せっかくの休日に時間を作ってもらったが彼のためにも簡潔に済ませようと考える。


 しかし、リオンはアイリスと目が合って少ししてから、ぽつりと言った。


「酷く荒れてたよ。彼」

「……迷惑をかけたかしら、ごめんなさいね」

「ううん。全然、君のせいじゃないし……ただ、状況は知りたいかなと思ったんだけど」


 謝罪のためではなく、気になるだろうと思って話し始めたことをリオンは示して、アイリスはその言葉に「それなりには」と短く返した。


 すると彼は、アイリスが出て行った翌日からそれ以降のことと思われるレックスのことを話す。


「無断で欠勤した日があって、翌日にはやってきたんだけど、一目でわかるぐらい乱れていてね。なにがあったのかと同僚たちが聞くと君の悪口を言うばかりで、話にならなくて」

「……」

「さらには離婚することになりそうという話と、もし君が復帰しようとしたら阻止すると豪語していて……」


 おおむね想像通りの行動をしていたらしく、アイリスは少し安心した。


 ああして、レックスの言葉に対抗するようにアイリスは屋敷を出た。


 彼は、自分の現状が何で成り立っているのか思い知るべきだと思ってはいた。


 けれど、実はそれを確実に思い知らせられる確証はなかった。


 アイリスは自分の連れてきた使用人たちには、彼の言動から離婚も視野に入れているという話もしていた。


 だからこそ晩餐会の件があってすぐに、使用人たちも立つ準備も始めた。


 問題は義母や義父の代から仕えているウルフスタン伯爵家の使用人たちだった。


 彼らには長年の思いもあるだろうし、実際にレックスにも献身的に仕えていた。


 しかし同時に、彼の考え方に、苦言を呈したものは大抵、彼に解雇を直接告げられて元から数を減らしていたが、それでも少数は残っていた。


 そんな状況でも生活に支障がなかったのはアイリスが、効率よく使用人たちを采配していたからであって、本当は彼一人だけでは到底、悠々自適な生活は成り立たなかった。


 彼がそうして乱れた姿でやってきたということは、きっとアイリスが状況を把握していない使用人たちも、これを機会に、思いあがった彼の元から逃げ出したのだろう。


 ……その選択はきっと正しいわね。レックスに仕えていてもきっとずっと報われないままだと思うもの。


 アイリスは彼の屋敷を維持するためにやってきた努力や配慮を思い出す。


 彼が自由に散財して余った金額だけを使って、彼の誇りの美しい屋敷を維持するのはそれなりに難しかった。


 多く安く仕入れるために保管庫はいつもパンパンだったし、調度品は多少訳アリのものでも買い付けて傷が気にならないように修繕をして使ったり。


 実入りは多くないのに、神経を使う仕事が多かった。


 そのうえで、レックスは人の努力など見もしない。あれは気が付いていないのではなく、気が付きたくないだけなのだ。


「それで結局、事務部長はあしらっていたけれど、離婚したのと同時に降格になったよ。遅刻や無断欠勤を理由に」

「……なら、私が働き始めたら同僚になるわね」

「っふふ、職場がピリつきそうだね」

「あら、そう? ……ねぇ、リオン」

「うん」


 リオンはアイリスの言葉にのんびりと返して笑う。


 その様子にレックスとも昔はこんなふうにまったりと話をすることができていたことを思いだす。


「……あの人はどこから変わったのかしらね。そもそもの話だけれど、ウルフスタン伯爵家は王族派閥の貴族ではないでしょう」

「そうだね」

「もともと仕えていた侯爵家に没落の兆しが見えたから、王城で勤めることを決めたという事情は知っていたわ。そしてだからこそ、私の実家のような伝手を欲しがっていたことも知っていた」

「うん」


 アイリスは思い出すように事情を口にした。


 ウルフスタン伯爵や、マーウィン伯爵家のように土地を持たない貴族たちには、特権はあっても収入がない。


 だからこそどこかの貴族に仕えたり、騎士や魔法使いの職について、収入を得る。


 それは一般的なことだ。


 アイリスの実家であるリドゲート公爵家は根っからの王族派閥で、土地を持っていつつも親類もろとも王族の側近や王城勤めの貴族を多く輩出している。


 そして、ただの王城勤めよりも、王族の側近と言える地位である専属事務官になることが出世への道筋だ。


 それは多くの王族派閥の貴族も、そうではないよそからやってきた貴族もかわらない。


 けれどももちろん、派閥というのは出世に純粋に影響する。


 アイリスが、いくら成人と同時に、王城勤めをしていたからといっても婚前にレックスと同じ地位の事務長についていたのは実家という後ろ盾があったからだ。


 王族が安心してそばにおける人材だと判断されていたからこそ、実績を積むために昇進させられ、しばらくしたら専属に引き抜かれるだろうとも言われていた。


 そんな中、熱烈にアピールをしてきたのがレックスだった。


「私と結婚したら、入り婿でなくてもリドゲート公爵家の親戚筋になる。それが彼らにとってどれだけ大きなことかわかっていた」

「……」

「実際に結婚してレックスにはすぐに昇進の話が来たわ。……義母も義父も善良な人だったし、うまくやっていけると思っていた、でも難しいものね……リオン」

「……そうだね」


 つまるところ、レックスの仕事で現状を支えているのはアイリスの実家の力だった。


 誰のおかげで、今の暮らしがあると思っているのかという彼の問いかけの答えは、半分以上レックス以外の人物のおかげだとアイリスは思う。


 そしてその中にアイリスのおかげという部分もあったと思う。


 けれどもアイリスはそんなふうにレックスに言ったことなど一度もなかった。


「もっと彼に大きな態度で接して、都度都度わからせるように恩着せがましい言葉を言っていればよかったのかしら。私の功績はこんなに大きくて、こんなに貢献しているって」


 そういうふうにアイリスが行動していれば結婚生活を維持することも可能だったかもしれないと思う。


「でもそんなふうになりたくないわ。だってたくさんの人が支えてくれるから自分の生活があるなんてあたりまえでしょう? それをいちいち言わなくてはいけないなんて自分が嫌になりそうですから」

「そんなふうには暮らしたくないよね。でも結局のところ、その人次第じゃないのかな。俺は、もし君がそう言っていても、ぶつかることが増えただけで彼が変わっていたとは思えないよ」


 アイリスの言葉に同意しつつもリオンは、人それぞれという言葉を返す。


 けれども今のアイリスにその言葉は響かなかった。


 信用していた人があんなふうに変わって、もし自分に彼から離れる手立てがなかったらどうなっていただろうと思うと恐ろしい。


 それに実際に離れられない人もいるのではないだろうか。


 そう思うと、どうにも人それぞれという言葉だけでは納得できない。


 多くの人は、自分が力を持った途端、人の優しさを忘れてしまうようにできているのではないだろうか。そんなふうにすら思う。


「そういう人もいるしそうじゃない人もいる。尊重し合って、関係をもてる人もいるはずだよ。実際アイリスもそうなんだし。……大丈夫、きっとまた、いい人が見つかる……と思うよ」


 難しい顔をしているアイリスに、リオンは少し言い淀みながらも最後まで言った。


 それも、多くの人から言われた言葉だ。


 これからきちんと仕事をして、爵位継承者じゃないにしても、いい人を探して女の幸せを手に入れればいい。


 多くの人にそう励まされた。


「それに、もう、後悔はしたくないから、言うけれど。俺、君のことがずいぶん前から好きだった」


 ふとリオンの話は急な方向転換を見せて、彼はアイリスに真剣な瞳を向けた。


 しかし、アイリスの気持ちは動かない。


「俺は爵位継承者じゃないし、君が結婚したころはまだまだ、下っ端で……でも今は以前の君と同じ地位にいるし、専属への未来も見えてきた。長く勤めれば爵位をもらえることもある。努力を怠るつもりはないし、もちろん君をないがしろにするつもりもない」

「……」

「どうか、少しでいいから。考えて……もらえないかな」


 リオンの頬は赤く染まっていて彼の言葉はとても真摯なものだった。


 しかしアイリスは、驚く気持ちもあったけれど、それ以上に冷めた気持ちで口を開いた。


「ごめんなさい。私、自分の多くを人任せにするのはもうごめんなの」

「っ……仕事をやめてほしいとかそういう、君を縛ることは一切、言うつもりはないよ」

「それでも」

「……それでもか」

「ええ」

「そっか……わ、わかった。でもいつでも気分が変わったら教えてね。アイリス。俺は、多分、あまり心変わりをしない方だから」

「……ええ」


 彼は、さらに自分の言いたい言葉を飲み込んで、それでも穏やかに笑った。


 長い付き合いなので、その笑みの裏に傷ついている心があることをアイリスはきちんと見抜いていた。


 けれども、きっと誰だって同じだろうと思ってしまっている心がある。


 きっと彼もアイリスが、また仕事で功績をあげれば結婚して自分のものにして奪い去って、自分の見たいものだけを見て振る舞うのだろうと思う。


 それはレックスに限ったことではなく、きっと世の中の人間の大抵がそうなのだろうとすら思う。


 だからこそアイリスはもう自分の主導権を誰かに渡したくはなかった。




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