3 からっぽ
レックスはアイリスが去っていく様子を見ていて、引き留めて謝罪をするという選択肢が思い浮かんだ。
しかし今までの自分の行動や言葉が脳裏によぎる。
間違っているなどとは微塵も思わないし正しい言葉や行動のはずだった。
どこからどう見ても事実であることはかわらない。
レックスがアイリスを養ってやっていて、もっと感謝するべきで、自分がいなければアイリスだって困るはずだ。
だからもっと感謝をして敬うべきだというレックスの主張は、なにも間違っていない。そのはずだ。
だったらアイリスを止める必要なんかない。
意地を張って、じゃあ自分なんていらないのねと言って出ていく女のことなんて、思い知ればいいと思って切り捨てて、スッキリするはずである。
なにも自分は間違っていないはずだ。
そう思って拳を握って、沈黙する。
使用人だって、アイリスが実家から連れてきた連中が多少いたから、無礼にも主人の呼びかけにも応答せずに去っていっただけで、心配なことなどあるはずない。
父や母の資産を相続し、ウルフスタン伯爵となったレックスには手足となる使用人は山ほどいるはずだ。
彼らがいればレックスが困ることなど何もない。
そうわかっているのにどこか不安がぬぐい切れなかった。
それに気がつかないふりをして、レックスはどっかりと腰かけて、大きくため息をつく。
気晴らしに酒でも飲もうと、視線を配った。
ダイニングホールで給仕や身の回りを世話していたレックスの従者はアイリスが連れてきた連中だったようで、誰一人としてレックスのことを窺っていない。
「おいっ! そこの、ワインを持ってこい」
なのでこっそりと最後にダイニングホールを出て行こうとしていた、使用人に声をかける。
すると彼女は、レックスの声になどまったく反応せずに、子ネズミのようにちょろちょろと走っていって、ダイニングホールの扉をぱたりと閉めたのだった。
「……」
それからレックスは、真顔になって、酷く不幸な自分が惨めになってもう今日は眠ってしまおうと考えた。
突然、別れを切り出した非常識なアイリスのせいで、使用人たちも混乱しているに違いない。
きっとベッドに入って明日になれば、上級使用人たちが屋敷の新たな指揮系統をきめて、ウルフスタン伯爵邸をいつもと同じ状態に戻すだろう。
ウルフスタン伯爵家には長年勤めてくれている使用人たちも数多くいるはずだ。
父や母はそれらを誇りに思って、常に美しい屋敷を保ち人を招くことで貴族としての格を維持していた。
それらを丸ごと相続したのだ、レックスはたった一日、屋敷の混乱のせいで自分が惨めな思いをしたぐらいで癇癪を起すような子供ではない。
そう思えば、使用人たちのために眠ってやることぐらい造作もないことだった。
翌日、目が覚める。いつもよりもぐっすりと眠ることができたが、それは誰にも起こされることがなかったからだった。
時間は昼を過ぎたころ、レックスの部屋には誰一人いない。
どうしていつもの時間に起こすことができなかったのかと叱る相手すらいない。
「……クソッ……ま、まぁいい、どうせ離婚するんだ、その関係で遅れたことにすれば……それにしても、何故誰もいない」
ベッドから出て、部屋の中をくまなく見まわすが、やはり従者の一人も出てくることはない。
ベッドサイドに置いてあるベルを鳴らして使用人を呼びつけるが反応がない。
「おい! 食事の支度はどうなってる、身支度を早く済ませてくれ」
扉に向かって声をかけるが、まったくもって応答がない。
「……」
数歩進んでドレッサーに移った自分の姿を見る。
寝癖がついているし、こんな服装ではとても外に出られない。
なにより目覚めの一杯も用意されていないし、他にも様々なことに苛立って「早くしろ!」と自分の部屋の中で声をあげた。
しかしやっぱり反応がない。
その様子に、レックスは今までに一度も味わったことのない異常を感じてぞくりとする。
こんなことは人生で一度も経験したことがない。
なにか、とんでもない事件でも起こって、夜盗にでも使用人たちが惨殺されたのか。
そんな可能性すら思い浮かんで、部屋から飛び出して、廊下を歩く。
「おい! 誰かいないのか!」
声をかけながら速足で使用人を探す。
どこもかしこも異様な光景で、開けっ放しの扉、台座から落ちている花瓶。
貴族が足を踏み入れる場所ではない洗濯場へも向かうと、そこには平民の下働きが数名おり、頭をさげた。
しかし探しているのは彼女たちのような下賤の民ではない。
あちこちの扉を開けて、レックスは自分の世話をできる人間を探し回った。
そして文句の一つでも言ってやろうと躍起になっていたが、最後に先日、ことが起こったダイニングへと向かった。
するとレックスが乱暴に開いた扉がそのままになっているところを見つけた。
「…………」
あの時のまま、放置されているダイニングには一晩放置されて腐敗しているメインディッシュが置かれている。
「…………うそ、だろ」
そうしてやっと、レックスはレックスの生活を支えていた大切な人々が丸ごといなくなったことに気がついた。
「誰のおかげで」その言葉に彼女が答えなかった理由がわかりそうになった。
けれども受け入れられずに、また「おい! おいっ!」と呼びかけながら屋敷を歩き回ったのだった。




