10 勝敗
「それでは、アイリス様、わたくしたちも仕事につきます。この度は本当にありがとうございました」
丁寧に再度お礼を言ってソフィアは、そっとインク壺をカバンの中に戻して、去っていこうとする。
これで、コールマンも自分の考えを改めるだろう。
そう思って、ふと視線を向けたが、そのころにはもう彼女はアイリスたちのすぐそばまで来ていて、眉間にしわを寄せて鋭い瞳でこちらを見ていた。
「あら? どうかしましたか」
その様子に気が付いたソフィアは、首をかしげて彼女のことを見つめた。
「……」
「コールマンさん?」
アイリスは進み出た彼女が黙ったことによって、促すように呼び掛けた。
すると彼女はぐっと顔をあげて、馬鹿にするように半笑いでアイリスたちにいつも通りの間延びした声で言った。
「バッカみたいですねぇ、仲間がいるからってノコノコと年増の叔母さんたちがやってきて、リドゲート事務長も偉そうにしちゃってぇ」
「……」
「誰もこんな人たちお呼びじゃないでしょぉ? 見え張ってそんな高いだけの間抜けしか買わないインクを持って、なにが真似してしまいましたですかぁ?」
「……」
「なんかかわいそぉ、私だったら耐えらんない、流石離婚歴があるのにリオン様みたいな人を狙う図太い人は違うんですねぇ?」
彼女は、くすくす笑ってアイリスたちのことを纏めて、馬鹿にした。
それが、自分たち若い女性たち全員の主張かのように自信たっぷりに笑みを浮かべる。
しかし、誰一人として彼女に賛同する人間はいない。
むしろ、彼女のことを怪訝そうに見つめる人間すらいる。
そしてアイリスも、ソフィアたちも、彼女の言葉はまったくもって響かない。
なんせ、彼女の言葉はまったくもって的外れで、この場にいる誰もが理解したことを、こんなにわかりやすく示したことを全部理解できていない。
贅品税のことなど常識の範疇であり、むしろ知らずに高価なものをわざと買っている人がいてそれを馬鹿にしたりなんてしたら貴族としての品格を疑われるのは馬鹿にした側の人間だ。
そしてそれだけならまだしも、アイリスの行為をきちんと理解しないまま自分の考えだけを振りかざして食って掛かった。
その様子に、ソフィアは、口元に手を添えて小さく息を吐きだすように「ふっ」と笑った。
それからアイリスに視線を向けて言う。
「若いですね」
まったりと彼女は怒りもせずに若いの一言で流してやる。
その言葉にアイリスもうなずいて、返す。
「ええ、とても若く勇敢な女性ですよ。彼女は」
そしてアイリスは皮肉を言った。
その勇敢は蛮勇というのだと彼女はまだ知らない、幼く尖った世間知らずの女の子だ。
そんな子の言葉にいちいち腹を立てることなどない。
「なっ、なによ! 図星のくせに、お高く留まって……」
「図星?」
「そうですよ! 違うっていうんですかぁ?」
「……違うと言ってもそうと言っても、あなたは自分の見たいものしか見ないし、きちんと人のことを考えて接することはできないでしょう。コールマンさん」
「は?」
アイリスは、それからきちんと彼女に向き合って言葉を紡ぐ。
「もっと視野を広く持って、きちんと現実を見てください。あなたが腰掛けでこの仕事をしていようとも、この仕事がなければ国は回りません、人がいなければ進まない重要な仕事なんです」
「……」
「その場にきちんと働ける技能のある人が戻ってくることの意義やそれがどうして必要になるのか、将来のあなたにどんな影響があるのかきちんと考えて、わからなければきちんと聞いて理解できるようにならなくてはなりません」
彼女にアイリスの言葉は届かない。
それはわかっている、けれども言った言葉はきっと記憶には残る。
だからいつかわかればいい、そして今、彼女の若さゆえの狭い視界と思考を動かすのはそれは客観的な事実だ。
「そんな説教されたって━━━━」
「見てください。周りを。コールマンさん」
彼女の言葉をさえぎってアイリスは彼女から視線をあげて、部屋全体を見回した。
彼らはアイリスではなくコールマンの方に怪訝そうな視線を向けている。
彼女はよく、皆という言葉を使うがその皆が彼女の意見に反対している。
つられて振り返った彼女は、多くの視線にたじろいで、小さく息をのんだ。
「……は、わ、私なにも間違った事なんて……」
「言っていないかどうかは、皆の目を見ればわかりますね。それともここで、どちらが正しいかはっきりとさせたいですか?」
「っ……」
「私はそんなふうにあなたを打ちのめしたいわけではないのよ。……あなたと違って若くはないので、友好的に……ね?」
彼女の言った言葉をそのまま返してアイリスは彼女に問いかけた。
動揺している彼女は、あちこちに視線をやって、肩を小さくきゅっと上げる。
その仕草はまるで子供のようで「席に戻ってください。仕事を始めましょう」とアイリスが促すと、うつむいたまま、一歩進む。
それからパタパタと駆けだして、自分の席に戻って、とても小さくなった。
その様子にアイリスは、ホッと息をついてそれからまたいつもの通り業務についたのだった。




