1 問いかけ
ウルフスタン伯爵邸のダイニングホール。そこでは一組の男女が静かに夕食を取っていた。そんな中、イラついた様子で男が口を開く。
「誰のおかげで、今の生活があるのか君は本当にわかっているのか?」
夫のレックスに問いかけられて、アイリスは食事を嚥下して、パチパチと瞬きを二回した。
そして、少し考えてから答える。
「誰のおかげかなんてそんなこと、口にする必要があるのかしら」
厳密に考えれば答えはあるのかもしれない。しかし、アイリスはわざわざそんなことを考えて決める必要などないと思う。
なぜなら程度に差はあれど、この場にいる自分たちも、屋敷に務めてくれている使用人たちも、かかわりを持ってくれている多くの貴族もたくさんの人がこの生活を支えている。
その事実がある以上、誰か一人をそうだと決める必要はどこにもないのだ。
しかしアイリスの返答が、レックスは想定外の答えだった様子でぐっと眉間にしわを寄せてアイリスのことをまっすぐに見つめた。
「……感謝の一つもする気がないのか」
絞り出したかのような言葉に、アイリスは彼が言って欲しい言葉を察することができた。
けれども訂正するつもりなど毛頭ない。静かに食器を置いて彼を見つめ返す。
「俺が、王城に務めて、俺が、出世して事務長になって、俺が自分の時間を削って働いて、俺が、貰った給金で、俺が、相続した屋敷で」
「……」
「俺の財産で、この生活は成り立ってる。今、食べている物も、君が着ている服も、君が当たり前のように使っている使用人も、家具も食器も何もかも」
彼はとても神経質に一つ一つ言葉を区切ってアイリスに言い聞かせるように丁寧に言った。
「全部俺のおかげで、あるものだ。それを君は我が物顔で使って、食べて、暮らして感謝の一つもないのかよ」
忌々し気に彼は言葉を紡ぐ。
もちろん感謝はしている。
帰ってきたときにもねぎらいの言葉も掛けた。
ただ、アイリスもアイリスのやるべきことをやっている。使用人を采配し、現状の屋敷を維持するためにさまざまなことを常日頃こなしている。
だからこそ施しを受けているというわけではない。
感謝はするが、お互い様だろう。
誰か一人だけのおかげで今の暮らしがあるわけではないのだから、媚びるつもりも、へりくだるつもりもまったくない。
「はーあ、俺は嫁選びを間違えた。アイリスは家では、何もしていないのに職場の連中は、俺の働きをいつも働いてた頃の君と比べる」
それを不満に思っていることも、アイリスは彼の話の端々から感じ取っていたが、それを承知で同じ職場の中で結婚を申し込んだのだろう。
そんなことぐらいは予測していると思っていた。
「全部、俺の功績で、俺のおかげなのに、当の君すらその態度だ。こんなに良くしてやっているのに」
結婚当初は、レックスもアイリスのことを尊重してくれていた。
いつからこんなふうになったのか、明確な転換点があったわけではないと思う。
しかし、しいて言うなら義父母が比較的早く他界したころからだろうか。
彼よりも、身分が高い人間がいなくなり彼は変わっていった。
言葉を尽くしたこともあった。
使用人たちと協力して何か不満があるのかと慎重に聞き出したりもした。
しかし、元同僚の王国事務官のリオンから聞く限り、職場での目下の人間への態度も酷くなってきているらしい。
それを聞いてやっと気が付いた。
彼は、変わったのではなく、隠さなくなったのだ。
自分の横暴さも、傲慢も、自分がそう振る舞っていい場所を見つけたら、それを恥ずかしげもなくさらけ出して気持ちよくなりたい。
そういう人間だったのだ。
「どう思ってるんだ。君は、もっと俺に尽くすなり、態度を変えるなりあるだろ」
「そうね」
「俺が全部君に与えてるんだ。俺のおかげで、君のすべてがある」
「……」
「そんな君がどんな態度を取るべきかわかるだろ?」
「……ええ、わかりますよ」
過激な言葉を使うわけでも、暴力をふるうわけでもない。
自分が働いているという事実を振りかざして、アイリスのことをいのままに操ろうと言葉を重ねた。
そんな彼の言葉に同意して、アイリスはちらりと侍女のドロシアに視線を向けた。彼女は、目が合うと小さく頷いた。
それからレックスに視線を戻して、アイリスは目を細めて彼を優しく見つめた。




