1-③
ベットの横の空間に置かれた机には3人分のお茶が注がれており、それに合わせてクッキーや一口サイズの焼き菓子が置かれていた。一つ二つと手を伸ばしてマーチャはそれを頬張り、アネットは静かにお茶を啜った。アインは最初こそ警戒をしたがこの空間でそれは必要ないと判断したのか、二人に続いてお茶を啜り始める。マーチャの背後にはキーツが控えており、恐らく彼女に危害を加えようとすれば先ほどのように吹き飛ばされるだろう。
「なにから話すべきか……今の学院の状況をどこまで知ってる?」
「魔法適性のある平民方の中に特待生レベルの方がいて、その方が第一王子である貴方様のお兄様に気に入られている。そしてそれを機に貴方を蹴落とそうとしている方がいるということくらいでしょうか」
「流石ノーブル家といったところか。俺が話すことがほとんどないな」
「お褒めにあずかり光栄ですが、客観的に見たところです。実際にどうなのかは当人の方々しかわからないと思います」
「そうだな」
カップを傾ければ茶色い液体はアインの喉を潤していく。空いたカップにメイが次のお茶を注ぎもう一度口に付ける。彼女が煎れるお茶は彼のお眼鏡に適ったようだ。
「ほとんど間違っていない。俺に危害を加えたのは兄と彼女の取り巻きが勝手に行っているだけで本人たちはもしかしたら知らない可能性があるが」
アインの動作は流石王族といったものだろう。カップ一つ手に取る動作も、それを置く動作も絵になるものだった。
「俺とカベルは同い年だ。しかし継承権はあっちの方が上。それはカベルの母親が正妻で俺の母親が側室というのが理由ではある。俺は元々それを承知しているしな、将来はカベルの横で手助けができればいいと思っていたし、母親もそう言っていた。だが周囲はそう思わなかったらしい」
アインは再び喉を潤す。彼の出生事情は貴族では周知の話であり、それを取り巻く状況というのは想像に容易い。正統性など関係がない。多くの人々は自己の利益を求めて他人を巻き込む。
「第一王子の派閥が貴方様に危害を加えると考えるのは容易いですが……なるほど、学院という誰が不特定多数の人間が多くいるこの状況だからこそ手を出し始めた、と言ったところですか。こういってはなんですがカベル様の現状を考えても確かに理由などいくらでも作れますからね」
「カベルは今ミーアという平民に目を向けているからな。俺の現状などしらないだろう」
「ふむ」
話を聞いてアネットはカップを置く。何かを考えているアネットの横でマーチャは話が聞き飽きたのか何かを書き込み始めていた。
「アネット、なにか思っているのなら話してほしい。肩書と言うのなら気にしないでいい。率直に、彼女にしていたように話してくれ」
「よろしいのですか?」
「あぁ。既に彼女のことを俺は気にしていないんだ」
「マーチャと同じとなると難しいですね。彼女は幼馴染なので。しかしわかりました、では率直に話させていただきます」
椅子に座りなおしてアネットはアインに向き直る。その雰囲気は先ほどと少し変わり、ダメな子供を見る保護者のような視線を持っていた。
「アイン様は影に徹したいようですがそれをするには実力を表に出し過ぎましたね。身内、それこそカベル様と信頼のおける側近数名だけに実力を出せばよかったのです。今のあなたは出る杭は打たれる、というのを文字通り表現されているといった感じですね。そしてカベル様ですが」
一つ息を吐いてアネットの話は続く。
「何を色恋に溺れているのかというのが率直な感想です。恋愛自体は悪いことではないですが、周囲が見えなくなるほど溺れているのであれば話は別です。このままでは臣下の言葉に疑いを持つことすら覚えない愚王になりますよ。それで困るのは国と民達なので何とかしてほしいですね。それにあの特待生が本当に聖女だった場合これから起こることに対して何も策を立てていないように思いますけど、アイン様の方でなにかご存じですか?」
「聖女~?あ~、あの子ね~」
アネットの言葉に反応しマーチャは起き上がる。その瞳にはなにが写っているのだろうか、天井に向けた視線は動かない。
「あ~だからかぁ~、死の庭が最近賑やかなんだよね~。そっかそっか~聖女が出てきたからなのか~うんうん」
「マーチャ……はぁ……アイン様大丈夫ですか?」
アネットはマーチャの発言に思わずため息を吐く。そしてその視線を向けられたアインはと言えば目を大きく見開いていた。それもそのはず。彼女の発言に出てきた『死の庭』というのはかつての伝説の後、死の力が強すぎた故に不浄の地とされそこを訪れる人間は居らず、罪人たちの行く末、流刑地として扱われる場所だったからだ。けれど彼女は今自然とその地の名前を出した。アネットの発言もそうだったが次々と自分に浴びせられる未知のものに思わずアインは、笑い出した。
「アイン様?」
「どうしたの~?なんか不具合かな?」
「お嬢簡単に近づこうとすんな」
椅子に凭れかかり笑い出すアインに周囲の人間は不思議そうに眼を向ける。アインの身を包んでいるのは歓喜だった。敵でも味方でもなく、片や自分を王族と知った上で率直に意見を述べる人間。片や自分を王族とすら知らない人間。そして自然と、ごく普通の場所の様に人々が嫌う地名が出てきた。今まで自分の周りには決してなかったものがここには溢れていた。
「不具合でもなんでもない、大丈夫だ」
「そう~?」
「あぁ、それよりさっき言った話を俺は聞きたいんだが……」
「いい~よ~。アネットが良いって言ったらね~」
「そうか。アネット、俺は彼女に救われている。だから彼女に対して不利なことはしないと約束する」
「ふむ、ひとまず今日は解散しましょう。もう放課後ですし、これ以上アイン様が学院内で姿が見えないと逆に話が大きくなりますので」
アインの言葉にマーチャの発言はなにも変わらない。彼女の言葉の発し方も態度も何も変わらない。足を乗せてソファに座る視線は自分が持っている紙に向けられていた。アネットは立ち上がると扉の方へ近づきアインの方を向く。今日は本当にお開きの様で彼の目はこれ以上ここへの滞在を許さないものだった。
「アイン様後日私の方から伺いますのでそれまでお返事はお待ちください。そしてここでのことはどうかご内密に」
「わかった。……アネット今日はありがとう。お前の言葉はその通りだと俺は思う。お前の発言の答えだが、俺の所には現時点では何も話は来ていない。しかし大臣達に力を伸ばすように婉曲に言われているがな」
「そうですか。お答えありがとうございます。この扉を出て真っすぐに歩いてください。そうすれば学院の見知った場所に出るはずです。道中お気をつけて。また学院で会いましょう」
「ばいばーい~」
「あぁ、また学院で」
アネットは二人の言葉を背に扉を出る。扉を出たその場所は深い森の様で周囲には木々があった。しかしそれ以外には何も見えない。視界の端々はぼやけており、見えるのは真っすぐに続く道だけだった。すぐになにかしらの力が作用しているのがわかったアインはアネットの言葉通り真っすぐに進むことにした。歩いてしばらくすれば耳には自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、視界も晴れた。いつもの見慣れた学院の姿に息を吐いて後ろを振り向けばそこにはもう道はなかった。
「なるほど、さすが実験棟といったところだな。国を傾けるほどの才能たちの集まるところだ」