1-①
「ふぁ~。身体が痛い……」
男の耳に聞いたことのない声が聞こえてくる。呑気そうな女の声だ。地面を踏む足音が男に近づいてくる。この声の主が敵なのか、味方なのか、男にはわからなかった。そして男にはそれを判断する術もなかった。男の身体は限界だったのだ。指を動かそうにも、足を動かそうにも身体は痛みに悲鳴を上げており、声をあげようと思っても地に落ちた男の気力ではどうしようもなかった。
(もう、どうしようというんだ)
気力もなく、体力もなくした男は最早投げやりに目を閉じた。
目を閉じた男に近づいた女は興味深そうに腕を後ろに回して男を見下ろした。
「珍しいね~人が落ちてる。死の庭でもないのにね」
「どうする、お嬢」
「拾ってこ~」
女の後ろからまた違う男の声がする。お嬢と呼んだ女の傍らから現れた顔に傷のある男は倒れている男に怪訝な目を向けている。女はそんなことを気にした様子もなく倒れた男に対して背を向けた。女のその行動に男はため息を吐いて倒れた男に近づくと、物の様に担いで女の後ろを追った。
「知らない人間を拾ってまたアネットに怒られるぞ」
「知らない~。アネットが来たらお茶用意してね」
「それは俺じゃなくてメイの仕事だろ」
空気に薬品の匂いが混じっている。倒れていた男が目を覚ました時に思ってことはまずそれだった。鼻に着く匂いの発生源はどこだろうと男は視線を動かそうとして気が付いた。身体の痛みが緩和されていることに。手には包帯が巻かれており、額には何かが付いている感触がする。おそらく湿布のようなもので薬剤が付いているのだろう。しかし体を起こすには体力がまだ回復していないのだろう。腕に力を入れても力は入らなかった。
「ふー…」
思わず息を吐いて男は焦った。ここがどこなのかも、誰が自分を治したかもわからなず、敵か味方なのかもわからないのに、安心したかのように息を吐いてしまった。それが聞こえたのか、倒れた男に近づいてくる影があった。
「目が覚めたのか」
現れたのは顔面に傷のある男だった。顔面に傷のある男は倒れた男がなにかを言う前に視界から消えてしまった。視界に人が消えて男は改めて部屋の中を見回す。視界に入るのは薬草や瓶といった、何かしらの実験に使いそうなものが多くあった。床は見えないが、あまり綺麗ではないと思った。
(ここは、実験棟か?)
男は自分が通っている学院の構図を思い出す。通常の授業が行われる校舎と同じ敷地内にあるが一般生徒はおろか特待生クラスの中でもさらに秀でた人間に与えられる個人の研究所。男自身も縁がないゆえにはっきりとここがそこだとははわからない。
「起きたんだね~。気分はどうかな~眼はキョロキョロしてるから問題なさそうだね~。んじゃ口開けるよ~」
倒れた男が思考を巡らせている間に近づいてきた間延びが特徴的な女は男が返答をする前に男の口を開ける。見慣れない道具で男の口の中を見て満足そうにした女は白衣のポケットの中から錠剤を取り出し男の口に放り込む。
「はい、飲んでね~。回復薬だよ~」
誤飲するのではと慌てる男に流石に哀れに思ったのか、顔に傷がある男が吸い飲みで水を与える。多少飲みやすくなったそれで錠剤を飲み干した男は先ほどまで動かなかった体に力が入るのがわかった。ゆっくりと体を起こした男に女はいつの間に用意したのか紙を持ってこちらを見ている。
「気分はどうかな~?」
「……問題ない」
「そう?眼見してね~?」
そう言って近づいた女の手を起き上がった男は掴んだ。そして先ほどまで自分が眠っていた場所に叩きつけるようにして女の喉元にペンを突き立てる。
「答えろ。お前は誰だ?なぜ俺を助けた?そして先ほど飲ませたものはなんだ?」
「多い~質問が多いよ~」
「お嬢だから言っただろ。回復させるのは早いって」
「でも飲ませなきゃわからないからさ~」
「おい、質問に答えろ」
「あ、でも視界は大丈夫そうだね~感度良好って感じかな~。骨とかも戻ってる感じするね~」
喉元の近くに突き立てているペンを持った指に女の手が触れる。なにかを確認するように女は男の指に触れて満足そうに話す。自分が殺されかけているという現状をわかっていないのか、わかっていてこれなのか。予想だにしていなかった女の様子に男は戸惑う。そしてハッとした。ここには顔に傷のついた男が居たことに。気づいて後ろを向いたとき、男の身体に衝撃が走り、彼は壁に叩きつけられ床に座り込んだ。流石に苦しかったのか息を整えるように起き上がった女に顔の傷のついた男は近づく。
「お嬢大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。頑丈にしててよかったよね~。キーツ加減した~?壊れちゃったら駄目だよ~」
「加減してる。今度診るならメイに拘束させろ。じゃなきゃ俺が骨を折る」
「え~いいよそんなの~」
「その前にお客様です。お嬢様。キーツ」
二人の会話に入ったのは黒を基調にしたメイド服を着た女だった。メイド服の女の言葉を聞いてお嬢様と呼ばれた女は扉の近くに立つ。そんな彼女を守るようにしてキーツと呼ばれた男も扉の近くに立った。木製の扉の前には誰かの気配があり、それが客人だったのだろう。しかしそれは彼女たちにとっては見知った気配で、女は扉を開けた。
「アネット~」
「今度は何をしたんだマーチャ!!‼」
緑髪をした男は部屋の主である女の名前を叫んだ。