一杯の水
夏のある日河原で一人バーベキューを終えぼんやりしてると突如男の叫び声が。
耳を傾けるもよく聞こえない。耳が悪いとかではなくあちらの問題。
周りがうるさすぎるのだろう。分かるよ。こっちだって似たようなもの。
焦り過ぎで何を言ってるのか聞き取りにくい面もあるのかな。
しかし三回も繰り返せば何となく分かるものだ。
「水ですね」
どうやら川の水ではなく飲み水を欲しているらしい。
「そうだ。水だ! 水をくれ! 」
男は自分のことばかり。こちらの都合も考えずに喚き散らす。
「うーん。自分でそれくらい何とかしてくれませんか? 」
興奮して余計に怒り出しそうなので丁寧に対応するが機嫌が悪くなる一方。
「水をくれ! 一杯の水をくれ! 」
大声で何度も何度も懇願する男を哀れに思い水を恵んでやることに。
だがそれには思った以上のリスクが。
「増水が終わって安全が確認されてからにしませんか? 」
「馬鹿野郎! 喉が渇いた! 早く持ってきてくれ! 」
対岸の男は飲み水を欲している。それは出来れば何とかしてあげたい。
しかし大量の雨水が増水した川に流れ込み大変危険な状況。
そんな中で橋を渡ったりましてや船で運ぶなど命がけと言うより無謀だ。
誰が知らない酔っ払いのために水を持って行くんだ?
冷静になれ。相手にする必要などない。
「間もなく救助のヘリが到着します。それまで我慢してくれませんか? 」
こんな日にバーベキューするんじゃなかった。
「頼む! 一杯でいいんだ! 」
「無理ですって。大人しく待っててください。こっちだって救助待ちなんだから」
まったく冗談じゃない。なぜ見ず知らずの酔っ払いに命を掛けなければならない。
私だってお腹が空いてるんだ。水は充分に予備があるとは言え食糧は尽きた。
それなのに一方的に要求するばかり。
「なあ頼むよ。一杯でいいんだ。ケチケチせずに頼む! 」
あと三十分も我慢すれば救助のヘリが来るのに図々しくも水を求める。
酔って喉が異常に乾いたんだろうな。分かるぜその気持ち。
でもそれは平時の時であってこの非常時には通用しない。
橋は水浸しでもう渡れる状況にない。
後ろには民家もあるんだから逃げればいいのに立往生。
それほど水の勢いは強く突発的だった。
こっちだって増水の影響で川と川の間に閉じ込められている要救助者。
だから大人しく救助を待つべきだ。
遠くの空から救助のヘリが。ただ被害はここだけではないのでまだ時間が。
「ダメだ! 水を! 」
もう限界を迎えた男は水を飲もうと橋まで走り出した。
「危ない! 」
忠告空しく増水した橋に足を取られ転倒。そのまま川に吸い込まれる。
あと少しで救助のヘリが来たのに。ヘリの到着を待てずに走り出す哀れな男。
それほど喉が渇いたのだろう。喉の渇きとお酒の影響で冷静な判断が困難に。
残念だがこれでは自分にはどうすることもできない。
ようやく救助のヘリが到着した。これで一安心。
「大丈夫ですかお怪我は? 」
「私は問題ありません。ただ橋で転倒した男の人が川に…… 」
「申し訳ない。今は急ぎますので」
こうして一人だけ助かる罪悪感に苛まれながら生還を果たす。
それから一週間後。男が流された橋に花を供え水をかけ手を合わせる。
さあ行くとしよう。
名もなき男の最期を看取った自分を誇りに前を向く。
こうして今日も河原でバーベキューを楽しむのだった。
<完>