未完成の僕と君
何らかの液体で満たされたガラスケースの中で、僕は生きていた。
どういう仕組みかは分からないけれど、頭には知識、体には栄養が入ってくるようだ。
ガラスケースの外には、白衣の人たちがたくさんいた。何かを書きながら、僕の成長を見守ってくれている。
しばらくの月日が経って、僕はガラスケースの外に出ることができた。空気中での呼吸に上手く切り替えられずに、倒れて苦しんだ。でも、白衣の人のひとりが優しく背中を撫でてくれると、ようやく呼吸することができた。
体を拭いてもらい、生まれて初めて服というものを着る。服に慣れると、それまで何も着ていなかった自分を急に恥ずかしく思った。
その日から、外の世界での生活は始まった。
改めて、言葉を覚えさせられた。世界のことを勉強させられた。ガラスケースの中で何もせずとも吸収できた知識は、必要最低限のものだったと知る。だけど、外の世界の学習のほうが、ままならないはずなのに楽しかった。
友達ができた。僕と同じように、ガラスケースの中から外に出た人だった。体の造りが違う。女性というもののようだ。僕は男性というものらしい。
必要以上の接触は禁じられていたけれど、僕たちは空いた時間を見つけては会っていた。そのうち、僕は彼女に特別な想いを抱くようになっていた。
彼女も僕に対して同じように想っていたようで、お互いに特別な存在として惹かれていった。
僕と彼女は重なった。
それから、僕は彼女と会えなくなった。彼女が姿を見せなくなったからだ。誰かにどうしたのかと聞いても、答えてはくれなかった。
部屋のベッドに仰向けに寝て、彼女を思った。自分の真上に彼女の姿をイメージして、手を伸ばす。でも、何もつかめない。
彼女に会いたい。
涙があふれた。とめどなく。とめどなく。
自分の部屋のドアが開いた。視線をドアのほうへ向けると、そこには彼女が立っていた。沈んだ顔でうつむきながら。
なぜそんな顔をするのかという不安よりも、久し振りに再会できた喜びのほうが勝った。思わず、笑みがこぼれる。
起き上がって、彼女の元に向かう。抱きしめたいと、愛しい気持ちを抱えながら。
近付こうとする僕に、彼女は銃を構えた。それを見た僕は、驚きの表情を浮かべて足を止める。
瞬間、彼女がうっすらと涙を流す。それで、僕は悟った。
彼女は、僕を撃たなくてはいけないのだろう。
僕は彼女の姿を今一度目に焼き付けると、穏やかな顔になりながら、ゆっくりと目を閉じた。少しでも、彼女の傷にならないようにと。
愛する人に——君に殺されるのなら、それも悪くはない。
短く、長い、沈黙。
「ごめんなさい」
彼女の最後の言葉を聞いてすぐに、銃の音が響いた。
銃弾を受けて倒れた僕には、まだ意識があった。もうじき途切れるだろう、微かな意識。わずかに与えられた、時間。
その時間のすべてを、彼女を想うことに使った。
彼女を、想う、ことだけに——。
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私たちは、けっして愛し合ってはいけなかった。
愛を知ってしまった私たちは、死ぬことを望まれてしまったから。
けれど、唯一助かる方法を授けられた。
彼の私への想いを消すこと。私との記憶もすべて。そのための銃弾を私が撃ち、彼とは二度と会わないこと。
愛する彼に会えなくても、彼がこの先も生きていてくれるのなら。
「ごめんなさい」
愛したあなたに、さようなら。
私に愛を教えてくれて、ありがとう。
銃声が、静かに響く。
二人の結末の、悲しい音色のように。