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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

崩之助は笑わずにはいられなかった

 一

 今年は例年よりも涼しい夏で、テラス席でも問題なく過ごせた。だけど、暑いことには変わりなく、向こうの道路に目をやると蜃気楼が浮かんで見える。

 コップの中の積み上げられた氷が崩れる音が聞こえる。

 アイスコーヒーを飲み終わっても彼女は来ず、喉が再び渇いたので先ほど頼んだのと同じものを頼む。

 なぜ、暑い夏にテラス席でアイスコーヒーを飲んでいるかと言うと彼女を待っているのだ。

 それも、僕には勿体無いぐらいにとっても美人な。

 彼女と知り合ったのは、僕が大学に上がってすぐのころだ。まだ、右も左も分かりきってない時、向こうから声を掛けてくれたのだ。

 初めは、サークルのお誘いだと思ったけど、純粋に道を尋ねたかったらしい。

 その時は、お互いいそいそとしていたけど、ちゃんと行きたい場所を見つけられて、その上、連絡先も交換する事になった。

 今でも信じられない。

 やっぱり、夢じゃないよな?

 夢じゃないよな?

 胸に手を当てて、現実かどうか疑っていると店員がアイスコーヒーを持って来た。

「お待たせしました。コーラになります」

 ん? 僕はアイスコーヒーを頼んだはずなのだが、不思議に思い顔を上げる。

「それとも、彼女はいかがですか?」

 店員のように声を掛けて来たのは、天使の様に優しそうで、赤ちゃんの様に柔らかそうな頬っぺ、うるっとした唇の女性だった。

 彼女はニヤリと目を細めながら、笑っている。

「こ、琴己さん!」

 思わず、大声を出してしまった。

 そう、目の前の彼女こそ、僕のガールフレンド、影山 琴己〈かげやま ことみ〉さんだ。

「あははは、蓮くんはいい反応をするね」

 琴己さんは、笑いながら僕の目の前に座る。

 恥ずかしさで頬をかいた。

「びっくりしましたよ。店員かと思ったら、琴己さんだったなんて。ほんと、心臓に悪いからやめてださいよ。もー」

「ごめん、ごめん、君がそんなに驚くなんて思ってもみなかった。でも、とってもいい顔していたよ。ほんと……食べちゃいたいくらい……」

 彼女はボソリと、僕の驚いた顔の感想の後に何か呟いた気がするが、何だっただろうか?。

 僕は腕の下に敷かれていたメニューを渡す。

「そうだ、メニュー見ますか?」

「見る見る。ありがとう」

 琴己さんはメニューを眺める。

 僕が頼んだアイスコーヒーが……今度は本当の店員がやって来た。その時、メニューを見ていた琴己さんは、店員にパフェとアイスティーを注文する。

 まっすぐ伸びた鼻先に、ツヤのある髪、誰もが目を釘付けしてしまいそうだ。

 ほら、去っていった店員さんも他の店員に話している。

 パフェを待っている間にアイスティーが運ばれてくる。彼女は、ストローに口付け飲み始めた。

 ごくり、ごくりと飲み込むたびに気になってしまう。

 パッと飲むのを止めると濡れた唇が琴己さんを色気付ける。

 そんな風に見始めると……胸元が大きい

 いかん、いかん、何を考えているのだ、僕は!

 この人をそんないかがわしい目で見ちゃダメだ。ダメだよな?

 改めて、自分にこんな、素敵なガールフレンドが出来るなんて、夢を見ているみたいだ。

 彼女の顔に見惚れていると、琴己さんが話しかけてくる。

「ねぇ、最近話題のおまじない、知ってる?」

「おまじない……ですか?」

 突然の事に僕は聞き返してしまった。

「えぇ、女子の間では流行ってるのよ。やってあげよか?」

 ニカっと笑う彼女を見てしまったら、断る理由なんて何もない。

 僕は速攻返事をした。

「はい、ぜひ! じゃなくて、どうぞ」

 勢い余ってしまった。

 恥ずかしくなる。だけど、琴己さんは優しく受け止めてくれた。

「蓮くんは元気があって羨ましいよ」

「琴己さんは、お疲れなんですか?」

「ええ、まあね。でも、私は大丈夫、こう見えて丈夫なのよ」

「そうなんですか? へぇ、羨ましいですね。僕はよく怪我をしちゃうんですよ」

「そうね、この間なんて、階段から落ちてたものね」

 僕は頷く。

「はい、まあ、大怪我にはならなかったんで」

 苦笑いを浮かべる僕に琴己さんは叱ってくれた。

「ダメだよ。自分の体は大事にしないと、腕を出して」

 この人はなんて優しいのだろうか? 僕のために叱ってくれている。でも、なんで手を?

 僕は言われるがまま、手を出した。

「君がまた、怪我をしない様におまじないをかけてあげる」

 そう言いながら、僕の腕に赤いペンで何かの模様を書いた。

 何となくだが、植物の蔦に見える

 思わずなんなのか聞いてしまう。

「これは?」

「君がひどい怪我をしない様に、おまじないよ」

「なんで腕に? こういうのって、手の甲とかに書くものじゃないんですか?」

「腕の方が隠しやすいでしょ? 長く蓮くんを守ってほしいから」

「嬉しいです」

 へちゃへちゃに顔がニヤけてしまう。

「お待たせしました。いちごパフェです」

 ちょうど、パフェが届いたみたいだ。

 琴己さんは、パフェに刺さっている細長いスプーンで、天辺のアイスを掬って口にほう張る。

「ん〜冷たくて、美味しい〜蓮くん、このアイス、とっても美味しいよ」

「それは良かったですね」

 彼女の笑顔を前に僕は、またしても、思ってしまった。

 僕みたいな、なんの取り柄のない人間を好きになってくれる人がいるなんて、本当に夢の様だった。しかし、彼女の幸せな顔を見られるのは、これが最後だと、僕は知る由もない。

 

 

 二

 目を覚ますと僕は、知らない天井を眺めていた。

 白くて、明るい天井だった。

「……」

 体を起こせば、カーテンがベッドを囲んでいた。まるで、保健室の様だ。

 どけて見ると、診察室の机と椅子が置いてある。

 ますます、なぜ、僕がここにいるのか、分からない。

 カフェを出た辺りまでは、思い出せるのだが、その後は、所々記憶が飛んでいる様な気がする。なんなら、全く思い出せない。

 僕はなぜ、ここに居るのだろうか?

 頭を抱えていると部屋に入る扉が横にスライドする。

「おや、もう起きたのかい? てっきり、まだ、寝ているのかと思ってしまったよ。失礼、ノックもせずに」

 平手謝りをしながら部屋に入って来たのは、着物の上から白衣を着たメガネの男だった。

 男は下駄を鳴らしながら、僕の前を通り自分の席に座った。

 この男は一体誰なのか? 疑問に思っていたのが、顔に出ていたのだろう。

 席に着いた男は椅子を回して、向き合いながら自己紹介を始める。

「私の名前は、新庄 崩之助。まあ、ホウノスケと呼んでくれたまえ」

「ど、どうも」

 反射的にお辞儀をする。

 ホウノスケと名乗った男は、簡単になぜ僕がここにいるのか、教えてくれた。

「君は、この近くの坂道で熱中症になっていたんだ。そこに私の助手がやって来て君をここへ連れて来たんだよ。私もこの通り医師だからね。地方で働いている人を呼ぶより手っ取り早いと思ったんだろうね」

 肩をすくめながら彼は笑みを浮かべる。

 そこに甲高い笑い声をしながら小さな子供……の様な人形が現れる。

「にゃはははは、何をふざけた事言ってんだよ。あの時、ホウノスケもいただろ?」

 人形は両手で、お盆を持っており、スポーツドリンクと氷の入ったコップと何も入っていないコップが乗っていた。

 少女の手先をじっと見ていた。指の関節には、黒い隙間がある。

 目線を上げると、ピンクにちょっと赤が混じった髪の色をして、何か企んでいる様にニヤニヤと笑っている。

 僕がマジマジと見ていたのに気づき、お盆を机に置いてこっちを向いた。

「ん? どうした? そんなに珍しいか? にゃはははは、あたしは正真正銘の人形だ。ただの子供だと思ったら、痛い目を見るぞ」

 その証拠にと人形は自分の腕を引きちぎった。

 関節のところが抜けただけで、ポンと間抜けな音が響く。

 これはどちらかと言うと引き抜いたと言うべきか……

 いや、そんな事よりなぜ人形が、動いているのだ? 新型のロボットなのだろうか?

 分からない事だらけで、頭が混乱する。

「彼女は、私が作った人形でね。性格に難はあるのだが、他はそこそこ優秀で助かっているんだよ。特に他に意識を向けてくれる所が……」

 ホウノスケは、スポーツドリンクを氷の入ったコップに入れてから渡す。

「驚かせてしまったね。とりあえず、これを飲みなさい」

「えっと……どうも」

 なんと言えばいいのか分からず、少し頷くことしか出来なかった。

 もどかしい気持ちになって来た僕は、スマホを見たくなり、辺りをキョロキョロと見渡す。

「何を探しているんだい?」

 ホウノスケが聞く。

「いえ、ちょっと、スマホを……あの、倒れている時に鞄とか見かけてませんか?」

「あぁ、それなら、そこにあるじゃないか」

 彼は、自分の机の横を指差した。そこには、大きい籠があって、僕の鞄が入っていた。

 ベッドから出て、中身を確認する。

「君の荷物は、揃っているかい?」

「はい、すみません」

「何を謝るんだ? 別に何も悪い事はしてないだろ?」

 眉を顰めながらホウノスケは首を傾げる。

 確かに、何もしてないのに謝るのは可笑しいのかもしれない。でも、それ以外になんと言ったら良いのだろうか?

 彼の質問に戸惑っている僕を見て人形が大きくため息を吐いた。

「おい、ホウノスケ、こいつ、困ってるぞ」

 言われて、ハッとなり、ホウノスケは、頭を抑えながら謝る。

「いや、すまない。私は見ての通り変人でね。皆が当たり前に言っている事でも気になってしまったんだ。今みたいに、ただ、聞いただけで、謝られるとこっちとしても、どうしたものかとなってしまってね。私は、こう言う時は、ありがとうと使うのが、あってると思うんだよ」

 彼は、何も入ってないコップにスポーツドリンクを入れて、一口飲んだから続ける。

「もちろん、謝るほうが、使い勝手がいいのは、分かる。でも、それは違う気がするのだ。まあ、君に強制するわけじゃないから気にしないでくれ」

 そう言いながら、もう一度、飲み物を口に含くむ。

 なんと返せばいいものか、何も思い浮かばなかった僕は、はぁとため息に近い返事をしてしまう。

 ピロリン

 ちょうど、鞄からスマホを取り出そうとしていた時、ラインが鳴った。

 見ると琴己さんからだった。

『今どこにいるの?』と送られて来ている。

 よく見るとその前にも何度か、連絡が来ており、

『蓮くん、どーこー』

『蓮くん、どこにいるの?』

『何かあったの?』

『着信』

『着信』と一時間前ぐらいに送られて来た。

 心配させてしまったらしい。僕は、電話をかける為に一言言ってから、部屋の外に出た。

「すみません、ちょっと電話をかけて来ます」

 外に出ると受付の部屋に繋がっていた。白い壁に乾燥してヒビの入ったソファーが並べられている。

 部屋の真ん中には、季節でもないのにストーブが置いてあった。なぜだろう?

 気になりはしたが、気にせず、琴己さんに折り返しの電話をかける。

 着信音が鳴り始めてからすぐに繋がった。

「あ、もしもし、琴己さん? 僕です。蓮です」

「蓮くん! どこにいるの? ずっと探してたんだよ!」

 普段よりもワントーン声が高くなっていて、スマホとの距離を置いてしまった。

「すみません、どうやら、熱中症になってしまって、近くの病院に運ばれていました」

「え? そうだったの? 体の方は大丈夫?」

 心配する向こうに対して、こっちは落ち着いていて、僕は自分の腕に書かれていたおまじないを眺めながら答えた。

「はい、琴己さんのおまじないで、体の方は大丈夫です」

 それを聞いて、安心したのか良かったと言葉を溢すのが聞こえた。

「ちなみに今どこにいるの?」

 聞かれた瞬間、僕はあっと声を漏らす。

 背中を曲げて正直に答える。

「すみません、どこにいるのか聞くのを忘れてました……」

「うちは、新庄診療所だよ。電話の相手にそう教えてあげて」

 横から声が聞こえてきた、見るとホウノスケと人形が受付からこちらを覗き込んで見ていたのだ。

 何をしているのだ、この人たちは?

 分からなすぎて苦笑いが出てくる。

 僕は気を取り直して琴己さんに教えた。

「新庄診療所だそうです。はい、はい、すみません、はい、はい」

 僕は電話を切った。

「彼女さんから?」

 ホウノスケが聞く。

「はい、近くの駅まで迎えに行くって言っていました」

「そうか、駅からだとそれなりに距離があるのだけどね。優しい彼女さんだ」

「はい、僕には、勿体ないぐらいです」

 僕は、誇らしく言った。

 そうか、と頷いてからホウノスケは、少し考え込むように俯く。顔を上げて僕に聞いた。

「さっき、コトミと言っていたっけ? もしかして、影山 琴己さんかい?」

 驚いた、なぜ、彼女の名前を。思わず目を見開く。

 彼は軽く笑ってから言う。

「いや、実は、うちの常連にね、彼女の元彼が来ていたんだ。彼も、君みたいに彼女を溺愛していたよ。でも……」

 目を逸らしながら話す。

「彼女には、あんまりいい噂を聞かないんだ」

 僕は首を傾げる。もしかして、裏アカで色んな悪口を言っていたりするのかな?

 それとも、嫌味を話したりするのだろうか? そんな風に考えたが、どちらも正直、あまり聞きたくない。だけど、ホウノスケが言った事は、どちらでもなかった。

「彼女と付き合った男はみんないなくなるってね」

「はぁ?」

「いや、気にしないでくれ。私は、少し外周りに行ってくるから、適当に涼んだら駅に向かうといい」

 ホウノスケは、ぐるりと受付所から診察室に回り込んで外へと出ていった。

 

 

 三

 人形と僕、二人取り残されたが特に話す事は何もなかった。

 僕は、荷物を持ってとっとと外に出ようと、荷物を取りに診察室に戻る。

「お前は、自分の彼女をどう思うんだ?」

 突然、人形が聞いてきた。

「別に悪い噂があっても、どうとも思わないよ……」

「違う、あたしが聞きたいのは、ホウノスケが言っていた事じゃなくて、誰だったけ? そう、琴己とか言う女の人のことだ」

 鞄を肩にかけながら答える。

「とっても、素敵な人だよ。優しくて、可愛くて、僕には勿体無いぐらいだ」

「……」

 人形は何も答えない。振り返ってみるとどこかつまらなそうに遠くを見ていた。

 彼女は目を回してバカバカしいと一周する。

「あのヤブ医者は、酷いことを言うもんだよ。あー面白くない、お、も、し、ろ、く、な、い!」

 僕はほっといて帰ろうとした。

 最後に頭を深々と下げてお礼を言う。

「それじゃあ、僕は帰ります。助けて下さりありがとうございました」

「おい、待て、そう言うのってホウノスケに言うもんじゃないか? あたしは人形だ、人じゃない」

 言われてみれば、そうなのだが……琴己さんの元に早くいって、安心させたいのだ。

 どうしたものか、考えた末、人形に聞く。

「何か、メモ用紙はありますか? 置き手紙を書きたいんですけど……」

 人形は、頷きながら不気味に笑う。

「にゃあはははは、そうだな、それがいい。ちょっと探すから待ってろよ! おっと、これはいかん!」

 受付所の辺りを軽く探して、わざとらしく両手を上げる。

「あたしとした事が、誰も来ない診療所のせいで、無駄にメモ帳を使ってしまった」

「えぇ、何に使ったんですか?」

「落書き」

 ニカっと笑う。

「悪いがお使いを頼まれてくれ、メモ用紙は、あたしじゃ届かない所にあるんだ」

「別に何かの裏紙があれば……」

「そんな物はない」

 バッサリと吐き捨てられた。

 僕はため息を吐く。それが了承してくれたと受け取られ、人形は、どこにあるのか、伝え始める。

「メモ用紙は、診察室の奥。地下に繋がる扉があって、そこから降りろ。地下に置いてあるんだ。地下に降りたら、そばの棚の上に置いてあるはずだ。あそこは、あたしじゃ届かない。取ってきてくれ」

 んじゃ、頼んだぞと言って人形は、外へ出ていった。

 一人になった僕は、このまま帰る事もできた。しかし、あの人形に言われた通り、会わずに帰るのはちょっと気が引けてくる。だけど、琴己さんに早く会いたいし……

 診察室の奥に続く扉の方を見る。入り口と同じスライド式の扉だ。

「……」

 メモ用紙を取りに行くことにする。

 ドアの部を握ると違和感を覚える。向こうのほうで物がつっかえている様な、そうであって欲しい様な、まるで、明日学校が休みだったらいいな、みたいな期待をしてしまった。

「……」

 ゆっくりと扉を開く。

 清潔感のあった診察室とは、全くの反対で黒く変色した木材にどんよりとした空気が広がっていた。

 恐らく、仕事場と住居が合体している家なのだろう。

 横を見ると確かに扉があった。

 この扉は、全面木の板で作られているのだが、重々しい存在感だ。

 思わず唾を飲み込んでしまう。

 手を伸ばして、ドアの部を捻るとガチャンと音が響く。ゆっくり引くとギーと耳障りな音が鳴る。

 その先には、地下へと続く階段があった。一寸先は深淵で、もしかしたら、地獄に繋がっているのかもしれないと錯覚を覚える。

 そんな、馬鹿な話はないと首を振って自分をからかう。

 不意に悪臭が鼻を襲う。錆びた鉄の匂いに近い様な、血の匂いの様な……

 行くと決めたのだ。僕は意を決し、ゆっくりと階段を降りて行く。

 階段の傾斜は高い物のそんなに深くなくすぐに降りれた。

 地下は何も見えず、どこに棚があるかなんて分からない。

 近くに電気をつけるスイッチがあればと壁を触る。

 ふと、誰かの手に触れた様な気がする。

 慌てて手を引き戻す。

 ヤモリか何かがいるのだろうか?

「……」

 今度は反対側を恐る恐る触れてみる。手をついた場所に出っ張りがあった。

 すぐにスイッチだとわかる。

 ホッとしてため息をこぼす。

「こんな所、とっとと出ていこう」

 独り言をこぼしながら、すぐに棚を見つけられる様に暗闇を見ながらスイッチをオンにする。次の瞬間、こんな事をしなければよかったとすぐに後悔をした。

 明かりがついた瞬間、僕が目にしたのは凄惨な光景だった。

 奥の方まで続く棚には、目や内臓らしき物、それどころか、人の頭が瓶に詰められて飾られていた。

 その先には、拘束椅子に座らされた男の人がいた。

 その人はぐったりと俯いて息をしていない。腹はどす黒く変色して、内臓が引き抜かれていた。床は、赤く染まっていた。

「なんだ……これは……」

 僕は後退りする。まさかと思い、先ほど手にした感触があった方を見た。

 そこには、釘で壁に貼り付けにされた女の死体があった。何度も叩かれた後と縫い合わされた後が残り、悲痛に顔を歪めている。

 僕はすぐさま逃げ出した。今更、メモだ、感謝だ、なんて言っていられない。

 これは事件だ。

 階段を駆け上がり、診察室から待合室へ、滑る床をなんとか堪えて外へと飛び出す。

 冷えた体に蒸し暑さがまとわりついて来る。

 辺りは草がぼうぼうと生い茂って、診療所を囲う様に高い塀が建てられていた。

「あっ、見つけた! 蓮くん!」

 目の前に琴己さんがいる。僕は急いで駆け寄り彼女の手を取った。

 乱れた呼吸を抑える様に整えて叫んだ。

「逃げよ! ここは危険だ!」

「え? ちょっと!」

 突然、手を握られて動揺する彼女だったが、診療所をチラリと見て邪悪な雰囲気を感じたのだろう、すぐに頷いて走り出してくれた。

 僕らは、道路を降りて駅にまっすぐ行けるトンネルを通っていった。



 四

 走り出した僕らだが、夏の暑さに体力を奪われすぐにばててしまった。

 暗いトンネルの中で、息を整えながらゆっくりと歩く。

「それにしても、もう着いてたなんて気づきませんでしたよ。場所知ってたんですか?」

 琴己さんは、首を振る。

「あんな辺鄙な場所にあるなんて知らなかったよ」

「じゃあ、どうやって?」

 僕が聞く。彼女はイタズラな笑みを浮かべてこう言った。

「君につけたおまじないのおかげだよ」

 反射で自分の腕を見てしまう。

「うそ、うそ、探してる最中に君が電話をかけて来た時、たまたま、近くにいたの」

 冗談にまんまと引っかかってしまった僕は苦笑いを浮かべてしまう。

「にゃはははは、たまたまだ? 笑えるな、ずっと近くに隠れてたんだろ?」

 突然、トンネルに甲高い笑い声が響き渡る。

 トンネルの終わり、立っている人形が腹を抱えて不気味に笑っていた。

 真っ白に見える外の光が人形を照らし、黒いシルエットを浮かべる、その姿は悪魔の様だった。

「また、そいつを騙す気なんだろ? 化け物。いい加減、化けの皮剥がしちまいなよ」

 上目を使ってこっちを睨んでくる。

「……」

「……」

 僕は人形から絶対に目を離さない様にした。

「なんだよ、そんな面も出来るのか? んな、面倒そうにして。どうやったら、そんな顔できる様になるんだ?」

 人形は、両手を広げ前のめりになる。と思ったら、頭を動かさずに転ぶ様に体を上に向ける。僕らの恐怖心を煽る様に関節を回す。

 やはり、こいつは人間じゃない。

 このままじゃ、僕のせいで琴己さんに危険が及ぶ。

 これは僕の責任だ。

 彼女の前に出て、庇う様に手を広げる。

「蓮くん……」

「逃げて……ください、ここは僕が食い止めますから」

「でも、そうしたら、蓮くんが!」

「いいんです!」

 大声を出す。

「琴己さんが、無事ならそれでいいんです。僕みたいな、なんの取り柄もないただの大学生に、あなたの様な綺麗な人がそばにいてくれて、本当に嬉しかった!」

「ダメよ! あなたも一緒に逃げよ」

「それができる保証はどこにもないんです。それだったら、僕がここで食い止めて貴女だけでも!」

 話し合っている合間にも、人形はゆっくりと近づいてくる。

 琴己さんは、今どんな顔をしているのだろうか?

 知りたい、見てみたい。でも、人形から目を離すのは危険だ。

 分かるんだ! こいつの存在は、危険なのだって、だから、だから……

 歯を食いしばっていたのだろう、少しの間、黙っていた。

 琴己さんは、やっと分かってくれた。

「そう……分かったわ」

 彼女は綺麗な手を僕の脇を通して、僕を包み込んだ。

「え? ちょっと」思わず声を漏らす。「何をやっているんですか? 危険ですから、逃げ……」

 言いかけた時、背中に強く柔らかいものが当たるのを感じる。

 当たっている……!

 心臓が破裂しそうなほど鼓動が早くなる。

 耳元で彼女は、囁いた。

「ありがと、私、今でも覚えてるわ、大学で初めて会ったこと」

「僕もです」

「一緒にいると、とっても楽しいの」

「僕もです」

「本当に逃げられないの?」

「無理だと思います……」

「愛してる」

 こんな状況なのに、この人は……琴己さんのその言葉でなんだってできる気がした。

 生きて帰ってみせる。

 僕は決意を固める。

「愛してます。僕も……」

「嬉しい……ずっと、一緒にいたい……」

「僕も……一緒にいたいです」

 これが最後かも知れないと思うと涙が溢れそうだ。暑さで倒れなきゃ、こんな危ない人たちに関わる事もなかったのに……後悔しても仕切れない。

 ふと、人形の動きが変わった事に気づく。

 先程まで、関節を滅茶苦茶に動かして歩み寄っていたのに、今は腰を低く、獣の様に身構えていた。

 まるで、自分より強い強者を前にしている様に。

 次の瞬間、肩にとてつもない痛みが走る。

「うああアアァ!」

 肩を押さえて倒れてしまう。肩を抑えた手を見るとべっとりと赤い血がついていた。

 訳も分からず、顔を上げる。

 立っていたのは琴己さんだった。

 彼女は、口を真っ赤なに染めてしまい、拭き取っていた。

 足元からは無数の長くて黒い布の様な物が生えている。

 生きている様に布はうねり、彼女に巻き付いている。

 僕はやっと気づいた。

 これは、琴己さんから出ている物だと。

「やっと、正体を表したか、化け物め……」

「化け物はあなたよ」

 いつもの琴己さんじゃない。冷たい目をしていた。

「お互い様だろ……?」

 人形は顎を引く。

 ジッと見入っていた僕に気づいたのか、琴己さんはこっちを見下ろす。

 まるでプレゼントをもらった子供の様に、好きな料理が来た時の様な満面の笑みを浮かべてほてっていた。

「蓮くん、大丈夫、私があいつをやっつけるから。でも、その前にもっとあなたを食べさせてちょうだい。そうすれば、もっと、もっと、もーっと! 私は強くなれるの」

 顔に手を添えながら自らの薬指を甘く噛み話す。興奮している。

「あなたは、一体……」

「私は……」一瞬、顔を曇らせた。「今は、それどころじゃないわ。さあ、おいで、食べてあげる。あなたは今までの誰よりも柔らかくて、脂が程よく乗っていて、最ッ高に美味しいわ! フフ、アははは」

 この時点で僕は、ついて行けていなかった。

 琴己さんが人を食っていたなんて……信じられる訳ない。

 体が震えていた。

 死への恐怖だ。

 逃げなきゃ、食われる。

 ビクビクと震えて体が動かせずにいた。

「させる訳ねーだろ!」

 人形が医療用のハサミを武器に近づく。だけど、琴己さんは、黒い布を手足の様に自由に使って、人形を絡み取った。

 そのまま、壁に叩きつける。

「グハァ!」

「邪魔、しないでくれる?」

 こんな声を出すなんて、知らなかった。

 琴己さんにこんな一面があったのか?

 違う、きっと違う、琴己さんはそんな人じゃない。

「邪魔が入ってしまったわね。ごめんなさい。さあ、一緒になりましょ」

「違う……」

 彼女が口を大きく広げた時、僕は首を振った。

「違う、こんなの琴己さんじゃない」

「違わないわ。これが私なの……」

「違う! 違う!」

 彼女は、初めて冷めた目で僕を見る。

「人には、誰しも、裏と表があるものよ。私にも、あなたにも、そして、裏は隠すものなの。あなたは、いつも私を見る時、先に胸を見てから顔を見る。いつもそうでしょ? でも、それを言わない。言う訳ないでしょ? だって、もし、そんな事を言ったら、私はあなたを嫌う……そう思ったんでしょ? それと同じよ」

 全身から力が抜けるのを感じる。

 バレていたんだ。ずっと悪いと、申し訳ないと思っていたんだ……

 これはバチが当たったんだ……僕の下心が悪いんだ。

 僕は言葉を振り絞る。

「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……僕が、悪かった。だから、元に、元に戻って琴己さん」

 冷たく見下していた彼女の目に熱が入る。

 ニヤけてしまう口を必死に抑えようとして、不気味な笑みに変貌した。

「やめてよ。蓮くん……そんな顔しないで……子供じゃないでしょ? でも、それでこそ、蓮くんよ。そんな風に愛らしい顔ができるんだから、頭だけは、食べるのをやめてしまおうかしら? いいえ、それこそ、虚しいわ。蓮くん、ごめんなさい。でも、愛しているわ」

 再び口を大きく広げて僕の顔に近づく。

 風を切る様な音が近づいてくる。

 琴己さんは、寸前の所で黒い布を顔の前に集める。しかし、飛んできた何かを抑えきれずに飛ばされてしまった。

「きゃ!」

 僕は、琴己さんが遠くに飛ばされたのを見てから、反対側を見る。

 下駄が中を浮いて、暗闇に戻っていくのが見えた。

 カラン、コロン、カラン、コロン、と音がこだまする。

 暗闇から現れたのは、ホウノスケだった。

 下駄を履き直すために地面を何度か蹴ってからこっちを見る。

「いや〜すまない、出遅れてしまった。本当は、そんな離れる気もなかったんだが……」

 縛られていた人形が彼の話を遮る。

「言い訳はいい、あいつを止めろ!」

「んん、いい気味だ。口うるさい君には、今度からそうやって布団を巻き付けようかな?」

 余裕そうに笑う。

「よくも、邪魔をしてくれたわね!」

 琴己さんが起き上がった。と思ったら、もうその場にはいない。

 弾ける様な音がホウノスケの方から聞こえた。彼女は一瞬で移動していたのだ。

 黒い布を刃物の様に扱ってホウノスケを刺し殺そうとしたのだろう。でも、それを下駄で止められていた。

 琴己さんはすぐに次の動きをする。

 全身から黒い布を広げて四方八方から刺し込んだ。

「おっと、危ない」

 彼は軽く四メートルを跳んでいた。一体いつの間に?

 琴己さんは、甲高い声を上げながら、黒い布で跡を追う。

 その時の彼女の顔は人の顔をしていなかった。黒い布に鋭い目をして、何にも例えられない恐ろしい化け物の顔だった。

 ホウノスケは、全ての攻撃を軽く交わしていった。

「あなたの事は知ってるわ! 私たちを捕まえて、解体したり、拷問をしてたんでしょ? 蓮くんが人の死体を見たって言ってたわ。噂は本当だったのね!」

「おや、あれが人の死体に? 常人にはそう見えていたのか、いやはや、勉強になる。ただ、まあ、人聞きの悪い事を言われては、商売ができない。訂正させてもらうよ」

 そう言いながら、ホウノスケは一直線に琴己さんに駆け寄った。

「私は君の様な化け物たちだけを研究しているのだよ。周りからは、マッドサイエンティストと言われるが、別に常識外な事はしてないのだ。ただ、化け物の人体はどうなっているのか? 何をすれば、どんな反応を起こすのか? それを知りたいだけなのんだ」

「そう言うのをマッドサイエンティストって言うのよ!」

「まあ、どの道、気にも止めてないがね」

 いつの前にか、琴己さんの目の前にいた。急いで薙ぎ払う。が、余裕でかわされてカウンターの蹴りを入れられてしまう。

 琴己さんは、僕の横を通り過ぎて、壁に叩きつけられてしまった。

 見ると元の人間の姿に戻っている。

「たす……けて」

 こちらに手を伸ばしてきた。

「助けて、死にたく……ない。おね…がい……」

 カラン、コロン、下駄の足音が近いてくる。

「あの子を……妹を守らないと……だから、許して、お願い……」

 虚ろになりかけた目でこっちを見つめてくる。

 僕は……僕は、その手を取ろうとした。

 グチャ。

 目の前でスイカが叩き割られる様に琴己さんの頭が潰される。

「あ、あああああぁぁぁ!」

 悲鳴がトンネルから溢れ出る。

 琴己さんは、僕を食べようとした。

 琴己さんは、僕に助けを求めた。

 琴己さんは……

 僕は、彼女の事が大好きだったのに……なのに!

 どうして、守ってあげられなかったんだ?

 食べられていれば、彼女は逃げられたのだろう。なぜ、食べられてあげなかったんだ。

 大切な人の死を前に僕は殺した男を憎む事も、自分を呪い殺す事も、どこにも向かう事ができないままうずくまってしまった。

「気にしない方がいい、蓮くん。彼女は、君を食べようとしたのだ」

 知っている……

「それに何人も殺して食っている。君の腕に書いたような、印をつけた人間の死体が、いくつも見つかっている」ホウノスケは続ける。「あの女とは、分かり合えないよ」

 分かり合えるはずだ! そう、口にしかけた。顔を上げて、男の方を見て、怒鳴ってやりたかった。でも、できなかった。

 この男の虚ろな顔を見ていると、何も言えない。

 この人は僕よりも、ずっと琴己さんの様な奴らを調べてきたんだ。だから、彼は知っていると言えるんだ。

 もう、前も向けない。

「おい、こいつ、大丈夫なのか?」

「さあ、分からない」

 ホウノスケと人形の二人の話し声だけが聞こえる。

「前も襲われていたのに、覚えてないみたいだぞ。全力で庇っていた」

「もしかすると、この手の印が記憶を改竄したのかもしれないね。もしくは……」

 ホウノスケは口籠る。

「もしくは、なんだ?」

「恋のせいかもしれない。最も、私には縁の遠い話かもしれないがね」

「違ええねえ、にゃははははは!」

 最後に聞こえたのは、二人の酷い笑い声だけだ。



 気がつくと、彼女と待ち合わせをしていたカフェのテラス席に座っていた。

 ちょうど、飲み物が届いて目の前に置かれる。

「お待たせしました。アイスコーヒーです」

 僕は黙って店員が去っていくのを待った。

「……」

 腕を見るがおまじないは消えていた。

 トンネルの事は、ハッキリと覚えている。

 最悪だ……これが夢だったら……

 ふと、悪い夢だと思った。悪い夢で、琴己という彼女も、怪物に襲われたのも、たまに見る鮮明な夢だと思った。

 そう思ってスマホの思い出の写真を見る。でも、夢などではなかった。

 写真には綺麗な女性が僕の横に並んで写った写真が何枚も残っている。

 優しそうな目に、赤ちゃんのように柔らかそうな肌、うるっとする唇、そして……無意識に鼻を押さえた。

 彼女がいたのは、夢じゃなかった。だけど、トンネルのは、きっと……

 僕は、運ばれてきたアイスコーヒーを飲みながら、その人が来ること願った。

 無駄だと、あの出来事が夢だと、そうだと信じて待つ。

「お待たせ」

 その声に顔を上げる。だけど、人違いだった。

 後ろで待ち合わせをしていた人たちの和やかな会話が聞こえてくる。

 方を落として座り直した。

 その後も何の変化も起こらず、気づけば、大雨が降っていて、店員に中に入る様声をかけられた。

 そこで、ようやく、現実なのだと思い知らされた。

       

       完


怪しいものじゃないよ、あやかしだよ。

どうも、あやかしの濫です。

ちょっと、短い話を書きたいと思って、夏を探してました。

今回は試しにまとめて投稿してみました。いい感じだったら、キャリー・ピジュンの方でもそうしようかなと思ってます。

 今回は一気に投稿したので、もう少しだけ……

 ホウノスケのイメージの中で、「ゲゲゲの鬼太郎」要素が入ってます。はい、知ってる人ならすぐに分かったと思いますがリモコンゲタですね。あれ、武器として洒落てて好きなんですよ。

 「ゲゲゲの謎」がまた、映画館で見れるみたいです。見たくないけどもう一度見たい。

 鬼太郎の話はこの辺に……今回、書いた話は割と癖が出ちゃった気がします。

 興奮した琴己さんを書いてる時、すごい、生き生きとして書いてました。楽しかった……

 「崩之助は笑わずにはいられなかった」を読んでくださり、本当にありがとうございます。

 もう一個、この話の続きを書いたので、来週はそっちを投稿する予定です。

 ぜひ、読みに来てください。

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