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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鳳がゆく

作者: 三田弾正

山口多聞氏の架空戦記創作大会2024春の参加作品です。

航空母艦大鳳が早期建造された世界観の太平洋戦争です。

昭和十七(1942)年7月7日


■北太平洋ミッドウエー環礁近海


「敵機直上急降下!」

大日本帝国海軍第一航空艦隊旗艦の艦橋に見張員の怒声が走る。

怒声に反応した草鹿少将が艦橋窓から身を乗り出し上空を見るとグングン敵機の姿が大きくなってくる。


「取り舵一杯!」

艦長の声が響き操舵員が操舵輪を一杯に回すと、艦はゆっくりと回頭を始める。

水平線の雷撃機を迎撃していた高角砲や機銃も遅れながら、上空の敵機に狙いを定め撃ち始めるが間に合わずに明後日の方向で砲弾が弾ける。


「間に合わん、伏せろ!」

草鹿少将の叫びに艦橋にいた多くが身をかがめる。

”ドガーン、グワーン”


轟音とともに飛行甲板中央部付近に数発の爆弾が命中した。

爆発が収まり防空指揮所の見張員が頭を上げると、近くにいる第一航空艦隊の空母達から黒煙が上がっていた。


「加賀、蒼龍、赤城被弾!」

見張員の声に艦橋は静寂に包まれる。

「各艦の被害状態を確認せよ」


速攻で現実に帰った草鹿少将が参謀達に命令をし、苦虫を噛みつぶしたような顔をする南雲中将に事後承諾を受けるべく話しかけた。

「長官、第二次攻撃隊は敵空母に向かっております。ここが正念場です」


「うむ」

草鹿少将の言葉に南雲中将は頷く。

そうしている間にも、魚雷も爆弾も撃ち尽くした敵機が上空から消える。


そしてそれを待っていたかのように続々と各艦からの被害状況が連絡されてくる。

「加賀、被弾4、火災は食い止める事が出来ましたが、艦後方右舷、前部エレベーター及び艦橋窓ガラス破壊、前部リフト、艦中央飛行甲板、上部格納庫陥没、離着艦不能」


「赤城、被弾1、同じく火災は鎮火、後部エレベーター陥没、現在のところ離着艦は不能なれど、応急修理後に発艦は可能とのこと」

「蒼龍、被弾3、現在炎上中なれど、火災は鎮火しつつあり、艦前部、中部、後部に被弾、機関停止航行不能」


あまりの損害に南雲中将や参謀達の顔面から血の気が引く。

「長官、本艦はスプリンター被害は有りましたが、飛行甲板、エレベーター、発促(発艦促進装置カタパルト)も無事です。そして飛龍も健在です。まだまだやれます」


草鹿少将が力強く励ました。

そんなさなか、通信員が電文を持ってきた。

「第二次攻撃隊より入電、我敵空母を雷撃す、効果甚大」


「長官」

草鹿少将の声に南雲中将の顔面に朱が差す。

「うむ、帰還した第一次攻撃隊から直ぐさま出せる機体に対艦装備を行い発艦準備だ」


「「「「はっ」」」」

本会戦以来初めて聞いた南雲中将の力強い声に参謀達が動き出した。

十数分後、チンチンチンとエレベーターの上昇を伝える警報音が響く最中に艦橋後部にある電探室から報告が入る。


「電探室より報告、半径50海里に敵影無し」

報告を受けた南雲中将は艦長に話しかけた。

「柳本君、私の考えが古かったようだ、君が主張したように、電探は闇夜の提灯じゃ無かったよ」


南雲中将の言葉に、大鳳艦長柳本柳作大佐は会釈を行う。

「いえ、長官の仰ったことも確かです。電探も点けっぱなしでは敵を呼び込みます。今後は航空機にも電探を積み哨戒し、敵艦の電探波を逆探で上手に探知し敵襲来前にどの程度の距離で探知し始めるかが今後の課題かと」


「確かに、電波を四六時中出している訳にもいかんからな」

「まあこの話は、艦政本部にいる先輩からの受け売りなのですが」

「ああ、あの第四部部長か」


柳本の話に南雲中将も察したように頷く。

「先輩は、とにかくアグレッシブな方ですので」

「確かにな、吉田(吉田善吾)先輩が大臣になるときのとばっちりで塩沢(塩沢幸一)先輩が艦政本部から軍事参議官にされたときも食ってかかっていたな」


「はい、『優秀な塩沢本部長をハンモックナンバーが下の人間より下位の職責だからと言って罷免するのは最大規模の利敵行為だ』と米内(米内光政総理)閣下の下へ直談判にいったそうです」

「当時は大問題になりそうだったが、米内閣下が『熱い男だ』と不問にしたな」


「本艦の早期建造もしかりです」

「そうだな、本来なら郵船の客船を建造するはずだった川崎の建造順番を強引にひっくり返したな」

「はい『欧州で大戦が始まっているさなか、国威高揚だとか、オリンピックの為だとか無駄なことだ、前時大戦の際にはオリンピックは中止になったでは無いか、それに米国では海軍拡張計画が次々に可決されているのだから、今は一刻も早く130号の建造を始めるべきだ』と」


「海軍省から軍令部、聯合艦隊まで巻き込んで大運動を起こしたな」

「そうですな、すったもんだの末、四部長は川崎や郵船には相当恨まれたらしいですが」

「先輩は、全然動じないで笑ってましたが」


「四部長らしいというか、なんというか」

南雲長官と草鹿少将は苦笑いした。

「そういえば長官、空母の蒸気式発促や斜め甲板、舷側エレベーターも第四部長の発案とか」

草鹿少将が思い出した感じで話した。


「そうだな、俺が軍令部にいた頃から、色々と動き回っていた男だったな」

「はい、『真田さん神がかり』とか、『困ったときの真田大明神』とか、『こんな事もあろうかと』とかありました」


「二式の(二式艦上偵察機)の無線機もでしたな」

「ああ、今までの物だと空電が多かったがよく通じるようになったな」

「そのおかげで、敵空母を発見できたのですから」


「確かに真田大明神だ」

話題の第四部長の話で艦橋の緊張が解かれていた。


「赤城より、甲板応急修理完了、第3次攻撃隊準備よろし」

「加賀より、艦首発促使用可能、戦闘機なら発艦可能」

「飛龍、山口少将から、発艦準備完了済み、早急な発艦を求む」


「蒼龍より、火災鎮火、なれど発着艦不能、全力発揮不能なれど半舷再起動成功、出せうる速力12ノット」

各艦からの報告に南雲中将の目が光る。

「各艦発艦開始、第三次攻撃隊目標敵空母」

長官の声に参謀も動きだす。


大鳳、赤城、飛龍から九七艦攻、九九艦爆、零式艦戦が飛び立っていく。

「さあ。皇居に落とした爆弾のお返しをしたるぞ!」

大鳳飛行長の声が響き渡った。



昭和14年3月12日


■霞ヶ関 軍令部第二部第三課


「やはり、130号の早期建造をするべきだ」

「しかし、建造計画自体を変更すのは難しいのは?」

「4号艦建造後なら船台がうくだろう」

 

「船台には郵船の船の建造が入っているだろうが」

「順番を変えればいいだけでは?」

「しかし、建造計画の問題があるが」


喧々諤々の中、艦政本部第四部長が力説を始める。

「既に欧州ではドイツと英国との大戦が始まっているさなか、国威高揚だとか、オリンピックの為だとか無駄なことだ、前時大戦の際にはオリンピックは中止になったでは無いか、それに米国では海軍拡張計画が次々に可決され、戦艦だけ無く、空母も増産されようとしているのだから33号(翔鶴)、4号(瑞鶴)だけでは心許ない、今は一刻も早く130号の建造を始めるべきだ」


四部長の力説に多くの部員や課員が『なるほど』と頷く。

その一言で流れが変わった。


その後、一ヶ月間は海軍省、軍令部、聯合艦隊、川崎重工神戸艦船工場、日本郵船では上を下をの大騒ぎになったが、結果的に第130号艦は繰り上げ建造が決定した。




昭和17年4月18日


■北太平洋洋上


4月18日06:30、第二十三日東丸から『空母2隻を含む機動部隊発見』という通報を受けた聯合艦隊は「対米国艦隊作戦第三法」を発令。第二艦隊司令長官近藤信竹海軍中将(旗艦愛宕)の第二艦隊と臨時編成の空母部隊に米機動部隊の捕捉・撃滅を命じる。近藤中将は前進部隊指揮官として内地在泊艦艇を指揮することになった。 愛宕は空襲前日に横須賀に戻ったばかりで、近藤長官以下第二艦隊首脳部は4月18日朝から軍令部に出張していた。


そのような中、4月2日に東京湾上で新型戦艦と新型航空母艦として大和とともに天覧を受けた空母大鳳は、パラオで座礁し艦底を損傷し修理とともに小規模改装を行った空母加賀と完成したばかりの空母祥鳳と重巡洋艦摩耶、軽巡洋艦神通、第四駆逐隊、嵐、野分、第十五駆逐隊、親潮、黒潮、早潮とともに北太平洋上で訓練中だった。


因みに大和は天覧後は早々に呉へ帰還し当日は柱島泊地で停泊していた。


その為、近藤中将よりの命令で大鳳以下の空母部隊は部隊の最上位指揮官たる、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将の指揮により、敵機動部隊撃退の為に北東へ進路をとった。


午前7時05分、命令を受けた、田中少将は、直ぐさま、当時試験中で大鳳に搭載されていた試製艦上偵察機D4Y、後の二式艦上偵察機の全機である二機を放った。


艦偵は巡航速度230ノット(426km)を超える280ノット(518km)でグングンと第二十三日東丸が報告してきた北緯36度4分 東経153度10分付近へ進んでいく。一時間を少し過ぎた8時17分頃、待望の無電が大鳳と神通の艦橋に伝わる。


『敵艦見ゆ、北緯36度2分、東経153度6分、空母2、巡洋艦4、駆逐艦複数、空母は航空機発艦中』

その電文を聞いた田中少将の目がキッと開く。

「加賀、大鳳、祥鳳に命令、敵空母を攻撃せよ発艦準備!」


その際の彼我の距離はおよそ二百七十海里、零式艦上戦闘機は往復可能だが、九七艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機は往復困難であった。


しかし加賀の楠美正飛行隊長の『是非攻撃させて貰いたい』の声に、田中少将が『全速で迎えに行く』と答えた事で第一次攻撃隊、加賀、大鳳、祥鳳から零式艦上戦闘機27機、九七式艦上攻撃機(九一式航空魚雷搭載)18機、九九式艦上爆撃機18機が午前8時27分に飛び立った。


第一次攻撃隊が発艦後、田中少将は前言通りに全艦に北東へ最大船速で向かうように命令した。

そのさなかに、第二次攻撃隊の準備が整い零式艦上戦闘機18機、九七艦上攻撃機(九一式航空魚雷搭載)9機、九九式艦上爆撃機9機が発艦していく。


当時の艦載機は加賀が艦戦21、艦攻27、艦爆27、祥鳳が零式艦戦10、96式艦戦4、96式艦攻4、大鳳が艦戦24、艦攻15、艦爆18、試製艦偵2の合計零式艦戦61、96艦戦4、97艦攻42、96艦攻4、九九艦爆45試製艦偵2の合計158機であった。


大鳳と祥鳳の艦載機は戦闘機隊を除き練度が低かった為、参加を希望したが遠距離攻撃の第一次、第二次攻撃隊としては参加できず、距離を詰めた後、第三次攻撃隊として参加する為に待機させられていた。


接触中の艦偵からは逐次電文が入る。

「空母は、双発機を発艦中」

「双発機は西へ向かう」


「敵双発機は16機」

「敵艦隊、180度回頭!」

この無電に艦隊に焦りが生まれる。


「奴ら逃げる気か」

「しかし、艦載機を捨てることになるぞ」

そんな中、柳本大鳳艦長が、思い出したのか話す


「そうか、奴ら双発機を大陸に逃がす気だ!」

艦長が直ぐに、田中少将に意見具すると、少将は本土に対して細評を暗号文で送らせた。


艦偵からは「敵機襲来、我に追いつく敵機無し」の電文が届くが、逃げられるとの焦りがだんだんと大きくなる。


午前10時35分楠美正飛行隊長からのト連送と艦偵からの『攻撃開始』の電文が入る。





結果的にアメリカ側は空母ホーネットが魚雷一発命中、250kg爆弾数発命中、空母エンタープライスは巧みな操艦で250kg爆弾一発が命中しただけであり。沈没は身を挺してエンタープライズに向かった魚雷に体当たりした軽巡洋艦ナッシュビルだけであった。


日本側は、哨戒部隊が大損害をうけ、空母隊は艦艇の損害は皆無だったが、艦載機の損害が多く、今後のアメリカとの戦争の楽観論に冷や水を浴びせた。



昭和17年4月18日


■日本本土


日本本土では当初艦載機による攻撃だと考え、攻撃は明日以降だとされていたが、空母部隊からの報告で双発攻撃機が向かっているとわかると、陸海軍とも慌ただしく動き始めた。


海軍にしてみれば以前九三式陸上攻撃機を空母赤城や加賀から発艦させようとした過去がある為、アメリカも同じ事をしたとわかり、急いで横須賀航空隊などの零戦を発進させた。


陸軍は南方作戦に一線機を送っていた為に本土防空に対処できたのは旧式の九七戦だけであったが、立川の陸軍飛行実験部実験隊にあった一式戦、キ44、キ45などが燃料弾薬を満載し帝都防空に飛び立った。


更に水戸飛行場で陸軍飛行実験部実験隊の荒蒔義次少佐、梅川亮三郎准尉がキ61の模擬弾による射撃訓練予定であったため、直ぐさま実弾に換装し発進した。




これら一連の事件はドーリットル空襲と呼ばれ、日本アメリカに多くの齟齬や事件を生む原因となった。


ドーリットル空襲を行ったB25は16機、その中で中国大陸へ逃げ切れた機は6機、日本側が撃墜したのが9機、行方不明1機であった。


結局ジェイムズ・ハロルド・ドゥリトル中佐、後に少将に特進はアメリカへの帰還はならなかった。

彼の一番機は水戸飛行場より飛び立った荒巻少佐、梅川准尉のキ61の攻撃で大破したあと、近く飛行していた一〇〇式輸送機に体当たりをして両機とも炎に包まれ墜落した。両機とも生存者は皆無だった。


B25は水戸付近を通過した機体が多かった為、荒巻少佐、梅川准尉とも多数の機体に攻撃を行い、撃墜9機のうち荒巻少佐が3機、梅川准尉が4機を撃墜している。


1機は横須賀軍港上空で宮崎勇飛行兵曹ら3機の零戦隊に撃墜されたが、第六船渠で建造中の110号艦に体当たりを仕掛けたのか、船渠内に墜落した、その直後、通常の500ポンド爆弾1発とTNTとアマトール混合の500ポンド特殊爆弾1発、焼夷弾128発を束ねたM54集束焼夷弾2発、計4発が爆発し、110号艦は前部船体を大破、更に火災に晒され船体の鋼板がベコベコなってしまった。更に運が悪いことに、吹き飛んだ破片により扉船が破壊された結果、船渠内に怒濤のごとく海水が進入し、舫いを斬りさって、船体は盤木から外れ右舷に30度ほど傾いたうえ、船体が船渠から90mほど飛び出し擱座した。


不幸中の幸いは、日米開戦に伴い、損傷艦や緊急増備の艦船の建造に手が掛かり、110号艦の建造がストップしていた為、人的被害がほとんど無かったことである。


最悪だったのは東京上空で撃墜された機体であった。この機は東京第一陸軍造兵廠の兵器庫を目標としていたが、陸軍飛行実験部実験隊にあった一式戦、キ44などに捕まり攻撃をうけた機体は東京駅上空で空中分解し主な機体は皇居二重橋付近に墜落し搭載爆弾の爆発と残存燃料の燃焼により二重橋の両橋が破壊され、伏見櫓が焼失した。


幸いなことに皇族の方々に被害は無かったが、皇居に攻撃を受けたことで陸海軍の上層部の面々が顔面蒼白な状態となった。



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航空母艦大鳳は大日本帝国海軍の第4次充実計画(通称④計画)において建造された航空母艦である。本艦は帝国海軍初の飛行甲板に装甲を施した空母である。


本艦は第130号艦として計画された。主任設計者は艦政本部第四部長である真田技術少将である。


本来の計画で軍艦大鳳は昭和16(1941)年7月に、川崎重工業神戸造船所にて起工予定であったが、真田部長のごり押しに近い説得で、当初計画していた日本郵船貨客船橿原丸級の二番船出雲丸と建造順番を入れ替えて建造が決まった。


第三次補充計画における第四号艦たる航空母艦瑞鶴が進水した3日後の昭和14年11月30日に川崎重工神戸艦船工場の船台にて起工、昭和16年10月20日進水、翌1月12日に神戸港を出港し呉軍港へ移動、呉海軍工廠第四船渠に入渠して最終的な艤装が施され3月27日竣工した。既に大東亜戦争は始まっており艤装工事を3ヶ月早めての竣工であった。


大鳳進水後に日本郵船出雲丸の起工が検討されたが、すでに南部仏印進駐に対するアメリカの石油禁輸など日米交渉に暗雲が垂れ込め始めていたため、建造が中止され集められた資材は、戦時急造型空母G16型、いわゆるマル急計画の第302号艦のちの雲龍の建造に当てられることとなった。302号艦は昭和16年10月25日起工され、17年7月10日に進水、18年3月4日に竣工した。


その結果、橿原丸改め、空母隼鷹の同型艦は建造されることはなかった。

因みに出雲丸が空母となった際の艦名は飛鷹と言う説があるが、空母飛鷹はあるぜんちな丸(海鷹)級の二番船ぶらじる丸の改装後の名前であるのでこの説は眉唾である。

大鳳早期建造はこれぐらいしか思いつかなかったです。

間違って4月にフライングした作品の改訂版です。

真田さんは、あの真田さんの能力を持った一般人の転生者ですが、一九四〇年代の技術しか使えないので宇宙へ行くとかは無理です。

ミッドウエー海戦が1ヶ月ほど遅れた原因を作ったのも大鳳ですね。

水戸で落ちた一〇〇式がね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 御参加ありがとうございます。建造の順番を取り替えての早期完成と、転生者による歴史改変面白かったです。 [一言] 何気に、首相閣下が亡くなっていますね。
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