第四話
「伊藤、この間は悪かった」
高木先輩に会った開口一番、謝られてしまった。
「高木先輩、なにかしましたか?別に謝るようなことはしていないような気がしますが……あ、もしかして渡辺先輩のことですか?それなら私のほうが謝らないと……」
「違う、伊藤は悪くない。あいつ、昔からあういう絡み方してくるやつで、お前にも変なこと言っていた気がして、だから、悪かった」
クラスメイトなだけなら昔からという言葉はでてこないよな。きっと何年も知っている友達なんだろうな。
「そうそう、伊藤ちゃんは悪くない!私が悪いのよ!ってそれってどうなの?高木!」
高木先輩が大きくて、背後に渡辺先輩がいることに気づかなかった。渡辺先輩のあどけない声に私も高木先輩も驚いた。
「渡辺……」
高木先輩は困り顔でため息をついた。
「率直に聞いちゃうけど、伊藤ちゃんって、高木のことどう思っているの?いい先輩?それとも好き?」
笑顔で質問してきた渡辺先輩の目はまったく笑っていなかった。
「いい先輩だと思います。こんな私と話してくれるんですから」
即答したら、笑われてしまった。何かおかしなことを言ったかな。高木先輩とは、出会った時の印象がお互い良くなかったたから、これ以上悪くなることはないだろうと少なくとも私は思っていた。
渡辺先輩は高木先輩に好意を持っているんだろうとうことは、鈍感な私でもわかる。私に向けられる少し好戦的な言動も。私は高木先輩のことを、先輩として尊敬している。話しやすい距離感。私はこの関係が居心地がよくて、恋愛の好きとか考えたことがなかったというのが本音だ。今日はこの場を去るのがいいと判断したので、用事があると言って帰ることにした。
「すみません、次の授業があるので失礼します」
「伊藤ちゃんごめんね。ほら、高木いくよ。じゃあまたね」
渡辺先輩は高木先輩を連れて行ってしまった。
ついてない日は本当についていない。生理痛で頭もお腹も痛い状態で学校にくるものじゃない。しかし薬も飲んだし、一日静かにしていればなんとか過ごせる。そして、あともう少しで授業が終わる。私は放課後、足取り重く家に帰るだけだった。
「おい」
自転車置き場で聴いたことのある声がした。この感じ、デジャブかと思った。
「大和」
最近、大和とは話していなかったから、久しぶりに顔をちゃんと見た気がした。何か少し怒っているような。以前話しかけられた時とはちょっと違う顔つきをしていた。前にもこんなこと会った気がする。でも、今日は誰かと話せるほど、私の口は動く気がしなかった。無言で素通りした。
「お前」
面倒な会話をしたくなくて、私は手短に返事をして自転車の鍵をさそうと下を向いた。その時、体の力が一気に抜けていくのを感じた。
「おい!」
「伊藤!」
大和の声がしたが、同時に私の名前を呼ぶ別の声も聞こえたような気がした。しかし私は返事をすることができなかった。そのまま目の前が真っ暗になり、重力に逆らえず、地面に倒れたということだけが頭の中をぐるぐるしていた。
これが夢ならいいのに。ゆりと汐野がデートの約束をしているシーン。高木先輩と渡辺先輩が楽しそうに歩いているシーン。いいことなのに、なぜか寂しさもあった。でもそれは仕方のないこと。自分が望んでいてもいなくても、いつかは自分の元から離れていく。私は一人で彼らが去っていくのを見ているだけだった。
「頭いた」
最初に感じたことを口に出してみた。確かに頭を打ったような痛みが目をつむっていても感じた。
「おー、大丈夫か?」
保健室の先生がカーテンを少しあけて、声をかけてくれた。
「様子を見て目を覚まさないなら救急車呼ぼうと思っていたから、目覚めてよかったわ。痛いところは頭だけか?」
「あ、はい。たぶん倒れたときに地面にぶつかったんだと思います。すみませんでした」
頭をうったところは処置をしてくれていたので、痛いが歩ける痛さだったので、そのまま帰宅することにした。
「気をつけて帰れよ」
「はい、失礼します」
下駄箱で大和がスマホを見ながら立っているのが見えた。私は素通りして上履きを脱ぎ靴を履いた。大和がいつの間にか目の前にきていた。睨みつける顔。私より先に靴を履いて校門をでていった。
「はぁ。頭いた」
再び自転車置き場に行くと、高木先輩が座り込んでいた。
「高木先輩」
「お前、大丈夫だったか?」
「うん、ありがとうございます。高木先輩が運んでくれたんですよね?」
「ああ」
言葉少ない高木先輩は珍しいとおもいつつ、お先に失礼しますといいながら通り過ぎようとしたその時、思いきり腕を掴まれた。
「お前、ちゃんと飯くってるのか?軽すぎだろ」
怒っているような口調で言われてしまい、私は何も言えなくなってしまった。いつもの高木先輩となにかが違う。さきほど大和からも睨みつけられてしまったのがおもいのほかダメージをくらっていたのだろうか。
「別に、何もないですよ。最近ちょっと寝不足だったからかもしれません。本当すみません。高木先輩には格好悪いところばかりみられちゃってますね」
「お前さ、なんで怒らないの?」
「何がですか?」
「あいつ、やまとってやつ」
「あー、たぶん親友を彼女にとられちゃったから腹いせなんじゃないですか?」
「なんだそれ、お前は関係ないし、お前は悪くないだろ」
「まぁ、そうなんですけどね」
まるで自分のことではないような返事をしてしまった。大和のことは別にそんなに気にしていなかったというのが正直なところだったからだ。ただ、高木先輩が心配してくれることが嬉しかった。
「伊藤……」
私は高木先輩の言葉が耳の中で反響していた。お前は関係ない、お前は悪くない、そういう肯定的な言葉をくれることに感動していた。高木先輩の言葉に私の心の霧がはれていく。
「伊藤、伊藤!きいているのか?」
高木先輩が、私の名前を何度か呼んでいたようだった。あまり気にせず返事をしてしまった。
「はい」
「じゃあ、ちょっとつきあえ」
「え、どこへ行くんですか?」
「ちょっとそこまでだよ」
高木先輩の怒っている声も、私には優しい声に聞こえた。