第二十六話
「おはようございます」
「おはよう」
7時半に大宮駅の新幹線乗り場前で、と待ち合わせをした。時間よりだいぶ前に到着したが、佐藤さんも同じくらい早い時間にいた。新幹線の切符は佐藤さんが予約してくれて、手渡された。料金は後ほど支払う予定だ。
「その上着、薄くないか?」
「え」
佐藤さんの言う通り、だいぶ防寒対策をしてきた。しかし、ダウンジャケットが薄いと言われて、少しだけむっとしてしまった。
「いえ、大丈夫です」
私は佐藤さんと新幹線に乗り込んだ。座席は2人席の隣同士だった。荷物を上にあげてようとしたら、佐藤さんがひょいっと持ち上げてくれた。
「すみません。ありがとうございます」
「ああ、長旅になるからね」
大宮から秋田まで約4時間。秋田新幹線はなんでも大曲駅でUターンすると聞き、電車に詳しくない私は上手な言葉が返せなかった。
「こんなに遠くに行くのは学生時代の修学旅行以来です」
修学旅行は定番の京都だった。
「そうなんだ」
「ちょっと、楽しみです」
「それはよかった。でもあまり期待しないように。がっかりするかもしれないから」
「そんなことありません。佐藤さんが一緒なら楽しいです」
「伊藤さん……いや、なんでもない」
最後まで言わないのは佐藤さんの性格なのだろうか。それとも、私のこの性格にあきれているのかもしれない。それでも、嫌な顔しない佐藤さんは優しいと思う。
「俺、寝てるから、何かあったら起こして」
「わかりました。おやすみなさい」
私はカバンから小説を出した。電車の中ではスマホよりも小説のほうが落ち着く。新幹線内のアナウンスが流れ、車両が駅のホームを出発した。隣に座る佐藤さんはすぐに目を閉じて寝る気まんまんだ。話をしなくてもいいと思うと少し気が楽だった。
私は読みかけの小説のページをめくりはじめた。今読んでいるのは江戸川乱歩の孤島の鬼だ。続きが気になっていたが、読み進めるには勇気や時間がいるなと思って途中で読むのをやめていたのだ。一人きりで読むより、電車のなかや喫茶店など誰かがいる空間で読んでいるほうが恐怖感がすくなくなるものだ。
「何の本を読んでいるの?」
「江戸川乱歩です」
「しぶい……」
寝ていたと思っていた佐藤さんが横目で話しかけてきた。眠そうだったので話をするよりも受け答えくらいにしておこうと思って短文で返事をする。そのうち寝息が聞こえてきた。私も集中して小説の世界に入っていたので、あっという間に2時間が過ぎていった。新幹線はまっすぐ私達を運んでいた。
「伊藤さん、ごめん、ちょっとトイレ」
「あ、わかりました」
小説に夢中になっていて気が付かなかったが、佐藤さんが起きていたようで席をたった。
「なにか飲み物飲む?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
腕時計をみたら、時刻は10時を過ぎていた。今はどこらへんか?と電光掲示板をみると、次は田沢湖と表示されていた。もう秋田にはいっていたのだ。新幹線の窓からみえる風景は気持ち空気が澄んで見えた。もう自分の知っている土地ではない。
「すごい田園風景」
普段見ることのない景色に、子供のようにワクワクしてしまった。声も少し大きかったようで、佐藤さんに聞こえてしまった。
「何もないところだよ」
佐藤さんは眠たそうな声で返事していたが、私はなにもないところなんて一ミリも思わなかった。都会のゴミゴミした景色こそ、何もないところだと思うくらいだ。
「そんなことありませんよ」
否定してしまったけれど、もしかしたら佐藤さんにとってはなにもないところという意味が私とは違うのかもしれないと言ってから後悔してしまった。しかし、そのあとも佐藤さんは何も言わなかったので、私も言い訳するのはやめようと口を閉じた。
私は自覚している。佐藤さんの優しさに甘えていることに。それは学生時代の先輩と同じような感覚とは少し違う気がする。あの頃の私は先輩といる居心地の良さに、変化を求めることなんて考えもしなかった。恋愛感情なんて全くなかったのだ。渡辺先輩にも呆れられたが、今は少しだけわかる。一緒にいたい、別れてもまた会いたくなる、声が聞きたくなる。話をしている時は安心するのに、また明日、会社であえるのに、もしいなかったらと不安になることもあって、不思議な感覚だった。
私は佐藤さんに執着しているのかもしれない。それはとても醜い感情ような気がして、見てみぬふりをしていた。でも、もしかしたらこれが好きってことなのかもしれない。私はこの感情をなんと表現すればよいのかわからなかった。