第二十一話
「ガトーショコラ一緒に食べませんか?」
私はなぜ、佐藤さんにガトーショコラを食べに行こうなんて言ってしまったのか。佐藤さんを目の前にして緊張することがなかったのに、この瞬間、私は心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしていた。自分から誰かに何かを求めるということをあまりしてこなかったからかもしれない。佐藤さんの驚いた目をしていた。少しの間があき、断る理由でも探しているのかと待っていたが、佐藤さんは了承の言葉を発した。
「いいよ」
私の耳にはそう聞こえた。いいよと。
「え、えっと、ありがとうございます」
少しの恥ずかしさから下を向いてしまったが、顔を上げて佐藤さんの顔を見た。今言ったことを後悔しているのではないかもと、確認をしたかったからからかもしれない。しかし、佐藤さんはいつもどおりクールな表情だった。
「伊藤さん、俺と付き合わないか?」
一瞬、時が止まった。頭の処理が追いつかなかった。何か言わなければならないのに、何も言葉がでてこない。
「いや、返事はすぐじゃなくていいんだ。とりあえず、同じ会社の同僚として話しかけてもいいかな?」
佐藤さんが少し困った顔をしていたが、私の頭にぽんと手をおき、返事を保留にしていいと言ってくれたので、その言葉には反応できた。
「わかりました」
「そうか、よかった」
佐藤さんの困り顔から声もやわらかくなっていて、私も緊張がすこしだけ緩んだ。
「私、帰りますね」
「家まで送るよ」
「いえ、大丈夫です。もう雷もなってないので」
急に顔が熱くなって、私は立ち上がり、自分のバッグ持って玄関に急いだ。後ろから佐藤さんがついてきてくれていた。
「おじゃましました」
「気をつけてね」
佐藤さんはいつもどおりの声質だが、私の頭は停止しているようだった。
「おやすみ」
佐藤さんのやさしい声に、私の耳はまだここにいて、佐藤さんとお話していたいと思ってしまった。佐藤さんは私と違って大人だ。私はスマホを取り出して、着信を見た。先輩から結構な数の着信がきていた。雷がなっていたからか。
「いまから、帰ります」
私は先輩に急いで返信をして、大通りを走る車の中からタクシーを探した。雨も雷もやんで、荒れた街の中、私は早く家に帰らねばと焦っていた。
「あ、タクシー」
目はいいほうだったので、空車になっているのを確認して、手をあげた。タクシーは私の存在に気づき、急ブレーキでとまってくれた。
「どこまで?」
「◯◯駅までお願いします」
「はい」
「はー、まいったな」
私はスマホの画面を眺めながら、ため息をついた。
自宅付近でタクシーを降りた。スマホで時間を見たら、23時を過ぎていた。先輩はもう寝ているかもしれない。私は返信は明日にしようと思って、電源をおとした。
「おそかったな。会社で雨宿りでもしてたのか?」
「先輩……」
ドアの前に座り込んでいたのは先輩だった。
「え」
抱きしめられて気付いたけれど、先輩の体がとても冷たく感じた。私よりも大きく、力強い先輩がどこか弱々しく感じた。
「先輩、ずっとここで待っていたんですか?」
「ああ、お前、帰ってこないし、返信もないから心配してた」
「すみませんでした。心配させてしまって。私は大丈夫ですよ」
先輩の泣きそうな顔を見ながら、ちょっとだけ笑うと、先輩もようやく笑顔になった。
「寒かっただろ?早く風呂に入って寝ろよな」
「それ、先輩にそっくりそのまま返しますよ」
私は先輩との距離感がだんだん友達のような感覚になっている気がした。以前はもっと距離があった気がするけれど
「おやすみなさい」
「おお、おやすみ」
お互いの扉が閉まる音がした。
「ふう」
玄関に座り込む前に、声に出して、自分を奮い立たせる。ここで寝てはいけない。まずは靴を脱いで、手洗いうがいだ。お風呂は、もう入ったからいいのか?もう一度入る気力があまりなくて、とりあえずパジャマに着替えてベッドに入った。時間も遅い。夜ご飯って何か食べたっけ……と思いながら、もう目は閉じようとしていた。今日はいろいろなことがありすぎて、頭で処理するには時間がかかると思った。
「寝よ」
明日、考えよう。そのほうがきっといいと思う。睡眠不足で考えてもいい方向にはいかないことを私は知っていたからだ。