第十九話
「す、すみません!」
謝りながら後ずさった彼女は、少し震えていた。
「雷、苦手なの?」
雨と雷と伊藤さん。大気も情緒も不安定すぎる。震える彼女とこのまま帰ることなんてできるだろうか。
「伊藤さん、よかったらどこかのお店で雨宿りでもするかい?それともまた会社に戻ろうか?」
「大丈夫……です。帰りましょう。佐藤さん病み上がりですし、無理しないでくだ」
言葉の途中で再び雷鳴が轟く。
「キャッ!」
目を閉じて再び俺の腕にしがみつく伊藤さん。俺のスーツと一緒に心臓もぎゅっと締め付けられてる気がした。
「まだやまないかな……じゃあ、俺の家に行こう。それならいいでしょ?」
「え、佐藤さんの家ですか。でも……」
「ここにいても仕方ないし、俺も早く帰って休みたい。さあ、行こう」
彼女の返事を聞かずに傘をさして、彼女の手をぐいっと掴んで歩き始める。雨も雷もやまない中、俺の家に向かった。
「タオル持ってくるから、ここでちょっと待っていて」
「はい」
帰宅したのはいいものの、お互いびしょびしょになってしまった。途中、大きな雷の音や光に、伊藤さんがびっくりしてしゃがみこんだり、立ち止まってしまったり、雨も横殴りにふってきたり、散々だった。俺は彼女に玄関で待っていてもらい、とりあえず洗面所のバスタオルを掴んで玄関の彼女に渡した。
「ありがとうございます……」
彼女は雨でびしょびしょになった服や髪よりも、雷の怖さで震えているようにも思えて、ぎゅっと抱きしめてあげたくなったが、俺もびっしょりだったし、ぐっとこらえた。
「貸して」
俺は彼女に渡したバスタオルを大きく広げて頭からごしごしと拭いてあげた。昔、大型犬のゴールデンレトリバーを実家で飼っていたことを思い出したが、彼女はか細くてあまり強く拭くと壊れてしまいそうな感じがして、加減が難しかった。
「ぶふっ、佐藤さん、もう大丈夫ですので!」
伊藤さんが俺の手元に触れて、バスタオルが足元に落ちた。ぼさぼさの髪と濡れた服に、俺は急いで提案をする。
「先にシャワーあびて、服かわかすから」
「でも……」
「このままじゃふたりとも風邪ひいちゃうから。それとも一緒に入る?」
「えっ!」
冗談はあまり言うほうではない性格なのだが、こうでもいわないと彼女はいやいやと言うばかりだと思うので、思い切って言ってみた。
「うそだよ。冗談。でも早く入ってきてほしい。俺もまた風邪ひきたくないし」
「わかりました。すみません」
「だから、謝らない」
「……はい」
彼女の濡れた髪と少し寒そうに震えた唇。俺は急かすように浴室へ行くように告げた。俺も濡れたスーツやワイシャツを脱いでとりあえずTシャツをきた。それから、彼女に着せるようのTシャツと上下のスウェットもいちお用意した。着るかどうかは彼女にまかせよう。彼女の服は乾燥機にかけて乾かそうと思っていた。
「い、伊藤さん、濡れた服とか洗濯機に入れて乾燥ボタンを押してね。あと、着替えもここに置いておくから、わからなかったら声かけて」
「はい。わかりました」
着替えの服は浴室に入る前に渡せばよかった。濡れたスーツや下着が入ったかごを横目に見てしまった。俺自信も濡れたままではどうしようもないので、下着やスウェットを用意してから、急いで着替えた。スーツは週末にクリーニングに出そうと思って、ハンガーにかける。濡れた下着や靴下は彼女とは別のかごに入れる。自分のは後で洗えばいい。
シャワーの音も聞こえぬふりをしてキッチンに戻りお湯をわかす。平常心を保たねばならない。ソファーに座ったが落ち着かず、鞄の中からパソコンをだし立ち上げた。明日のスケジュールを見て、メールを確認する。その間もシャワーの音が部屋中に響いているようだった。自分以外の誰かがこの部屋にいる、なんだか不思議な感じがした。パソコンを閉じ、ラジオをかけようとミニコンポの電源を入れた。いつも合わせている周波数のラジオ局からパーソナリティー声と音楽が流れる。時刻は9時を過ぎていた。シャワーの音も止まり、乾燥機の音が聞こえてきた。ゆっくりと浴室から彼女の申し訳無さそうな声がした。
「すみません。お風呂ありがとうございました……」
俺は返事をしようとしたが、彼女のTシャツだけ着た状態の姿に動揺してしまった。俺のTシャツはXLだから、彼女の体型だとお尻あたりまで隠れるが、足までは隠れず、生足のままだった。
「いや、大丈夫……っ」
とっさに変な声がでてしまった。
「服もすみません」
「ああ、全然、大丈夫……」
冷静な彼女と動揺する俺、しっかりしろ。彼女がシャワーからでて、俺もすぐにシャワーを浴びる。冷えた体に温かいシャワーとほんのり自分とは違う匂いがして、目を閉じる。しっかりしろと自分に言い聞かせて温かいシャワーから冷たいシャワーも少し浴びた。
「今、ココア入れるから」
「はい」
牛乳を電子レンジで温めつつ、ココアの粉とスプーンを用意する。カップになみなみ注いだココアを二人ともふーふーしながら飲んだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
お互い目のやり場に困っていたから、ココアを飲むことで目線をカップにもっていくことで話もしやすくなった。
「そういえば、改めてこの間はありがとう」
俺は伊藤さんに頭を下げた。
「あ、いえ。こちらこそ突然おしかけてしまいすみませんでした」
伊藤さんは普段よりも小さく見えた。俺のTシャツがダボダボだから、小柄に見えるのかもしれない。そして緊張しているのかあまりこちらを見てくれない。
「久しぶりに体は大事にしなくちゃなって思ったよ」
「そうですね。会社も佐藤さんは必要ですし」
伊藤さんは素で話しているのはわかっているけれど、受け流せなかった。
「えー、俺を必要としているのって会社だけ?伊藤さんは?伊藤さんは俺のこと必要じゃない?」
「私ですか?えっと……私にとっても必要です」
困らせてしまっている気がするけど、いじわるな自分がいた。
「ごめん。そんな顔しないで。でも、本当に君が看病してくれて助かった」