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第十話

 高校を卒業してから十年、私は社会人として一人暮らしをしている。日々の仕事は単調だが、一人暮らしも慣れて自分の時間を丁寧に生きているつもりだ。実際は誰にもうるさく言われずに生きているので、だらしない生活をするときだってある。とりあえず仕事には行っていた。

 高校を卒業してからも渡辺先輩とはたまに連絡している。高木先輩とは会うことはなかった。そして渡辺先輩から高木先輩の話がでることもだんだん減って、ここ最近では話題に出ることもなかった。渡辺先輩はここ数年仕事が忙しく、今は恋愛している場合じゃないと言っていた。


「伊藤ちゃん!こっちこっち!」


「渡辺先輩、お久しぶりです」


「久しぶりー、元気だった?」


「はい。先輩も相変わらずお綺麗で」


「何いってんのよ。伊藤ちゃんも相変わらずね」


 渡辺先輩から定期的にくる連絡に返信をしているだけだったが、それでも十年続けていれば、仕事のことや私生活のことなどいろんな話をするようになっていた。久しぶりに会おうという先輩からのメールに、二つ返事で行くと返信したのは数日前のことだった。


 待ち合わせして入ったお店は、少し古い外観の洋菓子専門店で、隣に喫茶店も経営していた。色とりどりのフルーツタルトやケーキが並んでいたが、わたしたちは迷うことなくガトーショコラにした。

「いらっしゃいませ」


「アイスコーヒー2つと、ガトーショコラ2つ、お願いします」


「かしこまりました」 


 私は水をもってきたウェイターに、コーヒーとガトーショコラを頼んだ。


「伊藤ちゃん、最近、何かあったでしょ?」


 コップの水を飲もうと、うっすらピンク色の唇を少しあけてにつけ一口飲んだ先輩は、開口一番聞いてきた。


「先輩、その聞き方……生きていれば日々なにかしらありますよ」


「もう、伊藤ちゃんって本当、変わらないわね」


「そうですか」


 そんなに顔にでていたのかな。先輩に言おうとしていたことを先に言われてしまった気分だった、あまり悪い話ではないはずなので、話をしてもよさそうだ。


「実は、会社の先輩から告白されて」


「はい、ついにきましたか」


「なんですか、そのついにって」


 私は渡辺先輩の言葉に少しつっこみをいれながら、水の入ったコップに口をつけて喉を潤した。


「で、で、オッケーしたの?断ったの?」


 前のめりになりながら、とってもいきいきとした先輩の顔に、ため息をつきながら話すことにした。


「先輩、めっちゃがっつきますね。すぐには返事しませんでした。というか、相手からも言いたかっただけで、返事はすぐにしなくていいと言われました」


「相手の人、伊藤ちゃんの性格をよくわかっているわ」


「はぁ、たしかに、そうかもしれませんね」


 あの高木先輩を好きだった渡辺先輩はどこにいってしまったのだろうか。私も少しは大人になったのだろうか。ゆりと汐野とは高校卒業後、進学した大学も別々になり、その後連絡をとっていない。大和もどうしているのか知る由もなかった。高木先輩も、思い出すことはあっても、会いたいとか思うことはなかった。ただ、元気でやっていればいいなと思っていた。


「先輩はどうなんですか?」


 自分の話はもう終わりにしたかったので、先輩にふった。


「私?私は相変わらず、仕事三昧よ」


 渡辺先輩はコーヒーカップに綺麗な口紅の色をした唇をそっとつけた。


「なんだかさ、若い頃はかっこいい人と付き合いたいなあとか、私も化粧したりおしゃれしたり大変だけど楽しかったなぁとか、いろいろ思うところはあるんだ。でもね、最近は自分にもっと優しくしてあげようって思うようになったんだよね。なんだか不思議なんだけどさ」


 喫茶店の窓の外を見ながら、まるで誰かに恋をしているように見えるその目の先には誰がいるんだろうと思いながら、私もコーヒーを一口飲む。


「おまたせいたしました。ガトーショコラになります」


「きたきたー、美味しそう」


 先輩は満面の笑みをガトーショコラに向けていた。


「いただきます」


 そんな私もガトーショコラを目の前にすると、告白されたこととか、仕事のこととかどうでもよくなってしまう。美しいシルエットを目に焼き付ける。


 喫茶店の小さいフォークをガトーショコラの端に差し込む。少し弾力があるのが好きだった。


「んー、美味しい」


「はい。美味しいですね」


「でも、伊藤ちゃんのガトーショコラの味が忘れられないなぁ」


「懐かしいです。しばらく作ってないなぁ」


「食べたいから、また今度会う時作ってきてよ!」


「次ってまた来年とかになりそうですけど」


 渡辺先輩がガトーショコラ好きだということを知ったのは、先輩たちが学校を卒業した後のことだった。連絡先を交換しても、連絡をとる人はそんなにいない。特に私は社交的ではないから、自分からメールをすることなど一人もいなかった。一年に一度、年賀状を送ってくれる友達はいたが、返事を出さないので、次第に減っていった。そんな中、渡辺先輩はなぜか私にちょくちょくメールをくれた。他にも友達なんてたくさんいるであろう渡辺先輩。


「伊藤ちゃん、高木のこと覚えてる?」


 突然の名前に少し驚いた。


「高木先輩ですか?」


「うん」


「覚えていますよ」


「私、あの頃、高木のこと好きだったけど、やっぱり高木は伊藤ちゃんのことが好きだったんだと思うんだ。だから、私、伊藤ちゃんにいじわるなこと言ったりしていた自分が恥ずかしくて、情けない」


「もう、昔の話じゃないですか。それに、私は高木先輩にも渡辺先輩にもお世話になったので、全然いじわるされたとか思ったことありませんよ」


「伊藤ちゃんっぽい」


「ありがとうございます」


「先輩、私、ちょっとは大人の女に近づきましたか?」


 私もとりとめもなく質問した。


「そうね、誰かに告白されるくらいは魅力的な女性になったって思うけど」


 お互いの顔を見て、一瞬間があり二人の笑い声が喫茶店に響く。喫茶店の優しい音楽が私達を包み込む。


「ここのコーヒーも美味しいね」


「はい」


 私達はまた会う約束をして駅で別れた。高木先輩の名前がでたけど、それ以上の話をすることはなかった。私は家に向かおうと駅のホームに立っていたが、このまま家に帰らず、ある場所に行こうとおもった。電子定期カードは残高五千円を切っていたが、気にせず列車に乗り込んだ。行き先は、海がみえる街だ。


「すぅー、はぁー」


 私は大きく深呼吸をした。ある場所というのは海だった。私の好きな場所の一つが海なのだ。日が暮れ始めて人もまばら、波の音も穏やかだ。海岸におりる階段に腰掛けてしばらく海をながめていた。この時間が私は結構好きだったりする。


「伊藤?」


 どこかで聞いたことがあるが、思い出せないくらい懐かしい声質で呼ばれた。


「久しぶり」


 後ろをふりかえると、スーツ姿の大きな男性がいた。


「高木先輩?」


 びっくりした。十年以上会っていなかった人が目の前にいる。


「なんでここにいるんですか?」


 驚きと疑問がまざりあう感情のまま話しかけた。


「渡辺が教えてくれた」


「渡辺先輩が?」


 さっき渡辺先輩が突然高木先輩の話をふってきたことが、疑問だったが、連絡をとりあっていたことにも驚いた。


「伊藤、元気だったか?」


「はい。元気でした。高木先輩は?」


「俺?俺も元気だったよ」


 昔のような怖いイメージがなくなっている高木先輩を見るのははじめてで、声は同じなのに、目の前にいる人が本当に高木先輩なのか不安になった。


「お前、大人の女っぽくなったな」


「そうですか?あまり中身はかわっていないと思いますが」


「確かにそういうところは変わっていないな」


 高木先輩の話し方、どこか懐かしいけれど、あの頃の高木先輩ではなく、体つきもがっしりして大きく見える。それにムスッとしていた顔も表情が穏やかだ。だんだんと懐かしさがこみ上げてくる。


「高木先輩は、変わりましたね」


「それは褒め言葉として受け取っていいのか?」


「はい」


 高木先輩は私から顔を背けて咳払いをした。なにか変なことを言ったのだろうか。波の音が遠くに聞こえる。しばらく高木先輩も無言で海を見つめていた。


「私、そろそろ帰りますけど、高木先輩はどうするんですか?」


「伊藤」


「はい?」


 振り向いた時、いきなり抱きしめられた。


「なんですか?急に」


「好きだ」


「え」


 波風で少し聞こえなかった。


「先輩、今なんて」


 言いましたか?と聞きながら振り返ったら、そこに高木先輩の胸板があった。一瞬、何が起こったのかわからなかった。私は高木先輩に抱きしめられていた。


「伊藤、いきなりすまん。お前のことがずっと好きだった。」


「あー」


 私は何も言えず、ただ、あーと声を出してみた。もしかしたら夢ではないかと思ったので、今とりあえずできそうなことをしてみただけで、発声の単語の意味はなかった。


「なんだ?あーって?」


 高木先輩は私を抱きしめながら、少し不安そうに聞いてきた。


「あー、いえ、なんでもありません。ただ、びっくりして」


「そうだよな。久しぶりに会ったのにな」


 高木先輩の心臓の音がとても大きくて、飛び出てきそうなくらいバクバクしているのを、私は自分の顔のあたりで体感している。先輩は今、どんな顔をしてい私を抱きしめているのだろうか。気になったので顔を上げてみたら、先輩は横を向いてしまった。


「先輩、ありがとうございます。私は……」


 嘘偽りない言葉だったが、先輩は私の言葉を途中で遮る。


「いや!まだ言うな!お前の気持ち、今聞いたら俺、立ち直れなくなりそう」


「え、なんでですか?私も先輩のこと……」


「だから!言うなって!」


「えー、先輩は告白してくれたのに、私は告白の返事をしてはいけないんですか?」


 私はなぜか釈然としない顔をして先輩の顔を見た。


「だから、すまないって。でも、ちょっと考えてほしい。あと、渡辺からきいたけど、お前、会社の人に告白されているらしいって……」


「渡辺先輩、そんなことまで高木先輩に話していたんですか……まったく、しかたないですね」


「渡辺のこと怒らないでくれ、俺が知りたかったんだ」


「別に怒っていません。事実ですし、とりあえず帰りましょう。明日も仕事ですし」


「おう」


 先輩は私の頭をぽんと優しく手を置いて、先に歩き出した。


「伊藤」


「はい」


「忘れないうちに、連絡先、交換しようぜ」


「渡辺先輩からきけばいいんじゃないですか?」


「おい、それじゃあ意味がないんだよ」


「どういうことですか?」


「お前な……まぁ、いいか」


 あやふやなまま私と高木先輩は再会した。渡辺先輩にあとで連絡しないとと私は思った。


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