ネガティブデータその後と難病申請
令和五年一月五日。
新年はじめ、退院後の初診療行ってきました。
自宅療養にて悪化していないか、また、ステロイドを30ミリに落したことで再燃はないのかと、ドキドキが止まらない。
だってさ、入院時と比べると、今の私メチャクチャ疲労状態よ?
入院中と比べると体がとても重く感じるのよ?
そして、結果。
「CK値も心配ありませんから、明日からステロイドを25ミリに落しましょう。順調ですよ。ただ、手が荒れているのが心配です。以前よりも力が出ないというのは、自宅療養なのに頑張りすぎてませんか。安静ですよ、安静に。」
先生は優しい。
ついでに、顔が完全にステロイドの副作用でムーンフェイスになっているので、ステロイド減量できるのはとても嬉しい。
気分が上昇した私に対し、先生はさらに笑顔を作った。
東大に送っていた生検結果が届いたそうで、入院中にお頼み申し上げていた書類もこれで私に渡せるとの報告だった。
「結果は筋炎の炎症所見は認められないというネガティブデータのままでした。ですが、壊死繊維は明らかではないが再生繊維は散見する、という報告はありました。難病の申請書にはそこを強調して書いておきました。」
先生が私に差し出してくれたものは、東大の所見報告書とカラーコピーしてくれた私の染色された細胞サンプル写真である。
染色された細胞写真は純粋に楽しいが、所見報告書の締めの方の文言は、他人事ならば笑えて来るものであった。
※2023/1/7あとがきに写真UPしました
サンプリングエラーの可能性は否定できません
だよな。
もともとサンプリングエラーなんだよ。
間違ったんだよな、生検場所を。
でも、もしかしたら東大に送ったサンプルに炎症箇所がある細胞が含まれているかもしれない、という希望を抱いていただけなんだよな。
さて、どうしてこんなサンプリングエラーが起きたかと申しますと、生検前に急遽生検場所を変えた、という過程があったのでございます。
全く、コロナワクチンはどこまでも私に祟るぜ。
前提として、筋生検を肩に行うと三日はその腕は使用できなくなる、がある。
そこで利き腕ではなく左肩から生検する予定で、入院前にMRIなどで位置確認もしていた。しかし、ワクチンを打った箇所は注射によるダメージを受けているものであり、そのせいで本来の筋炎の状況について純粋な所見が出せなくなったら問題ではないか、となったのである。
結果として、急遽利き腕である右肩から生検する事になったのだ。
もちろん、以前に五十肩かどうかの確認で右肩MRIIは撮影済みだ。
では、間違えようは無かったのでは。
いや、ヒューマンエラーはどこにでも転がっているものだ。
執刀前に執刀場所をマークさせてくださいと若い医師(担当医の部下ではない)が入院ベッドに横たわる私の所に来たが、彼女は私の肩の筋肉を手で探り、この筋だなと、肩にマジックのようなもので線を書いて消えて行っただけなのだ。
彼女はMRIの写真から炎症箇所を確認しながらではなく、筋肉を手で探っただけだった。筋肉については専門家であるから、触れて筋肉の場所を確認できる人かもしれないけど、どんな仕事だって二重チェックは必要だ。
どんな仕事だって二重チェックを怠ったそこでこそ、嫌がらせのようにエラーが発生するものじゃないか。
「出来るだけ早く、今日にでも難病申請を行って下さいね。」
私は担当医師に、はい、と素直に答えていた。
このままでは医療費で私は破産しそうなのだ。
医療費の内訳や請求した保険金はどうなったのかは、保険が振り込まれたところで請求についてと一緒に後日述べようと思う。
今回は難病申請だ。
まず難病申請について説明するが、難病にかかると医療費の助成が受けられますよ、と言う制度があるので、そのために難病者だと認定をうけましょうというものである。
申請方法としては、住所のある都道府県・指定窓口に問い合わせて書類を手に入れて提出するだけであるが、入院中は動けないので家族に窓口に行って貰う事になるだろう。
蔵前は家族がいていないものであるので、入院中に病院から住所のある健康福祉センターに電話して、そこから書類を病院に送って貰った。書類送付についての送料手数料を一切要求され無かったので、家族に頼るよりも楽で確実だなって思った。それに、届いた書類をすぐに病院内の文書室に持って行けば、退院まであるいは退院後の再診までに医師による記入書類を手に入れられる。
ただし、この電話する時点で自分の病名が分かっていないと駄目である。
医師に作成してもらう書類は、難病ごとに違う書式、なのである。
こんなにも私と医師が難病申請に拘る理由は、先に述べた通り、難病になった場合難病者として認定して貰う事で、医療費の軽減が受けられる、それだけのためである。
私の場合はまだ働く事が出来るが医療費薬代が高額になるという状態であるので、認められても「軽症かつ高額」という認定になるだろう。
けれど、認定されれば三割負担で支払っていたものが、ひと月当たり一万円の自己負担で済むようになるのだ。
一月五日に支払った二週間分のステロイドセットの薬代が一万四千六百円で、診察代(血液検査含む)が五千円越えだった私には、ありがたい事この上ない援助である。
これから二週間に一度の診察と薬の購入がずっと延々と続くのだ。
翌、一月の六日。
私は役所に来ていた。
前日に近所の窓口は出張所にも行っていたのだが、そこで「ここは出張所であるので健康保険課がある場所に行ってください」とのことであったからだ。
行く前にちゃんと書類を受け付けてくれるところを確認しましょう。
しくったわ。
しかし、窓口に実際に行ってみてわかったのだが、申請は受付窓口に書類を持っていくだけの簡単なお仕事であった。
窓口の何でもご存じの職員さんが書類の不備が無いか確認してくれ、必要箇所が未記入であればそこへの記入を促しと、物凄く親切なのである。
そしてこれは難病と認められても毎年更新する必要があるそうで、年に一回申請に来なければいけないそうだ。
「はい。これが控えになります。せっかくですので、これを持って心身障碍者支援制度の方も申請してください。窓口は同じフロアで、あっちですね。」
私は窓口の人が差す方角を見て、そして、彼女が渡して来た申請書控えとコピー用紙で作った小冊子に目線を移した。
私の住む地域では、六十五歳未満の障害がある住民に手当が支給されるらしい。
彼女は小冊子の表紙にある項目の一つを指さした。
指定の難病にかかり、医療券等を所持されている方
私も申請対象となるらしい。
私は言われた通りの窓口に向かい、先の窓口で言われた通りの申請を行った。
こちらも記入する書類について私が悩むことなく教えてくれた。
どちらの窓口でもスムーズだったのは、マイナンバーカードの所持があったからだろう。また、心身障碍者支援制度は書類に銀行口座を記入する箇所があるので、口座番号の控えを用意しておくと良い。
以上、私の初めての難病申請についてでした。
書ききって思ったのですが、書類を貰って提出するだけの簡単なお仕事でした。
あとは、認めてもらった証明書が自宅に届くのを待つだけ。
ただし、認定が受けられずって、これもネガティブデータになったらどうしよう、という不安は大きい。
だって、抗体で言うと、私は全身強皮症な人。
皮膚硬化は無い、筋炎症状ばかりなんだけどさ。