なれそめ
「あ~ん。ルシー、そんな事言わないでよぉ~。わたし、貴方がいないと生きていけないわ」
よよよと床に倒れ伏し、美しい刺繍のハンカチを目に当て、目の前でさめざめと泣いているのは、私の見目麗しく美しい婚約者様。
「どうして、そんな事を言うの?わたしは貴方以外の人と結婚するなど、そんな事を考えたこともないのにぃ~」
次から次へと涙を流す婚約者様に、私は大きなため息をついた。
「でも、みんなに言われるのです。公爵家と伯爵家では身分が違う、いつまでも縋り付かないで、さっさと身を引きなさいと。確かに、わが家は伯爵家。公爵家とは釣り合いが取れないですから」
「そんな、そんな事はさしたることではないわ。父上様も、そうおっしゃっているものぉ~。わたしは、ルシーじゃないと駄目なのよぉ~」
さめざめが号泣に変わり、手に持っているハンカチだけでは涙を拭き切れなくなっている麗しの我が婚約者様の手を取った。
「グランド様、もう泣くのは止めてください。綺麗な瞳が涙で赤くなってしまいます」
「だって、だって、チェルシーが私と婚約解消だなんていうからぁ~」
ずぶぬれになったハンカチを受け取り、新しいハンカチを手渡す。チェルシーの手とは違う、大きくて剣だこのあるしなやかな指。床に投げ出されている肢体は、細身ながらも鍛えられた筋肉が美しい。
チェルシーの前で泣き濡れているのは、婚約者のグランド・オネエダモン公爵令息。現国王の甥で、オネエダモン公爵家の唯一の跡取り令息だ。
オネエダモン公爵家は、マンカラーノット国の騎士団長を代々になっている家門で、現公爵はマンカラーノット国王、ダミアン・マンカラーノット陛下の弟君である、ジェイソン様である。前オネエダモン公爵はお子様がいなく、ジェイソン様が王位継承権を放棄し、オネエダモン公爵家に養子に入られたのだ。
国内随一の剣豪と言われていたジェイソン様。あっという間に騎士団団長まで登りつめられた。現国王の妃にと噂されていたリアンダ・ウーマンカラー侯爵令嬢と恋に落ち、そしてグランド様がお生まれになったのだ。リアンダ様はグランド様が5歳の時に病気で亡くなってしまった。まだ幼いグランド様の為にも
後添えをと勧められたジェイソン様だったが、頑として受け入れる事はなく、男手だけでも立派にグランド様を育てられると宣言し、父親と母親の二役をこなし、グランド様を立派なオネエダモン公爵家の後継として育て上げられた。グランド様もそんなジェイソン様のお気持ちをよく理解して、今では立派な騎士になられた。近々、騎士団の副団長になられるとのもっぱらの噂だ。
年を重ねられても往年の麗しさを失っていないジェイソン様と、妖精の化身ではないかと謳われたリアンダ様二人のお子のグランド様は、黄金色の髪に吸い込まれそうなアイスブルーの瞳を持った、誰もが一目見て息を止めてしまわれる様な美丈夫に成長された。
長くたなびく黄金色の髪を背中に束ねて剣をふるう姿は、神と見まごうほどの神々しさだ。滅多に笑う事はなく、いつも表情を崩す事無く淡々と騎士の仕事をこなされる。どんなに美しい女性がグランド様に媚びても、目が合うと凍り付いてしまうと言われるほどの冷たい視線を一線。いつの頃からか、氷結の貴公子と呼ばれるようになったグランド様。
そんなグランド様が、私の眼の前でハンカチを握りしめて号泣されている。
もう、泣きたいのはこちらだ。国中の乙女の心をわしづかみにしているグランド様が、まさか、こんな繊細な令嬢の様な人だなんて、頼まれたって口にできない。かたや婚約者の私、チェルシー・オットコマエ伯爵令嬢は、子供の頃から領地で野生児の様に育って来た為、所作も何やら田舎じみていてあか抜けない。淑女のたしなみとしての刺繍の腕はズタボロ。先日刺繍した図柄は、自分としてはバラをイメージして刺したつもりが、出来上がったものは紅いダンゴ虫?二度と刺繍はしないとこころに誓った日だった。何しろ、淑女とは名ばかりのハリボテ令嬢だ。私だって好きこのんでこの場に立っている訳ではない。
グランド様との出会いは、かれこれ十数年になるだろうか。今は次期騎士団の副団長として取りざたされるグランド様ではあるが、幼少期は体が弱く、よく体調を崩されていた。リアンダ様が亡くなってからは、余計に体調を崩し易く、療養をかねて我がオットコマエ伯爵領にある保養所で過ごされていたのだ。
(何せ自然しかないところなので)
伯爵令嬢ではあるものの、何せ田舎。地元の子供らと一緒に野山を駆け巡っていた私が、保養所の森の中で迷子になっていたグランド様に出会ったのが最初だ。
色白というよりは、青ざめた感じで、いかにもひ弱な雰囲気の小さな男の子。初めて会った時のグランド様はまさにそんな感じだった。
迷子になって泣いていたグランド様を背に乗せ、保養所まで連れて行った事は、今思えば伯爵令嬢として如何なものかと思うが、でも、薄暗い森中で迷子になっていたグランド様からすれば、多分、天からの助けとも思ったのだろう。
子供心にすりこまれた印象は絶大で、それから数年、グランド様が保養所から王都へ戻られるまで、グランド様は私の傍を離れる事はなかった。いつどこに行くにも後ろをついてくる状況。小さな子分が出来た様で、子供心に嬉しかった事を覚えている。
とうとう、グランド様が王都に帰る日の朝、泣いて泣いて私と離れたくないとすがるグランド様が
「いつかきっとルシーに会いに来るから。その時には、ルシーを守れるような男になるから」
涙に濡れた顔で歯をくいしばり、私の頬に口づけして誓ってくれた。
それから10年。一度も会う事もなく、手紙すら来たことがなく、私自身もグランド様の事を忘れかけていたある日、オネエダモン公爵家から、我がオットコマエ伯爵家に婚約の打診の親書が届いたのだ。
オネエダモン公爵家からの迎えの馬車に乗り、ついた邸宅は流石に侯爵家たる趣の大邸宅だった。庭園に案内され、10年ぶりであったグランド様。幼い頃の面影は金の髪と蒼い瞳のみ。面立ちも体型も昔からは想像もつかない位成長していた。
「ルシー、会いたかったわぁ。どれだけ今日の日を待ちわびたか。もう、絶対離さないわぁ」
たくましい体躯と誰しもが見とれる美丈夫のグランド様が、私を抱きしめる。感動の再開の場面だが
(ちょっと待って。さっきのグランド様の口調がちょっとイメージと違う様な。空耳かしら?)
首をかしげる私の耳元で
「会いたかったのよ、ルシー。ルシーに会えなかったこの10年、本当に寂しかったわぁ。ルシーを守れる男になるようにって、毎日毎日頑張ったのよぉ?父上様にもようやく剣の腕を認めてもらって、それでルシーに婚約の打診をしてもらったの。ルシーが誰かの者になっちゃうんじゃないかって、もう、不安で不安で。でもよかったわ、間に合って。これからは。私とずっと一緒よ、ルシー。大好き、愛してるわ」
私を抱きしめるグランド様の腕の力が強くなる。どうも、先程の口調は空耳ではなかったようだ。
(これは夢、きっとそうに違いない。こんなに素敵なグランド様が女性の様な口調をされるだなんて。悪い夢よ)
余りのショックと、グランド様の腕の力が入り過ぎた事で、私は気を失ってしまった。
でも、意識を取り戻した時には、既にグランド様と私の婚約は届け出をされていて、名実ともにグランド様の婚約者になっていたのだった。
オネエダモン公爵家に是非にと望まれて婚約者となってしまったチェルシーには、もうグランドの婚約を辞退する道は残されていなかった。