Ⅱ
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まだ新しい木の香りがする仏壇の前に座る。線香代わりのLEDライトを点け、鈴を打つ。いつまでも慣れない一連の行為。彼女より先に起きた朝に、私の腕の上で目覚める彼女を見るときの気分に似ている。もしくは彼女から帰宅すると連絡を貰って、しばらく待ってから出迎える時の気分かもしれない。
幾度繰り返しても僅かな緊張を孕む、彼女との時間の起点。その瞬間がある以上、私は新居でも彼女と共に住んでいるのだ、そんな気がした。頭の中を静かに統一させながら、両手を合わせる。
「ただいま。……さん」
ゆっくりと立ち上がり、ジャケットをハンガーに掛け、スラックスは折り目に合わせて丁寧に畳む。ネクタイを緩めるのはその後だ。ほどけたネクタイを吊したら、脱衣所へ向かう。ボタンを外しながら歩いて、両手と胸元を使って空中でYシャツを畳み、洗濯ネットで覆ってから洗濯機に投げ入れる。こっちの動作は慣れたものだ。洗面所で手を洗う。喉を濯ぐ。そのまま顔を軽く洗うと、鏡に映ったおじさんと目が合う。つくづくつまらない顔をした男だと思う。もう少し疲れた顔をしているものと思っていたが、それすらも読み取れない顔を私はしていた。自分の顔に向かって「お前は誰だ」と聞き続けると精神が崩壊して行くというような話をどこかで聞いた事がある。試そうかと思って、やめた。私が何者か分からなくなる事よりも、分かってしまうことを恐れた。ひきつったような笑い声を出しながら、戸棚からバスタオルを一枚取りだし顔を拭う。このタオルは風呂に入る時にも使うから洗濯機の口にかけておく。それから、部屋に投げ出されたままのスウェットに着替えたら、すっかりオフのおじさんの完成だ。
この一連の流れはすっかり体に染みついている。20年以上も繰り返してきた帰宅後の習慣だ。本当は、これにもう一つ付随する大事な習慣がある。なんとなく、空を抱きしめてみると虚しい気持ちがした。
気分を変えようと、私は煙草を手にとってベランダへ出た。このアパートは禁煙だ。外に出るとまだ肌寒かった。上着を取ってくるのは面倒だから我慢しよう。
この町は静かだ。風の音がしない。勤務先から少し遠いのは不便だが、あの颪に悩まされないのは素晴らしい。大きく丸い月が薄い雲を照らしている。明るい夜だ。手元のブルズアイのパッケージがよく見える。一本抜き出し、火を灯すと煙が細く昇っていった。
向かいのアパートの明かりを数えながら、ゆっくりと煙を味わう。あの一つ一つに誰かの生活があるんだなんて、月並みな感想を持っている。あの一つ一つの家に暮らす誰にも、喜びがあるだろう。それに比べたって、彼女と出会って生きた私の幸せが小さく見えることは決してないはずだ。あの一つ一つの家に暮らす誰にも悲しみがあるだろう。それと比べたら私が彼女と別れた苦しみは、そう大きくないかもしれない。辛いと感じたり、幸せと感じたり、その感覚はきっとその人の経験で養われていく。しかし、不幸も幸福も突然それだけで訪れる事だってある。幸せな時間を過ごして、その喪失を不幸と感じている私よりも、ただの不幸の中でもがいている人間の方が苦しいはずだ。私は嘆いていることが許されるほど不幸な人間ではないはず。
下らない事を考えている内に、すっかり煙草は燃え尽きてしまった。一本無駄にした気分になる。もう一本だけ箱から引き抜き、再び火を灯す。ゆっくり丁寧に静かに吸おう。煙草の燃え方と、その乾いた味だけに意識を集中させる。今度の煙草は美味しかったが、半分ほど吸ったあたりで怠くなってしまった。まだ長い煙草をもみ消して灰皿代わりの小さな蓋付きバケツに落とすと、私は部屋に戻った。
夕飯を作る気にはなれない。食べてくれる彼女がいないのも勿論だが、今日に限っては胃が受け付けていなかった。お昼に食べたファーストフードのせいだ。ハンバーガーとポテトとシェイク。同僚に誘われてマクドナルドに行きながら気づいたが、私はそれを自然に遠ざけていたらしい。最後に食べた時を思い返してみたら、彼女が入院する前の事だった。テリタマは今年も売られていたが、結局ダブルチーズバーガーにした。
ハンバーガーはいつもと同じ味のはずなのだ。マックで食べる同じ種類のハンバーガーの個体差を感じられるほど、私の舌は敏感じゃない。にも関わらず、今日はなんだか美味しくなかった。揚げたてでも、しなしなするほど時間が経っていても、どちらも美味しく食べていたはずのポテトも、吐き気がするほどの油を取っているような嫌な感じがした。今何故私は完食したのだろう、と少し後悔する。
マクドナルドのハンバーガーは自然とあの日、日記を読み返した記憶へと私を誘った。「テリタマを食べた。」の一行で終わった一日。今思い返すだけでも、幾らだってある思い出を、私はその一行だけ残して終わらせてしまったらしい。今になって思い描く三人称視点の思い出ではなく、あの日見た彼女の記憶を何故私は残さなかったのだろうか。
テレビではタイミング悪くテリタマのCMが流れ始めた。
無言のまま思い切り太ももを殴りつけてから、リモコンを掴んでチャンネルを変えた。押したチャンネルはNHKだったらしい。CMが流れないから丁度良い。画面の中では、芸人と女子アナが向かい合って座っていた。
どうやら、最近流行の本を紹介する番組らしい。芸人の方は読書家のようだ。その小説の魅力を力説している。
小説、久々に読んでみようかな。
もう随分と長いこと、新しい小説を買っていない。昔は小説しかなかった本棚も、今では実用書やら新書だらけになってしまった。最後に買ったものが何だったのかも思い出せない。振り返ってみれば、仕事に就き、彼女との生活が始まり、新たな日常に慣れるに従って、本を読む時間を捨てていったような気がする。そんな気がするだけなのかもしれないが。
懐かしい思い出だ。大学生の頃には文学部に所属していた。あの頃までの私のほとんどは文学で出来ていた。小説を読み、小説について語り、小説を書くこと。それらだけが、私が必要としたことだった。簡素な部屋に暮らし、日々同じ服を着て、単純な食事と歴史のある煙草を好み、文学以外の要素を極力排除するような暮らしをしていた。そういえば日記をつけた理由の一つには、小説のタネになるかもしれないなんて期待もあったような気がする。
不思議な感覚だった。この二十数年の間に、私はすっかり文学から離れてしまったのだと再認識する。あの頃には、それが全てだったはずなのに、随分長い間それを失った事すら忘れていた。それがなくては私ではないとすら思っていたものは、失ったところで私の生活に何の影響ももたらさないような些細なものだったらしい。
いつか、彼女の事もそんな風に気づいてしまう日が来るのだろうか。人生を捧げたいと思ったものを二度失って、それでも私は今冷静にものを考えている。そう簡単に出来るものではないだろうが、絶望しているとも言いがたい今がある。何せ私は今日ダブルチーズバーガーを食べたのだ。チーズバーガーですらない。ダブルチーズバーガーを選んで食べようとする奴が絶望しているとは言えない気がする。
…ああ、また怒られてしまう。
彼女は絶望に固執する私を嫌ったものだった。何度も同じように私を叱ってくれた。でも、君を失った悲しみはそう簡単に拭えそうもない。「あら、私の最後の願いが聞けないのかしら」。努力はするよ。「努力するって何をする事か、あなた分かってないでしょう?」。謝るから、教えて、くれないか。「馬鹿ね。私は別にそのままのあなただって愛してあげるわ。努力なんかしなくても」。今すぐ出て来て抱きしめてくれよ。そうしたら、幾らだって恨み言も聞くさ。一生、私を縛ってくれる約束だったじゃないか。「一生はあなたに捧げたもの。嘘は吐いていないじゃない」。君はいつだって正しくて、君の主張には私が口を挟む隙はないよ。でも、私の一生はどこに捧げたらいい?君が正しくても、私の心が解決されないんだよ。「そうやって、問題を複雑にして、物語の中に逃げ込もうとするのはあなたの悪い癖よ。自分で分かってるでしょ?あなたは答えが見つからないんじゃない。答えを受け入れる覚悟のないだけ。」……。「その証拠にこんな風に最早意味のない会話を続けてる」…じゃあ、一つだけ教えてくれ。なあ、君は、幸せだったかい?…黙ったままじゃ、分からないんだよ。
目を開けると、テレビでは相変わらず芸人と女子アナが喋っている。
「最後に紹介したいのは、こちらです。阿桜川春さんの『いつかの日々』です。」
芸人が掲げたのは桜並木の描かれた表紙の美しい本だった。橋の欄干が手前に見えて、緩やかに曲がる川沿いにびっしりと桜が並ぶ美しい風景、なんとなく私の記憶の懐かしい青春の景色に似ていた。
「それは、先日芥川賞を受賞した阿桜先生のデビュー作ですね!」
「この小説は素晴らしいです。もう三度ほど読みましたが、三回とも泣いちゃいましたね。」
アナウンサーが本のあらすじを簡単に紹介している。平成の時代を生きた一組の男女の姿を描いているらしい。戦争も、急激な発展も既に過去となり、社会が緩やかに方向転換をしていった穏やかな時代。小説の中の二人は、そんな平成を「延命の時代」と呼んだ。dらだらと死んでいくように生きた日々を、静かに美しく描いた小説だという。
昔の私なら飛びついて読みそうな小説だと思った。事件の起こらない緩やかに死んでいくような日々の中の感情を穏やかに描写する小説を書くのが好きだった事を思い出す。勿論、当時の私が書いたものよりずっと質が高い小説なのだとは思うのだが。
「本日は、なんと作家の阿桜先生にスタジオにお越しいただいています!」
「え!うそ!」
芸人が立ちあがって驚いてる。どうやら作家はサプライズゲストらしい。画面の右端から歩いてきた男は、案外老けていた。クルクルとパーマがかった髪をかき上げ、黒縁の眼鏡をかけている。背はあまり高くない。
「初めまして、阿桜と申します。」
ああ、私はその男のパーマが、天然ものである事を知っていた。
彼の電話番号は、どうやらまだ残っていた。飯島由起夫。画数が多くて窮屈な名前だ。懐かしい友人に、私は電話をかけてみることにした。大学の頃の事を思い出す機会の多かったせいだろうか。もしかすると、人恋しいのだろうか。いや、あまり理由を深追いするのはやめよう。50近い男が人恋しいなんて言うのは少し気持悪い。出るも出ないも向こうの勝手なんだし、久しぶりに電話をかけてみるのも良いじゃないか。
コールのボタンを押して、相手が出るのを待つ間、私は煙草を一本抜いてベランダに向かった。しかし、火をつけるほどの時間を、彼は待ってくれない。
「やあ、久しぶり。文句なら受け付けないよ。」
阿桜川春こと、飯島は電話越しに第一声そう言った。
「久々だと言うのに、君の態度は相変わらずだね。同じように相変わらず、君の話を拾うのが下手な私から質問させてもらうが、何の文句だい?」
「君、さては僕の小説読んでないな?このタイミングで電話して来ると言うことは差し詰め、NHKでも見てたね?受信料徴収してやろうか?」
「君が本を出したのも、賞を取ったのもその番組で知ったのさ。君の返答は情報が多すぎて困るよ。まずは、文句ってのが何なのか答えてくれなきゃ。」
「君、今暇かい?」
「ああ、つい先日から自由な時間はいくらでもあってね。」
飯島は少しの間沈黙してから、話し出した。
「理由を聞くのは後にしようか。その話はなんとなく長くなりそうだ。今すぐ書店に走りたまえ。この時間なら店はやっているはずだよ。僕の本を読み終えたら連絡をくれ。夜中だっていつだって構わない。」
それだけ言うと、彼は電話を切った。
久々に話せば少しは丸くなっているかと思ったが、旧友は何も変わっていなかった。少し勝手で、私には拾えないようなボケを振ってくる。それでいて、頭の回転は速く、私より何手も先を見て会話しているような事を喋る。
なんとなく、腹立たしいその身勝手さが懐かしくて嬉しかった。丸くなったのは自分の方だったかと思ったが、昔から彼に対する腹立たしさと好意と敬意は共にあったなあと思いなおした。
そんな事を考えながら、さっき着たばかりのスウェットを脱いで、適当なズボンとシャツに着替える。時計は午後8時を指している。まだそれほど遅い時間でも無いし、明日は休み。そして何より、私が家にいようと、出かけようと誰にも関係のない事だ。駅前のモールに入った本屋ならこの時間でも開いてるだろう。
財布とスマホを手に玄関のドアに手をかけた所で、あることに思い立った私は一度部屋に戻った。まだ開けていなかった段ボールの中を探ると、目当ての物は案外簡単に見つかった。白いブルートゥースのイヤホンだ。どうやら充電も残っているらしい。
久々にイヤホンを耳に挿して、今度こそ私は家を出た。
新しい町に引っ越してきてから、コンビニより遠くへ歩くのは久々だ。というか、外を歩くという感覚自体久々な気がする。「二人だったころは、よくお散歩してたのに。もしかしてあなた、本当は嫌々つきあってたの?」。いや、そんな事はないさ。私は歩くのが好きだよ。そして、つい今までそれを忘れていたらしい。
さあ、君との会話がない散歩には、どんな曲を流そうか。何を聞こうか悩んでしまって、耳に挿したままのイヤホンはしばらく手持ちぶさたを強いられている。最近の曲なんかにはもう当たり前のように置いて行かれているのだが、思い出の曲というのも、すぐには浮かばないものだ。昔からデータをいじっていないスマートフォンのミュージックの中を、ゆっくりと辿る。眺めてみると、アーティストの、アルバムの、曲の一つ一つに紐付いた記憶が呼び起こされるが、そのどれもが今となっては気恥ずかしい。青春の思い出だった。「いつか、今あなたが抱えているその思いだって、気恥ずかしい青春の一頁になるのよ」。そんな事はないさ。この愛は永遠に、これからを生きていく私の一部だよ。古くならないものを、振り返る事は出来ないものだ。「私は多分、あなた以上にあなたを理解していると思うの。あなただって分かってるはずよ」。どうだろう。君には知らない私だっているかもしれないよ?「そうやってまた分からないフリをするのね」。
私は、シャッフル再生のボタンを押した。
流れ出したのは、軽快なリズムを刻むアコギと革モノの音だった。少し高めの特徴的な男性ボーカル、ベンジーだ。この曲の名前を覚えているのが不思議な程、長ったらしいタイトルが付いたその曲。『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』。久々に聞いても色あせずに格好いいし、やっぱり気恥ずかしい。未だに何を歌っているのかよく分からない。ベンジーは確か数年前に亡くなった。私が学生時代に聞いていた時でも、一昔前のバンドではあった。それでもかっこいいモノはかっこいいのだ。学生時代に聞いていたバンドを今聞いても新鮮にかっこいいと思えることが、何だか嬉しい。
少し遠回りになるが、近くを流れる川に沿って歩こうと思った。幼少期も、学生時代も、彼女との日々も、私の生活の側には川が流れた。どうなのだろう。日本には川が多いと昔学んだような気もする。川のない生活をする方が難しいのかもしれない。まあ、そうだとしてもそんなことはどうでも良いような気もする。私の生活の側に川があると私が思っている、そのことを見ても良いじゃないか。夜道を歩きながら、何だか不思議な高揚感に包まれて、少しばかり傲慢になっていた。
川沿いの土手を歩いていると、時折下の車道を車が通り過ぎていく。後ろから来る車のヘッドライトは私の足下を緩やかに照らして、長く伸びた草と私の足を同じ黒で描く。正面から来た車のヘッドライトは、私の視界を白く染め上げる。その光が、月明かりしかない道ではこんなにも強いという事を、もう随分長く車を運転しているのに、私は知らなかった。発見は素敵だ。外に関心を持つことは幸せにつながると誰かも言っていた。
ああ、静かな風に乗って、湿った草の甘い香りが運ばれてくる。なんとなく物足りなく感じてしまうのは、颪が運んでくる、むせかえるような濃さに慣れてしまったからだろう。良い物は少しだけ。少しだけで良いはずだ。「じゃあ、私のこともそう思えば良いじゃない」。もう少し、優しくしてくれてもいいんだよ?「あなたがそれを望むなら、私はいくらだってそうできるのよ」。
川の向こう側に、パチンコ屋とファミレスの明かりが見える。パチンコを好む人間は未だに存在している。手元のスマホでも、それ以外でも、娯楽がいくらだって増えている現代にも、パチンコに惹き付けられて、あの明るい派手な建物に集まる人間がいるのは面白いことだ。
私も立ち止まって、パチンコ屋を眺めてみた。ギラギラと輝く、幾何学模様で覆われた銀色の建物。じっと見ていると、そのへんてこさと大きさがイメージよりずっと異常な事が分かってくる。笑ってしまうような馬鹿らしさがある。不思議に思うのは、そんなへんてこな建物から、俗世の匂いがする事だ。間違っても浮き世離れなんて言葉は似合わない。オアシスと呼ぶ事は出来ても、天国ではない。あの光は忘却をくれることはあっても、救ってはくれないのだろう。そんな気がする。
まあ、今のところパチンコに行く予定のない私には考えても仕方のないことだ。あの建物の中には、天国だと思っている人間だっているかもしれない。…いや、そんな人間はきっといないだろう。知らないもので、分からないものだが、きっといない。
私は再び、歩き始めた。
もうすぐ着くはずの駅の周りは、何の変哲もなく明るいのだろう。