Ⅰ
Ⅰ
妻は美しい人だ。
映画を見るのが好きな人だ。
薄暗くした部屋で、凝っと画面を見つめる横顔が、滑らかな頬の曲線が、私は好きだ。
綺麗好きな人だ。
洗面台の鏡が毎日綺麗に磨かれていた。透き通るような鏡の前で、薄く化粧をする彼女が私は好きだ。
白のよく似合う人だ。
清潔過ぎるほどの白いベッドに寝転んで、白い病衣に身を包んでいても、凛とした美しさが際立っているようにすら見えた。
私は今、足の踏み場もないような部屋のソファでただ一人うなだれている。すぐ側にだらしなく投げ出された礼服には、もう見慣れてしまった。少し前までの私なら、帰ってきたそのまま、綺麗に脱いでハンガーに吊るし、カバーまでかけてクローゼットに仕舞っただろう。そんな事すら億劫に感じる。いや、する必要を感じていない。何もしないと、いくらでも時間が余るものだ。そんな事が浮かんで消えて、幾度か繰り返していれば一日は終わる。
彼女の四十九日と納骨、そして私の引っ越しのためにとった休暇は1週間。今日が三日目で明後日には引っ越しが待っている。しかし、部屋は未だ惨憺たる様相だった。遺された者は忙しくすると良いのだと聞いたこと事がある。葬式だ、手続きだと忙しくしていれば、悲しみに暮れる時間もないだろうという話だ。実際、彼女の死後数日の間は、彼女の死に向き合うような時間はほとんどなかった。小規模な葬儀を行っただけだが、彼女の親族や、職場先に訃報を出し、葬儀会社に連絡をし、坊さんを呼んで、それからそれから。正直なところ、その頃の記憶はもう曖昧だ。何か言われれば思い出すのだろうが、自分で思い出そうとすると何も出てこない。
あれから、私の内を流れる時間は狂ってしまっていた。彼女の命日から、もう一月半以上が経過しているらしい。私にはそれがよく分かっていない。なんだか、彼女が少しばかり出張に行っているような気分でいる。そろそろ「明日には帰るよ。ちゃんとご飯食べてる?」なんてメッセージが届くのではないか。空想だとは分かっていても、沢山のお土産の入った紙袋を両手に提げてご機嫌に帰ってくる彼女の姿が目に見えるようだ。そんな未来があるなら、私は今すぐにでもこの家を隅々まで元通り綺麗に片づけるだろう。帰ってきた彼女が、ご機嫌なまま旅の思い出を語ることが出来るように。
目の前に投げ出されたスマートフォンの液晶が光った。私を現実へと引き戻す呼び声は、引っ越し業者から届いた。
電話は引っ越し当日についてのほんの簡単な確認だった。いい加減に片付けをしなくてはならない頃合いだ。
ソファから立ちあがろうと手をついた瞬間の、革と皮膚の擦れる鈍い音が私の神経を摩耗させる。苛立ちとも悲しみとも言いがたい感情を抱えながら、ため息をつくことは我慢した。その代わり、机の上に投げ出されたテレビのリモコンを拾って、部屋を人の声で満たすことにする。明るい笑い声や、どうでもいい話題は、案外と傷心の私にも馴染んだ。
立ちあがった私は、投げ出された礼服の胸ポケットを漁って煙草とライターを取り出し、キッチンへと向かう。
彼女と暮らしてから、私は大好きだった煙草をやめた。あの人は肺が悪かった。禁煙も初めのうちはなかなか苦しかったものだが、もう数十年を経た今となっては未練もないような気になってた。そんなつもりでいたのに、一人になってから落ち着いた時間を過ごした初めての夜、寝られない私が思い出したのは煙の味だった。私の好きな煙草は、長い年月を経てもう廃版になっていたらしい。随分と知らない顔の煙草が増えていた。その中でも変わらない顔を見せてくれるパッケージに惹かれて、ラッキーストライクを一箱買った。
今、換気扇の下には、皿にアルミホイルを被せた簡易灰皿が置いてある。もう吸い殻が随分溜まっている。そろそろまとめて捨てなくてはならない。前に捨てたのはいつだったか、確かほんの数日前だ。ゴミ箱には、コンビニのお弁当の殻の隙間を埋めるようにいくつもブルズアイが押し込まれている。
私は、すっかり彼女の夫になっていた。彼女がいないと、一人の時間の過ごし方も分からないのか。吸い殻の山は、私にそんなことを思わせた。
煙草の箱とライターは、何故か目に付かない場所に仕舞いたくなる。この二日ほどは、礼服のポケットに仕舞っては出して、また仕舞ってとしていた。どうせすぐに吸いたくなるのだし、我慢するつもりもないのだから、換気扇の下にでも置いておけばいいのだ。誰に咎められるでもないのに。
喧しく回っていた換気扇のスイッチを切ると、テレビの音が通って来た。
『春はテリタマ!今年は復刻トンカツテリタマ!』
ああ、今年もテリタマの季節が巡ってきたのか。
思い出される記憶。彼女とデートをしたのは、20年以上も前の春の日だった。私と彼女は映画を見て、それから花見に行った。あの時は確か、復刻で上映されていたティファイ-で朝食を、を見たのだ。記憶はもうすっかり上書きされていて、思い出そうとすると何故か三人称視点で映像が再生される。幾度も幾度も彼女と振り返った思い出。あの日、私たちは桜を眺めながらハンバーガーを食べた。ファストフード店で、注文にまごつく彼女を見て、その箱入り娘であることを強く実感した。それから、桜の下で、口と手を汚さないように慎重にハンバーガーを食べていた様子が可愛らしかったと記憶している。そうは言っても、その顔も画として浮かんでくる訳ではないが。
それ以来、春が来る度に私と彼女はテリタマを買うようになった。マクドナルドのハンバーガーは、彼女が、そして彼女に仕込まれた私が普段作って食べる料理よりはずっと手のかからない料理なのだと思う。それでも、毎年春に食べるテリタマは、二人にとっての特別なものになっていた。
今年は、我慢しようか。彼女が食べられないなら、私一人で食べてしまっても悪い気がする。こういうものこそ、墓前に備えればいいのだろうか。
あまり興味もないような、午後の情報番組を聞き流しながら、私は彼女の服の処分に取りかかることにした。そこから、手をつけなければならない。
クローゼットの中身を全てひっくり返すようにして行われた服の処理が終わる頃、首元が痒くなってきた。それなりに奇麗に整頓されていたものでも、多少は埃を纏ってたらしい。最後に掃除した時には、二人だった。
換気をするために、窓を開けると、勢いよく風が吹き込んだ。隣の部屋からうっすら聞こえていたテレビの音がすっかり聞こえなくなる。颪と言うらしい。昔誰かが言っていた。
窓のそばで風を受けると、少し伸び気味の前髪が目に刺さりそうになる。前髪をかき上げながら、私はもうすぐ離れるこの土地に思いをはせる。
彼女の体調を考えて私たちは都会を離れることにした。群馬に移住したのは、知り合いと離れすぎない事や、彼女の実家が群馬であるというような簡単な理由からだった。
この町には何もない。家とコンビニとガソリンスタンドとそれから農耕地。それだけで言い尽くせてしまうような町。スーパーまでは車で20分。彼女が最後を過ごした病院までは30分。大学生の頃には、徒歩で15分の距離で大抵のモノが揃った。そんな私も車を運転する事に慣れ、移動にかかる時間を長いと感じなくなった。中途半端な田舎での暮らしはすっかりしみつていた。
確かに、空気は奇麗な方だと感じる。嫌な匂いというか、人の暮らす匂いは都会ほど感じない。乾いて、冷たい空気が満ちている。そして、颪がそれをかき混ぜる。隣りを歩く人間の言葉が風で消えて行く町だ。私と彼女は、健康のために一緒に散歩しようかと何度も挑戦したが、毎回長続きしなかった。嫌な颪。嫌な町。
彼女のためにと引っ越したが、果たして彼女はこの町を気に入っていたのだろうか。私にとって彼女のいないこの町には、価値がない。もし、先に死んだのが私だったら、彼女はどうしただろう。
遠目に見える農道を、二人連れの自転車がのろのろと並んで走っていく。水色のジャージと白いヘルメット。中学生だろうか。風に負けじと声を張り上げて会話をしているらしい。私の元まで高い笑い声が聞こえてくる。
美しい、と思った。
対話をするという事は、そんな文言が浮かんで、といって続きは消し去りたくて。私は静かに窓を閉じた。カーテンを引いて、部屋を閉じる。
煙草を吸おうと思う。
彼女との幸せな思い出に、思考を飛ばそうとした。いくらでもあるはずの思い出がまるで出てこない。焦るほどに、頭の中を自分の言葉が埋めていく。
昔、言われた言葉がひらりと浮かんだ。
「幸せになれないなんて、あなたの思い込みじゃない。」
どうして、そんな言葉が今浮かんだのか、そこに理由はなくて、それでもその言葉が私の心に沈んでいくような感覚があった。言った彼女の、怯えたような顔が何を意味していたのか。今なら少しだけ分かる。
大丈夫。あなたと生きた時間は幸せだったはずだよ。
気づいたら、煙草は酷く醜く燃えていた。まだ幾らか吸えた煙草。その肥大化した火種を私はもみ消した。雑に吸ったラキストのせいで、喉が痛い。
コップの中の水がやけに美しく見えるのは、嫌な兆候だ。
何かから逃れるように、自室へと足を向けた。
この家に、彼女の部屋はない。私の部屋と二人の部屋だけだ。私の部屋はなくてもいいと言ったが、彼女の薦めで一部屋が私の仕事場になった。仕事をしているときでも、視界の中にいたら話しかけてしまいそうだから、というのが彼女の主張だった。
そういえば私は、仕事をしている彼女をそっとしておく事に、ストレスめいたものを感じたことはなかったな。
部屋には机と椅子。そこに設置されたデスクトップのパソコンが一台。それから大きめの本棚一つに、書類を詰めた棚がいくつか。仕事をする以外に使うことの少なかった部屋だけに、大したものはない。
この部屋の整理は簡単だ。本を下ろして縛りさえすればいい。単調な肉体労働だ。複数冊の本を同じ判型で集め、積み上げてからビニール紐で縛る。不器用な私は、体制を変えたり紐を目一杯引いたりと簡単な作業でも汗ばむほどに体を駆使して行った。自分では清々しいほど汗をかいたつもりだったが、額を拭った腕はうすく濡れただけで、もう自分の体も老いていることに気づかされたりした。
疲労と、少しの汗とを感じながら、目の前の単純な仕事を片付けていると、本棚の中身は順調に減っていった。最後に残った一番下の段、端のスペースには、同じサイズの方眼ノートが10冊ほど並んでいた。ここまでの作業の間、懐かしい本たちを開かないようにと必死に自制していたのだが、終わりが見えたせいか、それともそのノートたちがとびきり懐かしかったせいだろうか、自然私は棚の前に腰を下ろして、ノートを開いていた。
方眼ノートには、方眼を無視して走り書きのような文字が羅列してある。かと思えば、時折思い出したようにマス目に沿って書かれた文章もちらほら見つかる。日付から始まるそれぞれのまとまりが、一頁に平均4つほど載せられている。それぞれのまとまりは短いものに、長いものに様々で、日付もしばしば飛んでいる。
それは、懐かしい日々が記された日記だった。
大学に入学してすぐの頃、下宿先の近くのショッピグモールで安売りされてたノートをまとめ買いした。私が間違えに気づいたのは家に帰ってからだった。開いて見たらそれは、方眼ノートであったのだ。私が欲しかったのは罫線のノートだった。
5冊一組が2セット。10冊のノートを私は持て余した。迷った末の使い道として、そこに日記をつけてみることにしたのが始まりだった。
書かない日も、書きすぎた日もあった。最初は不要なノートの利用法として始めた日記が、いつの間にか習慣になって、大学在学中に同じ方眼ノートを買い足した。オシャレなノートを買うことも考えたが、日記を本棚に並べる事を意識して同じものにしたのだ。
私が動きを止めた部屋には、紙の擦れる音と隣の部屋で流れるテレビの音が穏やかに溶け合っている。テレビの音に少しだけ意識を向けた私は、小さく「そういえば」と口に出している。ノートの山から最後の一冊を取りだし、後ろから頁と記憶を開く。日記をつけていたのが、大学の4年間。それならば、時期的には最後の一冊に含まれるはずの、大事な日。
果たして、その頁は見つかった。
三月二十日
今日は、テリタマを食べた。
たった一行、それだけの記述。少しの空行の下にはもう別の日付が書かれている。僕はそっとノートを閉じた。
そのまま上半身を床に転がす。テレビの音に耳を澄ませて、楽しげな会話を頭の中で必死に文字に起こしていく。頭の中を他人の言葉で埋めることに集中しよう。続いてのチャレンジはこちら!クイズ平成生まれに聞いてみた!第一問、まずはこちらを御覧下さい。平成生まれがカラオケで歌う思い出の曲ランキングです。一位が高橋洋子さんで残酷な天使のテーゼ。二位が湘南の風で睡蓮花となっています。皆さんは、3位~5位に入る曲を予想してください!それでは…
「ねえ、あなたはね。やっぱり私のことが、」
私の二の腕に乗った彼女の笑顔が言う。滑らかな肌、美しい曲線、柔らかな髪の毛。
「君が僕の全てだよ。」
一瞬の間を置いて、彼女は吹き出した。だから私も笑った。
「ちょっとセリフが気障すぎたね」
笑い声に被せるように言葉を重ねた。
「ううん、いいの。」
彼女は微笑んだままに目を瞑った。
白々しい気分から目を逸らすように、彼女を抱き寄せてその髪に顔を埋める。
私の胸に、彼女が何か言った。あまりに強く抱いていたせいで、私はその振動しか受け取れなかった。
冷たい床の上で目を覚ました。鮮明な夢が、記憶を侵蝕していた。