騒めく魔法学校
「ほー、これが英雄イーグルが作った眼鏡かい?」
「はい。俺が、壊してしまって。直そうと頑張ったのですが」
俺が魔眼の力を抑える眼鏡を見せているのは、この魔法学校のアウル・オイレ校長。
森の賢者、フクロウに見える彼は、眼鏡に触れる事なく、顔を近づけて興味深げに凝視している。
「イーグル様に、その様なご苦労があったとは。プリテン国にお生まれになっておられれば、この様な瑣末な事、如何様にもなりましたものを」
「ま、まさか、対処法が既にあるのですか!」
つい興奮して、俺は、オイレ校長に詰め寄った。
「こらこらスタンガン君、落ち着きなさい。私が見るに、君も同じ症状に苦しんでいる様だね?」
「わ、分かるのですか?」
「えぇ、一応、世界最高峰の魔法学校で校長をしておるものですから。それくらいの知識と能力は、持ち合わせています。ホー、ホー、ホー」
オイレ校長は、そう言うと、無言で杖を振り、壁一面にある引き出しの一つを開けた。
それは、銀縁の普通の眼鏡。
フワリ、フワリと空中を漂い、俺の目の前まできた。
「掛けてみなさい」
「あ、はい」
掛けてみたが、何も起こらない。
「ホー、ホー、ホー。焦らない、焦らない。では、右のレンズの横にある小さな出っ張りに触れて」
ポツッとした部分に触れると、カチッと音がして目の前の景色が変わった。
「今ので、貴方の魔力の質を眼鏡が覚えました。さぁ、如何ですか?」
俺の目の前には、顎に長い白髭をたくわえた老人が居た。
小さな鼻掛け眼鏡を掛けて、俺を見上げている。
「まさか・・・オイレ校長も?」
「ホー、ホー、ホー、皆には、秘密ですぞ。この魔眼、なかなか役に立つのは、スタンガン君もよくご存知でしょう」
意味ありげに笑うオイレ校長は、見た目の好々爺とした雰囲気とは裏腹に、なかなかの曲者なのかもしれない。
「左のレンズの横にも小さなボタンが付いているだろう?」
「はい」
「それが、解除ボタンだよ」
「凄い!」
解除ボタンを押すと、再びオイレ校長がフクロウに変わった。
「君は・・・狼か。戦場では、絶対に会いたくないタイプだね。それにしても、君の婚約者は、興味深い」
「え?」
「実際に彼女が私と同年代なら、直ぐにプロポーズするところだよ」
「やはり、オイレ校長にも彼女が老婆に見えるのですね」
シワシワになっても、彼女の愛らしさは、万国全年齢共通のようだ。
ウンウン頷く俺に、オイレ校長は、呆れた様なため息をついた。
「あぁ、君は、何かを勘違いしている」
「え?」
「君は、まだ、気付いていないのだろう?彼女の背中に生え始めた翼に」
「翼?」
「彼女は、老婆じゃない。天使だ」
想像もしていなかった返事に、俺は、口をポカンと開けた。
「類稀なる清らかな本質。スタンガン君、君は、これから大変だぞ。あの天使を手に入れるんだ」
「はぁ」
楽しげに笑うオイレ校長に、俺は、間抜けな返事しかできなかった。
パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ
俺は、オトミーの背中で羽ばたく小さな翼に目を奪われた。
一生懸命動かしているけど、別に、体が空中に浮かぶわけじゃない。
きっと、彼女の嬉しい気持ちを表しているんだろう。
テーブルに並べたケーキを前に、オトミーと忠兵衛は、興奮状態だ。
「ウォルフ様、ありがとうございます!プリテン国のケーキは、どれも色鮮やかで美味しそうです!」
『お主も、なかなかに気の利く男じゃな!』
忠兵衛は、緑色の茶葉を使用したケーキに齧り付いている。
顔半分が緑色のクリームに塗れているが、大丈夫なのか?
「ウォルフ様も、どーぞ」
オトミーが、フォークで一口大にカットした
イチゴのタルトを俺に向かってつき出してきた。
俺は、あまり甘いものは好きではない。
しかし、
「あーん」
オトミーの期待に満ちた瞳に、断る事も出来ない。
しかも、背中の翼が、五月蠅いほど羽ばたいている。
カチッ
俺は、眼鏡の右ボタンを押した。
目の前に現れたのは、まだ八歳のあどけなく、それでいて将来美人になる事を確約された可愛い可愛い女の子。
「あーん」
俺は、馬鹿丸出しで口を開けた。
口の中に広がるクドイまでの甘さに顔が歪みそうになるが、グッと我慢して精一杯微笑んだ。
「オトミーに食べさせてもらうと、1000倍美味く感じるな」
「本当ですか!じぁあ、こちらも」
今度は、コーヒーゼリーにタップリシロップと生クリームを掛けようとする。
「オトミー!」
「は、はい」
「初日の授業は、どうだった?」
話題を変えると、パーっと頬をピンクに染めて、両手を胸元で組んだ。
「最高でした!」
ゲール先生の熱心な指導に、オトミーが予想以上の成果を出す。
その繰り返しで、普通の生徒が一年かかる内容を一日で終えたと言う。
「ゲール先生は、今後、私の専属講師になって下さる事になりました!」
オトミーのポケットから、こっそり授業を参観していた忠兵衛曰く、ゲール先生は、狂喜乱舞で校長に直談判に走ったらしい。
『お主も、大変な婚約者を得たものよ。これから、大変じゃぞ』
「それ言われるの、今日、二回目だ」
あぁ、俺も、うかうかしていられない。
オトミーに負けぬ様、この国で成果を残そう。
彼女の伴侶として、恥ずかしくない男となる為に。
「オイレ校長、あの二人は、一体・・・」
「ゲール先生、この事は、私と貴女だけの秘密ですぞ」
「分かっております」
校長室に飛び込んできたゲール先生は、普段の温厚で冷静な淑女とはかけ離れた激しさで私に詰め寄ってきた。
あの二人の留学に、ライオネル殿下が関わっている事、そして、イジューイン嬢の置かれた微妙な立場を説明した。
我が国と違い、彼らの国では魔力持ちが殆ど生まれない。
特に、治癒魔法を持つ者は、必ず教会に召し上げられる。
幼い頃は魔力無しの判定を受けたイジューイン嬢。
突然治癒魔法に目覚めた事で、教会に知られぬ内に密かに逃し、正しい教育の元、真に人の役に立つ人物に育て上げなければならない。
勇者イーグルのように。
「オイレ校長、ライオネル殿下は、信頼に値する方でしょうか?」
「彼女達が利用されるのではないかと、心配しておるのかな?」
「正直、その方もまだ10代の子供。何か起こった時に、彼女達を守れるとはとても・・・」
「だからこそ、ここに逃したのですよ」
極秘に送られてきた書状には、彼の描く未来が書かれていた。
その信念に、オトミー・イジューインとウォルフ・スタンガンが欠かせない人間だと。
国を治めると言う事は、生半可な覚悟でできるものではない。
だが、ライオネル殿下の力強い筆跡の手紙からは、彼の人間性が溢れていた。
「明るい未来を望む子供達を、大人が導くのは当然。ゲール先生、貴方の責任は、重いですよ」
「それでは、なおのこと、私をイジューイン嬢の専属講師にしていただけないでしょうか?」
「専属?」
「片手間で育てられる様な逸材ではありませんわ!」
治癒魔法なら彼女の右に出る者はいないと言われて久しい。
そんなナイン・ゲール女史に、この言葉を言わしめるとは。
イジューイン嬢の測り知れぬ可能性を見た気がした。
この魔法学校は、全世界から生徒が集まる故に、考え方が柔軟だ。
人との違いを嫌うのではなく、受け入れる。
多くの人と関わり、あの若者達が、他の生徒にも良い影響を与えてくれる事も期待したい。
「さぁ、忙しくなりますわ!」
嬉々として、ゲール先生は出て行った。
結局、私は、神獣様の事については、ゲール先生に伝えなかった。
彼女には、ただ、一人の教師として全身全霊でイジューイン嬢を育ててもらいたい。
それにしても、この高齢になって、こんなに大変な事に巻き込まれるとは。
幼い頃、戦場を逃げ惑っていた時、若かりし頃の勇者イーグル様に助けていただいた。
その恩返しを、今、私は果たそうとしている。
プリテン国立魔法学校に、天使が舞い降りた。
そんな噂が広まったのは、今期の授業が始まって1週間が経った頃だった。
目撃者の話によると、白銀の髪を持つ小さな天使は、とても甘い物好きで、時折お手製のクッキーを女子生徒に分けてくれるらしい。
男子の俺には、絶対手に入らないと、クラスメートの女子に上から目線で同情されたのには、正直腹が立つより呆気に取られた。
天使なんて、この世の中に居るわけがない。
特に、女なんて、皆、可愛い着ぐるみを着た悪魔だ。
五人の姉が居る末っ子の俺は、女の本性を見せ続けられて育った。
アイツらは、ろくな大人に育たない。
家族から離れたくて、わざわざ遠いプリテン国に留学したのに、ここの女子も気が強い。
俺の安らぎは、いつ訪れるんだ?
「ウォルフさまーーーーー」
ベンチで昼食を食べていた俺の前を、白銀の髪を持つ小さな女の子が走って行った。
誰かの妹だろうか?
ここの学生にしては、小さ過ぎる。
「オトミー、走ったら危ないだろ」
少女に駆け寄った巨大な男は、彼女を抱き上げると、ポンポンと大きな手で背中を軽く叩いて怒っている。
父親かよ。
「だって、ウォルフ様が見えたから」
「帰ったら、いつも一緒だろ?」
「だって、三時間四十八分も離れ離れでしたわ」
分刻み?
どれだけ時計を確認してるんだ。
勉強しろよ。
腹立たしさで、少女を睨みつけた俺は、そのまま固まってしまった。
微笑む少女は、まさに、天使だった。
容姿だけではない。
醸し出す雰囲気が、柔らかな光に包まれているかの様に、明るく、神々しい。
「オトミー、それでも、走っちゃ駄目だ。転けたら、痛いだろ?」
「そうですけど・・・」
「ほら、アルパインが昼食を持ってきてくれた。一緒に食べよう」
「はい!」
大きなバスケットを持った御者らしい男が、笑いながら芝生の上に敷物を敷いている。
そして、準備を終えてそのまま去るのかと思えば、三人一緒に昼食を食べはじめた。
使用人が、主人と一緒に物を食べる?
公爵家の我が家では考えられ無い光景だ。
「アルパインさん、いつもありがとうございます」
「いいえ、お嬢様に喜んでもらえて、あっしも嬉しい限りです」
ペコペコお互いに頭を下げ合う間に挟まれた大きな男は、微笑ましい二人に目尻を下げる。
よく見れば、ガタイは良いが、まだまだ子供だ。
そいつが、ジロジロと見つめる俺に気付いたのか、こちらに顔を向けた。
「ひいっ」
無意識に、小さな悲鳴を漏らした。
天使の側には、気の良い御者と、獣の様な目をする少年が侍り、確かに男の俺が近づける空気はなかった。