高貴なる獅子と綺麗好きなアルパカ
私が進むと、皆、道を開け、壁を背にして首を垂れる。
この国の第一王子であり、王太子である私に、誰ひとり声を掛けては来ない。
孤高の存在に奉られ、平然としていられるほど、私は、まだ、大人ではない。
こちらから指示を出すまで、頭を下げたまま微動だにしない姿は、人形のようで薄気味悪い。
同じ学園の生徒であり、校門をくぐれば身分の差は無いなどと公正明大を言う割に、中の体質は旧態依然だ。
私は、今年、十六になる。
そろそろ婚約者候補ではなく、正式なフィアンセを決める必要があった。
筆頭は、アイラ・グフタス。
幼い頃からお茶会には必ず参加し、私の傍で、周りの者を牽制し続けてきた。
絵に描いたような、典型的公爵令嬢。
気位が高く、家格に強い誇りを持っている。
決して頭が悪いわけではない。
ただ、父親に命令され、王太子妃になる事だけを目的に生きている。
本当に大切なのは、王太子妃として、王妃として、この国の為に何を為すことが出来るかと言う事なのに。
まだ、十二。
もう、十二。
今年変化がなければ、そろそろ見切りをつけなければならない。
そんな彼女が、入学してきた。
『ライオネル殿下』
誰もが頭を下げて微動だにしない中、彼女だけが、私を真っ直ぐに見て声を掛け、見事なカーテシーを見せた。
その時、私の中で、彼女は、『他よりはマシ』の部類に入った。
それほど、私の学園生活は、静寂に満ちていた。
名前を呼ばれたのは、いつぶりか?
皆、判を押したように、『殿下』としか呼ばない。
恐れ多いのか、はたまた、私の名前すら知らないのか。
スペアなど、掃いて捨てるほどいる。
いつ、何が切っ掛けとなり、下克上が起きるやもしれない。
今から私に、必要以上に媚を売るのは、得策でないと思っているのだろう。
「殿下」
護衛の呼び掛けに立ち止まる。
「なんだ?」
「この先で、騒いでいる者が居るようです」
耳を澄ますと、聞き慣れた甲高い声が聞こえた。
ただ、普段とは違う楽しげな色合いに、少し興味が湧いた。
そのまま歩を進めると、教室で、下級生達がざわついていた。
静かな学園では、珍しい。
「まぁまぁ、お二人は、本当にお似合いですわ」
声を弾ませ、嬉しげな様子のアイラ・グフタスの後ろ姿が見えた。
「ありがとうございます。えぇ、本当に、良いご縁に恵まれて、私も幸せに思っております」
その隣に立つのは、オトミー・イジューインか?
彼女を初めて見たのは、入学式の日だった。
父から、8歳の天才が来ると聞き、わざわざ見に行ったのだ。
新入生代表挨拶に出て来た彼女は、小さな妖精だった。
羽根こそ生えてないが、何処かへ飛んでいってしまいそうな儚さがあった。
王妃にするには、現実味の無い相手。
ただ、鑑賞用には悪くない。
一度は、そばに置いてみようかと考えた事もある。
だが、それも無理そうだ。
彼女の横には、ウォルフ・スタンガンが護衛のように立っていた。
私の側近にと何度も名前が挙がりながら、何故か手に入らない侯爵令息。
こちらの存在に一人だけ気づき、オトミー・イジューインを私の視界から隠そうと立ち位置を変える辺り、益々興味をそそる。
私は、わざと足音を大きくして,奴らに近づいていった。
「ライオネル殿下」
アライグマがその名を呼ぶと、それまでのお祝いムードは一転して、ピリリとした緊張感が走った。
一斉に頭を下げると、彼からの言葉を待つ。
ライオネル第一王子は、俺の目には、黄金の鬣を持つ百獣の王として映る。
生まれながら王の器。
小物の動物達が畏怖しても仕方の無い威圧感がある。
「なにやら、楽しそうだね、アイラ嬢」
「はい、ちょうど今、スタンガン侯爵令息とイジューイン伯爵令嬢の婚約を、皆でお祝いしておりましたの」
「ほぉ、それは、めでたいな」
興味の欠片もなさそうな声に、吹き出しそうになる。
この方は、決してそんなつもりはないのだろうが、子供の遊びに大人が混じったような滑稽さだ。
まさに、大根役者。
それでも、周りの同級生達は、カタカタと音がするのでは無いかと思えるくらい震えている。
「皆、面を上げよ」
ライオネル殿下の一言で、今度は一斉に顔を上げた。
しかし、高位の者から声を掛けて貰えない限り、俺達に喋る権利はない。
唯一、婚約者候補であるアライグマだけが、ライオンの横に侍り、微笑みを浮かべている。
つい、彼女が猛獣に、頭からバリバリ食べられないか心配になる。
そんな不敬な想像をしていると、ライオネル殿下が俺の前に立った。
「ウォルフ・スタンガン、何故、私の元に来ない?」
「わたくしのような若輩者が、殿下の周りをウロチョロと致しましては、殿下の名に泥を塗る事になりましょう」
当たり障りない返答をすると、凛々しい眉がクイッと上がり、牙の見える口が、不服げに歪む。
わざとだろうが、気持ちを顔面全部で表現するのは、やめて欲しい。
「お前の魔力は、国の為に使われるべきだと思わぬのか?」
「無論、国の平和の為にのみ使われるべきだと考えております」
暗に、ライオネル殿下だけに与する訳ではないと匂わせる。
俺は、使い方によっては、兵器扱いされる。
祖父の日記にも書かれていたが、敵味方関係なく治癒して回ったのは、パワーバランスを図る為。
何処かにだけ一点集中する強力な力は、排除の対象ともなりうるのだ。
「そんな事を言っているのも今のうちだ。学園に入学したという事は、大人への一歩を踏み出したという事。逃げる事は、出来ないぞ」
「ご忠告、有り難く頂戴し、今後も己の研鑽に努めたいと思っております」
一礼し、背筋を正すと、ライオネル殿下の視線が俺からオトミーに移った。
「其方の急所は、こっちか?」
ゴクリ。
俺は、無意識に唾を飲み込んでいた。
動揺をわざわざ自分から知らせてしまった失態に、溜息まで出そうになった。
「何かお前に頼む時は、彼女から頼んでもらおう。よろしく頼むぞ、イジューイン嬢」
ライオネル殿下が、優しい声音でオトミーに言うと、
「わたくしは、『でんしょばと』ではございませんので、おねがいはきかなかったことにいたします」
オトミーは、わざと幼さを装った返答をし、あざとくニコッと笑うと、スススッと俺の後ろに隠れた。
「は!ははははははははは、これは、一本取られた」
ライオネル殿下は、大袈裟なほど大きな声で笑った。
周りに、この出来事で禍根を残すことはないと示すように。
「実にお似合いの二人だ。学年一位と二位は、伊達ではないようだな。いつか二人まとめて側近になってもらおう。では、行くぞ」
ライオネル殿下が歩き出すと、護衛が付き従い、皆が、頭を下げた。
ふーーーーーーーーー
そこにいた生徒達が、肺の息を全て出し切るほどのため息をついた。
やっと息が出来るようになったと言うところだろうか?
安心しろ。
一年の教室に四つも年上の殿下が来るなんて、滅多にないことだ。
きっと・・・多分。
アルパカと呼ばれた男は、ウォルフ達の帰宅時間まで、学園脇に設けられた待合室で他の御者達と話をしていた。
と言っても、一方的に雇い主の悪口を言う仲間の横で、ウンウンと頷くだけなのだが。
ウォルフがオトミーと登校するようになって、彼には、文句が一つもなくなった。
今日でまだ四日目だが、思い合う二人は、側から見ていてもほのぼのとしている。
それに、伯爵令嬢なのに、御者にまで挨拶してくれるお嬢さんには、生まれて初めて出会った。
しかし、そんな事をここで口にしようものなら、皆から妬まれかねない。
「いやー、やってらんねーよ」
一際大きな声で愚痴った御者仲間は、一気に水を飲み干すと、
「便所!」
とだけ言って、去っていった。
「ふぅ」
小さくため息をついたアルパカ。
自分も水を飲もうと手をカップに伸ばした。
その目に、驚くべき人物が映る。
「あれまぁ、ウォルフ坊ちゃん。如何なさいましたか?」
生まれた時から知っている雇い主の息子は、見る間に自分の背を抜き、今や見下ろされる状態になっている。
「オトミーが、お前に渡したい物があるらしい」
「あっしにですかい?」
視線を随分下に下ろすと、自分の大きな腹の辺りに、坊ちゃんの婚約者の顔が見えた。
「へい、何ですか、お嬢様」
「コレを、貴方に」
渡されたのは、白い木綿のハンカチ。
そこには、首の長くなった羊のような動物が刺繍されている。
白地に白い糸なのに、少し立体的な縫い方で、なんとも可愛らしく見えた。
「この動物は?」
「アルパカですの」
「アルパカ?」
「えぇ、綺麗好きで、優しくて、貴方みたいだから。いつも、馬車の中を掃除してくださってありがとう。とても心地よく乗せて頂いてますわ」
妖精のような少女に微笑まれ、アルパカ御者は、嬉しいやら、恥ずかしいやら、頭を掻いて顔を真っ赤にした。
どうしても、土足で上がるだけに、砂利や砂が入る車内。
それを掃き出すだけじゃなく、窓を丁寧に拭き、曇り無く外が見えるようにしていた。
その事を認められて、鼻の奥がツンとなる。
「オトミーがお前の為に縫ってくれたんだ。大切にしろよ」
それだけ言うと、ウォルフは、オトミーを伴って出ていった。
『あぁ、何てこったい!』
言葉にならず、受け取ったハンカチを胸に抱きしめて、涙を堪えた。
『泣いちゃなんねー、お嬢さんがくれたハンカチが汚れちまう』
この日から、アルパカのハンカチは、男の部屋に額縁に入れられて飾られる事になった。