解かれた魔法と虹色の髪
「忠兵衛様、大丈夫ですか?」
ガタゴト動き続ける本の前から、動こうとしない忠兵衛。
オトミーは、傍に座ると、鼠の背中に人差し指を添えて声を掛けた。
『なぁに、別に大した事ではない。奴が、ワシに本名を名乗らなかったことも、ワシが本来、異世界へ戻る為のエネルギー源だった事も』
「お前、滅茶苦茶気にしてんだろ」
俺のツッコミにも振り向かず、忠兵衛はズズズと鼻水を吸い込んだ。
『分かっておるわ!チューニーの唯一無二の親友が、ワシだった事くらい!しかし、しかし、名前すら教えぬと言うのは・・・』
ゴネる忠兵衛を見て、俺は、思い出した。
「いや、お前も、偽名だろ」
忠兵衛とは、チューニー・チャツボットが付けた名前だ。
神獣だった頃の真名は、未だに誰も知らない。
押し黙ったところを見るに、本人も、後ろめたさがあるらしい。
「忠兵衛様、本当のお名前は、何と仰るのですか?」
オトミーが、いつもの如く、目をキラキラさせながら忠兵衛を覗き込んだ。
『・・・』
どうやら、忠兵衛は、ダンマリを決め込むことにしたようだ。
しかし、クルンと丸まった細い尻尾が、ピンと伸びたかと思うと、
ボフン
辺りは、真っ白な煙に視界が覆われた。
「きゃぁ、ウォルフ様!」
「動くな、オトミー!じっとして」
俺は、パチンと指を鳴らすと、
サワサワサワサワ
魔法で起こしたそよ風で視界を晴らした。
すると、目の前に現れたのは、大きな体を出来るだけ小さくしようと縮こまる白と黒の横縞が目を引く白虎。
しかも、大きさは、俺の三倍はある。
「忠兵衛様ですか?」
『うむ』
見上げたオトミーの指が、何かを揉むような動きを見せる。
「モフモフですわ!」
忠兵衛の足に両腕で抱え付くと、オトミーは、顔をフワフワの毛に埋めた。
『えぇい!止めんか!』
牙を見せて吠えた忠兵衛は、先ほどまで鼠だったとは思えない迫力だ。
ビックリして尻餅をついてしまったオトミーは、目をまん丸にしたまま忠兵衛を見上げた。
『す、すまぬ』
頭を下げて謝る忠兵衛は、借りてきた猫のようだ。
神獣の威厳は、何処に行った?
しかも、猫科の癖に、獲物である鼠に変えられるとは、コケにされ過ぎだろ。
「いえ!忠兵衛様、私こそ無遠慮に撫で回し申し訳ございません。次は、丁寧に致しますので、撫でてもよろしいでしょうか?」
『其方、全く反省しておらぬな』
御立腹な忠兵衛だが、オトミーの上目遣いのお願いに負けたのか、大人しく頭を下げて撫でられる体勢を取った。
「むふふふふふ、モフフフフフ」
意味不明な声を上げながら、オトミーは、忠兵衛の毛の中に潜っていった。
忠兵衛様の体は、雲の中を泳いでいるみたいに柔らかで、心地良い。
上へ、下へ、右へ、左へ。
私が移動する毎に、忠兵衛様が身を震わせているのは、擽ったいからかしら?
でも、止められない。
今の私は、全身で、忠兵衛様の魔力を感じることが出来る。
きっと、もう一人の『オトミーちゃん』の力ね。
今までゼロだった魔力がドンドン体に溜まっていくのが分かった。
「オイ、オトミー!」
「ハイ!ごめんなさい!」
ウォルフ様に声を掛けられて、私は、慌てて顔を毛から出した。
今は、敵との激闘を終えたばかり。
ウォルフ様や他の皆様も、疲れ切っているのに、私ばかり、楽しんでしまったわ。
「いや、別に怒ったわけじゃない。それよりも、その髪・・・」
ウォルフ様に言われて、私は、自分の髪を一房とってよく見てみた。
毛先から徐々に、髪の毛が、白銀から七色に変わり始めていた。
「大きな忠兵衛様も、素敵でしたのに」
残念そうに鼠姿の忠兵衛を手の中に包み込み、オトミーが唇を尖らせた。
『ワシの魔力に中てられた其方が、髪の毛をあの様なヘンテコな色に染めるからじゃぞ』
「私のせいですの?」
『うむ』
偉そうに頷いて見せても、唯の鼠。
威厳のカケラもない。
結局、忠兵衛は、自分の名前を言わなかった。
何故なら、名を明かす事で、使役関係が生じるからだ。
『ワシは、其方達とは、友でおりたいのじゃ!』
そう言われて、無理に聞けるはずもなかった。
さらに忠兵衛は、俺に向かって、もう一度鼠にしてくれと言った。
そうしないと、オトミーが、毛をモフモフする度に、魔力の過剰摂取をしかねない。
『自分の能力以上の魔力は、毒以外の何物でもないのだぞ』
帰る馬車の中、未だに髪の毛からパチパチ放電するように魔力を漏らすオトミーを、忠兵衛は、心配げに見上げた。
「ごめんなさい、忠兵衛様」
『先ずは、ウォルフに教えを乞い、少しずつ魔力の使い方を覚えるがよい』
「はい」
忠兵衛に偉そうに指導されて、オトミーは、しおらしく頷いている。
しかし、その手は、不必要に忠兵衛を撫で撫でし続けていて、神獣の忠兵衛が恋しいのが丸わかりだった。
『オトミー、そのように撫で続けられたら、ワシの毛が全部抜けてしまうわい』
「まぁ!無意識に撫でておりました!」
本気で驚いているオトミーに、オレも忠兵衛も、笑うしかなかった。
私は、久しぶりに我が家に戻り、自分の部屋で目覚めた。
見慣れた光景に、忠兵衛様が寝ている籠が置かれている。
そーっと覗くと、まだ、夢の中みたい。
私は、人差し指で、ほんのちょっとだけ忠兵衛様を撫でてから、姿見の前に移動した。
伏し目がちに、直接鏡を見ないように前に立ち、ゆっくりと顔を上げる。
あぁ、やっぱり思った通り。
鏡の中の私は、老婆じゃなくて、オトミーちゃんを少し大きくしたくらいの女の子だった。
クルリと回ると、ふわっと髪の毛が舞う。
年齢通りの自分に、私は、胸が一杯になった。
鏡に近づき、私の瞳の中を覗くと、やっぱり幼い女の子が映っている。
黒い霧が本に封印された時、忠兵衛様の姿が元に戻ったのを見て、奴の魔法が切れたんだって思った。
それなら、私の目に焼き付けたと言っていた老婆の姿も消えてなくなっただろうって。
「へへへへへへへ」
私は、締まりなく笑いながら、ポロポロ涙を落とした。
良かった。
これから私は、普通の女の子になれる。
将来は、ウォルフ様のお嫁さんになって、沢山の子供に囲まれるの。
ただ、私は、この時分かっていなかった。
自分が全然『普通の女の子』じゃないって事に。