狼と老婆の婚約
俺は、エントランスホールで馬車を待ちながら、ふと、家系図を思い出した。
鷲と三毛猫から産まれたのが熊(父)。
熊(父)と羊(母)から生まれたのが狼(俺)。
じゃあ、狼(俺)と老婆からは、何が生まれる?
「ふふ」
気の早い想像をする自分を笑っていると、ちょうど母が来た。
「楽しそうね。思い出し笑い?」
「いえ、そろそろ登校時間なので、オトミーを迎えに行こうと思いまして」
昨日、約束をした。
これから毎日一緒に登下校すると。
そうすれば、色々話も出来るし、オトミーの悩みを解決出来る糸口が掴めるかもしれない。
まぁ、少しでも一緒に居たい俺の我儘でもあるんだが。
「そう。もう、そんなに仲良しなのね」
「・・・そうですか・・ね?」
否定するのもおかしいと思い、なんとなく言葉を濁した。
それに対する母の生温かい眼差しが辛い。
「では、行って来ます」
頭を下げると、逃げるように玄関から一歩出た。
「オトミーちゃんに、よろしくね」
「はい」
そのまま馬車に飛び乗ろうかとも思ったが、今日の母の毛は、空気が乾燥しているせいか、格別爆発したように膨れている。
羊と言うより毛玉。
もう、目も鼻も口もどこにあるのか分からない。
昔なら、母の顔すら分からない事を殊更嘆いていたけれど、オトミーと言う同士との出会いで、楽しむ余裕が出てきた。
「母上、髪に糸くずが付いています」
何も付いてはいないが、取るフリをして母の髪に触れた。
羊毛とは違う手触り。
フワフワとはしているが、ちゃんと一本一本分かれている。
「あら、ありがとう、ウォルフ」
二本爪を口元に当て、ホホホホホと笑う母を見て、今度どんな風にフォークとナイフを使うのかよく見てみようと心に決めた。
「アイラ、話がある、私の書斎に来なさい」
朝の食卓で、滅多に話しかけてこないお父様に声を掛られ、ビクリと身体が震えた。
「はい、お父様」
返事をするのが精一杯で、朝食の味なんて分からなかった。
幼い頃から、王太子妃になるようにと教育されてきた。
両親と過ごすよりも、家庭教師と過ごした時間の方が長かった。
期待に応えようと必死に頑張ったけど、学園での成績は、あまり良くない。
一位は、オトミー・イジューイン伯爵令嬢
8歳にして、入学を果たした天才。
二位は、ウォルフ・スタンガン侯爵令息
伝説的魔導師イーグル・スタンガンの孫。
一位しか許されない私は、三位であろうとも、最下位と同じ扱いになる。
日に日に不機嫌になるお父様からの圧力に耐えられなかった私は、オトミー・イジューインに嫌がらせをした。
学園に来なくなれば良いのにって、思っていた。
それなのに、彼女は、私を撫で回す。
まるで、孫を可愛がる祖母みたいに。
私にだって、お婆様がいた。
三歳の時に亡くなるまでは、よく可愛がってくれた。
それ以来、誰にも撫でられたり抱きしめられたりした事は無かった。
だから、すごく、嬉しかった・・・。
『まぁ、まぁ、まぁ、まぁ、グフタス様は、怒られても愛らしいこと』
四つも下のくせに、私を可愛い、可愛いと撫でまくるオトミーには、変な思惑など皆無で、ただただ愛おしいと言う気持ちをぶつけられ、私は、帰宅後泣いてしまった。
それから、常に彼女の横に座るようになった。
馴れ合うつもりはなかったけど、自然と身体が、磁石のように引き寄せられた。
きっと、その事が、お父様に知れたのだろう。
役立たず。
そう怒鳴られるのかもしれない。
「失礼致します」
「そこに、座りなさい」
「はい」
「お前は、イジューイン伯爵令嬢と仲が良いのか?」
「良いと言うほどでは」
「常に隣の席に座ると聞いたが」
「・・・・・・はぃ」
「逃すな!」
「え?」
お父様の声に、私は、顔を上げた。
「昨日、スタンガン侯爵家とイジューイン伯爵家が婚約を結んだ。武を誇るスタンガンと医療に優れるイジューインだ。お前が今後、王太子妃となった時の強力な駒になる」
「うそ・・・」
伯爵家では、確かに王太子妃として推すには家格的に物足りなくはある。
しかし、彼女の美貌と聡明さと優しさを以てすれば、夢では無いはずだ。
「ど、どうして婚約が成立したのですか?」
王家の横槍は、入らなかったの?
「喜べアイラ。英雄イーグル様が、生前イジューイン家の当主と懇意であり、男と女の孫が産まれたら、必ず結婚させると約束されていた。しかも、戦果の褒賞として、王家にもそれを認めさせている」
あぁ、神は、私に味方した。
英雄イーグル様の遺言を、当事者以外の人間が反故にするなど世論が許さない。
今後、彼女が王太子妃候補として名が挙がることはないだろう。
「はい!お父様、お任せ下さいませ!彼女の横は、誰にも譲りませんわ!」
私は、晴れやかな気持ちで宣言した。
これからは、誰に憚る事なく、彼女と仲良く出来るのだ。
「おはようございます、ウォルフ様」
「おはよう、オトミー」
互いの秘密を打ち明けあった事で、俺達の心の距離は、断然近くなった。
馬車に乗りやすいよう、手を差し出して彼女を支える。
「ありがとうございます」
オトミーは、姿勢を揺らす事なく、軽やかな足取りで馬車に乗り込んだ。
向かい合わせに座り、ホッと息を吐いたのも束の間、馬車がゆっくり動き出す。
オトミーは、侍女を連れて来ておらず、俺も一人で通っているため、馬車の中は二人きり。
オトミーは、一度車窓から御者の方を覗き見ると、椅子に座り直した。
「御者が、どうかしたか?」
「あの方は、ウォルフ様には、どのように見えますの?」
興味津々と言ったところだろう。
目を輝かせて、俺の方に向かって前のめりになっている。
「私は、狸ではないかと思うのです」
自分の予想を披露して、フンスと鼻を鳴らす姿など、永久保存版の愛らしさだ。
「残念、オトミー。体型から想像しただけだろう?俺の目は、内面を映すんだ」
「では、何ですの?」
「アルパカだ」
「あるぱか?何ですの、それ」
ピンとこないオトミーは、首を傾げて、聞いた事のない動物を想像しているようだ。
「今度図鑑を見せてやろう。臆病なのに好奇心旺盛。綺麗好きで、穏やかで優しい」
「まぁ、そんな事まで分かりますの?」
「図鑑に書いてあった」
腕組みをして、わざと得意げに言ってみせると、オトミーは、
「まぁ、ウォルフ様、それカンニングですわ!ふふふふ」
と笑い出した。
「そうとも言う」
父を真似して鷹揚に頷くと、オトミーは、小さな手で顔を隠してクククククと喉を鳴らして笑った。
あぁ、なんて楽しい登校時間だ。
永遠に続けば良いのに。
「オトミーさん、ご婚約おめでとう」
教室に入るなり、アライグマ・・・アイラ・グフタス公爵令嬢がオトミーの腕を取った。
「あら、まぁ、もうご存知ですの?」
「えぇ、父から今朝聞きましたの。本当に、おめでたい事だわ」
「ありがとうございます」
オトミーは、何の疑いもなくお礼を言っているが、俺は、違う。
アイツの親は、鴉だ。
賢く、目端が利き、利用できる者は娘でも使う。
アライグマ自身は、きっとオトミーを本当に好きなのだろう。
しかし、オトミーを利用する事は見過ごせない。
「オトミー」
俺は、オトミーに近寄ると膝をつき、アライグマがしがみ付いている方の手を取り、見せつけるようにその細い小指にキスをした。
きゃーーーーー!
騒ぐ外野は、放っておく。
俺が、喧騒にかき消されるくらい小さな声で呪文を唱えると、オトミーの小指と俺の小指に、他人には見えない赤い糸が結ばれた。
これで、オトミーに何かあったら、直ぐに駆けつけられる。
「ウォ、ウォルフ様のバカ!」
ぺちり
痛くもない一打が、肩のあたりに入る。
「皆さんがいらっしゃるのに!」
「変な虫がつかないように、見せつけておこうかと思って」
「まぁまぁ、お二人は、本当にお似合いですわ」
アイラ・グフタスが大袈裟に喜ぶ。
王太子妃候補が一人減ったと、喜んでいるんだろう。
取り巻き達も、オトミーが、アライグマに害をなさない事が分かると、次々に祝いの言葉を述べ出した。
「ありがとうございます。えぇ、本当に、良いご縁に恵まれて、私も幸せに思っております」
他人の思惑など知りもしないオトミーは、可愛い笑顔でお礼を言い続けている。
今は、これで良い。
オトミーさえ健やかなら、他は別にどうでも良いのだから。