走れ!走れ!走れ!
ハァハァハァハァ
息が上がり、足が絡まる。
魔力を持たない私に、あの黒い霧の気配を感じることは出来ない。
でも、多分、何処かで見ている。
そして、私が弱るのを待っている。
先が見えない薄暗い森。
細くて高い木々が、天高く枝を張り、鬱蒼と生える葉で太陽の光を遮断していた。
足元が覚束ないけど、立ち止まるわけにはいかない。
胸元に輝くウォルフ様に頂いたネックレスには、おまじないがかかっている。
オトミーへの『おまじない』を跳ね返す『おまじない』
ウォルフ様は、そう言っていた。
多分、このネックレスには、魔法を跳ね返す効果がある。
体を持たない黒い霧は、物理的な攻撃を仕掛けられないから、今のところは、直接攻撃は受けないはず。
その代わり、助けが来ず、心が折れた私が許しを乞い、自らネックレスを外すよう仕向けている。
時折、魔獣の咆哮を聞かせ、右へ、左へと進路を変えさせる。
もしかしたら、この森自体、そんなに大きくないのかもしれない。
それに、私だけじゃ、チューニー・チャツボット様が残した本を読むことは出来ても、使うことは出来ない。
私と忠兵衛様、二人で一人。
今回、被害者が私だけだったのは、不幸中の幸いだった。
それに、いざとなれば・・・。
でも、家族やウォルフ様を悲しませたくないから、最後まで足掻かないと。
私は、木の枝を掴むと、グイッと腕に力を入れた。
前世の記憶では、木に登り、リンゴを取った事がある。
今の体では初めてだけど、魔獣から逃れる為にも、上に行かなきゃ。
固い木の皮で、手や足に傷が入るけど、私は、更に上の枝を掴んだ。
ウォーーーーーーー
私の行動に気付いた魔獣達が、一斉にこちらに向かって走り出した。
脅すだけ脅して、体力が尽きるまで走らせる予定だったんだろう。
それが崩れて、敵も焦り出したみたいだ。
私は、自然と口元が綻ぶのを感じた。
何もやり返せないと思っていたけど、意外と私は、敵を困らせているのかもしれない。
「ふふふ、ざまぁあみろ・・・ですわ」
普段絶対使わない、ちょっと悪い言葉を使って、私は、なんだか気持ちが高揚してきた。
「またか」
下から聞こえてくる魔獣の咆哮。
ウォルフの探索を阻む障害との遭遇は、もう両手で足りない。
こびり付いた赤黒い血が、剣の切れ味を鈍らせる。
ここまで降りて来られた面子は、殆どが魔導士団のメンバーだ。
騎士団の連中は、虫の襲撃で殆ど使い物にならなくなっていた。
俺達も、魔力が尽きれば唯の人。
引き返す瞬間を見誤ると、全滅だ。
「ドラコ団長!」
「なんだ?ウィザル」
「ウォルフ・スタンガンの匂いを、捉えました!ここから100メートル下です!」
「よし、デカした!皆、一気に片を付けて上に戻るぞ」
「はい!」
ウィザルがウォルフに向かって全速力で駆け降りて行く。
枝葉のように分かれる道にも、迷いがない。
その後を、俺達は、見失わないように追った。
空を舞う小物の魔物は、バッファの電撃で撃ち落とされ、中型の魔獣も辛うじて残った騎士団の精鋭と俺で叩き潰していく。
「アレです!」
「うわっ、ったく、派手にやらかしてるな」
大型の魔獣が、ウォルフに群がっている。
奴は、魔力を練り上げ、剣の形にしていた。
火、水、雷、土、木
種類の異なる、本来相容れない属性までも無視した大刀は、バキバキと激しく爆ぜながら魔獣を一刀両断にしていく。
しかし、何処から湧いてくるのかと怒鳴りたくなるほど、次から次へと魔獣が現れ、ウォルフを足止めしていた。
「ウォルフ!」
魔獣の中に飛び込み、互いの背中を守るようにウォルフの背後に立った。
「大丈夫か?」
「団長!オトミーが、攫われました!俺は、1秒でも早く、ここを出なければいけないんです!」
こんな地下深くから、遠く離れたスタンガン家に居るはずの婚約者の安否が分かるものなのか?
しかし、ウォルフの血走った目を見れば、その緊急性が見て取れた。
「ここは、俺達が引き受ける。お前は、先に行け!」
「ありがとうございます!」
言うが早いか、ウォルフは、間を縫うようにして俺たちが来た道を駆け上がっていった。
その片手間のように、一番大きい魔獣を一振りで片付けて。
一体、何処にそんな余力を残して置けるんだ?
「ははは、すげぇな。絶対敵にしたくねぇ」
笑いながら、バッファが電撃で魔獣を動けなくした。
俺からすれば、お前も似たようなものだ。
魔法属性は多くないが、強力な身体強化と腕っ節の強さは、ここぞと言うときに頼りになる。
「ウィザル!上へ戻るぞ。先頭を走れ」
「はい!」
そろそろ限界が近い俺達は、退却に全力を注ぐことにした。
外に出れば、この穴を爆破で塞ぐ。
まだまだ調査し足りないが、このまま放置するには、危険すぎる穴だ。
次、調査に来る時には、更なる準備が必要だろう。
地上に出た俺を、外で待機していた人達が取り囲む。
「団長達は、どうした!」
「もう直ぐ、上がってきます!穴を塞ぐ爆薬と撤退の準備を!」
一斉に動き出した隊員を確認し、俺は、走り出した。
向かうは、赤い糸が向かう場所。
目的地は、俺の記憶する限り、植物も余り育たない荒野のはずだ。
隠れるにも適さない場所を何故わざわざえらんだんだ?
途中、立ち寄った街で馬を手に入れると、馬にも身体強化の魔法を掛け、一気に距離を縮めた。
どうやら、敵は、一箇所に止まっているようだ。
移動を止めたとなると、オトミーへの危険度が、跳ね上がる。
俺は、馬上で灰色の糸も確認してみた。
なんと、其方も移動を始めている。
「あの、馬鹿!」
鼠は、どんな方法を使っているかは分からないが、物凄い速さでオトミーの方へと向かっている。
オトミーと忠兵衛と本。
三つが揃わなければ、最悪の状況は回避できると言うのに、なんでわざわざ寄っていく!
ただ、アイツとオトミーの仲の良さを考えると放って置けなかったのか。
本の中で、誰とも話すことなく、一千年の時を生きた奴にとって、『友』とは、命を賭ける価値のあるものなのだろう。
「負けるかよ!」
婚約者として、彼女の救出を他の奴に譲るつもりはない。
ヒーローは、颯爽とお姫様を守るものだからな。
「忠兵衛殿、大丈夫ですか?」
『ワシの事は、気にするな!ウォルフの父よ!それより、もっと早く走れ!』
俺の胸ポケットの中から、顔だけ出した鼠が怒鳴り続けている。
イジューイン嬢が連れ去られて、もう一日が過ぎようとしている。
夕日は傾き、もう直ぐ暗闇が訪れるだろう。
先鋒隊からの連絡で、突如として現れた森の存在が判明した。
規模は大きくないが、遠目に見ても、異様な様相を醸し出しているらしい。
魔力のない我らに、太刀打ちできるのか?
魔導士団の到着を待つべきか?
判断は鈍るが、一人の年端もいかない少女が連れ去られたとなれば、時間を掛けている場合じゃない。
『リズリー・スタンガン』
「はい、なんでしょうか?」
『魔を切る剣の話は、知っているか?』
「いえ」
『チューニーが、昔、語っておった。魔力を持たぬ者でも、真に開眼すれば、切れぬものは無いと』
「そのような事が、可能なのですか!」
『必殺円撃殺法、死への舞い。どのようなものか知らぬが、舞う様に剣を振り、渾身の一撃を放つとか。まぁ、厨二病の戯言故、話は半分に聞け』
俺の胸が、激しく脈打ち出した。
魔導士として名を馳せた父の子として、魔力無しの判定を受けて以来、俺は、どこか出来損ないの様な気がしていた。
父以上の力を持つウォルフを前にすると、うまく言葉が出ない。
我が子だから、可愛くないはずがない。
しかし、どうしても臆してしまう気持ちに蓋ができなかった。
もし、本当に、俺の剣で魔を切れたなら・・・。
自然と手綱を持つ手に、力が入った。
自分の限界を、俺は、越えられるだろうか?