最後のポーションと匂い袋
「テメー、ざけんなよ!!」
雑用をこなしていた為、後から現場に駆けつけたバッファが、事の顛末を聞いてウィザル(イタチ)を殴った。
「あの子が、何をしたってんだ!図体はデカイが、まだ、子供だぞ!それを、奈落に突き落としただと?お前、頭イカれてんのかよ!」
元農夫の拳は、節くれだっていて、強烈な衝撃をヴィザル(イタチ)に与えた。
それまで、霞がかかったような脳内が、スッキリと晴れ渡り、全身に初めて血が通うような感覚を得た。
「お、俺は・・・何をしていたんだ?」
ウィザルは、初めて見た時から、ウォルフの事が気に入らなかった。
ただ、そこに居るだけで、殴りたい衝動に駆られた。
しかし、ウォルフから、何かされたことなど一度もない。
冷静に返った頭で考えると、ここ数週間の自分は、異常だった。
激しく頭を振る。
ポロリ
何かが耳の奥から出てきた。
それは、小さな虫だった。
さっきの襲撃の残りか?
それとも・・・ずっと耳の中に居たのか?
憎い
憎い
憎い
そんな怨嗟が、ずっと頭の中で響いていた気がする。
得体の知れない嫌悪感が、全身を満たしていた。
「どうやら、俺らは、踊らされていたらしい」
ドラコ団長の一言で、皆が、愕然とした。
今更ながら、普段の力が発揮できない焦燥感に苛まれ、自分の事しか考えられなくなっていた事に気づく。
精神的に追い込まれた状態だったと言い訳しても、唯の恥の上塗りでしかない。
「今、動ける者は、何人だ?」
ドラコ団長の声に、バッファが一番に手を挙げる。
元々図太い彼は、黒い霧が仕掛けた陽動にも、全く振り回されていなかった。
ただ、淡々と与えられた雑用をこなし、自分が出来る最大限の努力をし続けていた。
それは、地位や名誉にこだわりのない彼だからこそ。
面子を気にするくらいなら、晩御飯の取り分を多くする方が余程生産的だと思っている。
「お、俺も連れていってください・・・」
殴られた事で、負の呪縛から放たれたウィザルの目に、もう迷いは無かった。
それを見たバッファは、自分のポケットから割り当てられていたポーションを取り出して渡した。
「正真正銘の最後の一本だ」
虫に襲撃された際も、彼は、得意の雷系魔法を薄く身に纏い、刺されるよりも前に感電死させていた。
ウォルフとドラコを除けば、唯一の無傷。
この後、何が起こるか分からないが、今のウィザルより1000倍は元気だった。
「・・・ぁりがとぉ」
ウィザルは、初めてバッファに礼を言った。
「オトミーちゃん、今日は、本当に、ありがとう」
「いえ、いつも良くしてくださる皆さんへの感謝の気持ちです。ささやかなものですが」
「何を言っているの。皆、本当に喜んでいたわ」
ウォルフが、魔獣調査隊に参加してから二日目。
ずっと不安げだったオトミーちゃんが、何か思い立ったように物作りに没頭し出した。
実家から取り寄せた材料は、各種薬草と小さな絹の袋。
そこに、オトミーちゃんが我が家で育てている小さな花を天日干しで乾燥させて混ぜ、薄い絹の小袋に詰めていく。
出来上がった匂い袋を、彼女は、屋敷にいる者全てに配って回った。
そのお陰で、屋敷中が爽やかな香りに満ち溢れ、気持ちが晴れやかになってくる。
皆、ウォルフを心配し、表情が暗くなっていた。
その陰気な空気は、身体の不調にも繋がっていた。
肩を丸め下を向く事で、首から肩が重くなり、頭の中が常に痛みを感じる。
些細な事だが、その事から吐き気を感じる者も現れ、食欲不振や倦怠感を訴え始めていた。
それを断ち切るオトミーちゃんの匂い袋。
屋敷の中に笑顔が増え始め、たった半日で屋敷内の雰囲気が、ガラリと変わった。
『ほんに、不思議な童よのぉ』
オトミーちゃんの肩にのった『チュウベエサマ』が、匂い袋に顔を埋めながら呟いた。
本当に、オトミーちゃんは、不思議な子。
まだ、小さな女の子なのに、常に周りを気遣い、それが決して重荷になっていない。
まるで、祖母が孫を可愛がるような優しさが、自然と周りに注がれている。
それが分かるのか、うちで飼っている気ままな猫までが、彼女の足元に侍っていた。
普段は、近所に放浪の旅に出かけて、夜以外殆ど姿を見ないのに。
今も、彼女に頭を撫でられて、ゴロゴロ喉を鳴らしている。
『猫め!毎日、毎日、図々しいぞ!』
『チュウベエサマ』は、やはり猫との相性は良くないらしく、ひとしきり怒っていた。
パクリと食べられないか、いつも心配になってしまうわ。
「忠兵衛様、落ちてしまいますよ」
自分の肩で暴れる鼠を、オトミーちゃんは、大切そうに両手で包んでカゴの中に入れた。
その中は、ベッドやテーブル、椅子などが備えられていて、まるでドールハウスのよう。
全てがオトミーちゃんお手製と言うから、驚いてしまうわ。
『まだ、寝んぞ!』
「でも、もう夜の10時ですわ。夜更かしは、体に悪いです」
オトミーちゃんが頭を何度も何度も撫でてやっている。
すると、直ぐに抗議の声は、寝息へと変わった。
「ふふふ、お休みなさいませ」
微笑むオトミーちゃんは、まるで、熟練のベビーシッターみたいだった。
ガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソ
深夜の台所で、物音がした。
しかし、深い眠りに落ちた人々が、それに気づくはずもない。
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
地面に空いた小さな穴から、黒い虫が無数に這い出してくる。
地面の底に掘った穴を通り、外に張られた結界を通り抜けた侵入者は、目的の少女と鼠を探す為に、四方へと散っていった。
だが、部屋に侵入しても、ウロウロするばかりで、ベッドの上に這い上がろうとしない。
どうやら、彼らが頭元に置く匂い袋から発せられる香りが苦手なようだ。
時間ばかり過ぎていき、外はどんどん明るくなっていく。
そんな中、一箇所だけ、香りの薄い場所があった。
それは、オトミーのベッド。
頭元には籠があり、その中で、忠兵衛が匂い袋を枕代わりにスヤスヤ寝ている。
ただ、自分の分を作らなかったオトミーは、手に届く範囲に匂い袋が無かった。
虫達は、そこに一点集中し始める。
何も知らないオトミーは、ここ最近眠りが浅かったせいか、気絶したように深い眠りに落ちていた。
次の日の朝、一人の少女だけが、屋敷から姿を消していた。
『なんたる、不覚。ワシとした事が』
一番傍にいた忠兵衛は、愕然とし、頭を掻きむしる。
「奥様!旦那様!こんな所に、大きな穴が!」
メイドが見つけた穴は、人が通れる程の大きさに広げられていた。
抜け道を検分するリズリーの横に、真っ青な顔のメリノアが一緒に座り込む。
「貴方・・・一体何が起こっているのですか?」
「分からない。ただ、無数の虫の死骸が残されている所を見ると、何か関連があるのだろう」
「ウォルフに、なんと詫びれば」
泣き崩れるメリノアをリズリーは抱き上げ、ベッドへと運んだ。
もう、立っている気力もないだろう。
妻を家の者に預け、リズリーは、配下の者を呼び寄せた。
「先ずは、穴の行き先を見つけ出すのが先決だ」
直ぐに行動を起こし、屋敷周辺の捜査に当たり始めた彼は、一キロも離れた場所に、穴の出口を見つけた。
そこから、無数の魔獣らしき足跡が北に向かって伸びていた。
「くそっ、ウォルフの結界も万全では無かったと言うことか」
地下からの侵入を思い付かなかった自分をリズリーは、恥じる。
だが、誰も気づいていない。
あの匂い袋が無ければ、少女と鼠以外、全員抹殺されていた事に。