蝙蝠もどきと無駄吠えするイタチ
キチニチニチキチ
キニニチニニキチ
キチニチニチキチ
キニニチニニキチ
ピシャ
ジュワワワワワワワワワワ
俺は、結界に掛かった小物の駆除をする為に、屋敷の外に出た。
黒く、ヌメヌメとした肌の蝙蝠にも似た不思議な生物。
それに、聖水を掛けると、泡を出し、溶けるように無くなった。
これが効くと言うことは、コイツは、魔物で間違いない。
百年以上前から、忠兵衛を狙い続けて来た奴らが、今、直ぐそばまで来ている。
魔物の寿命は、俺らの比じゃない。
虎視眈々と、この時を待っていたんだろう。
チューニー・チャツボットは、一体どんな思いで鼠を本に閉じ込めたんだろう。
世界で唯一の友を、孤独な世界に閉じ込めても助けたかったのか?
それとも、奴が敵の手に落ちた時の悪影響が大き過ぎるために、この手段を選ばざるを得なかったのか?
本の封印を解く時、オトミーが貸してくれたブレスレットが、確かに反応した。
イジューイン伯爵が、引き寄せられるように買ってオトミーに与えた物だ。
忠兵衛に確認した所、昔、チューニー・チャツボットの腕に、はまっていたのを見たことがあると言っていた。
あの本の鍵がブレスレットなら、あれ自身が、自分に相応しい人間を選び、引き寄せた可能性がある。
ただ、何か釈然としない気持ちが残った。
あまりにも、話が上手すぎる。
誰かが、何処かで操っているような、居心地の悪さだ。
俺達は、誰かの手の上で、踊らされているんじゃないだろうか?
忠兵衛とオトミーのお陰で、本の解読は進んでいる。
今は、錬金術を極めていく過程が書かれたページを読みつつ、二人がそれを難なく習得している途中だ。
もっと後ろのページを読んで、オトミーの目の秘密や、敵の情報を仕入れたい所だが、順番通りにしかページを開くことが出来ない。
一度開いたページは、何度でも読むことができるのに。
俺も、少しずつだが、オトミーに言葉の意味や文法を教えてもらっている。
しかし、あまりの複雑さに未だ、『ハクマイタベタイ(白米食べたい)』くらいしか読めない。
もし、オトミーと俺が出会わなかったら、俺は、本を探そうとしたか?
もし、オトミーがブレスレットを持っていなければ、本は、開いたか?
もし、オトミーが居なかったら、俺は、この本を一行でも読むことが出来たか?
もし、オトミーが居なかったら・・・錬金術は、成功したか?
「お母様、いらっしゃいませ」
メリノアお義母様が、玄関で待ちに待った方を両手を広げて迎え入れた。
「メリノア、今は、イジューインさんも居るのだから、お母様と呼んではいけませんよ」
現れたのは、ファント先生。
苦笑しながらも、愛しげにメリノアお義母様を見つめている。
「オトミーちゃんは、私の娘になるんですの。と言うことは、お母様の孫になりますのよ。堅い事を仰らないで」
メリノアお義母様は、サササッとファント先生の腕にしがみ付くと、子供のように応接間へと連れて行く。
私は、どうしたら良いか分からなくて、お義母様の後を追った。
「オトミーちゃん、私にとってファント先生は、第二の母なの。覚えておいてね」
「はい」
「メリノア、はしゃぎ過ぎですよ。さぁ、イジューインさんも、座って」
二人掛けのソファーに、お義母様とファント先生が並んで座ってしまったから、私は、その前の席に座ることにした。
今日は、刺繍を三人揃って刺す予定だけど、心は、ウォルフ様の事で一杯。
魔獣調査の件で魔導士団に呼び出され、朝早くから出ていかれた。
絶対屋敷から出てはいけないと言われているけど、本当なら、しがみ付いてでも止めたかった。
私の為に、無理を押してチューニー・チャツボット様の本を探してくださった事は、本当に感謝しかない。
でも、そのせいで、命の危険と隣り合わせの危険な場所へ行かざるを得ない状況にしてしまった事が、心苦しくて仕方ない。
「あっ」
集中力を欠いていた私は、刺繍針を指に刺してしまった。
「オトミーちゃん、大丈夫?」
「は、はい」
「イジューインさん、何か、心配事?」
目の前で、メリノアお義母様とファント先生が、心配そうに此方を見ている。
「い、いえ・・・何でもな・・」
「何でもない事ないでしょう?」
ファント先生の大きな手が、私の頭を撫でた。
温かくて、柔らかで、優しい感触が、私のギリギリの心を揺さぶる。
「全てを話せと言うわけじゃないの。でも、ウォルフも貴女も、人を頼らなさ過ぎじゃないかしら?」
メリノアお義母様まで、私の腕を摩りだすから・・・。
うぇっ・・・・うぅ・・・
涙が溢れた。
忠兵衛様とウォルフ様の三人で、本について語る時だけ、現実を忘れられた。
自分でも、魔法が使えるんだと、心躍らせた。
でも、彼が居ないだけで、こんなにも不安になるなんて。
もし、魔獣が暴れて彼の身に危険が及んだら、私は、自分が許せない。
彼に頼ってばかりで、何一つ恩を返すことが出来ないなんて。
「さぁ、先ずは、温かい紅茶を飲みましょう」
メリノアお義母様が、手慣れた様子で砂糖たっぷりの紅茶を入れてくださった。
私は、カップを両手で持って、一口飲んだ。
喉から胸へと落ちて行く温かさが、冷たくなりそうな心を温めてくれた。
「そこまで、生息域を増やしているんですか?」
ドラコ団長の見せてくれた森の地図は、ほぼ半分が赤く塗りつぶされていた。
「あぁ、ここ5、6年ってところだろうな。ジワジワと数を増やして、凶暴化もしている」
トントンと地図の中央を叩いて、団長は、俺を見た。
「ここに、大きな穴がある」
「穴ですか?」
「あぁ、何処まで続いてるのかも、皆目見当がつかない。そこから、大量の虫が這い出してきている。魔物じゃねーが、何かから逃げてる感じだ」
自然災害の前に、虫が大量発生した事例は、よく聞かれる。
しかし、逃げると言うのは、何とも不思議な感覚だ。
「今回は、この周辺を重点的に調べる。お前に実戦は望まない。結界を張って、調査の邪魔が入らないようにしてくれ」
「はい」
俺は、手渡された資料と装備品を受け取って、部屋を出た。
実戦は、望まない・・・か。
口では、そう言いながら、資料に詳細に記載されているのは、それぞれの魔物の特性と有効的な倒し方。
死地に足を踏み入れる限り、100%の安全などあり得ない。
いざとなれば、俺を盾にして逃げる事くらいあり得る。
ただ、団長は、それを望んでいないし、だからこそ、この資料を俺に見せたんだろう。
何せ、国家機密だ。
多くの犠牲によって得た情報だけに、他国に売れば、高く売れる。
まぁ、そんな事をすれば、団長が地の果てまで追ってきて、俺の首を切り落とすだろうけど。
「オイ、ウォルフ・スタンガン!」
突然、名前を呼ばれて、足を止めた。
振り返らなくても、声で分かる。
魔導士団のエースとして、今年入団したばかりの男だ。
「良い気になるなよ!」
「言っている意味が、分かりませんが」
「団長から直接指導して貰えるのも、父親が、軍部の上層部だからだ!才能があると自惚れてると、今度の魔獣調査で死ぬことになるからな!」
俺は、振り返って男の顔を見た。
黒い褐色の毛で、鼻、口、喉だけが白い。
典型的イタチだ。
小さくて可愛い顔をしているくせに、獰猛で、尖った牙で噛み付く厄介な害獣。
俺に噛み付く暇があるなら、武器の整備でもすれば良い。
二十歳近い男が、十二歳に吠える様が、滑稽だと気付かないのか?
「そうですね。血縁の力を借りて、無理矢理ご指導いただいている身ですので、一番後ろから、邪魔にならないよう付いていかせて頂きます。先頭は、先輩がどうぞ」
最も危険で、最も名誉ある最前列。
やれるもんなら、やってみろ。