妹が私のパンツを被っていた。
朝起きると、妹が私のパンツを被っていた。小鳥がさえずり、虫が鳴き、朝日が窓を眩しく照りつけ、風は柔らかく漏れる。そんなのどかな日曜午前八時の、まだ光に慣れずかすんだ私の視界に映える妹は、やっぱりパンツを被っていた。脳は起動直後の古いパソコンのように動作が重く、状況を完全には把握出来ていない。もう一度寝ようと思えば寝れそうな具合に、眠気が醒め切ってはいないからだ。もしかしたら夢の続きかもしれない。そんな一抹の希望を抱いて念入りに深呼吸をする。吸って、吐いて。吸って、吐いて。また吸って、吐く。全身に血が、酸素が、熱が廻っていく。さっきよりは鮮明になった視覚。それが捉えたのは、やっぱり私のパンツを頭からおもむろに被る妹であった。
「誤解です、姉さん。」
「何が。」
妹は真面目で、勤勉で、私より少し勉強が出来て、私に似ず超が付くほどのしっかり者だ。頼りがいがあるようで、ほぼ毎年と言っていい程学級委員、高校生になってからは生徒会役員まで任されていると聞く。そんないわゆる"完璧人間"と呼ぶに劣らない妹は今、うっかり私のパンツを被っている。必死の、というより瀕死の弁明をしながらも、さも当然のように、白い百合柄のパンツを被り続けている。りんごは地面に落ちる。光は音よりも速い。生ける者は皆等しくいつか死ぬ。妹は私のパンツを被る。物理法則とでも言いたげな顔で、妹は私のパンツを被っているのである。ニュートンにりんごの落下よりも先にこの光景を見せていたら、理科の教科書は半分ぐらい変わっていたかもしれない。そんな事はどうでもいい。とにかく今すぐにはっきりさせるべき疑問が一つ。
「妹よ。何故私のパンツを被る。」
漢文の書き下し文みたいな口調で問う。
「被ってないです。」
視線を泳がせながら、ワンクリック詐欺もびっくりの大嘘を吐く妹の頭部を覆う、私のパンツ。私は妹を尊敬していた。同時に、妬んでもいた。何をやらせても私より優秀な妹。小六の運動会で、父は足の早い妹のリレーをカメラに収めると、満足して午後に始まる私の徒競走を待たずして帰宅。あの日のことを私は一生忘れないだろう。
「とりあえず、それ外してくれないかな。」
苦い思い出を咬み潰して、精一杯の明るい声で出す提案。これにはさすがの妹も…。
「嫌です。」
さすがは私の妹、何かを犠牲にしてでも目標を達成させる所は、昔から変わっていない。お姉ちゃん、妹のそういう所好きだよ。でもね。
「倫理的にアウトなので無理やりにでも取り上げます。」
「やめてください。」
「やめません。」
うーうー喚きながら抵抗する妹の手をすり抜け、その頭部を包むその布を掴む。掴んだ布も、すり抜ける。太陽の光が窓を突き破って私の虹彩を焼く。瞼を閉じ、開く。完全に醒めた私の目には、妹も、私のパンツも映えない。窓に反射して映る私の頭部は、妹のかつて履いていた青い無地のパンツに覆われていた。そういえば、妹は先週死んだ。事故だった。染みひとつ無い学生服を身に纏い、遅刻寸前の私を起こしてから家を出た妹は、通学路の信号がない横断歩道で、大型トラックに轢かれて死んだ。家にスマホを忘れた私は、校内放送で職員室に呼ばれ、副担任の田中先生からその事実を聞いた。残酷なことに、私は涙ひとつ出なかった。