TAKAUMA_2017
迷宮課の月例会議は、今月もまた例のごとく二名のみの出席らしい。
都内某所のとあるビルの階段を歩く彼女は、その数少ない出席者の中の一人だ。パンツスーツに男物のロングコート、黒髪を低く結わえ、そしてその目には鋭く暗い光を潜めている。
今回迷宮課は警察施設外に部屋を借りたらしい。その都度集合場所を変えるのは、迷宮課のその性質に由来する。
迷宮課。日本の警察組織内で秘密裏に組織された、『真相が明らかになってはならない事件』を迷宮入りさせ、その上で解決するためのグループである。そのため迷宮課の存在は公になってはならない。彼女、丸野契もまた警察官であり、そしてその迷宮課に入って間もないグループ内での新人といえる立場にいる。
(一応、新人ではあるから参加はしているが…毎度毎度課長と二人で話すだけなら行かなくても良いような気もするな)
などと思いつつ、階段を登りきる。廊下を行けばすぐそこが今回の会議室である。
(まあ、私が行かないと課長が一人で会議することになるからな…大丈夫なんだろうかこのグループ)
課長によればグループメンバーはある程度の人数いるらしいが、共に任務を行ったこともなければ会議にも来ないので、丸野は実質課長以外にメンバーに会ったことがなかった。
五秒とかからず部屋の前に到着する。
会議室のドアノブに手を掛けた丸野は、そこで異変に気づいた。
(………気配がおかしい)
彼女は常人とは異なる少し変わった特技を持つ。それは、『人の感情の色を読み取れる』というものだ。そのその特技を持つが故に、彼女は迷宮課へ勧誘された。
その感覚が警鐘を鳴らしている。いつもの課長の感情の色には存在しない、得体のしれない色。
拳銃を取り出し、構える。心の中でカウントダウンし、ゼロで扉を開け放った。
「動くな!!!」
拳銃を突きつけた先に居たのは、ひょろ長い男。迷宮課課長、高馬タカウマであった。なんの変哲もない会議室で、ただ椅子に座っている。
しかし彼女は警戒を止めず、拳銃を降ろさない。彼の様子がおかしい。余裕のある笑みを浮かべた顔は、課長であって課長でないように見えた。
「うわっ、何してるのさ丸野チャン。気でも狂った?」
「口調だけ合わせても分かるぞ。お前は誰だ!!」
丸野がこれほどまでに警戒するのは、彼ら迷宮課が相手取る主な対象が、
「……丸野チャン、超能力については説明受けたんだっけ?」
超能力による事件である、という理由がある。丸野の『特技』もその範疇に入る。
日頃超能力を相手にしている彼らはあらゆる可能性を考えなければならない。例えばこの場合、能力による洗脳、変装、認識の改変、そして、肉体の乗っ取りなどだ。
丸野は険しい顔で課長のような何かを睨み、返答する。
「課長に受けた。お前、隠す気が無いな。…課長はどこにいる」
「ハハハ…この肉体が彼の肉体だよ」
(チッ……撃つわけにはいかない、ってことか)
拳銃は使い物にならなくなったが、威嚇のため、安全装置を外す。銃口は相手の眉間に向けたままだ。
丸野は超能力に対する経験はほぼ無いと言っていい。超能力(丸野はこれが本当に超能力なのかもまだ判断がつけられない)と直接対峙するのもほとんど初めてだ。なので、顔には出さないようにしているが、拳銃を握る手がじっとり汗で湿るほど彼女は緊張していた。
「じゃあ丸野契。異端書って知ってるか?」
その問いに、丸野は返答に窮した。単に知らないということもあるが、相手の口調が完全に変わり、隠されていたらしい得体の知れない感情の『色』の全てが相手から滲み出てきたからだ。それに彼女は気圧されていた。
「知らないみたいだね」
「なんだって言うんだ。わざわざ異端書とやらのことを教えに来たのか?」
ふと丸野は机の上に置かれた古びた本に気づく。さっきまでは無かったはずだった。あれは明らかにヤバい、と彼女は本能でそう感じる。
「それもある。僕は几帳面なんだよ。その都度、僕は説明をすることにしてるんだ」
課長の顔をした何かは机の上の古びた本を手に取る。装飾も何もない、表紙にも裏表紙にも何も書かれていない。課長の顔をした何かが本を開くと、そこに普通なら書かれているはずの文字は何もなかった。
「異端書っていうのはさ、普通の本じゃないんだ。尋常ならざる本。尋常ならざる場所から来る本、と言った方が正しいか。その中には、自我を持つ本も含まれる」
「自我を持つ本……?」
丸野は課長の顔をした何かから目を離さずに、静かに右足を後ろに引き始める。奴が話をしている間に一度逃げたほうが賢明である、と判断したのだ。
「超能力の存在は受け入れられても、喋る本は受け入れられない?…まあ確かに、君のいるところよりももう一段奥の世界の話ではある。だがそれが向こうから来たとき、君が受け入れるか受け入れないかは、もはや関係ないんだ」
後ろに下げた右足に追随させるように左足を摺り足で下げ、右足に体重を傾ける。
「意思を持つ異端書達には、何か目的を持っている奴も多い。破壊を求める奴、自己保存だけを考えてる奴、恋を実らせたがる奴、愛を断ち切りたがる奴。そして、自分の『タイトル』を求める奴」
ダッ!!と右足で床を蹴り、開けてあったドアから飛び出す。
「それが僕だ」
パタン、と本を閉じる音がした。
丸野の意識は急激に遠ざかり、廊下に倒れ込む体の感覚すら得られずに失神した。
「説明責任は果たしたよ。こいつはダメだったから、今度は君に乗り移って僕の『タイトル』たり得る人間かどうか、評価させてもらうよ」
………
「………野チャン!!丸野チャン!!!起きてくれ〜〜〜頼むよ〜〜〜〜〜!!!」
ガクガクと体を揺さぶられながら、丸野は目をゆっくりと開いた。その様子を見て課長は安堵の表情を浮かべる。彼から放射される感情の色を見て、丸野もまた混乱状態から落ち着きを取り戻した。
「ああ良かった……………いや丸野チャンがこんなとこで倒れてたからもうホントに責任問題になるかと思って、あいや、丸野チャンが無事なのが一番だけどね?もうこんなデッカい男物のコートに埋もれて倒れてるから最初何かと思ってさ」
「課長。大丈夫、大丈夫です」
丸野は課長を押しのけ、自分の足でしっかりと立った。
(多少頭は痛むが体に異常はない…ビルに来てからの記憶が無いな。これは一度病院に行くべきか…)
片手を頭に当てて外傷の有無を確認する。傷は無いが頭痛が酷くなってきた。
その様子を見て課長が口を開く。
「大丈夫ならいいんだけど、今日はこれで解散にしようか。病院まで送るよ。僕たちなるべく指定の病院使わなきゃいけないし」
ありがとうございます、と丸野は頭に手を当てながら呻くように言った。その顔は痛みでしかめられている。
「…そういえば丸野チャン、なんでそんな男物のコート着てるの?」
「ポケットが大きいんです、男物。…ポケットに沢山ものを入れる人間なので………」
丸野はポケットの中に手を突っ込むと、カギやらレシートやらがゴチャゴチャになって入っているのを再確認した。
「よしじゃあ、行こう!歩けるかい?」
「はい」
ポケットに手を入れた際に、持っていた覚えのない本のような感触がしたが、丸野は特に違和感を覚えることはなかった。