7
学園にほど近い場所に、アグラットが住んでいる寮はあった。
中には入らず、外で待つ。
時間を確認すると、そろそろ待ち合わせのために指定した時刻になりつつある。
登校時間なので道を学園の生徒たちが歩いていくが、見慣れないハルカの存在とその格好をジロジロと見ていく。
「お、お待たせしました!
すみません、遅くなってしまって」
パタパタと寮の中からアグラットが出てきた。
「大丈夫ですよ、姫様。
それでは、行きましょうか」
並んで歩きながら、アグラットはハルカを見る。
男子の制服を着ているハルカはとても様になっていた。
この前の警備兵の姿も、とても印象に残っている。
「あの、ハルカ様。その護衛ということは重々承知しているのですが」
「はい?」
「今日から同級生になりますから、出来ればその名前で呼んで頂けたら、と」
「あぁ、そうですね。
うちの馬鹿も一応学校だと名前で呼ばれているとか。
それでは、アグラット様、で良いでしょうか?
でも、同じ生徒になるわけですし、もう少し砕けて【さん付け】にしましょうか?」
名前を呼ばれただけ。
ただそれだけなのに、アグラットの胸はあの日の夜会の時のように高鳴る。
「はい! それでお願いします!」
「では、アグラットさん。若輩者ではありますが、これからよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、ハルカさん」
この際だから、とアグラットは勢いのまま先日の夜会のことについて聞いてみた。
「あの、差し支えなければ教えて頂きたいんですが。
何故、あの日警備兵の格好を?
フローリアン殿下もそうですが、他の王族の方々も出席なさっていましたよね?
ハルカさんはパーティーに出席していたわけではないようでしたし」
アグラットの問に、ハルカは笑いながら答える。
「あー、簡単に言うと粗探ししていたんですよ。
警備体制の」
「粗探し、ですか」
「そう、パーティーに出席しても色々大変なんで、別の方向で動いてたというか。
時々そうやってチェックしてるんです。
抜き打ちを本番中にやってレポートを提出するんですけど、まぁ、嫌な顔されますねぇ」
「はぁ。しかし、なぜそのようなことをなさっているのですか?」
重ねて訊ねられ、ハルカは少しだけ、そうほんの少しだけ悲しそうな顔をする。
しかし、次にはその表情は消えていた。
軽く、さらりとなんなら笑みすら浮かべてハルカはアグラットに言う。
「母のように、家族を守りたいんですよ」
自分一人だけでやれることには限界がある。
それでも、欠片でも不安要素を取り除けるならそれに越したことはない。
たとえ、余計なことをと思われても、疎ましく思われても、嫌われても、それでもやれることは全てやっておきたいのだ。
自分は、母のようにはなれないとわかっているからこその悪あがきでもあった。
アグラットは、それ以上何も言えなくなってしまった。
踏み込んでいい話ではない。
そう判断したのだ。
アグラットは話題を変えた。
「そういえば、ハルカさんは学園に通うのがこれが初めてだとか。
今までは誰に勉強を教わっていたんですか?」
「父上が手配してくれた家庭教師です。
ダンスやマナーの授業が一番きつかったですね。
先生たちがとにかく厳しくて」
そんな他愛のない話で盛り上がった。
そうして校門までたどり着いたのは良いものの、ここで問題が起きた。
風紀委員会が制服のチェックをしていたのだ。
スカートは短すぎないか、必要以上のアクセサリーは身に着けていないか、などのチェックである。
アグラットの説明によると、最近は違法薬物もちこんだ者もいたらしい。
制服だけでなく持ち物のチェックもされる。
見ていると、どうやら護衛もその対象であるようだった。
こちらは教師と、おそらく学園側に雇われたのであろう警備員がチェックをしていた。
それというのも、違法薬物を持ち込むのは生徒だけではないらしい。
護衛や従者が小遣い稼ぎなどの目的で、そういった売人をしていることがあるらしい。
とは言ってもめったにないことらしいが。
さて、そんな彼らに女子であるのに男子の制服を着ているハルカはとても奇妙に映ったらしかった。
ようは目をつけられたのである。
呼び止められ、何故男子生徒の制服を着ているのか問い詰められた。
問い詰めてきたのは、風紀委員長であり、ギーズ公爵家の長男だった。
現在この学園の二年生だったはずである。
他の風紀委員のメンバーは、ギーズ公爵家に付き従っている貴族家出身の生徒たちである。
さて、その長男の名前だが、
「これはこれは、ヴァン・ギーズ様ではありませんか」
頭の中の貴族名鑑を引っ張り出して、ハルカは彼の名を口にした。
しかし、一方のヴァンはと言えばハルカの事をその容姿から平民だと判断したらしい。
平民から名前を呼ばれたと思い、ムッとしている。
続いてヴァンはハルカと一緒にいたアグラットを見て、意地の悪い笑みを浮かべた。
そして、ハルカを無視してアグラットへ声をかけた。
「おや、アグラット様。
どうしたのです、こんな下賤な者など連れて。
フローリアン様に捨てられたばかりだというのに、いい気なものですね」
そんなことを言うヴァンの視線から守るように、ハルカはアグラットを自分の背後へとやる。
「随分、殿下のことについてお詳しいようで。
そういえば、その殿下はまだ登校していないんじゃないんですか?」
要約すると、お前のとこには何にも情報が行っていないんだな。可哀そうに。
という皮肉である。
そんなハルカに対して、明らかにイラついた表情を見せる。
しかしハルカはそれに構わず、後ろで控えていた風紀委員へ言葉を投げた。
「君、そう一年生の腕章をつけてる君のことだよ。
君はたしか、ボーエン準男爵家の三男だったよね?
この前の、陛下主催の夜会にお兄さん達と出席していたろう?
その時の顛末を知っているはずだ。
駄目じゃないか、情報は、ちゃんと上司には報告しなければ」
言われて、その一年生は驚きの表情でハルカのことを見た。
しかし、すぐに可哀そうなほど顔を真っ青にしてしまう。
(なるほど、まぁ予想はできたけど)
ハルカは内心で呟いて、おびえる子犬のようになってしまった一年生の代わりに説明した。
「ヴァン様が敬愛しているだろうフローリアン殿下と、こちらのアグラット様の婚姻ですがたしかに白紙に戻されましたね、他ならない陛下が。
なにせ、殿下は女性に手をあげるという、紳士にあるまじき愚行を働いてその資格なしと判断されたのです、他ならない陛下が。
そのため、今は謹慎中ですよ。
風の噂では、他にもいろいろやらかしていたようですから、廃嫡なんて話も聞きますよ。
もしかして、誰も教えてくれなかったんですか?
おかわいそうなヴァン様」
にっこり笑顔つきだ。
まさかここまで言い返されるとは思っていなかったのだろう。
ヴァンは言い返せず固まってしまった。
そんな固まってしまったヴァンの横を、ハルカはアグラットの手を引きするりと抜けていった。