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灼眼の小刀  作者: 七紙野くに
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第8話 スウィートソルトデビュー

店主と知の心配を余所に腕を磨く久。

山の手痛い挨拶が彼女を待ち受ける。

 あれ以来、久は山へ通っているらしい。知と店主は気が気ではない。あの山はめてかかると必ず竹箆返(しっぺがえ)しを食らわす。知は峠へ引き込んだ罪悪感がある。店主はあんな車体を造って与えた責任がある。


「コーヒー不味いね」

「うん不味い」


 断っておくが、この港町のコーヒーは旨い。味が悪いのは二人が成した業の所為だ。


「今度、来たらきつく言っといてよ」

「って言われてもなぁ」


 油冷シングルが近付く音。噂をすれば、だ。


「こんにちはー、久です!」

「いらっしゃい」

「いらっしゃい」


 小さな声を返す店の主と馴染み客。


「どうしたんですか、元気なくないですか?!」


 店主は黙って工具を磨き、知は雑誌を眺める。


「なにかあったんですか?」

「私、駄目なところに来ました?」


 元気連射砲は堪らず三弾目を発射した。


「破局?!」

「んなことない!」「んなことない!」


 自らが構成したユニゾンによって顔を見合わせる店主と知。


「やっぱり、そんな関係だったんですか?!」


 撃沈する前に店主が舵を切る。


「久ちゃん、走りに行ってるんだって? それも毎日」

「はい! 早く知さんみたいに上手になりたいです!」

「一人で行くのはめな」

「どうしてですか、てんちょー」


 前回とは逆に店主の視線が知に助けを求める。


「危ないからに決まってるじゃない」


 直球すぎた。


「危険度なら独りも大勢も同じじゃないですか」

「久は未だ知らないことが多すぎるのよ」

「どうせこどもです、なにも知りません!」

「いや、そういう意味じゃなくて」


 臍を曲げた高校生に大人は適わない。


 店主は確認する。


「今日も行くつもりか?」

「はい、今から行ってきます!」

「知と一緒に行け」

「え」

「え」


 二人しかいない客が身構える。


「ほら行った行った」


 店主は知が広げていた雑誌を取り上げた。


「もう仕方ないわね」

「行ってくれるんですかー、嬉しー!」


 二人を見送った店主は空を仰いだ。


「降らなきゃいいけどな」


 知と久のヘルメットにはインカムが付いたままだ。


「知さん、私、前、行きます。ちょっとは上手くなってるの見てください!」

「無茶しないでよ」

「分かってます!」


 確かにテクニックは向上している。「表」を駆け上がりつつ久を観察する知。だが甘いところも散見される。


「次の次のコーナーは読んでない」

「はみ出すクルマも予測してない」

「路面状況が変化するということを知らない」


 知はさとすためのリポートを心に蓄積する。走っている時に一々、口にされると頭に入らないばかりか苛立つことを知っているからだ。


 二台が丁字ヶ辻(ちょうじがつじ)に達した頃、ぽつりぽつりと雨が落ち始めた。山の天候は移り気だ。


「久、今日はもう帰ろ」

「なに言ってんですかー、これからですよ」


 知の静止を聞かず久は「西」を進む。速いのは速い。今日は乗れていると感じているのだろう。誰だってくの如き時はある。ライダーズハイだ。


 やや雨脚が強くなる。暫く下ると珍しく前方から灼眼が現れた。知を見定めると首を横に振る。奴の車輪は道に糸を引いている。水だ。


「不味い、コーヒーよりずっと」


 知がインカムに叫ぶ。


「止まれ久! その先は川だ!」

「え、なんですかー、聞こえないんですけどー」


 右手が切れた。フロントを持ち上げたまま切り返す白氷。もう少しで背中だ。


「止まれー!」

「え、なに?!」


 困惑する久をぶち抜く白いカウル。前に回った知は渾身のフルブレーキングを試みる。


「わー!」


 止まれたのは久だけだった。ガードレールから湯気が上がる。


「知さん、知さん!」

「大丈夫だから」


 カーブの壁面から噴出する水の中、知が立ち上がった。


「ごめんなさい、ごめんなさい、私」

「気にしない気にしない」

「でも知さんのNSR」

「あんなもの店長の手に掛かればどうってことないわよ」

「ごめんなさい」


 泣きじゃくる久。知は割れたスマートフォンの画面を叩く。


「てんちょー、トラックお願い」

「どうした? 大丈夫か?」

「ちょっとねー、私は大丈夫」


 店長の韋駄天が到着した。特別レスキュー仕様だ。


「大丈夫か?」

「うん、あれ、お願い」

「派手にやりやがって」


 積み込みを黙々と行う二人。久は未だ泣いている。


 片付いた。即席レッカーのエンジンが掛かる。


「久ちゃん、乗りな」

「早く早く」

「てんちょー、てんちょ、ちょ……」


 二人乗りの軽トラの中央に座り泣き続ける久。彼女を挟み知が疑問を投げる。


「店長、久のバイクになんかしたでしょ?」

「なんかって?」

「じゃないと止まれるわけがない」

「あぁ、ABS(注1)だよ、付けておいて良かった」

「良かった、か」


 眼下には煙る街。夜の幕開けも久の目には滲んで映る。そして口の中はしょっぱさと甘さに溢れていた。





注1: ブレーキフルード、ブレーキオイルの圧力制御によりタイヤの滑りを防止する装置をAnti-lock Braking System、略してABSと呼びます。通常、急ブレーキ時に効果的に働き減速、停止するまでの距離、制動距離を短縮します。ただし非装着車への新規装着は実際には困難です。本来、速く走るための減速に用いられるものでもありません。車輪のロックが転倒に繋がる二輪車への適用も難しく、2021年10月に新規販売車への装着義務化予定となっています。なお、ABSという呼称自体はドイツ語のAntiblockiersystemから来ています。

当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。多くの軽トラックは二人乗りです。そこもお忘れなきようお願いいたします。


バイク屋の店長は店にいる時は「店主」、店から離れると「店長」表記になります。会話文では基本的に「店長」です。

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