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灼眼の小刀  作者: 七紙野くに
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第60話 栗色の髪の貴婦人

深夜に山を駆け上がるカローラGT。

行く手に立ちはだかったのは。

 いつだっただろうか。知のNSRを従えギャラリーの前をドリフトしていったファントゥドライブな四輪車の話をお届けした。今日はあのカローラGTとそのオーナーの若きある日を綴ろう。たまにはバイクに触れないストーリーも良いだろう。


 深夜にかかろうかという午後十時。薄いスチールのシャッターを持ち上げた男が愛機を出庫する。迷惑を考慮しガレージから数百メートルの地点で暖機を待つ。回転計の針がスローに下がっていく。水温計はレブカウンターとは逆の弧をなぞる。ウォーミングアップが終わると発進する。


 複数の住宅街、団地を経由し目的地に近付く。ピロで固められているためギャップによる振動をある程度、拾うが日常なので気にならない。


 428を通過し右折する。高校を左にすれば心に点火するだけだ。


 植物園を過ぎる。本能によりスロットルが開かれる。二速全開からヒールアンドトゥに移行しコースで一番のタイトターンに一速で突っ込む。間を置かずシフトアップし暫く小気味よいサウンドを響かせていると前を塞がれた。


 タングステンで暗くハッキリとは視認出来ないがマルーンの911だ。ナローではないし純なカレラでもターボでもない。


「攻める気がないなら譲ってくれないかな」


 男が呟こうとした次の瞬間、空冷水平対向六気筒の咆哮がフロントウィンドウを突き抜けた。遠離とおざかる。気品(あふ)れるファットなテールが遠離る。


「ふっ」


 男から笑みが漏れた。バタフライバルブが水平になる。4A-Gのジェットサウンドも木霊する。圧倒的に出力で勝るポルシェを圧倒的に重量で有利なカローラが追う。捉えた。ここからは当然、立ち上がりで離され突っ込みで差が詰まる展開になる。


 だが今回はのぼりだ。パワーが物を言う。序盤のつづら折りで拮抗状態を保っていた男のライトウェイトは徐々に不利になる。ボクサー乗りの技量も見えてきた。恐らく初見ではない。「西」を知っている。リアがヘビーな車体を非常にスムーズにハイテンポで道に沿わせている。フロントが軽くナーバスになりがちなリアエンジンリアドライブを絶妙の荷重制御で導いている。慣れていなければ不可能な芸当だ。


「美しい」


 男は楽しむ、楽しませるために用いるエフドリを封じた。封じてもトレッドが路面上を微妙にスライドする感覚が伝わる。ヌルヌルとした流動感。極上のコンパウンドのみが示すコーナリングリミットでの挙動だ。最新のポテンザでなければとっくにガードレールの餌となっている。タイヤの接地面を脳と直結させた男はテールハッピーなフロント駆動を抑え込む。


 しかし徐々に間隔が増す。男は前走車の小さなリアグラスを通る薄明かりを見た。左サイドのシルエットがミラーを介して、こちらに視線を送る。それを確認した男はシフトレバーを三速に叩き込んだ。


 AE82は二速レブリミットで96km/に達する。そこから更に上のギヤを鳴らす。勿論、容赦なくベタ踏みで。二台は侵入してはならないエリアでダンスを始めた。


 有るか無いかの直線でハイウェイでも絶対に許されない速度まで加速し、直後アレスティング・ワイヤーにフッキングした艦上機の如く減速する。両者ともサス、ブレーキ等、足回りは余裕を持ってチューンされているのは間違いない。が、ポテンシャルの限界付近でのやり取りは命のやり取りに直結する。車輪の数と配置、車両の構造から極めて安定しているクルマのバトルゾーンは二輪同士の駆け引きからは想像も付かない。男は汗を感じた気がした。ハンドルを握る手ではなく、みぞおち辺りに寒いものが流れる。


 流体となった視界の一部に斜面で樹木に引っ掛かるST165が飛び込む。同好の士の末路が緊迫感を増幅する。


 男は広がるスクリーンを狭め妨害を取り除いた。911の優雅な曲線に付属した控えめなストップランプが揺れる。ドライバーは基本的にグリップ走行を意識していると思われるが滑る、滑らせることを恐れていない姿勢がうかがえる。僅かに横に移動したように映っても難なく修正舵が当てられる。筆は最速という名の麗しいラインを描く。


「やるな。だが未だ引けない……」


 熱くなった、いや、冷静さを失った男は判断を誤った。ミドルストレートで小さくなった影を逃すまいとターンインのギリギリ手前まで三速でワイヤーを引き続けた。ブリッピングと同時にフルブレーキング。神から与えられた領域から逸脱した。オーバースピードだった。


 一瞬、鉄のボディが身体毎からだごと、浮く。コントロールを失った白い機体はタイヤスモークを伴い180度以上、転回する。ゴムが焼ける匂いが車内にまで入る。森の静寂が暗闇を覆う。対向車もなくアスファルト上にとどまったのは奇跡だ。


 前後の安全を確かめ下り方向へリスタートしたカローラGTはスピンターンで再び山上を目指す。もう男に「その気」はない。ゆっくりとあやまちを噛み締めつつクルージングを行い、いつもの終着点、天覧台のパーキングに入った。


 コンクリート壁が反射するイエロービームが眩しい。男は数秒の深呼吸のあと、イグニッションを落とした。


 施錠しドアに背を向けるとツカツカと階段に向かう。天上に開くステップを一歩ずつ踏む。そして平坦なビューポイントに立つとフェンスにもたれかかる後ろ姿があった。


 男は先客と数メートル離れて浮世との仕切りに手をかける。次いできらめく街を見下ろす。吹き上げる微風が心地好い。頭にはなにもなかったが崖下の残骸とならなかったのは幸運だと感謝すべきだろう。誰にでもないが。


 男はふと、隣で距離を取ったままの人物に目をやった。缶コーヒーを傾けている。彼も気配を察知したのか首を動かした。彼は男の瞳を見詰めると無言のまま持っていた缶を軽く縦に振った。


「やぁ」


 そう言っているのか。男も小さく手を挙げ応えた。挨拶を済ますとコーヒーの彼は悪戯っ子の表情で階段へ消えた。


 放心状態に戻った男を太く乾いたアイドリング音が呼び覚ます。ドライサンプのボクサーサウンド。


「そうか……」


 一夜限りのプレイヤー。それ以来、男はマルーンの911に会っていない。

言うまでもありませんが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。

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