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灼眼の小刀  作者: 七紙野くに
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第3話 シングルの背中

少し趣を変えて初冬のハートウォーミングストーリー。

 季節は前後するが、あるバイク屋が織り成した晩秋のエピソードを語ろう。


 朝だ。ガレージのシャッターが上がる。一人の男が白い息を吐き、スクーターを店頭に並べ出す。店頭と記したが一部は無断借用の歩道である。陳列が終わると、なんとか敷地内に収まっているプランターに水を撒く。彼は花にも造詣が深い。ぶっきらぼうに接客し機械油がしたたる中、黙々と作業する人間の意外な側面だ。


 ここで一つ、これまで触れなかったことを明かそう。智明、それが彼の名だ。知に飽きたので「ともあき」ではない。「さとみ」と読む。時が時ならキラキラネームではないか、と知は常日頃つねひごろ、感じているが、口にしたことはない。


「おはよ」

「あぁ」

「あぁ、は無いでしょ、お客様が挨拶してるのよ」

「あぁ」


 挨拶の主は知だ。こいつが午前中から顔を見せるなんて、また無理難題を持ってきたんだろう。智明は冴えない頭のセルを回す。


「速くする話ならお断りだからな」

「違うわよ、ほらこれ」

「なに?」

「誕生日でしょ」


 押し付けられた包みに驚く。


「店長、ハッピーバースデー!」

「店員、俺しかいないんだけどな」

「捻くれたこと言ってんじゃないの、ちゃんと喜びなさい!」


 豆鉄砲に続いて放たれた祝辞連射砲。どっちが年上なんだ、智明はぼやきそうになった。しかしお客様だ。


「開けないの?」

「うーん、開けない方がいいような気がする」

「それってヒジョーに失礼よね」

「えぇ?!」


 智明は観念して、ごわごわしたクラフト紙を剥いでいく。


「毛糸?」


 感触が伝わった瞬間、手が滑った。しゅるしゅるガシャーン。


 指先から伸びるウールのマフラー。くるまれていた金属が床に転がっている。


「スプロケット」


 やれやれ、と円盤を拾い上げた知によって長い沈黙が破られる。


「試したいって雑誌、眺めてたじゃない」

「あぁ、なるほど」


 智明も一応はバイク屋の店主なので単車を駆る。その単車へのプレゼントも兼ねるのか。


「よく覚えてたな」

「そこは礼を返すところよ」

「あぁすまん」

「じゃなくて!」

「ありがと」


 バイク屋にバイク部品をくれてやるとは根性が据わったお客様だ。智明は微笑む。


「他にないの?」

「他に?」


 智明はマフラーをぶら下げていた。


「これ、お前が編んだのか?」

「うん、イイでしょ」

「そうか」

「そうか、じゃないわよ、全く」


 知はマフラーを奪い取り問答無用で智明の首に巻き付けた。


「似合ってるよーん」


 どうするんだこれ。下手に外したら機嫌を損ねて面倒なことになるぞ。智明の勘は正しい。加えて店長としてはお客様の気分を害してはならない。


「気持ちいい」

「やったー、今日、初めて自分から感想を発したー!」


 予想の斜め上をいく、はしゃいだ姿に呆気にとられる。


「どうかした? また黙っちゃって」

「あぁ、いや、嬉しそうだな、と、思って」


 なにも考えず返された素直な言葉に知の顔が赤く染まった。


「そういえばバイクはどうした?」


 智明が言葉を逸らす。


「置いて来ちゃった、なんとなく」


 確かに見慣れないダッフルコート姿だ。


「このためだけに来たのか?」

「あ、うん」


 また秘孔を突いた。向かい合っているのも気まずい。


「羊、見に行かないか?」

「え」

「未だ凍ってないし店は臨時休業にすればいい」

「バイク、乗ってきてないって」

「ほらよ」


 智明は知にジェットヘルを投げた。


「後ろだよ、後ろ」


 智明はグリーンメタリックのSRX一台を残して店を片付け始めた。知はニヤついて、その光景に目をやる。


「Closed.」


 シャッターの貼り紙にある文字はこれだけだ。


 モノサスで際立つ珠玉の音叉デザインに火が入る。空冷なので暖機に時間はかからない。


「ほら跨れ」


 知は促されて小さなタンデムシートに陣取る。軽く智明の腰に手を回すと遠慮なくアクセルが開けられた。


「ちょっと!」

「黙って掴まってろ」


 低密度ながら整然としたパルスが言葉を掻き消す。


 「表」に入った。ファンシーサファイアのSRXは二人を乗せ美しいラインを描く。


「巧い」


 右に左に。余りにもスムーズに駆け上がっていくマシンに知は驚嘆する。振り返ってみれば店長のライディングテクニックを深く観察したことはない。


「こんなに上手だったんだ」


 深くバンクしても安心していられる。伊達にバイクで稼ぎを得ているわけではない。流石だ。


 例の如く丁字ヶ辻(ちょうじがつじ)を折れる。暫くして前から声が飛ぶ。


「奴だ」


 赤い小刀が手を挙げ抜いていく。グローブはピースサインを掲げる。


「灼眼さーん!」


 腰を浮かせ大きく手を振る知。


「聞こえねーよ」

「え、なに?」


 なんだかこどもを背負っているみたいだと智明は呆れる。


 今度は澄んだ空気を胸一杯に吸い込み話しかける。


「来週から氷が張るから奴とは来シーズンだなー」

「そだねー、今年、最後に会えて良かったー」

「後ろ、楽しいか?」

「うん、店長、背中、大っきいね、信頼の背中だね」

「誉めてもなにも出んぞ」

「分かってます、ラジャー」


 シングルの鼓動が軽妙な会話を弾ませるのか。あるいは心まで軽くさせるのか。


 山は初冬だ。時間が短い。約束通り羊を拝むと陽が浅く傾いてきた。


「帰るか」

「うん」


 下りも滑るベルベットのタンデムライディング。


「攻めない山もまた素晴らしきかな」


 柄にもなく人任せの運転を堪能する知。


「店長、てんちょー!」

「なんだ?」

「前、寒くない?」

「暖かいよ、いつもよりな」


 智明の肩とヘルメットの間に風が入る隙はなかった。不器用な時間が費やされたマフラーがあったのだから。そして信頼の背中にはいつになくお喋りな懐炉がくっついていた。

言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。「無断借用の歩道」は演出です。歩道も車道もルールを守って使いましょう。

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