第21話 石橋は叩いて渡れ
店主の説得に耳を貸さず最新の尖ったタイヤを手にした知。
意気揚々と飛び出すが。
「店長、タイヤ入ってる?」
「あぁ」
店主はバックヤードから真新しい二本を運んでくる。この春、国内トップメーカーが発表したニューモデルだ。ストリートユースも可能と謳っているが実体はサーキット走行に振った尖った特性を持つ代物だ。こんなピーキーなタイヤはやめておけ、と言う店主を全く説得力がない理由で説き伏せた知が勝ち取った。
黙って交換作業を終えた店主が知に告げる。
「いいか、此奴は極めて限界が高い。そしてそこまではなにも語らずスムーズに持って行ける。だが限界を超えると一気にスパンと来る。タイヤの性能を過信したり自分の腕と取り違えるんじゃないぞ」
「分かった」
知の心が呟く。
「説教がましいオッサンか。そんなの乗れば分かる」
ガレージを出た知は三十分後、「表」の入り口にいた。
「さて、行きますか」
右手を勢いよく下へ捻るとカラカラと鳴る乾式クラッチを息つく間もなくミートした。
「これがラジアルか」
軽く皮を剥きつつ靴を履き替えたマシンの挙動を探っていく。一見ナチュラルで癖はない。
「いける」
例の如く丁字ヶ辻を左折したところで降車しトレッド面を点検する。新品タイヤ特有の表面の光沢は綺麗に失われている。問題、無さそうだ。
再び乗車しサイドスタンドを蹴り上げたところで白色の閃光を伴う赤い影が後方から駆け抜けた。
「逃すか。丁度いい」
アクセルを煽ると炸裂するツーストロークパワーでカタナを射程距離に捉える。カタナの背後に張り付いたNSRはいつにも増して迫力がある走りを見せる。
「流石、黒いダイヤ。まるでレールに載っているよう。それもどこまでも」
新兵器を纏った白氷による圧迫感が灼眼のライディングポテンシャルを更に引き出す。ギリギリのブレーキングで辛うじてNSRを抑え込むと肘をターマックに擦りつけるかのような信じられないバンク角で鋭い弧を描く。
ギャラリーが屯するタイトターンも近い。
「今日は私が前!」
尋常でないスピードで深く寝ても動じないNSRが自信をもたらし状況に飲まれた知のテンションが最高潮に達した。
「今だ、いけー!」
中速コーナーで外から一気にカタナを捲る、はずだった。
「うっ」
五体が反応するのを待たず後輪が大きくスライドした。思わずスロットルを緩める。過剰な駆動力から解き放たれた最新のコンパウンドが容赦なく路面を掴む。
「え」
次の瞬間、知は宙を舞っていた。ハイサイドだ。グリップを取り戻した車体は掌を返すようにアウト側へぶっ飛んだ。
着地した体が道路上を滑っていく。NSRが追いかけてくる。前方でスピンターンするカタナが映る。知の全視界をスローモーションが覆う。
なんとかガードレールに触れることなく知の背中は停まった。迫るNSRは知を掠め、いくらか滑走し金属音を発するのを止めた。
木々の葉を揺らす風の音のみが届く静寂の中、紅のパイロットが歩み寄る。
彼は知のヘルメットを固定するようにホールドすると断りもせずシールドを持ち上げた。
「こっちを見ろ」
知の鼓膜を初めて男の声が打つ。知は素直に灼眼の目を見詰める。
灼眼は瞳孔の様子を確認すると肩に柔らかく手を掛けた。
「右手をゆっくりと開け」
「閉じろ」
「左手」
「右足を伸ばしみろ」
「曲げて」
「左」
「ここで動くな」
知から離れた灼眼はNSRを引き起こし安全な場所へ退避させる。
僅かな時を経てNSRを一通りチェックした灼眼が知の元へ戻ってきた。
「滑っただけなのが幸いだったな。ダメージは大きくない。立てるか?」
促され無言で立ち上がる知。
「大丈夫そうだな。必要なら助けを呼ぶが」
「要らない。自分で帰れる」
「そうか」
間を置かず背を向け去ろうとする灼眼に知が喉を振り絞る。
「ちょっと」
後ろ姿のまま立ち止まる灼眼。
「最近、クリアテールに換えたでしょ。趣味、悪いよ」
「そうだが、視認性が良いからな」
「それから……ありがと」
灼眼は普段通り小さく手を挙げカタナと共に消えた。
一時間後、店主がコーヒーを淹れていると大人しめのツーストサウンドが店の前で小さくなった。
「やっちまったい」
悪びれず明るく振る舞う知。店主は損傷したレーシングスーツからNSRへ視線を移動させると苦虫を噛み潰したような表情で知の瞳を睨む。ただ睨むだけで口は閉ざしたままだ。
気拙い沈黙が続くのに耐えられず知が戯けたように笑う。
「えへへ、タイヤに乗せられてるのに気付かなかった」
「馬鹿野郎!」
正に一喝だ。
「それでお前はどうもないのか?」
「うん、この通りピンピン」
「運が良かっただけだ」
「ごめんなさい」
店頭からガレージ内へNSRを引き込む店主に知が問いかける。
「どのくらいかかりそう?」
「パーツは今、発注すると明日か明後日、入る」
店主は機体を一周し、フレームや足回りのアライメント確かめると話を繋いだ。
「どこにも当たらなかったようだな。削れた部分の交換と微調整だけだから時間はかからんよ」
「サンキュー!」
「反省してるのか!」
呆れた店主が鍋にミルクを入れコンロに火を点けた。アールグレイを乱暴に投げ入れる。コーヒーのことは忘れたようだ。たっぷりと赤砂糖を加えると茶葉を漉しウェッジウッドのティーカップに注ぐ。店主流のミルクティーが新たにオイルを塗り込まれたカウンターに置かれる。
「転けた直後は痛みも寒さも感じないんだ、体を温めていけ」
返答せずカップに口をつける知。店主の心の温度が血管網を巡っていく。
サイレンス漂う空間で時間をかけて紅茶を味わった知が席を立った。
「ゴメンね、ありがと」
それだけ言葉にすると知は振り返らず店を去る。店主も見送らずカップとソーサーを片付ける。
「全く」
傷付いたスーツが網膜で捕まえられなくなってから手を止め溜め息をつく店主だった。
当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。
タイトルの石橋は某有名タイヤメーカーです ;)




